教師になる前に
「おはよう」
すれ違う人に毎回挨拶をしながら学院を目指す。挨拶を返す生徒は半々といったところか。
あまり、良い教育が出来ているとは感じられない。挨拶は基本である。
そんなことを思っていると、隣を歩くシェンリーがこちらを見上げてきた。
「あ、あの……先生は高等部の授業を担当するんですか?」
「今日が初めてだから、まだ分からないかな」
「え? 初めて?」
戸惑うシェンリーに笑いながら、私は城と見紛う校舎に入り、とりあえず学長の下を目指した。
まだ時間はあるとのことなので、シェンリーも同行させる。
校舎の中も区分けされているのか、段々とすれ違う人物が大人ばかりになってきた。一先ず全員に挨拶はしながら廊下を進むが、大半の者は奇異の目を私に向ける。
「失礼します」
ようやく、あの豪華な扉の前に立つことが出来た。私は扉をノックしてから返答を待つ。
「あ、あの、アオイ先生……っ」
不安そうなシェンリーが何故か私の名を呼びながら袖を引っ張ったが、扉の中から返事がしたので、とりあえず扉を開けることにする。
「おぉ、アオイ君か。おはよう」
と、扉を開くなり椅子にゆったりと腰掛けたグレンが片手を上げて挨拶をしてきた。
「おはようございます、学長。とりあえず、今日からさっそく授業の様子を見てみたいと思ったのですが」
「ふむ、そうじゃな。今日は一日学院内の見学でも良かったが、アオイ君が良いというなら……ん? その子はどうしたんじゃ?」
グレンは私の後ろに隠れるシェンリーに気が付いた。私がシェンリーの背に手を添えて隣に立たせると、グレンは眉を上げる。
「おぉ、シェンリー・ルー・ローゼンスティール。珍しく獣人で飛び級した子じゃな。おはよう。アオイ君と知り合いかの?」
柔和な態度ながら、僅かにグレンの目には複雑な感情の色が浮かんだ。シェンリーはオドオドしながら頭を下げる。
それを横目に、私はグレンに鋭い目を向ける。
「……私が教員となるにあたり、幾つかお願いしたいことがあります」
そう告げると、グレンはあからさまに嫌そうな顔をして上半身を仰反らせた。
「うわぁ……聞きたくないのぉ……。とんでもなく嫌な予感がするのじゃ。そう、あれは若かりし頃、竜討伐でカーヴァン王国の国王に呼び出された時じゃった。一緒に討伐したオーウェンが謁見の間で……」
「まず一つ目です」
「さ、最後まで聞いてもくれんのか……アオイ君は師匠の余計な部分を受け継いでおるぞい。いや、申し訳ない。謝るからそんな顔をせんでくれ。わし、すごい老人じゃよ? 心優しくも気弱な超年寄りじゃて。優しくしておくれ」
私の要望を聞きたくないグレンがガタガタと煩いので、私は腕を組んで睨み上げる。すると、グレンは居住まいを正し、行儀良く話を聞く体勢になった。
それを確認してから、私は組んでいた腕を解く。
「……私は差別を嫌います。種族差別や王族貴族などの階級による差別など、学院には全く不要なものである筈です。生徒は純粋に魔術や力の使い方、知識、生きる術などを学び、教師は生徒の良き理解者であり生徒の模範とならねばなりません」
「う、うむ……理想はその通りじゃ」
グレンの同意に頷き返し、私は一歩前に詰め寄った。
「その為にも、差別やイジメを目にした時、誰が相手でも私は叱ります。あまりにも酷い場合は説教ではすまない事もあるでしょう」
「ヒェッ」
私の言葉にグレンは奇怪な悲鳴をあげた。恐らく、了承してもらえたのだろう。
「では、二つ目です」
「お、おぉ……まだ、わしの心は動揺を隠せずにおるのじゃが……」
「他国から多くの生徒が来るこの学院では難しいかもしれませんが、授業参観を開いておきたいです。生徒のご両親に、悪いことをしたら叱ると宣告します」
「oh」
私の言葉に、グレンは頭に片手を当てて天を仰いだ。私は暫く考えてから息を吐き、口を開く。
「とりあえずはそんなものでしょうか」
「いや、十分じゃろ。わしは不安でいっぱいじゃよ」
呆れたように笑うグレンに微笑み返し、私は再度確認する。
「よろしいですね?」
すると、グレンは吹き出すように笑い出し、大きく息を吐いた。
「……そうじゃの。昔はそんな気概がわしにもあったが、最近はとんと面倒事を避けるようになってしまった。たまには良いかもしれんの。よし、アオイ君に学院の気風を正してもらうことにしよう」
グレンはそう言って立ち上がり、こちらに歩いてきた。そして、私の隣に立つシェンリーの前で腰を落とし、小さな肩に片手を載せる。
戸惑うシェンリーに優しげな微笑を浮かべて、口を開いた。
「……直接話をするのは初めてじゃの。わしが学長のグレン・モルトじゃ」
「は、はい! ぞ、存じています。あ、お話しできて光栄、です……」
緊張するシェンリーの様子に、グレンは悲しげに眉根を寄せ、頭を下げた。その様子に目を白黒させるシェンリーだったが、次にグレンの口から出た言葉を聞いて、固まった。
「申し訳なかった……わしも、一部教員から虐めの話は聞いておった。だが……虐めを行う側の生徒達の家柄を考えて、手を出せずにいたんじゃ」
その謝罪は真摯であり、後悔の念に溢れたものだった。シェンリーはその言葉に胸を打たれたのか、涙を溢れさせて深く頭を下げる。
「そんな……学長が私のことを知ってくれただけで、私のことに対してそんなことを言ってくれただけで、私は……」
言葉にならず、しゃくり上げるシェンリー。グレンは悲しげな表情で顔を上げて、浅く頷いた。
私はそんな二人を見てから、グレンに告げる。
「悪かったで終わりですか? それだと学長は有罪のままですが……」
「有罪!?」
私の言葉にグレンは悲鳴のような声をあげて飛び上がった。シェンリーも涙を流しながら驚いた顔をしている。
「わ、わしは有罪なのかの……?」
不安そうなグレンにしっかりと頷き返し、私はシェンリーの肩を抱く。
「申し訳ありませんが、虐めを知っていて放置していたならば同罪です。それでシェンリーに謝ったから赦しを得たなどと思われては困ります。良い大人なのですから、次から同様の状況にならないよう、どう改善していくかを明言しなくてはなりません。それが本当の意味での誠意です」
「oh……」
意気消沈、グレンはがっくりと肩を落とした。
「そういうことで、私がやり過ぎても学長は裏切らないで下さいね」
「わ、分かったぞい……本当、アオイ君は師匠の余計な部分をたっぷり受け継いでおるのう……」
グレンが苦笑しながらそう言うのを見て、私は口の端を上げてわらったのだった。