神湊葵
死んだ。
自身の体の感覚だけでなく、思考も意識も朧げな中で、私はそう知覚した。
何故かは分からない。ただ、自分が死んだことだけは理解出来る。
まるで海の中を漂うように不明瞭な意識の中に、ぼんやりと心を重くする影のようなものを感じた。
その影は徐々に重く深く広がっていき、その姿を正確に私に認識させる。
これは、哀しみと後悔だ。
剣道で最後まで日本一になれなかった。母が亡くなってから、父には私を日本一にすることしか無かったというのに。
自らの目標を失い、自身の代わりの様に誰かを理想の剣士に育てようと思ったが、上手くいかない。
そもそも、父の期待に応えることができなかったこと。この後悔は何よりも深く、重い。
もし、やり直せたなら……もし、私が望む理想とする自分になれたなら……。
泣き出したくなるような想いとともにそう考えた瞬間、私の意識は溶けて薄まる様に霞んでいった。
目が覚めた時、私はログハウスのような、丸太が並んだ天井を見上げていた。
天井は赤く照らされており、濃い影が所々に落ちている。火が弾ける音と、甘い木の香りがした。あとは、少し野生的な皮の匂いだ。
体の感覚はあまり無い。目だけで周りを見るが、自分が白い毛皮のようなものの上に寝ていることが分かった。六畳程度の部屋にいるらしく、丸太を積み上げたような壁の中程がくり抜かれ、窓の代わりとなっている。
僅かに見える空は暗く、今が夜と知れた。
「……ん、起きたか」
不意に声が聞こえて、私は横に向ける。簡素な戸の向こうから、大きなローブを着た人が現れた。
背は高く細身だ。大きめの白いローブを着ており、裾を引き摺ってこちらに歩み寄って来る。
フードを目深に被っていたが、近くにきて取った。現れた顔は美しいとしか形容出来ないものだった。
ただ、性別が分からない。男にも見えるし、女にも見える。髪は背中に届くほど長い為、余計に中性的だ。美しく艶やかな白髪と緑色の目は嫌でも目を引く。
だが、それよりも何よりも気になったのは、耳が細長く尖っていることだった。
「……意識はしっかりしているか? 言葉はどうだ?」
声を聞き、ようやくこの人物が男と分かる。だが、尋ねられても声は出なかった。
「……ふむ、状況も分かっていなさそうだな。お前は私の家の近くの原っぱに倒れていた。人里どころか街道すら遠く離れた草原だ。草は私の腰ほどの高さがあったから、倒れていたお前を発見したのは本当に偶然だった」
そう口にしてから、青年は私の隣にあぐらをかいて座り、私を見下ろした。
「私は森の賢者、オーウェン・ミラーズ。まだ幼な子のお前が、何故こんな場所にいたのかは分からないが、暫く面倒を見てやろう」
と、オーウェン・ミラーズを名乗る青年は自己紹介と共に不思議なことを口にする。
幼な子、とは誰のことか。
いや、他に人がいないのだから私のことだろう。まさか、物語のように、エルフは長命だから私の年齢なんてまだまだ子供のようなものということだろうか。
「名前は?」
不意に聞かれて、私は無意識に答える。
「神湊、葵……」
「コーノミナト、アオイ……ふむ、珍しい名だ。もしや、お前は……」
何か言われた気がするが、視界が霞み、音も聞こえなくなっていく。
眠くて、どうしようもない。
様々な疑問が頭の中でぼんやりと浮かんでは消える中、徐々に意識は薄れていった。
あれから十二年。
私の肉体年齢は二十を超えた。まさか、本当に若返っていたとは。死んだ時は二十四歳だったから、いまだ元の年齢には達していないということだ。
ここは地球では無く、私は異世界に転移したのだと知り、様々な葛藤があった。しかし、それ以上に地球では経験出来ないようなことが多く、戸惑いや驚きに溢れた毎日だった。
私のことを渡り人と呼ぶオーウェンは、相当に好奇心を刺激されたらしく、私に様々な魔術的知識を与え、学ばせた。
どうやら、数百年に一度程度現れる異世界の知識を持つ者のことを渡り人と呼ぶらしく、これまでも国や文化、学問、魔術などに大きな改革をもたらしたという。
それ故か、オーウェンは森の中にたった独りで住んでいるというのに、思ったより近代的な生活をしていた。
まず、冷蔵庫がある。氷の魔石から冷気を放出しているらしいが、用途は同じである。同様に風の魔石を用いた羽のない扇風機があり、中の箱に氷や火の魔石を置くとエアコンとなる。
それだけでも驚いたが、二階の端には水を溜めた貯槽とお湯を溜めた貯槽があり、苦も無く風呂に入ることが出来た。
少しオレンジがかった照明やコンロ、水洗トイレもあり、それらを総じて魔術具というらしい。
オーウェンは魔術具マニアらしく、ありとあるゆる魔術具を持っているとのこと。地球でいう家電芸人みたいなものだろうか。
とりあえず、魔術具の話を振ると饒舌になるのが鬱陶しいので、あまり魔術具には興味が無いといった態度を見せている。
ちなみにオーウェンは彫刻のように美しいが、無口で意外に細かい性格をしている。私が料理をすると塩が薄いだの文句をポツリと一言呟く。じゃあ食べるなと言っても無言で全て平らげる。下手をしたら「おかわり」なんて言い出す始末。
天邪鬼な性格は悪ガキのようだ。
そんなオーウェンだが、魔術を教える時は丁寧だ。いや、細かい性格だから小さな違和感が気になるのかも知れない。
「違う。アオイ。上級を使うなら魔力操作が重要だ。出力じゃない。もっと絞れ。違う。絞りつつ魔力を込める量は減らすな。針より細い魔力の棒に更に魔力を練り込んで、太さを変えずにどんどん硬くしていくような……」
「ちょっと、黙ってて……集中してるから……!」
「……はたして、魔術を使う時、いつでも静かで集中しやすい環境にあるだろうか。否。そのようなことは稀である。いざという時、魔術の行使の必要にかられた時は殆どの場合……」
「あぁ、もう……!」
と、魔術に関しても饒舌になるのは良いが、五月蝿い。
オーウェンの受け売りだが、魔術は頭の中で魔法陣を描く作業と認識している。その魔法陣の作り方を分解して工程一つ一つを口に出すことが詠唱と呼ばれる行為となる。
つまり、魔術の設計図であり発現にあたって重要な儀式となるのだが、オーウェンはこの詠唱という工程を省略することに拘った。
二百年前に途絶えたとされる古代魔術では、魔法陣を実際に描く魔術もあったらしい。それをオーウェンは一人で調査、研究し、解明にまで至った。
通常の魔術師からすると天才を通り越して異常と言われる偉業らしいが、オーウェンはそれでも満足しなかった。
魔法陣を描きながら適度な魔力を込めるという手法を理解しつつ、既に描かれた魔法陣に魔力を流し込むことで描く手間を省いたのである。
既に描かれた魔法陣に魔力を流す場合、もう魔力が流れる道は出来上がっている為、魔力操作は緻密を極めた。
僅かでも多ければ暴発し、足りなければ魔力は失われるのに何も起きない。
とはいえ、確かにオーウェンは魔法陣を描くことも無く、魔術の無詠唱化に成功した。それを使用できる存在は今のところオーウェンと私だけではあるが。
「……よし、出来た。この指輪の中の宝石には炎の魔術の立体魔法陣が刻まれている。これなら失敗しても燃え尽きないだろう」
「立体魔法陣って、特級以上じゃなかった?」
「そうだ。これだけ魔法陣を圧縮出来るのは世界で私だけだろうな」
「……凄いけど、あまり自分で言わない方が良いかも」