漆黒の追跡者
『ドンッ!』
列の中央にいる1人の騎士が馬の脇腹を蹴った。
すると馬は鳴き、その長い脚を高く上げ、両足が地に着いたと同時に走り出した。
『ドドドドドッ!!』と大きな音を立てながら、穴の上に聳え立つ黒い壁が真ん中から一気に崩壊していく。
中央の壁が勢いよく崩れ穴に落ちたかと思えば、その余波が一気に左右に広がり順番に穴へと崩れ落ちていったのだ。
そして全ての壁が崩れ落ちた時、それは黒い濁流へと姿を変えた。
まるで決壊したダムから放たれた水の如くけたたましい音を響かせながら、最初に駆け下りた一騎を先頭に急な斜面を勢いよく下り、腰の炎を揺らめかせながら地面に転がる石や死体の上を流れ、並ぶ篝火の間をすり抜け、瞬く間にクロド達の目の前に到達した濁流は前後左右逃げ場無く彼らを飲み込んだ。
「なんだ貴様らは」
突如現れ周囲を取り囲んだ全身黒尽くめの物言わぬ騎兵達、真っ黒な兜の奥から黙って視線だけをこちらに送る。
不気味な空気と視線…漆黒の騎士達の正体を知っているパズモは震え、知らぬクロドは自分の正面にいる一人の騎士に問いかけた。その騎士は一番にこの急斜面を駆け下り、隊の先頭を走っていた騎士だった。
交差する視線と流れる風、クロドに問われた騎士は無言で辺りを見渡した。
「…これをやったのはお前達か?」
しかし騎士はクロドの問いには答えなかった。
周囲に転がるメルセ王国軍兵士達の屍、それらを確認し少しの間を置いて出た若い男の声、静かだが威圧的な声、その声の主はクロドの言葉を無視して己の疑問をぶつけたのだ。
いつでも腰の剣を抜けるように手を剣の柄頭に置きながら。
「私達ではない、私がやったのだ」
空気が豹変した。
騎士の問いに堂々と答えたクロド、その言葉を聞いた瞬間に騎士達の警戒は明確な敵意と変わったのだ。
騎士達の黒い手が腰に差している剣に掛かる。
一気に張り詰めた空気が破裂しようとした正にその瞬間——
「ちょっとまったぁ~!!」
この場の空気にそぐわない間の抜けた男の声が全員の動きを止めた。
声が聞こえたのは黒騎士達が下りてきた方向、クロド達の正面、そこには一つの騎馬が猛スピードで急な斜面を下り、地面を蹴り上げる音を響かせながらクロド達の方へ近付いて来ていた。
「ちょいと失礼、あっそこ通してもらえる?」
あっと言う間に到着した気の抜けるような声と口調、クロド達の正面に佇む黒い壁の一部が揺れ動き、その声の主が姿を現した。
凄まじい速度で穴の中を馬で駆け下り、漆黒の騎士達の間を縫うようにして現れた声の正体———それはマントを羽織った1人の中年の騎士だった。
「いやぁ~なんか随分凄い事になってるねぇ~おじさんビックリだよ」
この場に集う漆黒の騎士達とは違い銀色の鎧に身を包んだ中年の騎士、男は兜も被らずに堂々と己の素顔を晒しながら此方に近づいて来た……足首まで届きそうな長い紺碧のマントを揺らしながら。
肩まで伸びた長めの焦げ茶色のボサついた髪、あまり手入れのされていない髪と同色の顎髭、浮かべている気怠そうな表情と死んだ魚のような目、およそ万人が想像する騎士像とはかけ離れた清潔感と緊張感が皆無な男の姿は、術士ニーチとはまた違う意味で浮いていた。
「サルファ…!」
「貴様…よくも抜け抜けと私の前に姿を現せたものだ」
「いやぁ~ごめんねぇおじさん最近老眼が酷くって、こう暗いと色々見間違えちゃって道に迷っちゃってさぁ。あぁ悪気は無いのよ?でもこう暗くて入り組んだ森だとどうしてもねぇ~」
現れた中年騎士の姿を見てパズモは驚き、クロドの正面に立つ漆黒の騎士は張り詰めた空気を更にピリつかせた。表情こそ兜で見えないが、その圧は明らかにクロドに問いかけた時よりも増していた。
しかし当の本人、中年騎士は全く意に介しておらず飄々と答えながら漆黒の騎士の隣に並んだ。
あのメルセ王国軍の隊長達ですら一目置く黒弔騎士団、そんな騎士団の騎士に威圧されても風になびく柳の如く振る舞うこの男の名は“サルファ”———この男こそメルセ王国軍30万という大軍団の上に立つ僅か9人の一人、メルセ王国軍第4部隊隊長【サルファ=ベイストリィ】だ。
「…まぁ良い、貴様の責任を問うのは後だ。今はこの者達を始末するのが先だ」
「ん?この者達…」
サルファは隣に立つ漆黒騎士の言葉に首を傾げた。なぜなら自分達が追っているのはパズモ=フィシャール1人の筈だからだ。
そこで初めてサルファは目の前で漆黒の騎士達に囲まれているクロド達を見た。
そこには燕尾服を着た鳥人、全身黒づくめの老人、東の国の服を着た男、チロルドレスに身を包む女、そして5人に囲まれるパズモの姿があった。
「なっ——!?」
驚きを露わにする騎士隊長サルファ。
それもそのはず、魔王クロドの死後トラストニア大陸コドクに住まう魔族達の大半がコドク北部、魔王クロドが拠点を置いていた場所とは真逆に位置する“ドワーフ”“鳥人”“龍族”“リザードマン”等が住まう山脈地帯へと移動し拠点を築いたからだ。
つまり最早コドク南部、人間達が住まう平原地帯との境界線付近には魔族など残っていないというのが人々の共通認識だった。
しかし今…メルセ王国の女王が不審な魔族達に囲まれている。これは騎士隊長サルファだけでなく、現状メルセ領との境界線付近のコドク内であれば危険はないと踏んでいた追手の漆黒騎士達にとっても予想外の出来事だった。
だが騎士隊長サルファが驚いた理由は魔族との遭遇でも、女王パズモ=フィシャールが不審な魔族達に囲まれている事実でもない。
サルファが驚いた理由はただ一つ。それはパズモの前に立つ見覚えのある1人の男———本来そこにいる筈の無い人間の男の姿だった。
「トルマ様!?」
飄々としていた男が突然見せた驚愕の表情と口から出て来たその名、前メルセ国王の実子にして魔王クロドを討伐した勇者であり、次期国王となる筈だった既にこの世にはいない王子の名だ。
その名を聞いて沈黙を保っていた黒弔騎士団の騎士達は騒めきだした。
当たり前だ。その人物は数か月前に死んだはずの人間、しかも本来であればメルセの国王となっていたであろう王族なのだから。
「一体どういう事だ?その男がトルマ=フィシャールだと?」
漆黒の騎士は隣にいるサルファに尋ねた。
なぜなら彼はトルマ=フィシャールの顔を殆ど見たことがないからだ。彼だけではない、彼ら黒弔騎士団の騎士達はトルマ=フィシャールと直接会ったことは皆無だからだ。
当然だ。黒弔騎士団とは名ばかりの傭兵集団、金と権力で集められた忠誠心も志もないビル=フィシャールの私兵達、中には重大な罪を犯した罪人までいると噂されるような連中の集まりだ。そのような者達が、いくら前国王の弟であるビル=フィシャールの私兵とは言え正当な王位継承者であるトルマ=フィシャール、ましてや当時の国王であるバエル=フィシャールに謁見するなど許される訳がなかった。
「俺が知るか!だがそこにいるのは間違いなく——!」
しかしこの男、サルファ=ベイストリィは違う。
メルセ王国軍の騎士として長く仕えてきた彼は、国王は当然としてその実子であるトルマ=フィシャールの事もよく知っている。なぜならサルファはトルマがまだ幼い頃からバエル王に仕え、トルマの成長を見守ってきたからだ。だから彼がトルマの顔を見間違う訳は無かった。
それゆえに——
「誰だ貴様」
トルマから発せられたこの一言は、サルファの心を大きく揺さぶった。




