其の壱。
縹の空、最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
こちらは、本編をすべて読んでから読むことを強くお勧めします。他作品よりは短めだと思いますので、お時間があったら読んでいただけると嬉しいです。
さて、8月の間に20話分くらい書き溜めましたこの作品、いかがでしたでしょうか?これからの解説でちょっぴり隠されていたことが分かりますと、少しは面白さの足しになればと思い今回の解説を書くことにいたしました。
というか、恐らくですが、皆様の予想をはるかに超える量の伏線と思いが込められています(笑)
では、まいりましょう。解説はふたつに分けてします。
離島から見る縹の空。
(文字通り近くではなく離れて見ましょう。ついでに画面からも離れましょう。最後まで読むとこのお話が120%くらいの理解度になれるはずです。←技術不足だから。)
まず、章のタイトルの解説から入らせて頂きます。
第1章「幽寂の梟」
第2章「昼下がりの野良猫」
第3章「黎明の小鹿」
まず、これはとある人物の心情、状態の移り変わりを、時間帯と小動物で表してみました。
とある人物とは、言わずと知れた主人公である琴ノ葉真霜です。
幽寂とは、夜の静寂を指す言葉です。そして夜間に活動する梟をかけ合わせる事で、日の下には行こうとしない孤独な真霜を表しました。梟は基本的に単独もしくはつがいで行動するので、現実から目を背けて他者との関係を断ち切っていた真霜にぴったりという訳です。
そして椥叉と出会う事でそれが少しずつ変わってきます。椥叉を真霜にとっての月明かりとみなすのもいいかもしれません。
昼下がりの野良猫、書いていて一番出来が良かったのがここでした。20話の最後で同じ単語が出てくるため、梓の事を差すと思ったかもしれませんが、違いまして、真霜を指します。これは13話の最初の真霜を見れば一目瞭然でしょう。昼食を食べ、散歩し、気が向いたらベンチで眠る。こんな幼少期の真霜の性格を描いていたからこそ生まれた表現でした。とっても好きなタイトルのひとつです。
黎明の小鹿、真霜の事を差すと言われればどういう意図か大抵の人は分かるかと思います。黎明とは、黎明期などの言葉でご存知かと思いますが、夜明けぐらいの時間帯を差します。そしてこの夜明けとは真霜の思いを表すわけです。第1章の幽寂から朝が来たということです。梓も言っていましたが、「朝が来ない夜は無い」。
当たり前ですが、時間軸としての流れは2→1→3となります。
そして章のタイトルの時間帯も 昼→夜→朝と、時系列と対応しています。
これが一致した半分は偶然ですけどね(笑)
タイトルを概要とした説明はこんなところですが、大分ざっくりしていますから少し掘り下げましょう。作者が全部解説するのはカッコ悪いのですが、伝わらない方が寂しいので自分の整理もかねて書くことにします。
第1話「背中合わせの一人。」
タイトルが全てを表していますね26話にてナヅハが暴露しましたが、結局、ナヅハは真霜が自分で作り出したもう一人の自分です。他者ではありませんので真霜本人と切り離すことが絶対に出来ないワケです。ですから、一人と表記しました。一人と独りでは大きな違いがあることは心に留めておいていただきたい。
この回の最後で椥叉の登場です。色々な出来事がありましたからちょくちょく忘れてしまった方もいらっしゃるでしょうが、椥叉の事を気にした理由はナヅハが椥叉とそっくりだったからですね。似ている訳は勿論、ナヅハが椥叉の母親である梓をモデルとして作られたからです。
第2話「ビターチョコレート」
結構好きなタイトルですね、まだ椥叉は心を開こうと出来ません。苦いという意味を込めてビターチョコレート。最後で笑って見せた様に、苦みに染まっている人間では無いのがポイントです(笑)
第3話「裏側。」
深い意味はありません、椥叉の見えなかった面が真霜に伝わったので、あえて補足するなら
「(椥叉の)裏側。」となるでしょう。奏とか愛華が頑張ってくれた回でもあります。
第4話「意図的な鈍感。」
このタイトルが一番微妙かもしれません。まぁ、真霜が椥叉の病気に対してあえて下手に干渉しない様にしている様子です。椥叉が病気の事を真霜に伝えたのも、この意図的な鈍感があったからこそだと思います。ストレートに気にされても彼女は話したくないでしょうし。
第5話「見舞いと迷い。」
大分ストレートなタイトルですね(笑)
文章力の低下が著しい気がしますが、かなり重要な回です。
あからさまに伏線を張っているのが見え見えですから、馬鹿っぽい回として印象深いかもしれませんね。個人的には椥叉の膝の上で目を覚まして、真霜が見上げるシーンが好きです。
娘に閉じ込められていた記憶の中の梓の影を無意識に見たんですね……。
あ、因みに、真霜が意図的な鈍感をしたからこそ、椥叉がここでナヅハの事について問い詰めようとしなかったわけで、意図的な鈍感を経て椥叉が話してくれたからこそ、次につながったわけです。
今回に関してはいい連鎖ですね~。ほほえま。
第6話「卯の花は宵闇に咲く。」
かなりいい線のタイトルだと思いますが、たいていの人は意味に気付かないでしょうし、僕の感性に近くないと解説しても理解してもらえないでしょう……。
これも、物と時間が存在しています。勿論時間はナヅハと真霜が公園で話し合っている夕方から夜にかけて、です。話している内容は「ナヅハの事を椥叉に言うかどうか」という所でしたが、それが「卯の花」にあたります。卯の花の花言葉は「秘密」です。
多分ここで僕の感性に近い人は分かってくれるでしょう(笑)
卯の花「秘密」を宵闇「この時間帯に」咲く「椥叉の話すことを決意する」。
ということです。
咲いている卯の花の花言葉が「秘密」なんだから咲くのっておかしくね?という質問はそっと胸の中にしまっておいてください。
第7話「レトロライトが照らす空」
言い方を変えただけで、ただの夕焼けです。夕日に照らされた空、なんてストレートを避けようとしたらなんか気取った感じになったタイトルですが、好きです。タイトル案メモ帳の中でもランキングが高いタイトルになります。
そして作中中盤~終盤で椥叉が真霜に向かって言った言葉「大抵の人は、自分の目に見えるところだけを切り取って、自分と同じだって安心する。それが正しいんだって思い込みたがる。そしてそれを”普通”と呼びたがる。いつしかそれは"常識"になって、最後には"正義"に変わる。」このセリフが作中でもトップ3に入る好きな言葉なのですが、これによって第2章の後半で梓が言った普通とは何なのか、という意見がうっすらと継承されたことも分かります。
第8話「一筆、取って。」
やっときましたね、この小説の要のひとつの拾玖のフルバージョンの登場です。これより前でちょくちょく出てきた意味の分からない法律の様なものに首を傾げたことでしょう(笑)
ここでもまだ、出典なるものは明かされません。
シグモイド関数はよく知りません、完全にノリで書きました。この回の彼女たちの会話は好きです。
あ、何故作者自身がここが好きだ、これがいいだの語るかというと、勿論自分で書いたから、というのもありますが、僕も予想外だったです。小説を書く人ではかなり当たり前ですし、まだまだなので偉そうなことは言えませんが、最初に考えていたことは大きな枠組みだけで、具体的なことはその場で出てくるものです。というか文章を必死に繋いでいき、気づいたら出来上がっていたという感じです。山登りの時、地面を見て一歩ずつ歩くといつの間にか山頂についている、というたとえがありますが、そんな感じです。
完成してみるまで、どうなるかまぁまぁ分かりません(笑)昼下がりの野良猫ではそれが顕著です。裏話も後述します。
9話「スタッカート・ステップ」10話「夕餉の時」
お出かけ編ですね。縹の空には絶対必要な場面、ただの日常ですがこれこそ縹の空を支える屋台骨と言っても過言ではないでしょう。真霜と椥叉が何の憂いも無く笑い合い、少し失敗なんかも挟みながら楽しくしているシーンというのが、最終話を考えたときに必須になります。そしてこれも同様ですが、この話を書き始めたときの僕の頭は「カラオケと買い物!」しかありませんでした。そしてカラオケに行くまで迷うとか、真霜が大都会で皮肉るとか、喫茶店に言った時にナヅハが出てくるとか、お互いに選ぶとか、全てその時出てきてくれたものです。記憶力が良い方、読み返してくださった方は気づいたと思いますが、椥叉は「紅茶」を飲んでいます。深い意味はありませんが、紙パックを好んで飲んでいた梓との関係を見出せます。
そして10話でナヅハが言った言葉「真霜と友達でいてくれてありがとう。」、
これは自分でも驚きましたが、梓も真霜に似たようなこと言っているんですよね。
梓が真霜に、「友達になってくれると嬉しいわ。」(15話参照。)
ナヅハが椥叉に、「友達でいてくれてありがとう」
気付いた時涙が出そうになりました。ナヅハは真霜の記憶をもとに作られていますから、真霜は深層意識の中で梓のこの言葉を覚えていて、7年の時を越えて友人になってくれた椥叉に感謝しているわけです。ナヅハを介して真霜が椥叉に感謝する、というのも不思議です。
作者も触れることが出来ない聖域を見た気がしました、これも完全なる予想外です。
10話の最後の親子、文章力のせいで分かりにくかったのですが、彼女たち親子自体は物語に、直接は何の関係もありません。なんとなく似た光景を見て、真霜の過去の記憶が蘇りかける、というのが重要です。その回想は人物の名前こそありませんでしたが、心の海の中で真霜はかけらの中に、これに一致する記憶を見ていましたね。
11話「ともしび」
少しずつ事態が動き始めるということで、ともしび、火が付きます。
しかし、振り返ってみれば全体的には休憩の様な回でしたね(笑)真霜と奏と椥叉のくだらないやり取りはこれからくるシリアスなものをなんとなく予期したからこそ出てきたのかもしれません、知らないですけど。まっしーというあだ名をもっと使いたかった……。
奏が大健闘してくれた回です。
12話「いのちの筆跡Ⅰ。」
ドが付くほどの急展開。自分でも書いていて不安で仕方ありませんでした。まさかこんなきっつい感じになるなんて……まさか椥叉がアパートから飛び出すとは……。
ナヅハですら言葉を失っていたのは印象的でした。
まぁ、ナヅハもここまでは予想できなかったでしょうから当然と言えば当然なのかもしれません。
ここで内容は明かされませんでしたが、梓のいわば“娘たちに向けた”遺書なのでいのちの筆跡としました。ここで内容を明かさず、2章のラストで出すつもりでしたのでⅠとⅡにしました。
13話「木陰の腰掛。」
全体よりも部分ごとが大事です。2章の始めが余命宣告された梓の中庭のシーンに始まり、2章の終盤で梓は余りにも早い死を迎えます。(第20話部分にて)後述しますが、対応関係があります。
真霜の名前が最後まで出ませんでした。途中まで少女で押し通していったら最後に分かるという、まるで小説のような……!?
14話「臆病で、優しくて、気まぐれ。」
15話「母と娘。」
16話「少女、恩返し未遂。」
ペースが早かったのが残念ですが、梓と真霜の関係を築いていく場面です。
大人に頼る様に、って梓が言った時に、真霜が梓の手を握ったのが可愛くて悶え死にそうになりました。梓と真霜の思っていることが微妙に違うんですね(笑)
目をキラキラさせて、力強く頷いていました。
15 真霜の母親について語られるのはほぼここだけです。重要なのは、大好きだった母親が亡くなってしまったという事実だけなのでこうならざるを得なかった……。申し訳ない、真霜のお母さんと真霜……。
シリアスに梓が怒ってみせてから、ごみ箱への紙パックを外すシーンが必要だったのかは未だに審議中です( ´・ω・)( ´・ω・)(・ω・`)(・ω・` ).
梨を食べさせ合うシーンで梓が泣きそうになっていましたが、あれは作者の感情がそのまま反映されたような気がします。無邪気に笑い合えるというのがなんと素晴らしい事か、それを梓は心の底で感じ取ったのでしょう。命の砂時計が刻々と進んでいく梓の前に現れた、真霜という存在が彼女に大きな影響を与えたことが分かる場面です。
17話「絆の言葉を……」
好きな話ランキング1位の回です、因みに2位が20話、3位が26話です。
この回も完全パーフェクトに構想外、予想外のものでした。
まさかこんなことになるとは……。
というかまさか椥叉が出てきて、見舞いがこんな事件になるとは……。
2章のターニングポイントになった回ですので、2章は本当に、構想の半分が無駄でした(笑)
こんなものを本気で考察する方はいませんでしょうから気づいた方はいらっしゃらないと思いますが、この回だけ唯一、タイトルが「。」で終わっていません。
基本的に何故か僕はタイトルに「。」とつけたくなります、何故か?なんとなくですね。
きっちり締まってくれる感じがするんですよね。
でもこの回だけはそれがありません。何故なら続く言葉があるからです。
真霜のセリフを持ってきましょう。
「アズザさんも、ナギサのこと……好きなんだよね……?ならちゃんと、伝えてよ!ナギサに"大好きだよ"って伝えてよ……!そーすれば、ナギサもアズサさんの事ちゃんと大好きって言えるもん……!」
長音符があったり、声が濁ったり。小説文法的には色々アウトなのですが、真霜の必死に泣いて梓に訴える様子はこれが一番伝わるかと思ったので特別大きな修正はしませんでした。
さて、親子の絆の言葉とは、どれでしょう?
「大好きだよ」です。
ですから、「絆の言葉を、伝えてよ」というのが本当のタイトルになります。
タイトルがそのままセリフに繋がっているのはこれが多分初?ですね。
そして、これは梓の手紙にもあります。
「二人とも、大好きよ。」ですね。これは親子の絆の言葉として作中で使用されますが、手紙の最後では、梓は椥叉と真霜を同列に扱っていますね。二人とも、ですから。
つまり、この時点で梓はもう真霜の事を自分の娘の様に思っていたことが分かります。
真霜はそれを潜在的に感じ取っていたから、心の海で出てきた梓は真霜を自分の娘と言った(言わせた)訳ですね。
「私の娘なら、強くありなさい。」これは実際梓が椥叉に言った言葉ではありますが、真霜には言っていません。真霜は本当ならば知らないはずですが、梓の意志を本質的には受け取ったからこそ自然に出てきた言葉だったのでしょう。そこに理屈は必要ありません、愛です。
そして、真霜が泣きながらも「笑顔を見せた」ことが最も強い衝撃です。作中にも書きましたが、真霜は亡くなった母親に会いたいんです。大好きだった母親に会いたくて仕方がない。けれどそれはもう叶わないことを彼女は知っている。そして、目の前で別の、母と娘が勘違いですれ違ってしまおうとしている。だから彼女は必死に訴えたんです。
互いに分かりあってほしい。二人に、自分の様に苦しんでほしくないから真霜はああ言ったんです。しかしそれをただ泣いて言っただけでは哀れな子供にしかなりません。だから笑ったんです。分かりあえれば笑えるよ、と言葉以上のものを伝えたかったんです。
こんな事をされて、抱きしめない人がいるでしょうか?健気にも程があるでしょう……。自分で書いたとはいえ、筆が勝手に書いていたのです。次に何を書こうかとかそんな次元では無かった。書いてあった、に近いので。
確かスティーブン・キングですが、作者は第一の読者でもある、と言ったそうです。今ならそれがなんとなく分かる気がします。ここまで自分なりのゾーンには入れたのはこの回と20話だけでしたが……(´・ω・`)ショボーン
この回は全てが予想外でしたが、大好きです。
18話「伝えたいこと。」19話「梓の哲学。」
最後に向けて徐々に加速していくシーンですね。
先ほど書いたように、2章で椥叉が出てきたのは予想外です。
そして、当初の構想であれば梓と真霜がゆっくりとした病院生活をして、19条を知り、梓が亡くなる。
それだけだったんです。
ですから、事件が無ければ序盤と、この話だけだったんですよね、薄っぺらい(笑)
でも、この19条の回は、スゴイ深くはありませんが、梓の思想、真霜に自分で考えさせるという事、そして真霜が自分で理解し、考えるという場面なので、地味に大事なんです!
頭で考えて、心で決めて、足で進む。
梓の考えが娘二人にちゃんと伝わっていますね……。
20話「涙に笑顔を」
さぁやってきました。もうこの小説で何回
キャラクターを「笑顔」「涙」「傾げ」「振り」に叩き込んだだろう。表現が偏り過ぎです。
さて、この回がとんでもない事をやらかしてくれました。
何故なら、本当は、梓はここで死ぬ予定では無かったからです。
自分でもびっくりしました。本来の構想では、だんだんと梓が衰弱していき、この2話ほど後で、25話の椥叉と同じように手術され、還らなくなるという形でした。
その場合、梓と椥叉の手術が重なり、椥叉の手術の時に真霜に嫌な予感をさせる、という予定でしたが。
梓は勝手に亡くなってしまいました……。
いつも通り文章を、文字をひとつひとつ紡いでいったら、梓がどんどん死に向かっていったんです。軌道修正しようかとも思ったのですが、腹を決めました。
頭がおかしい奴認定されそうですが、梓自身が死に向かっているならこのまま死なせるしか無いと思いました。これは操作していいレベルにはない感じ?これもまた聖域だったわけです。
17話と20話こそ、彼女たちが本当に生きている様な気がしました。小説の奥深さを痛感しております。思い通りに行くことなんて本当は何一つない。一寸先は闇でもあり、光でもある。闇と考えるにはネガティブすぎますから、光だと思っている方が幸せでしょう(笑)。
そして20話は本当に難しかった……。なんせ全く予想していなかったので、文章がうまく構成できませんでした。なんというか、文章に一体感や流れが無かった。ちぐはぐしていて、微妙にハマるけど、ぴったりハマらないジグソーパズルの様な?いつもなら右手で開けているドアを左手で開けている様な?物凄い違和感。ここがダメだ!とかではなくて、全体的に何かがおかしい。そんな感じだったので、夜中はずっと書いていました。夜中の方がいい文章が出来るんですよね。(自分の中では、です。世間一般からしたらその辺の泥水レベルでしかありません。)
そして一応個人的にはその時点で納得できる文章だったので、とりあえずそれで完成としました。
しかし、6週間後には「トラックで通り抜けられるほどの穴」を見つける事でしょう。
20話の最後の文章。これがある意味好きな文章トップかも?しれません。
「梓の温もりは彼女の哲学の中でのみ永遠となった。」
これは奇跡です。解説の必要すらないと思いますが、哲学の中でのみ永遠となった、ということで、この世の梓本人の温もりは無くなりました。
当然、死を暗示していますね。しかし、逆に哲学の中では今の尚、彼女の血が流れています。
それが、1章や3章で分かるように、彼女の娘たちの中に生きています。
この文章も意識ある作者ではなく、無意識の作者が神らしき何かから授かったものだと思えるほどに気に入りました(笑)
21話「いのちの筆跡Ⅱ。」
2章の終わり、ですね。第1章のラストと手紙だけを一致させようというつもりでしたのでこれが2章の最後になりました。本音を言えば、雰囲気だけなら梓の死が終わりに一番良かったのですが、まぁ、構成上仕方が無かった……。
真霜が梓の買い置きの紅茶を啜るシーンもアドリブ、真霜が6時間停止していたのもアドリブな訳ですが、いい味出してくれましたね。紅茶を美味しく感じないのと、梓がエビフライの味を薄く感じたのも同じような意味合いを含んでいますね。結局真霜が紅茶を美味しく感じたのは、大好きな梓と一緒だったから、ということです、当たり前ですが。
真霜が梓の手紙を読み始めたときは、ほぼ感情がありません。悲しいとかそういう次元ではなく、ただただ無感情。しかし、梓が死んだことを手紙で思い知らされることになる、と。
手紙自体はほぼ直感で書いたわけですが、もう文章のリズムの癖がバレますね。
さて、真霜の反応は、今後の真霜の性格がもろに出ました。
書いてある内容を見たくなく、文字が崩れている事に笑います。
笑い声が泣き声にフェードしていき、結局認めたくないという感情を引きずるわけです。
梓が死んだときの「もう二度と~」と、ナヅハがいなくなってしまった最終回の「もう二度と~」はいつの間にか同じになってしまいましたが、真霜の反応が全然違います。
(最終話感想にて後述。)
長々と最後までありがとうございます。次で縹の空、本当の終わりです。