第2ピリオド
いい天気の誘惑にも負けずに出席した講義の終了後、いつものようにタカシは、学生会館の隣の部室棟に向かった。
講義中は半分くらい寝ていたはずなのにまだ眠い。
ホントは部活もサボりたいけど、これだけはなんとなく惰性で続けている。
部室棟の廊下を歩いていると、前からお揃いのトレーナー姿の女子バスケ部の集団が歩いてくるのが見えた。
その中に、リサがいた。
リサがいるということは、2年生のグループか。
「うっす」
「“カシ”さん、ちーっす」
「ちーっす」
誰もタカシと目も合わさず、口先だけの挨拶をする。
彼女らにしてみたら、タカシは、興味も関心もない、冴えないその他大勢の男子の先輩の一人なのだ。
タカシも特に気にすることもなくそのまま通り過ぎ、男子バスケ部の部室のドアを開け、中に入っていった。
「カシ」は、タカシのバスケ部でのコートネームだ。
バスケ部含めた団体競技は、男女問わずお互いを「コートネーム」で呼び合うことが多い。
試合中、先輩を敬称付きのフルネームで呼んでるヒマなどないので、この場合、大抵はコートネームで呼び捨てにしてもよいことになっている。
女子の場合はコートネームは名前とかけ離れたものがつけられることが多い。歴代の先輩方とあまり被らないようにするあまり、名前だけだなく、出身地や本人のクセ、好きな食べものなどから連想ゲームのように決まったりすることも多い。
例えば今年入った秋田出身の一年生の女子、山本マミコ「コートネーム『マッハ』」は、“ヤマ”も、“マミ”も“ミコ”もダブって使えなかったので、先輩が知恵を絞って出来上がった。
「秋田といえばナマハゲだろう」→「“ナマ”も“ハゲ”もちょっとかわいそう」→ 「真ん中を使って“マハ”」→「言いにくい」→「じゃあ、“マッハ”ね。なんとなくカッコいいし」と、こんな具合だ。
男子の場合はそこまで凝ったものは滅多になく、単に名字や下の名前の短縮さらたものになることが多い。
タカシの場合、入部した時に一つ上の先輩に「タカオ」がいて、既に「タカ」と呼ばれていたので、「カシ」になった。
なぜ名字の方を使わなかったのか…
それは、もうその時の決めた先輩達の気分次第でしかない。
先輩に、「お前は今日から『カシ』だ」と言われたら、それはもう、そうなるものだとしか言えない。
まあタカシのことを「カシ」と呼ぶのはバスケ部仲間だけではあるが、タカシは実はあまり気に入っていない。
タカシの通う大学の女子バスケ部は、各県から集まる地方大会でも上位常連校で、昨年もあと一つ勝てば全国というところまで迫ったほどのレベルのチームである。
一方の男子バスケ部は、ここ数年は県の大学リーグの一部二部を行ったり来たりしていて、地方大会はいつも一回戦か、二回戦で敗退。
大学自体が特にスポーツに力をいれているという訳ではないので、選手も滅多にスカウトすることはなく、基本、一般入試で入ってくる。
それは女子も同様なのだが、女子は、この地方では一定の知名度もあり、部員も自然に集まってくるのでそれなりの選手層を維持しているが、男子は人数だけはいるもののレベルの高い選手は中々集まらない。
2年生のリサは、そんな女子バスケ部のエースである。
ポジションはシューティングガード。
国体成年女子チームの県代表候補にも選ばれている。
一方のタカシは一つ上の3年生で、冴えない男子バスケ部の中でもさらに冴えないその他大勢の一人。
ポジションはスモールフォワード。
大学に入ってからは公式戦のベンチ入り経験も殆ど無い。
そんな“格差”のある二人が、同棲していることは絶対秘密。付き合っていることすらも、部員のほんの数人しか知らない。
なぜ女子バスケ部のエースであるリサが、男子バスケ部の冴えないタカシと付き合っているのか。
二人の交際を知っている数少ない共通の友人たちも皆分からないと口を揃えるし、タカシ自身も、リサが自分のどこを好きになってくれたのかは、実のところ、知らない。
元々はタカシが、一学年下の新入部員で入ってきたリサを見て一目惚れしたのが最初だったのは間違いないが、何があったのか、今ではリサの方が積極的になっている。
二人の交際のきっかけは、去年ののバスケ部男女合同の追い出しコンパの時、20歳になって初めて飲んだアルコールで酔いつぶれたリサの介抱を『帰る方向が一緒』と『草食系っぽいから大丈夫だろう』という理由だけで押し付けられたタカシが、リサの部屋まで送って帰ってからだったことは、タカシも覚えている。
結果、草食系でもなんでもなかったのだが。
部員の中で、タカシとリサが付き合っていることを知っているのは、女子バスケ部では、3年生の副キャプテンで、リサの中学時代の先輩ハルカと、2年生でリサの親友のマイ、ユミの2人。
男子バスケ部では、タカシの同期のシンヤだけしか知らない。
この内、ハルカだけはやけに二人の交際に批判的で、タカシと同じ学部同じ学科のハルカは、事あるごとにタカシにプレッシャーをかけている。
「あんた、ウチのリサと付き合ってるって、ホント?
リサのためになんないから、マジやめてくんない?」
交際が始まってしばらくしたある日、講義のため入った教室でハルカに出くわしたタカシは、ハルカに教室の後ろに引っ張って行かれ、釘を刺された。
「あれ?女バスって、男女交際禁止だったっけ?」
「そうじゃないけど、アンタとの交際が禁止!」
「なんで?」
タカシはトボけて聞き返す。
「なんでって、わかるでしょ?
リサはウチの大切なエースなの。
大事な時期にオトコにうつつを抜かされてても困るわけよ。
ウチのキャプテンのマリさん、その辺厳しいから」
「ああ、マリさん、あんまりオトコに縁がなさそうだし…」
「アンタ、それマリさんの前で言ったら、間違いなく沈められるよ」
「ごめんごめん」
「まあ、付き合うにしても、ねえ…」
「なんだよ?」
「わかるでしょ?
オトコと付き合うなら、もっとマシなヤツと付き合えってこと。
せめて自分をプレーヤーとして高められる相手と付き合わなきゃね。
誰かさんみたいに万年補欠じゃなくてさ」
「オマエ、沈めるぞ」
「へっ、悔しかったら試合出てみろって」
それ以来、事あるごとにハルカは『早く別れろ』光線をタカシに送り続けている。
タカシがリサと、交際だけでなく同棲までしていることがハルカにバレた時は、ハルカは『本気と書いてマジと読む!』と叫びながら、タカシの腹に本気の鉄拳制裁をお見舞いしたほどだ。
とにかくそんなこんなで、キャプテンのマリの気持ちを忖度したハルカの強い意向で、二人が同棲していることはもちろん、付き合っていることすらもトップシークレットになっていて、主に“格下”のタカシがものすごい気を使わざるを得ない状況が続いていた。
朝大学に登校するのも、部活後に帰るのも別々。
バイトももちろん別々だし、万が一学内で会っても素っ気なく、会話は交わさない。
たまたまタカシのアパートの付近にバスケ部員が住んでいないので、アパートまで帰ってしまえば気が休まるのだが、部員の目を気にして二人揃って外出する事も、滅多にない。
タカシ自身は、2人の関係を隠すことにかなりしんけいをつかっているのだが、リサ自身はあまり気にしている様子はない。
むしろ、「なんか忍び逢う恋って感じで、私ら芸能人みたいだね」と、楽しんでいる風にすら感じる。
タカシが油断していると、ふらふらコンビニの買い物にもついて来ようとするリサに、タカシは“格差”カップルとして交際の大変さと、ある意味“自由人”なリサの扱いに苦慮していた。