19. またここから始めよう
あの駅のホームで莉子と出会ってから2ヶ月がたとうとしていた。
莉子との出会いによって、ボクはなにか変われたのだろうかと考えることがある。
小学生の頃は学ランを着て歩く中学生たちを見て、数年もしたら同じ服を着られるのだと期待に胸を膨らませていた。
中学生になると、ネクタイを締めてブレザーをきた高校生たちが電車に乗るのを見て大人に見えていた。
高校生になると、私服をきた大学生たちがキャンパスを気だるげに歩いているのをみて、自由でいいなとうらやましがっていた。
大学生になると、スーツ姿の大人たちがオフィス街で忙しそうに早歩きで行きかっているのをみて、いつかは自分もああやってバリバリ働きたいと思っていた。
大学卒業後、なんとか内定をもらった会社で、四苦八苦しながらも先輩社員に仕事を教えてもらい、やがて仕事にも慣れてきたとき一人前になれた気がした。
そして、この次はボクは何になれるんだ、と漠然とした恐怖が浮かんできた。それでも、日々の業務を過不足なくこなし、わずらわしい会社内のひとづきあいも無難にやりすごしていった。日常を過ごすうちに、なんとなくこのまま人生は進んでいくんだろうなと思っていた。
そんな日々の中、あたりまえの風景の一部となった駅のホームの中で、彼女に目が留まったのはなぜだろう……。
顧客先のもとから会社に戻る途中、高校の制服を着て駅のホームに立つ小柄な彼女の姿を見た瞬間、目を奪われたように釘付けになっていた。
電車がホームに入ってきたとき、あの子がいってしまうと思うと、焦りながら向かいのホームに渡るための階段を駆け上っていた。
向こう側につくと、彼女はまだそこにいてくれた。
初対面の女子高生にボクのようなサラリーマンが声をかけるなど、いつもだったら絶対にしないことだった。
しかし、あのときは無我夢中だった。
これを逃せばもう二度と会えない、そんな焦りと不安に突き動かされるように声をかけた。
停滞した日常の中で、助けを求めていたのかもしれない。
ところが、彼女といえば、とらえどころがなく自分の興味のあることに突っ走っていく。
そんな彼女を見ていて、一番大事なのは“自分”なんだと思うようになった。
自分が、今、何をしたいか、何になりたいか、そんなことを考えるようになっていた。
会社の昼休みの時間、外で食べきて部署に戻ろうとしたところ、廊下で上司に話しかけられた。
「二階堂君、聞いたよ。今度の社員旅行の幹事を断ったんだってね」
上司が責めるというよりもどこか面白がるように尋ねてきた。
「ええ、ボクなんかよりもよっぽど適任な人がいると思いまして」
「そうか……、まあいいと思うよ。ただ、後がこわいぞ~」
「はははっ、楽しみにしてますよ」
頼んできた秘書課の連中が、断るボクのことを信じられないといった目でみていたのを思い出し愉快な気持ちになった。あの連中から送られてくる頼みごとという名の無理難題には、多くの同僚たちが難儀していた。
「私もね、この会社を離れようと思っているんだ」
「本当ですか? それはまた思い切りましたね」
「健康診断の結果でいろいろ引っかかってね。女房に色々言われて、若い頃みたいに無茶がきかなくなったよ」
上司の後退し始めている額の生え際に目を向かった。
「しかし、キミ、こういうときは『ボクもついていきます』ぐらい世辞でもいいからいっておきたまえよ」
「ボクにはそんな思い切ったことをする度胸なんてありませんから」
肩をすくめながら答えると、上司は頭をかきながら苦笑をもらしていた。
「なんだか、キミもずいぶんと変わったね。なんというか固さが抜けて自然な感じだ。最初会ったときは表情があまりなくてマニュアル人間って感じだったのにな。もしかして、彼女でもできたのか? 社内でも噂がながれているぞ。君が若い女の子と一緒に楽しげに歩いていたって」
「まあ、そんなところです」
上司の問いに曖昧に答えると、また仕事に戻った。
そして、仕事が一段落着いたころ、辞令が下った。
地方への転勤だった。それも1週間後という、急なものだった。たぶん、秘書課の連中の嫌がらせだろう。
上司がほれみたことかと得意げな顔をしていた。なので、ボクもやれやれと肩をすくめてみせた。
あの人もボクと同じタイミングで退職して、新しい会社にいく予定だった。
1週間後となると、仕事の引継ぎや、引越しの準備などでいそがしくなりそうだった。それに、莉子にも転勤の話をしなければならなかった。
そんな中で莉子の様子がおかしかった。
電話で話している最中も上の空で、何かをずっと気にしているようだった。話を聞きだすと、友人である井上さんと仲違いをしたけれどどうしたらいいかわからないと、暗い声を出していた。
彼女の話を聞いた次の日も、いつもどおりの時間に会社に来て、後輩に引継ぎのための業務内容を教えていた。しかし、どうにも落ち着かなかった。
もっとやるべきことがあるはずだと、自分の声が頭の中で響いていた。
「これが引き継ぎ内容です。質問はメールでも対応しますので」
引継ぎ内容をまとめた書類を押し付けると、用事があるといって会社から飛び出した。
時間は午後3時を過ぎたころで、下校する学生の姿が目に入った。おそらく、莉子も学校から帰っている途中だろうと、電車に乗って降りた先は、莉子の住む街だった。
勢いに任せてやってきたが、何を話すかなんて考えていなかった。それでも、顔を合わせればなんとかなると考えるあたり、自分もまだまだ考えが甘いようだった。
あたりをうろついていると小さな公園が目に入ってきた。 そして、莉子の幼馴染だという少年を見つけ、おせっかいだとはわかっていたが、声をかけずにはいられなかった。
後から電話で、仲直りできたと莉子のうれしそうな声をきいた。どうやら、最後に彼女の役に立てたようだった。
それだけに、転勤の話をしたときの彼女の気持ちを考えると胸が苦しくなった。
彼女たちの問題が落ち着いたら話そうと思っていた結果、引越しの一日前に話すことになってしまった。
待っている間色々と考えたが、話す言葉は決まっていた。
「別れよう」
電話で切り出すと直接会いたいといわれ、次の日、ボクたちはいつもの駅前で待ち合わせた。
久しぶりに会った彼女は、いつもどおりの元気な笑顔だった。
話は雑談から始まり、夏休みを満喫するための予定を楽しそうに語っていた。
もしも、彼女と過ごす夏休みがあったとしたらと、想像しそうになるがそれは実現しない夢でしかなかった。
「莉子、聞いてくれ」
彼女に転勤の話を淡々と語った。
「そっか、残念だね」
遠距離恋愛という選択肢もあったがボクの性格上長続きしないのは目に見えていたので、どうやって説得しようかと思っていたが、彼女はあっさりと話を受け入れた。
「たぶん、魔法みたいなものだったのかもね。偶然、駅で出会ってお互いに一目ぼれなんて」
「そうだね、ひと夏の魔法だったのかな」
「うん、夏休みになったら解けちゃうシンデレラで、あなたは王子様」
冗談めかしていう彼女は楽しそうに笑っていた。
「そんな魔法も離れて会えなくなったらたぶん解けちゃうだろうし、きっとこれで正解だったと思うよ」
寂しそうに口にすると、彼女は自分を納得させるようにうなずいてみせた。
ボクたちは一目あったときから一時の熱に浮かされていたのかもしれない。それが、彼女のいう魔法なのだろうか。
「だからね、今度は友達から始めようよ」
「友達?」
「うん、メールとか電話なら離れててもやりとりできるでしょ。楽しかったこととか、驚いたこととか共有できたらいいじゃない。会って少ししかたっていないわたしたちは、まだまだ知らないことだらけなんだ。だから、ね」
そういって、彼女は手を差し出してきた。ボクもその手を握り返し、そして別れた。
転勤先の近くのアパートで引っ越しの荷物をほどいていると、メールの着信音が聞こえた。
『やっほー、元気ですか? 千明たちと海水浴にいってきたよ』
添付されていた写真には、莉子をはさむようにして井上さんと修平君がいた。
二人は付き合い始めたらしいが、二人とも照れたように目線を合わせようとせずに、初々しかった。
メールの続きには『二人とも恋人っぽいことをせずにまだまだ友達以上恋人未満って感じです』と書かれていた。
そんな二人の間にいる莉子はとても楽しそうな笑顔で、見ていると自然と笑みがこぼれた。
以前だったら、毎日やりとりしていた電話も、いまでは月に2、3回のメールでのやりとり程度になっていた。
そのうち自然消滅するかもと思ったが、こちらから送ったり、向こうから送られてきたりで細く長く続いていた。
『大学に合格しました』
合格発表の掲示板前でピースサインをしながら、得意げな顔をする莉子の顔が写っていた。
おめでとうとメールの返事を打ち返しながら、書かれていた大学名を検索すると今住んでいるところと同じ県だった。
といっても、電車で30分以上かかる距離で近いとはいえなかった。もしかしたら、ばったり会うかもなんて淡い期待を感じていた。いっそのこと、会いたいと連絡をいれようかと思ったが、どうしてかその必要がない気がした。
いつもの朝、いつもの時間の電車にのって会社に向かった。
電車にゆられながら、大学生になった彼女はどんな姿になっているかと想像してみた。
しかし、頭の中の彼女は小柄なその体で元気にはしゃぎまわっていた。
なんだ、前とかわらないじゃないかと苦笑がもれ、前の座席に座っていたスーツ姿の男に怪訝な目で見られてしまった。
職場から家に帰る途中、駅のホームで電車を待っていた。
今の会社では、以前のような終電に乗るようなこともなくなり、夕暮れ時の赤く染まる風景を楽しむことができた。
ちょうど帰宅ラッシュの時間のようで、ホームには多くのひとがいた。
自分と同じような背広姿、高校生らしき制服姿、他には大学生ぐらいの私服姿の男女も多くいた。
ぼんやりと行きかう人々の姿に目を向けていると、不意に視線を感じた。
小柄なその姿を目にした瞬間、ボクは駆け出していた。
はぁはぁと息をきらし、夏の熱気を掻き分けながら向かいのホームにたどり着いた。
彼女はまだそこにいて、以前は見なかったような少し大人びた微笑みを浮かべていた。
そして、ボクらは同時に口を開き、そして、また二人の時間が始まった。




