六十一話
「ならば新しい契約をしましょう。私の魂の代わりにリーゼロッテの魂を奪いなさい。あんなの、私の子供ではないわっ」
理解しようと、歩み寄りたいと願ったリーゼロッテの心をいとも簡単に継母は打ち砕いた。家を出て少し成長して、継母の苦労も見えた気がした。……気がしただけだった。
義理とは言え親子で無かったなら、この人の言う事なんて全く聞くことなんてなかったのに。親子で無かったら父様と二人で慎ましく暮らせたのに。親子で無かったらこの街は今でも平和が続いていたのに。親子で無かったら―――
「無理だな」
無情にも悪魔が答えると、継母はリーゼロッテへ向けて手を伸ばした。助けてと言う言葉は声にならず、只口元が動いたのみで瞬く間に年齢以上に年をとっていく。以前は自慢していた若々しい肌もしわしわになって、最後には干からび骨と皮だけになって崩れ落ちた。
―――この期に及んで私に助けを求めるなんて、やっぱり理解できない。もしも悪魔が言うとおりに私を代償にしていたら、継母はどんな顔をして枯れていく私を見ていたのかしら。
悪魔の所業にも目を背けることなく見つめていたリーゼロッテ。スヴェン達三人は声も出ず、アニスがクスリと笑った。
「止めることもしないのね。冷たい子」
「自分を身代わりにしようとしていた人を親として受け入れるほど、私はお人よしでは無いもの」
気丈に答えながらも、リーゼロッテのバイオリンの弓を持つ手が固く握りしめられ真っ白になっている。少し小刻みに震えている様子がシエラ達にも見えた。怒りなのか恐怖なのかリーゼロッテ本人にも分からない。
自分を長年束縛してきた者が消えた。こんなにもあっさりと。今までされてきたことを思い返す間もなく、死んでしまった。
「あははッ、ねぇきいた?本性表したわよこの子。育ててくれた恩も忘れて見殺しにするなんて、何て悪魔的!流石地獄の番犬と言うだけあるわ」
アニスが楽しそうにリーゼロッテを貶す。大仰に手を振りながら、無邪気を装って話す様子は本当に年齢不詳だ。
「私だってそうするわよ。どうやっても分かり合えない人は存在するもの」
「悪魔との契約に只人が手を出さない方が良いですからね。賢明な判断ですよ。生きていたところで、死んだ方がましだと思うような異端審問にかけられるだけです」
シエラとクレフがリーゼロッテをかばう様に答えると、アニスはつまらなそうな顔をする。仲間割れを狙っていたのか、次はただ一人答えていないスヴェンに興味を引かれて疑問を投げかけた。
「あなたはどう?ひどいと思わないの」
「リーゼロッテが止めようとすれば、止められたのか?」
「無理ね。あっという間だったから」
「ならば意味がないだろう。封印を解くためにガルム伯に近づかせたようだが、リーゼロッテの父親を殺させたのもお前らか」
殺させた、とリーゼロッテはぽつりとスヴェンの言葉をなぞった。馬車の事故で亡くなったとしか聞いていないからそのまま信じ込んでいたが、この状況なら可能性は大いにありうる。
父の意識を持ったヴァナルがずっと傍に居たことを知って、悲しみが幾分か和らいだ。おそらくこれからもリーゼロッテを見守ってくれるのだろう。けれど以前と同じように過ごせるかと言うと……。
「ダイクトとフォレスタの間あたりで遺体が見つかっている。情報がギルドにもまわってきた。馬車に細工がしてあったらしい」
事故から時間の差はあるがヴァナルと会ったのもその辺り。リーゼロッテが一瞬ヴァナルを見てからアニスたちの方を向く。アニスは口角をゆっくりと上げにたりと嗤った。耳元まで口が裂けているのではないかと思う程醜悪な、まさに魔女の笑みだった。
「あ~らら、ばれちゃった。仕方ないでしょう、私の契約の見返りはフォレスタの封印解除を手伝うことだもの。出来なきゃやばくなるのは見ての通りってね」
継母の残骸を指さしながら悪びれもせずアニスが言う。静かに聞いていたヴァナルも威嚇するようにグルルと唸り、リーゼロッテも、真っ直ぐに睨みつけた。
「許せない」
「ふふっ、そう来なくちゃ。ガルム最後の一人を殺せば私たちの勝ちねッ」
詠唱もなくアニスがリーゼロッテに向けて魔法を放つ。腕輪がそれを無効化すると、不機嫌な顔を見せるアニス。
アニスの魔法が皮切りとなって戦闘開始された。屋敷の中で一番広い部屋でも戦うには狭い部屋で、家具などの障害物も多い。リーゼロッテは邪魔にならない様に壁際によると、クレフがその前に立った。スヴェンとシエラ、ヴァナルは既に悪魔に攻撃を仕掛けている。
バイオリンを弾き始めると、悪魔が間隙をぬって黒い霧を纏った矢を放って来た。砦では背後から撃たれたためそれが能力を封じるものだとリーゼロッテは知らないが、矢を射られた恐怖が蘇ってくる。
リーゼロッテに届く前にクレフが光を宿した杖で叩き落とした。矢は無効化されそのまま消える。街中で魔法を使っている時にも見かけたその杖は、リーゼロッテの背丈ほどもある。歩き回るときには持っておらず、戦闘時にのみ出現させる仕様だ。
腕輪は魔法を防ぐが、矢は防げない。クレフも知っているので悪魔退治の方に参加せず、リーゼロッテを守る方に専念する。
「そのままバイオリンを弾き続けて下さい。防御は私が引き受けます」
クレフに言われずともリーゼロッテはバイオリンを弾き続けている。『故郷』はモンスターの出現場所を塞ぐ物だった。最初から『大樹』を弾いても悪魔を退けられるか分からない。リーゼロッテは、確実に敵の戦力を落とす方法を取った。
弾いているのは雪の精霊の曲。意図する効果がよりしっかりと表れる様に敢えて遠回りをしている。
「羨ましいわ、守ってくれる男の人がたくさんいるのね」
「一番合理的な方法を取っているだけです。性別は関係ありません」
「そうかしら、あなたも彼女に気が有るのではなくて?」
「魔女らしいやり方だ。元神官なのでその方法は無駄です」
周囲の空気が少しだけ冷えて雪の精霊が姿を現す。季節は初夏なので少し怒りながら出てきたが、周りの状況を見て悟ってくれた。すぐさまリーゼロッテは次の曲を弾き始め、アニスは攻撃の標的を精霊に変えて火の玉を放つ。傍に居たスヴェンが剣を振って火の玉をかき消しそのままアニスの首を狙った。しゃがんで避けるアニス。
「なるほど、お前を先に仕留めた方が早そうだ」
「まあ、情熱的。でも、いいの?」
ふっと悪魔がスヴェンの後ろに姿を現し、ヴァナルがそれに体当たり。よろめいた所にシエラが魔法を仕掛けると悪魔はまたふっと姿を消した。
それぞれが短い曲とは言え、弾いている間に攻守が目まぐるしく入れ替わる戦闘。悪魔が矢を放つので一瞬も気が抜けない。クレフを信じていないわけでは無いが、防御が間に合わない場合は自分で避けるしかない。
能力向上の曲を精霊に聞かせ終わり、霜柱の曲を弾き始めた。その間、精霊はアニスや悪魔に氷柱攻撃を仕掛けている。お蔭でリーゼロッテへの攻撃の手数が減ってきて、よりバイオリンに集中できた。これでアニスと悪魔、どちらも倒せればいいけれど―――最悪、アニスだけでも仕留められればいい。弾いたのが大樹だとどちらも残る可能性がある。
テンポの速い精霊の曲のアレンジ『霜柱』を弾き終わると、アニスの動きが止まった。悪魔は不思議そうにアニスを見ながらシエラ達の攻撃を避けている。首を傾げているところを見ると悪魔への攻撃は失敗したらしい。
「あ、な……なにを」
したの、と言う言葉の代わりにアニスの口元から血が一筋流れる。目は見開かれ、顔は段々と白さを増していく。血の気が引いただけではなく、皮膚の表面やまつ毛が凍り付いている。霜柱とは土の表面が凍ってその隙間を土の中の水分が上がってきて凍ったもの。寒い時には土中にもできる。精霊を召喚して効果を高めてある為、それを生き物に使った場合は―――
アニスは体の表面に霜柱を隙間なく出現させ、悲鳴を上げることもなく絶命した。
ヴァナルは霜柱を踏みたくてそわそわしている。でも靴を履いていないので危険だよ。
戦闘描写は苦手です。全てのキャラの動きを書こうとすると間延びした感じになるし。




