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六話


 リーゼロッテが目覚めたのは昼過ぎだった。カーテン越しに差し込む日差しは高く上ったものになっている。眩しいと思いながら寝返りを打つと、部屋の内装が見慣れぬものであることにはたと気づいた。ベッド、タンス、扉。森の木陰亭のいつもの自分の部屋とは違う。見回すと上着と靴はかろうじて脱いであり、バイオリンも視界に入る場所に置いてある。


「頭、痛い」


 久しぶりに聞いた元々の自分の声に驚いた。子供の声から少しだけ低く落ち着いた声になってしまっている。慌ててベッドの上で起き上がると手足が伸びて大人の物になっており、目線もかなり高くなっていた。道中で買いそろえた服は万が一に備えて大きめの物を選んでいたのだが、それでもきつい

 バイオリンは部屋の隅にある小さな箪笥の上に置いてあった。ベッドを下りて歩き出そうとすると、床に転がっていた何かに躓いて思い切り転んでしまう。


「いてえ!……あ、リーゼロッテか……おはよーう……大丈夫?」


 床の物体はヴィートだった。リーゼロッテはのっそりと起き上がったヴィートに危機感を覚える。早く起き上がってバイオリンを弾かなければならないのだが、躓いた時に打ち付けてしまった腕や足がしびれるように痛んで直ぐには起き上がれない。

 ヴィートはリーゼロッテの腕を掴んで大丈夫?と起き上がらせたが、前日と違う姿に気づき寝ぼけ眼で顔を近づける。


「ん?んんん?……君、リーゼロッテだよね?なんか成長してない?」

「痛い!放してください」

「ああ、ごめん」


 ヴィートが離した隙に立ち上がってバイオリンを弾き、体の軋みと痛みをこらえてそろそろと後ろを振り返るリーゼロッテ。十センチ以上も身長が縮んでいくのを見られれば流石に誤魔化すことは出来ない。ヴィートは視線をそらすことなくリーゼロッテを見つめ、驚愕の表情を浮かべていた。


「ええ、っとちょっと待ってて……何が何やら」


 何やら葛藤している間にリーゼロッテはバイオリンをしまっていく。そのまま何事もなかったかのようにバイオリンと上着を持って部屋を抜け出そうとしたが、声を掛けられてしまった。


「ちょっと待って、俺の名誉の為にまずは君がここで寝ていた理由を説明するよ。断じて手は出してないから」


 聞いてもいないのにヴィートは言い訳を始める。スヴェン達に宿まで送っていってもらう事も考えたが、彼らも酔っぱらって帰るのが精いっぱいと言う体だった。宿を教えてもらって自分が送ればいいと気づいた時にはすでに彼らが帰った後。

ヴィートに介抱してもらうのを目当てに酔っぱらう女性客もいる。大概は朝まで店の方で放っておくのだが、依頼を受けたリーゼロッテを同じように扱うのは気が引けた。別室は住み込みの店員が寝ているので、仕方なく自分も同じ部屋の床に寝るしかなかったという事を、ヴィートは身振り手振りを交えながら言った。

 事情を聞いてリーゼロッテは頭を下げてお礼を言う。


「有難うございました。ベッド占領してごめんなさい」

「何か事情があるんだろうけれど、其れだけ身長を変えるという事は体に相当の負担がかかると思うよ。大丈夫?」


 次に根掘り葉掘り拷問のように聞かれることを覚悟していたのに、まずリーゼロッテの体を心配するヴィートの言葉に驚いた。今まで異性と言えば、継母推薦の自己中心的なお金持ち(年寄り含む)を多く相手にしてきたリーゼロッテは、少しだけ心が揺れる。信じられるかどうかも分からないのに。


「大人の姿に戻ったのは久しぶりです。毎朝バイオリンを弾けばずっと小さいままでいられるから負担は少ない筈。年齢を偽らなかったのは旅を続ける上でそうしないと不便だったので。……それよりも、お願いですっ。誰にもしゃべらないでくださいっ」


 あまりにも必死な様子のリーゼロッテにたじろぐヴィート。ばれてしまったら継母のもとへ連れ戻されてしまうと考えているリーゼロッテは、泣きそうな顔でヴィートに縋り付くようにして頼み続けた。リーゼロッテは、自分が歌姫と呼ばれる程度には整った顔立ちをしていたことを自覚していない。


「分かった、分かった。誰にも話さない、大丈夫だから少し離れてくれ」

「ご、ごめんなさい」


 その一言だけでも、安心してしまったリーゼロッテはこぼれそうになっている涙をぬぐう。やっと落ち着いてきたと思っていたのに、あんな場所に戻るなんて地獄に行くようなものだ。


「もう一つだけ。どうして子どもの姿にならないといけなかったのかな?」

「たくさんの理由があるけれど、継母に年寄りと結婚させられそうになったから、逃げ出すために」


 ―――歌姫だの、父親が死んだことだのを言ってしまえば正体がばれて本格的に巻き込んでしまう。リーゼロッテは相手を納得させられそうな理由を一つだけ選んで言った。

 リーゼロッテ本人が気づかぬほどの心の奥底には母親が死んだ十一歳からやり直したいと言う願望もあった。好きな物だけ選ぼうとする子供の様な言動と行動はそこから来ている。継母の人形ではなく、自分は一人前の大人であろうとする願望も持ち合わせている為、背伸びをして逆に子供じみてしまう事にも本人は気付かない。

 ヴィートは「そうか」と言ってため息をついた。


「取り敢えず、今日は宿へ帰ってゆっくり休んだ方が良い。送って行こうか?」

「暗いわけでもないですし、大丈夫ですよ」


 笑顔で返事をして帰り支度をするリーゼロッテ。報酬はギルドを通すという事になった。

 リーゼロッテを見送って閉じた扉の内側で、ヴィートは頭を抱え、もたれ掛かる様にして座り込んだ。閉店後は店の片づけをし、朝市で食材を買ってから今より少し後の時間まで睡眠をとるのだが、もう眠れそうにない。長いため息が口からもれた。


「どこかで……会った様な……?」


 口元を抑えて、成長した方のリーゼロッテの顔を思い浮かべるヴィート。赤紫なんて髪の色ならすぐに思い出せそうなものだが記憶をどれだけ辿ってもたどり着かない。代わりに思い付いたのが、運命だとか前世の恋人だとか、恋愛小説に出てきそうな言葉。


「うわぁ、そんな事言われたら自分でもひくわ~。考えるのはやめとくか、仕事仕事っと」


 店に支障が出ない程度の演奏依頼を考えるとともに、彼女の追手がここへ来た時の最後の手段として、自分が飛び出した実家の力を借りることも念頭に置いておく。

 起きた時に子守唄を弾いた事を叱るつもりだったのに、ヴィートはすっかり忘れてしまっていた。




「今日は、お休みの日」


 宿に戻ったリーゼロッテは誰も聞いていないのに、言い訳するように独り言を言った。ギルドは行かずにのんびり過ごそうと宿の近くの食堂で朝食兼昼食をとる。部屋の中で一人バイオリンを練習することにした。


 思いつくままに既存の曲を弾いて行くのだが、気づけばどれも恋愛をテーマにした曲ばかり。明るくのびやかな恋の賛歌。舞台で嫌々歌っていた曲まで意志とは関係なく弾き始めたリーゼロッテは、自分自身に呆れて演奏を止める。


「いやいやいや、えーと、あれ?」


 自分の気持ちを否定するために暗い曲を弾き始めるのだが、暗い曲にも切々と恋心を歌い上げる曲は多い。途中で弾くのが嫌になって止めてしまった。

 好きな物だけ選んで自由に生きようと思った結果、惚れっぽくなっているのではないかと考える。この先吟遊詩人を続けるのならそれも吝かではないのだが、まだはっきりとした気持ちではない。

 嫌いでないものが皆好きと言う極端な言い方をするなら、おかみさんやシエラさんや支部長だって好きな事になる。それと同じ、うん、仕方のない事だと自分勝手な理屈をつけて自己解析が終わった頃、部屋の扉がコンコンとノックされた。


「リーゼロッテさん、シエラです。具合はどうですか?」


 訪ねてきたのはシエラだった。いつもと同じしゃんとした癒し系受付嬢の姿。二日酔いで何となく酒臭いメンバーたちから逃げる為にリーゼロッテの様子を見に来たのだった。皆で飲みに行けばこうなることは予想できたのだが、それでもスヴェンと二人で飲みに行くことはシエラの頭の中には、まだ、無い。


「昨夜はマスターに預けてしまったけれど、大丈夫でした?」


 いつも通りにこやかな微笑みのシエラだが、ほんの少しだけ好奇心を感じ取ってリーゼロッテは警戒した。まだ会ってから僅かな期間しかたっていないがほぼ毎日顔を合わせていれば鉄壁の微笑みの中にも少しずついろいろな表情が含まれていることが読み取れる。


「残念ながらなにも有りませんでした」

「あら……残念だったのですか?何も無かったことが」

「どうしてそうなるんですか」


 恋愛感情を持っているわけでもないのに下手に勘ぐられるのは嫌だとリーゼロッテはむきになって怒り、シエラはその様子を見てまだまだ子供っぽいとくすくすと笑う。


「この先どんな吟遊詩人を目指すのか分からないけれど、恋をしておいて損は無いですよ」

「恋とかじゃありません。ちょっといいなってうっかり思ってしまっただけです」


 思いっきり口を滑らせていることにリーゼロッテは気付かない。初めてギルドに来た時よりも少し余裕が出てきた様で何よりだとシエラは思う。この新人冒険者の行く末が別の意味でも楽しみになった。

 シエラは眉間にしわを寄せているリーゼロッテをからかうのを止めて、本題に入った。


「演奏依頼の報酬はギルドバンクの方に直接入金されました。またそのうちお願いしたいとのことです」


 渡した、渡していないと揉め事を避ける為に依頼主がギルド以外の場合、報酬はギルドバンクを通すことが多い。他の銀行と違い、貸すことは無いので利子などは一切つかず、依頼のランクに応じた手数料などで運営を賄っている。

 それともう一つ、とシエラは切り出した。


「この町は、森に囲まれていることもあって木工関係の工房が多いんですよ。家具や建築資材、工芸品、楽器なんかもありますよ」

「バイオリンの工房も有りますか」

「ええ、行ってみますか?」

「はい、ぜひ」


 シエラはリーゼロッテの答えも想定済みで、あらかじめ書いておいた地図を渡した。バイオリンに対して乱暴な扱いはしていないし傷もついていないのだが、何かあった時の為につながりは持っておきたい。家を出る時に弦の予備を持ち出さなかったので、今バイオリンに張ってあるのは古いもののままだ。

 切れたらほぼ終わり。他の三本でしのぐことが出来るかもしれないがそれにしても弾けるものが限られてきてしまう。今までずっと心配してきたことが解決できるとあってリーゼロッテはほっとした。

 

ギルドバンクについて。それだけでは当然やっていけないので、冒険途中で死んでしまった身寄りのない者のお金はギルドバンクにそのまま接収される所まで考えてみました。

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