五十八話
城の庭には相変わらず黒いバラが咲き誇っている。最初に見たのは冬の来る直前。雪の間はもしかしたら別の場所に移動していたかもしれないが、春先にも同じ場所で見た。これだけ長期間となると植物に詳しく無い者の目から見てもただのバラでない事は明らかだ。
スヴェン達と共に城の扉を開けると、ムスタが壁にもたれかかり腕を組んで待っていた。再会を喜ぶ顔では決してない。眉間にしわを寄せ口をへの字に曲げてリーゼロッテ達を睨みつける。血の提供者であるカミラと言う女性はいないようだった。
「酒場へ行ってもこの所ずっと開いてないから、マスターの料理は食べられないし、リーゼロッテのバイオリンも聞けなかった」
怒りに満ち満ちた、というよりは少しばかり拗ねている様にも取れる。リーゼロッテとヴィートは甘んじてムスタの文句を受け入れた。ヴィートの料理が食べられなくなるからフォレスタには手を出さないでいたのに、食べられない状態でも手を出さないでいるあたり本格的に餌付けされてしまったのかもしれないとリーゼロッテは思った。
今後おそらくヴィートはアビッソに住むことになると思うが、それを知ったムスタはどうするつもりなのか想像もつかない。
「恥を忍んで冒険者ギルドに行ってもスヴェン達は全く知らん、こちらも心配していると言ってなす術もなかった」
討伐される対象側なのにわざわざギルドに行くなんて、その場で捕らえて下さいと言っているようなものだ。本人としても苦渋の決断だったのが伝わってくるからヴィートとリーゼロッテは頭を下げて謝った。
機嫌を損ねられては作戦が台無しだ。
「それにそなた、その姿で本当にアデライードではないと言うのか」
「……舞台で歌うための名前がアデライードだもの。私はもう、歌わないわ」
「もったいない。私が知る限り、そなたは最高の歌い手だというのに」
ムスタがぼやく。この姿で誤魔化すことは出来ないと、リーゼロッテはアデライードだったことを認めた。歌わないと固く心に決めていても、最高とまで言われるのは嬉しい。世辞や身分など関係のない人外の者だからこそ純粋な賛辞だと受け止められる。
バイオリンでもムスタに認めてもらいたいと少しだけ欲が湧いた。
「それで、今日は何の用だ。わざわざ顔を見せに来ただけでもないだろう」
ヴィートが詳しく説明を始める。長寿なうえに闇の者であるムスタでもアビッソの事については深く知らなかった。神殿の古い文献とリーゼロッテの家系にしか伝わっていなかった事でほぼ秘匿されるような状態にあったらしい。
ムスタは興味深く話を聞いている。
「思えば、アデライードはどこか危ういところが有った。半分こちら側にいる様な、思えばその土地の影響を少なからず受けていたのかもしれないな」
リーゼロッテ達が微塵も考えなかったことをムスタが指摘する。封印が解け始めていたから精神に変調をきたしてのかもしれない。ヴァナルの方を見ると首を振った。影響を受けると言うなら父にも有りそうなものだが、仕事で留守にしていることが多かったので気づかなかったのかもしれない。
街の人たちや継母はどうなのだろう。逃げ出したリーゼロッテには知ることも出来ないが、宝飾店の店主は普通に見えた。
「それで、封印をまた施すために―――」
「この城を乗り物代わりに使うという事か。人間たちの勝手な都合で、こちらの要望も聞かず一方的にか」
簡単に事が運ぶと思っていたのでまさかムスタに拒否されるとは思っていなかったヴィート。必死になって自分にできる事と引き換えに是と言う答えを聞き出そうとする。
「事が終わったら何でも好きな料理を作る。何なら白い鴉亭一年間無料券を進呈しよう」
店を畳むつもりのヴィートが詐欺まがいなことを言う。
「思い違いをしているようだが、私はむしろ封印が為されぬ方がいろいろとやりやすい立場にいるのだぞ」
吸血鬼。時々忘れてしまいそうになるが人類の天敵である。種族を引き合いに出して拒絶されるとは思っていなかった。
分の悪いヴィートにスヴェンが助太刀をする。
「フォレスタで討伐をしなかったのは共存できると思ったからなのだが。考え直してはくれないか」
「吸血鬼は人の世が続けば滅び行く種族だ。そこにいるエルフのように共存を望んだとしても、それが出来るはずもない。人と共にあろうとすれば結末はおのずと見えてくる。血を欲する衝動が抑えきれなくなるか、心無い者の裏切りによって討伐されるかのどちらかだ」
長く生きている間、いろいろなものを見てきた。戯曲や小説などで語られる吸血鬼の悲劇はムスタにとってまるっきり架空の物語とは言い切れない。
「カミラが死んだ。城と自分の住んでいる村を行き来していたのだが、どうやら村で人間たちに殺されたらしい。――――案ずるな、報復などはしていない」
その場にいる誰も何も言えなかった。先ほどから感じている影の有るようなムスタの表情は、この為だった。二人の関係が浅いものではない事くらい、疎いリーゼロッテにも分かる。ひどい目にあわされたけれど、死んでしまってはおしゃべりも喧嘩も出来ない。
リーゼロッテは軽く瞳を閉じて哀悼の意を示した。ムスタは黙って見ている。同じ人間と言う種族がしでかしたことを、無機質な瞳で見つめている。
「アデライードの歌は心を揺さぶられた。人を下等な生き物と下げずんでいた私の意識を変えた。なのにそなたはそれを否定する」
誰かに深く影響を及ぼすのはバイオリンだけだと思っていたリーゼロッテ。
「そなたが歌を否定するなら、我らは決して分かり合えぬ種族と言われたも同然だ」
自分の歌う歌はまがい物だと思っていた。本物ではないと思っていた。心をどこかへ置き去りにして、魂の抜け殻のような状態で歌った物なのに、それでもムスタは心を揺さぶられたと言う。
死んだような状態で歌ったものが好ましいという事は、結局相容れないものだと言われているようなものだ。
恋愛関係や夫婦にはなれなくとも種族を越えた良き友人になれると薄々思っていたのに、その事に気づいてしまったリーゼロッテは、やはり拒絶することを選択する。
「リーゼロッテ、こちら側へ来い。さすれば城を言うとおりに移動させよう。妻にならずとも良い。ただ歌さえ聞ければいい。自由も約束しよう」
言葉の端々に悲愴な思いが表れていても、リーゼロッテは力なく首を振った。
「良く考えろ。アビッソに戻って貴族として過ごせばいずれは結婚や出産は避けられまい。そなたは血筋の事を知らなかったから逃げられたが、子や孫は家から逃げたくとも逃げられぬ状況になるぞ」
「私の子供や孫の事まで心配してくれてるの?」
別の人と結婚すること前提で。どこまで人のいい吸血鬼なのだろう。分かり合えないのが本当に悔やまれる。
「出来ないわ。アビッソから逃げ出した責任を取らないと。生き残りは私だけだもの。……あなたと同じ滅び行く定めかもしれないけれど」
子供が出来ない可能性もある。そうなったら伯爵家は一度王家に返還され、きっと誰かがあてがわれて能力の継承も途絶えるのだろう。
やらなければならない事は沢山ある。領土の統治もそうだがそう言った意味でも忙しくなる。曲を作りばらまいて、未来永劫同じことが起こらぬ様にしなければならない。リーゼロッテの強い意志が宿った瞳を見たムスタは「そうか……」とだけ呟いた。
「バイオリンならいくらでも弾いてあげるわ。だから、城を使わせて」
封印のための曲を弾けばムスタの存在をも消してしまうかもしれない。我ながらひどいことを言っているとリーゼロッテは感じていた。
「わかった。まずは王都近辺へ向かえばいいのだな。私は最上階にこもっているからそなたら以外の者を上がらせぬように気を付けてくれ」
「有難う、ムスタ」
ヴィートが指定した場所へ城を移動させると、ルディとアイクを先頭に騎士や兵士、王都で待機していた冒険者たちが乗り込んできた。楽器を持った吟遊詩人たちもいる。揺蕩う城の内部が意外と整えられていることに驚く者がいた。アンデッドの巣窟として有名だから、きっとおどろおどろしいものを想像していたのだろう。今は悲しい吸血鬼が一人で住んでいるだけだ。
ここでヴィートはルディ達と共に揺蕩う城から出た。リーゼロッテに良い知らせを待っているとだけ言って。他に言いたいことは沢山あっても、また会えると信じているからお互いに敢えて言わなかった。
全員がエントランスや一階部分に入ったのを確認してリーゼロッテはバイオリンを奏でた。能力を上げるための曲であると説明して、感覚の違いに戸惑う事が無いように注意を促した。
ヴァナルとリーゼロッテは最上階へ上がり、ムスタへ移動するように言う。
「次はアビッソへお願い」
「了解した」




