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五十五話

 ―――トニカ領、アビッソ、ガルム伯の屋敷。


 継母は静まり返る屋敷の中で一人、ぼうっと座っている。上げたはずの税率はいつの間にか査察が入り込んで強制的に下げられた。こんな事にならぬように領地内の村長や町長を買収し味方は沢山作っていたのに、気付けば誰もかれも挿げ替えられていなくなっている。

 更に、さっさと家督をリーゼロッテに譲る様に王族から圧力を掛けられていた。本来なら上の者がそこまで口出しする事でもない筈で、この屋敷にいない事も薄々気づかれているのだろう。苦労して立ち回っているのは自分であるのに、考えなしに逃げ出した娘など知ったことかと毒づいた。


 ―――本当に忌々しい。今頃はベクレムト伯の遺産が入ってきたはずなのに、あの娘が消えてから何もかもうまく行かない。屋敷にあるものを売って家の中が寂しく見えても、人前で恥を掻くようなみすぼらしい格好はできない。


 自分の娘の方を残して婿を取るつもりだったのに、売り飛ばすようにして嫁に出さざるを得ないほど立ち行かなくなっていたから、アニスが報告を持って来た時には平静を装いつつも身を乗り出すようにして答えを待った。


「見つけましたわよ、伯爵のお嬢様を」

「そう、それで?どこにいるのかしら」

「いやですわ、奥様。もらえるものをもらってからに決まっているではないですか」


 アニスが微笑んで継母の神経を逆なでする。ただでさえ困窮している今、要求されたのは金貨だった。身を切るような思いで侍女に金貨の入った袋を持ってこさせる。薄給でも残ってくれたのは彼女一人しかおらず、理由を聞けば先代に恩が有るのですとしか言わなかった。その先代を排除したのはこの自分であるというのに、健気に尽くす彼女を継母はせせら笑う。


「ドミナント領のフォレスタと言う町です。冒険者をやっていて、楽器の力で子供に化けていました。ですが、私が呪いを掛けておきましたので今は大人の姿でしょうね」

「冒険者!あの子が!?……きっと歌うしか能のない、舞台の上でしか愛想を振りまけないあの子だから、そんな底辺の仕事にしかつけなかったのね」


 冒険者の認識は屋敷を出たばかりのリーゼロッテと同じだ。そう言った職業の存在を知ってはいるものの、自分に直接関わらぬ平民の事などきちんと知ろうともしない。


「そうそう、アデライードと言う名前ではなくてリーゼロッテと名乗っていましたよ。髪の色も赤紫でした」


 アニスの言葉を、継母は既に聞いてはいなかった。


 ―――連れ戻したらまずはどうしてやろうかしら。二度と逃げる事の無いように足を折ってしまいたいのだけれど、結婚できなくなってしまうものね。ああ、でも同情を引けるかしら?行方不明になっていた間に負った傷と言うふれこみならば高く売れそうね。


 継母が今後の事を考えている間、アニスは出された紅茶に毒を入れられてないか確かめてからゆっくりと飲んだ。あら、美味しいと呟きながら砦にいたリーゼロッテの事を思い出す。死や魅了などあらゆる黒魔術を使ったが何故か一切効かず、口先を使って周囲から孤立させる術も役に立たなかった。授けられたのは異能だけでただの人間であるはずのリーゼロッテに、自分の魔法が効かない事はひどくアニスを苛立たせた。

 呪詛を直接打ち込むと言う荒業でようやく溜飲を下したが、最終目標は女神の加護を受けた血筋を絶やすことだ。それが継母に貸し出している使い魔との取引である以上、果たされなければ自分自身の破滅となってしまう。


「奥様、最後に一つだけ忠告を」

「あら、何かしら?」


 アニスはくすりと笑った。邪険にしない辺り、きっと根は素直なのだろう。だからこそこうして悪魔に騙されてしまっているのかもしれない。憐れみと侮蔑の目で継母を見やると、今までの華やいだものとは違う無機質な声色で弾劾する。


「ろくに知識もない只の一般人が魔女の真似事をするとどうなるか、ご存じ?悪魔との契約は貴女には分不相応でしてよ」

「……どうしてそれを……」


 隠していた秘密を見抜かれ、継母は狼狽した。余裕のあった表情と甲高い声色は、自信なさげなものに変わっていく。歌の才能、美貌、若さ、その他にも悪魔との契約によって作り上げた張りぼてが全て無意味なものに変わってしまう。部屋の中は日の落ちる前の光で満たされた後、闇を深めていく。


 逢魔が時。アニスがいるにも拘らず、継母の影の中からぬーっと悪魔が出てきた。


「何をやっているの。他の者がいるのに勝手に出てこないで頂戴」

「お前の願い事をかなえるのは、もう、飽いた。そろそろ頃合いだろう。あちら側から仲間の歓喜の声が聞こえてくるようだ」


 継母は悪魔に凄まれて後ずさった。自分の願いを今まで大人しく聞いていた悪魔が逆らうのは初めてだ。


「どういう事なの。しっかり説明なさい」


 話しているうちに若々しかった声が年相応を通り越して老婆のようなしわがれたものに変化していく。継母が慌てて暖炉の上の鏡を見るとひっと短い悲鳴を上げた。自分が一番恐れていたしわやしみだらけの醜い姿となっていて、見ている間にも徐々に老化が進む。


「あ……や……いやぁぁああ―――」

「あ、ちょっと待って、このまま死なせてもつまらないわ。あの子が会いに来るかもしれないでしょう」

「そうだな、悪魔に取りつかれた憎い母親とのご対面か。悪くない。あの娘がどう出るか見ものだな」


 アニスと悪魔が下世話な笑みを浮かべる。付き合いは長く、成長も老化も止まったアニスがしでかす騒動が悪魔は嫌いではなかった。ひどく悪魔的な娘だからこの世界が闇に染まってもうまくやって行けるだろう。


 正気を失いかけている継母を見て、悪魔はため息をついた。欲望こそは底抜けだが、人間の域を出ない継母と、自らの手による殺人もいとわないアニス。どちらが主人か選べと言われたら当然アニスに決まっている。


「どうせ代償は一人の命では足りぬものだ。まずはこの町ごと頂くとしよう。ゆくゆくは闇による国土の回復を」

「きゃー、楽しそう。身分も節度も必要のない刺激的な生活が送れそうね。イケメン揃えて逆ハーでも作ろうかしら。知り合いに美形悪魔とか、いる?」


 屋敷を中心として、アビッソの地が大きな音を立てて震えた。


 


 轟音と共に起きた地震は幸いにして店内のガラスを割ることは無かった。店の中の一部の宝石、リーゼロッテの継母から買い取って売らずに残しておいたものが強い輝きを放っている。いずれリーゼロッテが戻ってきた時に返そうと思っていたものだ。


 揺れが収まるとリーゼロッテが屋敷を出た時に寄った宝飾店の店主はゆっくりと立ち上がった。先祖代々この店を継いできたが地震の記憶など全くない。


「父さん、大丈夫……あれ、なんだろう?」


 いつもは飛空船の発着場で切符を売っている娘だが、今日は偶然にも休みだ。二階で夕飯の支度をしていたが急いで店舗の方へ降りてきた。その娘が、ショーウインドウのガラス越しを指さして絶句している。

 慌てて振り返る店主。店の外には異形の者たちが闊歩していた。蝙蝠の翼やしっぽの生えた典型的な悪魔の姿をしているものの他にも、ナーガ、ミノタウロス、ゴーストやスケルトン、黒い塊のように蠢く者……。迷宮の奥深くに潜み、地上ではおよそ見かける事のないモンスター達。街中を歩いて居た人間が軒並み襲われて逃げ惑っている。あちこちから悲鳴が聞こえ、ガラスの割れる音も聞こえてきた。


 一人の女の幽霊が店の扉を開けようとして弾かれているのが見えた。


「母さん?母さんが帰ってきた」

「ダメだ!扉を開けるな。母さんはもう死んだんだ。理解できない齢じゃないだろう」

「でも……」


 向こうが透けて見える体は墓に入る時に来ていた服と同じだ。悲しそうな表情も生前と同じ……と思えば時折目の部分が落ちくぼんで髑髏のような顔を見せる。娘は扉を開けることを諦め、恐怖に怯えて後ずさりした。


「店の中にいる限りは大丈夫だ。何代も前のガルム伯から賜った建物だから、きっと魔法か何かが施されているんだろう」

「でも、それじゃ街の人たちは」


 娘が店の外を見ながら言うと、店主は力なく首を振る。いつもはどんな客でも穏やかに対応し、人助けの手間も厭わない店主。見殺しにすることを悲痛な面持ちで選ぶ。


「せめてうちに避難を……だって私の友達もいるんだよ。いつ収まるか分からない以上食べ物も必要だし」

「既に町を脱出しているかもしれない友達を探し回るのか?逃げてきた者なら受け入れるから、ここに居なさい。頼むから……」


 声を絞り出すようにして、娘を諭す。知り合いならばここで長らく店を開いている店主にだってたくさんいる。娘もそれを分かっているから後は何も言わなかった。


「決して小さくは無い町なんだ。きっと誰かが気付いて助けに来てくれるはずだから」


 祈りが届くことを信じるより他は無い。





「スピタク様、聞こえますか?ラヴァン様の予想通りアビッソの封印が解けました。直ぐに対応を」


 唯一屋敷に残っていた侍女が魔石の使われている小さな通信機に話しかけると、彼女の本当の主が答える。恐怖よりも任務への責任感が勝っている彼女は、この屋敷にいる事の危険を感じながらも報告を最優先とした。


『ひとまずはガルム伯の所有物を売った宝飾店に非難しろ。そこで―――』

「あらあら、どなたとお話ししているのかしらぁ?」


 振り向くとアニスがにたぁと笑みを浮かべて、侍女の手から通信機を取り上げる。戦闘訓練も受けている侍女に全く気配を悟らせず、後ろに立つことが出来るものは中々いない。

 アニスは笑いながら通信機に話しかけた。


「もしもぉし、聞こえる?多分もう二度と会えないと思うわよ。ふふっ、だってこの子、ここで―――」


 アニスの影が膨れ上がり、侍女は足元から引きずり込まれる。咄嗟に手を伸ばし影の淵にしがみ付いて命乞いをするようにアニスを見上げるが、アニスは無情にもその手を蹴飛ばす。悲鳴を上げる間もなく侍女は奈落へと落ちた。


「死んじゃったからぁ、あははっ」

『お前の名は』

「アニス、よ。あなた良い声してるわね。もっと聞いていたいわ」


 ぷつっと音がして通信は一方的に切られる。後に残るは静寂のみ。アニスは声のしなくなった通信機をじっと見つめていたが、やがて興味を失って放り投げた。


「お別れの言葉でも言わせてあげればよかったかしら。あーあ。つまんない」

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