五十二話
入ってきた場所とは別の扉を開け、リーゼロッテ達が進むと歌声や楽器を奏でる音が近くなってくる。こちらの建物は音楽棟だと説明された。通された部屋には防音の設備が施されていて、重たい扉を閉めると歌声は全く聞こえなくなる。音の反響が無くなり、なんだか息苦しい。
部屋の中には一人の女性神官がいて、ラヴァンに頭を深く垂れる。所作の一つ一つが丁寧で美しく、顔を上げリーゼロッテに柔和な笑みを浮かべて話しかけた。
「お待ちしておりました、リーゼロッテ様。本当に私の友人に似ていますこと」
口調は貴族然としていて柔らかく、神官らしからぬ印象を受けた。リーゼロッテは軽く会釈をしたのみにとどめる。
「あなたが呪詛を解いて下さるのですか?」
焦る気持ちからか挨拶する僅かな時間も惜しいように感じ、さっそく本題に入った。不躾な態度に女性はわずかに眉間にしわを寄せたが、すぐに取り直し首を振る。
アビッソに転移陣はなく王都からなら飛空船に乗っていかなくてはならない。もしも明日封印が解けてしまったら。先祖代々が繋いできた物がリーゼロッテの代で途切れてしまったら。それどころかこの国が、世界が滅んでしまったら。
作品が封印の手段ならば自分も封印の効果のある曲を作らなければ無い。優れたものを作るには時間が必要だ。思いつきで作曲できるようなものではない。
いら立ちを隠しきれずに声がいつもより鋭いものになる。
「呪詛を解くためにここへ連れて来られたのではないのですか?」
「まずは彼女の話を聞いてみようか、リーゼロッテ。焦る気持ちは分かるけれど、落ち着いて。解けるものも解けないよ」
「リーゼロッテ、ガマン。イライラ、ヨクナイ」
ヴィートどころかヴァナルにまで諭されて、自分の行動が相手にとって不快なものであることに気付く。少なくとも王族の面前でするような態度ではない。深呼吸を一つしてリーゼロッテは頭を下げた。
「非礼をお許し下さい。初めまして、リーゼロッテと申します。母とはお知り合いだったのですか?」
「ええ、あの子もここの出身で、宮廷音楽家になることを選んだのだけれどずっと変わらず私の友人だったのよ。自分の非を認めてすぐに謝ることが出来るのもあの子にそっくりね」
母親譲りの赤紫色の髪を見て懐かしそうに目を細める。昔を思い出してか、口調が少し砕けたものに変わった。父の知り合いは生前に何人か会ったが母の知り合いは初めてで、神殿の出身という事は親戚に会わないのも頷けた。
貴族の血筋を弾くもののその存在を疎まれる者、孤児、或いは自ら入る者もいるがその場合は世間との関わりを一切断つ覚悟が必要だ。
そんな中から宮廷音楽家になるのだから優秀で無いわけがない。仮に貴族出身だとしても戻ることを良しとされない為にここに居たはずだ。リーゼロッテは母親のたどった道に思いを馳せる。一体どれほど苦難に満ちた人生だったのか。
リーゼロッテに微塵もそんなことを感じさせなかったのは、きっと愛情と意地によるものだ。そう言えば少しさみしがり屋な人でもあった。幼い頃は家族に恵まれない人だったのかもしれない。
こちらへどうぞと部屋の隅に行くように促される。そこにはたくさんの小さな魔石が間隔をあけて宙に浮き、大きな球体を形作っていた。まるで何かの実験道具のようなものをみて、これは何ですかとリーゼロッテが訊く。女性では無くラヴァンが答えた。……質問に対する答えにはなっていなかったが。
「まずはこの球体の中でバイオリンを弾いて下さい」
「効果のあるものですか?」
「当然でしょう。ただの曲を弾くことに何の意味があるのですか。効果が出ても周囲に影響が出ないようにするための装置です」
このさり気なく毒舌を挟む話し方、誰かに似ていると思えばフォレスタギルドのクレフが記憶の底から出てくる。男性神官が皆そう言った話し方ならば、さらに一刻も早く解呪をしてここを出たいとリーゼロッテは願った。
一番無害な子守唄を弾くが全く効果は出ない。
「ふむ。効果が出る時は魔石が光るのですが、何の反応も有りませんね」
「あの、治せるでしょうか」
リーゼロッテの問いには答えず、あれを、と女性に指示を出すラヴァン。装置を出て差し出されたのは、手描きの楽譜で少し古びたもの。
渡された五線紙を目で追えばリーゼロッテも聞いた事のある曲だった。幼い頃に聞いた、母の弾くバイオリンの旋律がまざまざと蘇る。
「この曲は……」
「あなたのお母様が作曲したものです。本人には効果を発現することが出来なかったようなのですが、別の者に弾かせたところ解呪の効果が認められたそうです」
「神殿に残すことで失われることなく、演奏できる者も現れる可能性が多いという事で託されました。まさに今がその時、でしょうね」
リーゼロッテの問いに、ラヴァンに続いて女性が答えた。
宮廷音楽家だった母親は効果が出る曲の研究もしていた。リーゼロッテのように血筋に現れるものでは無く、誰が弾いても同じ効果が出るよう理論立てて作曲していたのだが途中で挫折したようだ。それでもある程度の技術を持つものならば発揮できたようで、研究は全く無駄なものではなかった。
「彼女も演奏技術に乏しいわけでは無いので、おそらくはバイオリンの質や相性などが悪いと何も起こらないのでしょう。魔法使いの杖と同じように材質や製作者も関わってくると思われます」
アビッソと言う闇を封じる血筋を持つリーゼロッテが光ならば、魔王と言う闇に滅ぼされた創世の木もまた光なのかもしれない。
もしかしたらバイオリン自体も先祖が作って、父から母に贈られたものかもしれない。屋敷に戻ったら調べてみることをリーゼロッテは頭の片隅に留め置いた。
譜面立てに楽譜を置き、母から受け継いだバイオリンで母の作った曲を弾く。このような事態を予測していたとは全く思えないが、見えない力で守られている気がした。
焦っていた気持ちは既に穏やかになっている。バイオリンの絃に弓がそっと触れると懐かしい曲が紡ぎだされていった。一音一音丁寧に音を聞きながら祈りを込めて弾く。
忘れていたわけでは無いが母が他界してから一度も弾いていなかった。記憶の中のものと同じ曲を弾けば音色が驚くほどに母のものと似ているのが分かる。
―――受け継いだのはバイオリンだけではなかった。知識も技術も愛情も血も、確かに私の中に根付いている。
魔術と違って光も何も出ないけれど、誰の目にも明らかに効果は出ていた。
肩口から黒い霧が吹き出してリーゼロッテの周りを一周する。リーゼロッテがそれを目で追いながらも弾き続けると、曲が終わるころにふっと霧散した。
少しだけ、肩が軽くなった気がする。
「凄いですね。自分で自分に掛けられた呪いを解くと言うのは、どのように優れた魔術であろうとも滅多にない事なのですよ。さあ、先ほどの装置の中に入って効果のある曲を弾いてみて下さい」
子守唄、雪の加護を受けた曲、次々とバイオリンを弾けば属性に対応して魔石がピカピカ光った。弾かなければ効果が出るか分からない作曲の時など、リーゼロッテにはとても便利な装置に思えた。
「彼女の研究成果が書かれた本をお渡ししておきますね。こちらは魔術による写本ですのでそのまま差し上げます」
解呪の楽譜と引き換えに少し厚めの本を渡された。文章の合間に所々はいる五線に、楽譜と同じ筆跡が見て取れる。音符の書き方やト音記号、シャープやフラット等の音楽記号などのくせは書く者によって違う。
リーゼロッテは少しだけ感動した。屋敷にも母の残した楽譜や本は有ったが、足跡に出会え嬉しくて笑みがこぼれた。
「有難うございます。作曲したらこちらで試してみたいのですが……」
「良いですよ。ヴィートが付き添いでいれば出入りできるようにしておきます」
さあ、次は後世にまで残るような作曲をしなければならないとリーゼロッテが意気込んでいると、ヴィートが遠慮がちに聞いてきた。
「リーゼロッテ、いつもの……子供になる曲は弾かないのか?」
「ええ、これから継母と顔を合わせるのに幼いままではいられませんから」
強い意志を持ち、出会った頃よりも大人びた顔つきになったリーゼロッテに、ヴィートは見惚れる。呪詛が解けた後で身分の事やそれ以外の事も告白するつもりでいたが、ラヴァンの話を聞いてからタイミングを計り切れずにいる。屋敷に戻り全てが終わってからの方が余計な負担にならずに済むかもしれない。
リーゼロッテを只の貴族令嬢だと思っていたから、ヴィートにも少しばかり覚悟が必要だ。




