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五話


 大人なリーゼロッテはお財布が少し重くなったので宿代を一週間分ほど前払いすることにした。周囲に心配を掛けないようにするためである。おかみさんはお金を受け取りはしたが、心配そうな顔をされてしまう。


「冒険者ってのはあちこち流れていくもんだろう?そりゃ、前払いってのは有り難いもんだけどねぇ」

「この町が好きになったので、しばらくはいるつもりなんです」


 そうかい?と、答えたおかみさんはお金を受け取って、予約の帳簿にリーゼロッテと名前を書き込んで支払い済みの印をつけていた。

 今の自分には「好き」と言うのが全ての原動力だ。嫌いな事はできるだけしたくない。しなくて済むようになりたい。そうなるためにも今この町で冒険者としてしっかりやっていくことは、不可欠な事のように思えた。

 ……吟遊詩人としての生活の仕方がつかめるようになるまではここに居よう。


 お金の残りはギルドバンクに預けておく。自分で稼いだお金を預けるのは初めての事で、シエラにいろいろ聞きながら手続きをした。嫌な顔一つせずに丁寧に教えてくれるシエラには密かにファンも多いのだが、会った初日にスヴェンとのやり取りを見ているリーゼロッテには一筋縄ではいかなそうなお姉さんと言う印象だった。


「それから、演奏の依頼が来ています。白い鴉亭と言う酒場で、夕方から夜にかけての演奏をお願いしたいそうです。店を開ける前の時間帯に一度面接に行ってください」

「酒場……」


 子供の姿では入ろうとすれば追い出されるのがオチなので一度も入ったことが無い。貴族が出入りするような高級ホテルのバーなら旅を始める前に知り合いに連れて行ってもらったことがあるのだが、庶民の酒場は未知の領域だった。


「やはり不安ですか?喫茶店などならまだしも酔っ払いに絡まれるのも覚悟しないといけませんし、断っても大丈夫だと思いますが」

「行きます。私は大人ですので。……大人ですので」


 大事な事なので二回言ったリーゼロッテ。子ども扱いされ続けていた反動か、大人な場所に飢えていることもある。リーゼロッテの心の内を見透かしてくすりと笑ったシエラは酒場に行くことに一つ提案をする。


「では、もう少し身ぎれいにしましょうね。髪飾りをつけたいところですがその長さだと無理ですから、せめて髪の毛を切り揃えてあげますよ」

「大人なので自分で切れます」

「大人の女性はあまり髪を切りません。必要な場合は人に切ってもらうものです。服装はバーのマスターに相談しましょう。吟遊詩人と言う肩書で行くならば今の服装でも大丈夫だと思いますが」


 襟のついていないシャツにひざ丈まであるスカート、皮のブーツ。ここまではそこらの町民と変わりはないのだが、リーゼロッテはその上にひざ下まである若草色の上着を着ていた。前身頃が空いていて腰のあたりをひもで止める、刺繍が施された民族衣装の様な上着。旅を始めた時に店で見かけて「好き」なので買った。その頃には自分が吟遊詩人になるとは思っていなかったが、それっぽく見えるのならいい買い物をしたとにんまりと笑う。


 別の受付嬢に一声掛けたシエラに続いてリーゼロッテも二階へ上がっていく。椅子に座らされて大きな布を首に巻かれ、チョキチョキとリズミカルな音を立ててハサミで切っていく。切りそろえるだけでなく梳いてもらったので小ざっぱりとした。渡された手鏡を見ながらおおっと驚嘆の声を上げる。


「シエラさん、髪の毛切るの上手……」

「どういたしまして。長く生きているといろいろと雑多な特技が増えていきますからね」

「齢はいくつですか?」

「百五十一です」


 子ども扱いされることに時折むっとしていたリーゼロッテだが、年齢を聞いて勝てるわけがないと思った。エルフの中でも若い方なのだが、二十一歳の人間からしてみると未知の領域だ。張り合うなんてことはせずに大人しく巻かれていようと思った。大人だから。


 お礼を言って早速依頼の店に行くと言うリーゼロッテとすれ違いでスヴェンが上がってきた。言いたいことは大体わかっている。


「シエラ、今日は飲みに行かねーか?」

「言うと思ってました。他の人も誘うならいいですよ」

「…あいつら、残業代出せとか言わねーかな」




「え、君が吟遊詩人?……随分、思っていたのと違うなぁ」


 リーゼロッテは面接の様なものはやはり苦手に感じている。人前で演奏するのは平気で話をするのも支障はないのに、自分の価値を決められてしまうとなると途端に緊張してしまう。全く価値なしと判断されたらどうしようかと、冷や汗が出てくるのだ。


「なりたてのほやほやです。これから吟遊詩人色に染まっていくのです」

「えっと、ここはお酒を飲む場所だから子供の出入りはちょっと遠慮したい……」

「リーゼロッテ、二十一歳です。大人ですのでギルドから派遣されてきました」

「冒険者は十三歳の子供でもなれるんだけどね。悪い、俺も若いのにこの扱いは無いか」


 リーゼロッテがギルドカードを見せながら反論をすると酒場のマスターは謝った。店を切り盛りしている割には若く見えると思ったが、実際にそうだったらしい。

 顔立ちは整っているのに人懐っこい笑顔であどけなさも垣間見え、背が高い。同じ椅子に座っている筈なのにリーゼロッテの爪先はちょんとつく程度だがマスターの足は長すぎて邪魔そうだ。きっと彼目当ての女性のお客さんも多いのだろうとリーゼロッテは予想した。


「俺の名前はヴィート。齢は二十七だ。みんなマスターって呼んでるからそっちの方が通りがいいかもな」


 自己紹介はされたもののまだ悩んでいるようだった。他の町ならば酒場で働いている子供もいるのだが、ここの住人はそう言ったルールに関しては厳しい。リーゼロッテが広場でバイオリンを弾いた時に通報されてしまったのがいい例だ。

 ヴィートはため息をついた後に口を開いた。


「スヴェン達の紹介だからまあ大丈夫かな」

「ギルドに依頼を出されたのでは?」

「ここのギルドはすごく面倒見のいい連中が多くてね。戦士に武器屋の店番の依頼を取り付けたり、魔法使いには魔石に魔法込める仕事を回したりするんだよ。勿論初心者限定だけど」


 そういった意味でも初心者向けの町なのだ。ギルドの手厚い支援を受けて育った冒険者は食うに困って犯罪者になることは少ない。お金の使い方や依頼以外の稼ぎ方も覚えていき、無茶をして高ランクの依頼を受けることもしないので長く続けて育ちやすい。


 演奏する場所まで案内された。酒場の中にはカウンターの他に丸いテーブルがいくつかあって、奥の方に十センチ程度の高さのステージがあった。三、四人程度のバンドが演奏できるくらいの広さがある。ステージ下の壁際にはアップライトピアノもあった。


「こんな小さい町でステージ付の酒場なんてと思うだろ?ここら辺りは冬場になると雪が積もるから、少しでも娯楽を提供できたらと思って作ったんだ」


 優しい町だとリーゼロッテは思った。自分が生まれ育った、大きいけれど心にゆとりが無く冷たい町とは違う。もっともリーゼロッテの周りだけがそうだったのかもしれないが。

 少し感動しているとヴィートは面接の続きを始めた。


「ええっと、ちなみにどんな歌が歌えるのかな?」

「歌いません。これ一挺で暮らしてます」


 バイオリンをケースから出しながら答えるリーゼロッテ。


「それって、吟遊詩人と言うよりただの楽師では……」

「歌えない諸々の事情があるんです。冒険者の職業に楽師は有りませんでした」

「さては君、吟遊詩人なのに音痴とか」


 ヴィートの言葉にかぶせるようにしてリーゼロッテはバイオリンを弾き始めた。軽快なカントリーから扇情的なタンゴ、変則的な拍子のジャズまで。伴奏が無くても聞きごたえのあるように音を重ねながら酒場と言う場所に会いそうな曲をいくつか弾き終えるとヴィートは目一杯拍手をした。


「すごい!すごいよ、なるほどね。酒場に向いた選曲も素晴らしい」

「あの、格好はこのままでもいいですか?」

「ああ、下手に露出の高いドレスなんかを着てしまって何かあると大変だからね。そのままでいいよ」


 開店してからまた来るように言われて面接は終わった。はっきりとは言われなかったが合格らしい。




 リーゼロッテが日の暮れた少し後に再度店を訪れると、もうすでに客が入っていた。店員も増え、ヴィートはバーカウンターの中にいる。「マスター」と声を掛けるとヴィートは手を上げてステージの方を指した。


「そのままステージに上がって準備していてくれ。始める前に一応紹介いれるから」

「マスター、もう一杯おかわりぃ」


 カウンターはマスター目当ての女性客で埋め尽くされている。化粧が濃くて香水の匂いがきつい。アップライトピアノの椅子の上にケースを置いて、調弦を始めた。ヴィートが近くに来て準備は良いか聞いてくる。


「はい、大丈夫です」

「レディース&ジェントルメェン、今夜も当店をご利用いただきありがとうございます。今宵は吟遊詩人のリーゼロッテさんをお招きしています。冒険者になりたてだそうですがバイオリンの腕は超一流!それでは、どうぞっ」


 わっと歓声と拍手が鳴り響く。ぺこりとお辞儀をしてバイオリンを構えるとそれも鳴りやんだ。一流だなんてハードル上げすぎだと、心の中で文句を言うリーゼロッテ。それでも息を吸い込んで弦に弓を乗せた。

 リーゼロッテが全く経験した事のない舞台だった。モンスターを相手にしていた時とも違う。皆がステージの方を見ているのではなく、お酒を飲んだり話をしたりしながら曲を聞く。時折嬌声や笑い声が上がり、耳を澄ませ集中して弾いているリーゼロッテは驚いて演奏が雑になってしまう。


 求められているのは単なるBGMだろう。でも―――


 リーゼロッテは集中力を高め耳から聞こえてくる雑音をシャットアウトして、最後の曲で本気を出してしまった。曲に込めた熱量が他とは違う事に気付いた客が少なからずいる。マスターの前で弾いた曲とは違う、切々と歌い上げるような、聞いた者の心を鷲掴みにしてしまうような曲……言葉の無い歌と言った方が良いかもしれない。

 客は飲むのも話すのも止め彼女の方に見入ってしまう。曲の最後の音が余韻として残るほどの静寂の後、店全体を揺るがすような歓声がどっと上がり、拍手が響き渡った。はっと我に返りぺこりとお辞儀をしてバイオリンをしまい、急いで店を出ようとするがスヴェンとシエラに呼び止められてしまった。

 空いていた席に座るように促された。ギルドの他の職員たちも来ていたが、明日二日酔いで仕事に支障は無いのだろうかとリーゼロッテが心配になるほど酔っていた。


「すごいじゃねーか」

「大人げない事をしてしまいました。ここの雰囲気ぶち壊しです」


 スヴェンに褒められたが謙虚に反省をすると黄緑の髪の受付嬢、ノーラが絡んできた。


「だーいじょーぶでーすよー。結構ウケてたから~。それよりもっとお酒ちょーだい」

「ノーラ、店員ではありませんよ。リーゼロッテさんはお酒は飲めますか?」

「飲んだことないです。挑戦してみようかな」


 シエラが新しいグラスに少しだけ注いだ。比較的軽めの果実酒だ。グラスを持ち上げると薄いピンク色の液体が揺れた。


 ―――お酒は喉に悪いから、勧められても絶対に飲まないようにね。


 過去の記憶から呪詛の様な声が聞こえてくる。リーゼロッテを縛り付けて自由を奪ったあの声が。振り払うように頭を振って、恐る恐るグラスに口を付けてみた。

 液体が口の中に流れ込んだ瞬間、顔が急速に熱を帯びて火がついたように喉が焼ける様な感覚。リーゼロッテはたまらずべーっと舌を出した。


「まずい。お酒嫌い」

「何だ、リーゼロッテは下戸か。やっぱり子供だったんだな。サツマイモみたいななりしてんのに芋焼酎も飲めませんってか?」


 酔っぱらったスヴェンまでが絡んできた。整えた赤紫の髪を撫で繰り回してぼさぼさにする。


「支部長、アルハラな上にセクハラですよ……ってリーゼロッテさん、無理しないで」

「大丈夫です、大人ですので」


 子ども扱いされた上にサツマイモ扱いは許せない。売られた喧嘩はは買わねばと、グラスに残ったお酒を一気に飲み干す。元々入っているのが僅かな量だったのだが、飲めないリーゼロッテを酔わせるには十分な量だった。


「支部長!サツマ芋はおいしぃのに、どぉうしてばかにすんですかぁ」

「いや、芋を馬鹿にしたわけでは無くてお前をからかっただけなんだが」

「お芋さんにぃ謝ってくださいよぅ」


 リーゼロッテの目が据わっている。テーブルの上には芋料理が無かったので、スヴェンは仕方なくリーゼロッテに謝った。機嫌をよくしたリーゼロッテはバイオリンを片手に舞台へと上る。芋扱いされたことにも気づいていない。


「うふうふうふふ。やっぱお酒好きぃ~。もう一曲サービスしちゃうよ~」


 ふわふわ、ふわふわ、良い気持ちで千鳥足の彼女が弾いた曲は、緩やかでふわふわの優しい曲だった。バイオリンの音と言うのは人の声に近いと言われる。彼女の弾いた曲は睡眠効果付の子守歌だった。


「はれ、みんな寝ちゃった。みんなこんなにお酒に弱いのにぃこんなところ来てぇまだまだお子様ね~」


 そこかしこから寝息やいびきが聞こえてくる。ヴィートもカウンターの内側に座り込んで寝てしまっていた。状態異常に耐性を持っているギルドメンバーたちは驚いて目を開いている。シエラだけは「あらあら」と言いながら涼しい顔をしてお酒を飲んでいた。


「こんばんは、マスター。また飲みに来ちゃった……ってあれ?何これ」


 新しい客が店に入るなり惨状を目にして疑問の声を上げた。リーゼロッテが鶏の鳴き声を模した目覚めの曲を弾くと、みんな一斉に飛び起きる。あちこちから「ぎゃあ、酒がこぼれてる」と悲鳴が聞こえた。その様子が面白かったのでリーゼロッテはからからと笑う。笑いながら席に戻ると数秒も経たない内に寝てしまった。

 様子を見ていたスヴェンは同僚と頷きながら、確認するように言い放つ。


「いいか、こいつに酒なんて一滴も飲ませるなよ」

「了解です、支部長」

「下手な呑兵衛より立ち悪いですね……」


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