四十三話
午後はまた会議室が空かずに時間つぶしとなった。同じように補佐が付き添いで、バイオリンを城壁の上で弾いている。ヴァナルは相変わらず音色に耳を傾けながら寝そべっている。
景色は平和なもので、毎年ここが戦場になるなんて到底思えない程のどかだ。前方には遊牧民が羊を追っているのが見え、後方からは訓練の掛け声が聞こえてくる。
リーゼロッテはバイオリンを弾きながら、兵士が補佐に報告しに来るのを横目で見ていた。「補佐殿」と呼ばれるのを聞いて、砦に来てからかなりの時間を補佐と過ごしているのに名前を聞いていなかったことに気付く。
「あの、そう言えばあなたのお名前は何ておっしゃるのですか?兵士からも補佐殿と呼ばれているようですし」
「役職名で呼ばれるのはそれが通例となっているからです。守備隊長は隊長と呼んでも違和感が有りませんが補佐だけだと間の抜けた感じがするでしょう?補佐様だと言いにくいですし」
「いえ、あのお名前は……」
名前を聞いたのに役職名での呼び方の説明になっている。リーゼロッテがもう一度聞けば補佐はこほんと咳払いをして答えた。
「いずれ、正式に挨拶することになると思うのでそれまでは補佐殿とお呼びください」
「分かりました」
ここに居る間の短い付き合いの筈では、と思うリーゼロッテはそれでも誤魔化されておく。わけありのものの思惑を探る手だてなどないし、本人が隠そうとするものをわざわざ炙り出すほどの野次馬根性は持ち合わせてはいない。藪蛇になってこちらに返ってきても面倒だ。
話を切りかえるためにリーゼロッテはここに来て気になっていたことを聞く。
「実際に毎年ここで戦ってどのくらいの被害が出ているのですか?」
「味方と敵、どちらも数名です。けが人がほとんどで運が悪ければ死者も出ます。弓矢の打ち合いから始まってそれだけで済むことも有れば、何年か前には別の盗賊集団と結託して門を破られた事も有りました」
戦場に立ったこともなければ、様子を詳しく聞いた事もない。自分の想像力だけで様子を探ろうとしたリーゼロッテの記憶は、やがてダイクトの落盤事故に結びついた。
あの惨状は、回復に必死だった当時よりも時間を経て思い出す方が心を深く抉る。土や砂ぼこりと血で汚れた体、有り得ぬ方へ曲がった関節、生きることを放棄してしまった虚ろな目。
涙、叫び、呻き、臭い。瞬時に蘇る情報は五感を通してリーゼロッテ自らが体験したものだ。本で読んだり人から聞いた物とは違う、消したくとも頭にこびりついて離れない記憶。あの場で良く動けたものだと今更ながらに思う。
生活の為に自然を相手にするならば仕方のない事だ。彼らも覚悟の上だろう。でも、ここでの戦闘は人為的なもので必要性が全く感じられない。防ぐことが可能であるならば防ぎたいけれども―――
「話し合いは本当に無理な事なのですか。これは命令や私の希望ではなく現状を知りたいと言う気持ちから聞いています」
リーゼロッテは補佐に聞いた。ただ単に情報が欲しいだけなので予防線を張っておく。おしゃべりのつもりでも貴族の命令になってしまうと言われたので、慎重にならざるを得ない。
リーゼロッテの意図を読んだのか、補佐は一瞬ふっと笑って真面目な顔に戻る。
「イオニアの共通言語ならばこちらにも話せるものはおります。ですが姿を現した途端に弓矢を射かけてくるとなると到底無理かと」
「彼らが矢を仕掛けて来なければ余地はありますか?」
リーゼロッテが再度問えば、補佐は二、三度まばたきをした。
「内通でもするつもりですか。そもそも話が出来ないから争いになっているのに?」
「敵意を削ぐバイオリンの曲を弾くことができます。動物やモンスターに使った事はありますが人間に対して使った事はまだありません。でもきっと効くと思います。」
別の曲ならばリックとアルフレッドで確認済みだ。苦い思い出だが。
補佐はため息をついて、首を横に振った。
「話し合いを試みると言う議題を会議に掛けることはありません。他国の民族への干渉はヘタをしたら国際的な問題に発展しかねない。我々はこの砦を襲う者たちを追い払っているにすぎないのです」
「イオニア側に訴えても無関係だと言われたのに、問題になるのですか」
「誰から聞いたか存じませんが、砦でどうこうするつもりは有りません」
案を出しても不可能だとはねつけられる。
リーゼロッテは再度バイオリンを弾き始めた。結局のところ、どうあがいても自分にできる事と言えばバイオリンを弾くことだけなのだ。対話が成立したとして他国の言語に疎い自分では本当に何もできない。戦いにおいても政治的にも無力な事は、何度も身に染みるほど理解しているのに。
―――諦めないのが子供ならば、物わかりの良いのが大人ならば、中途半端な今の自分はどういった行動をとるべきか。一番無難なのはこのまま訓練を終えてフォレスタへ戻る事だ。
でもそれは「好き」ではない。誰かが傷つくとわかっていてそれを防げるかもしれない手立てがあるのに、何もしないでいるなんて。
「もう少し質問をよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「イオニアの言語を話せる方と言うのは兵士の方ですか」
「私と、他に何人かの兵士です」
必要な「手段」が目の前にいた。これから探し出して頼み込み、砦の上層部を無視してこっそり話し合いをするよりは、リーゼロッテの望みを理解しているであろうこちらの方がおそらく早い。
「ならば、あなたを説得すれば済むことですね。貴族の命令と言うのはどうにも好きではないので手段として使うつもりは有りませんから」
「ダメです、諦めて下さい」
「いくつか手段を考えてみました。冒険者として話し合いをすること、でもこれは冒険者の中に話せる人がいなければ意味が有りません。貴族が襲われる可能性が有れば緊急時として砦が出ざるを得ない事、でもこれは話し合いどころか戦う理由になってしまう」
本末転倒だとリーゼロッテは笑う。砦でどうこうするつもりが無いと言うのならと、少ない知恵で何とかする方法を考えるのだが実になりそうなものが浮かばない。
「自分を囮にすることまで考えたのですか。どうしてそこまで……」
補佐は驚いた顔でリーゼロッテを見る。争いを止めたところでリーゼロッテには何も利益が無い。将来戻るアビッソは王都を挟んで反対側の国境近くだ。けれど、既に第二の故郷とも呼べるフォレスタがこの近くにある。
人が傷つくのを見たくない理由の他にも、話し合いを望む理由は探せばいくらでも見つかった。
「言語が通じなくても仲良くすることは出来る筈なんです。だって一番初めの交流というのはそうやって生まれるのですから。中でも音楽が最たるものだと私は思っています。逆に言えば言葉が通じないと言う理由だけで争うなんておかしいです」
補佐は腕を組んで考え込む。今までと違う態度にリーゼロッテは畳み掛ける様に拙いながらも理論を展開した。
「利益の面で考えてみましょうか。馬術やユヌ族特有の技術は?言語が特殊ならば文化も特殊なものを持っている可能性は高い。ユヌ族が滅びたとして痛くもかゆくもないと考えるのは、彼らを詳しく知らないからでしょう。彼らを滅ぼすのは今のところ、この砦である可能性が一番高い。無くなってしまってから取り戻すことなんて出来ないですよ」
そこまで言ってからリーゼロッテは補佐の言葉を待った。身動き一つしない補佐。じっと待っていたヴァナルがしびれを切らしてバイオリンを弾くようにせがむ。
長期戦を覚悟し、今日はここまでにしようとバイオリンを構えるとひときわ高いところにある見張り台から叫ぶ声が聞こえてきた。
「敵襲ーー、敵襲ーーーっっ」
カンカンカンと警鐘が鳴り響き、馬に乗った集団が遠くから現れる。他の遊牧民族と違い、遠目にも鮮やかな赤い一枚の布を袈裟懸けに纏っていた。地平の彼方から一直線に砦を目がけて走ってくる。
その数、十数騎。
見張りの兵士が慌ただしく走り回る。あっという間に城壁の狭間から矢を射る準備がされ、辺りは物々しい雰囲気に包まれていく。
リーゼロッテは邪魔にならない様に隅に寄る事しかできなかった。
「あれが、ユヌ族です」
傍に居る補佐がリーゼロッテに聞こえるよう耳打ちする。見たところは普通の人間だ。獣人や巨人族に近い好戦的な種族を想像していただけに驚く。そんな種族に乗られたら馬の方がつぶれてしまうのだが。
殺気立つ周囲にかまわずリーゼロッテはバイオリンを弾いた。あと数十秒も走ればこちらからの矢が届くであろう距離で、馬が止まる。
「取り敢えず敵意を削ぐ曲を弾いています。判断はお任せします」




