三十九話
「午後は慰労のための演奏会をするという事でしたが、会議室が塞がっているので自由にしてください」
午後の指示を仰ごうと守備隊長のグルダンの執務室に行ったが留守にしており、伝言を補佐から伝えられた。隊長補佐なのに一緒に会議に出なくてもいいのかとリーゼロッテが訊くと、緊急時に備えての規定だと言われる。
リックやアルフレッドがそれぞれの訓練を受けている今、一人だけ遊び呆けているわけにもいかない。吟遊詩人がやる訓練なんて楽器の練習と作曲ぐらいなものだ。やることは決まり、次に場所の交渉に入った。
「どこでバイオリンを練習してもいいとおっしゃいましたよね?」
「ええ、武器庫や火薬庫など、軍規に触れるような場所でなければ私がご案内します」
「ここに居なくていいのですか?」
「今、この状況が緊急時です。貴族の方の望みと違うものを提供しなくてはならないので」
「一冒険者として扱ってくださいと言ったはずなのですが……」
言われずともそんな場所で弾きたくはないとリーゼロッテは心の中で突っ込む。先ほど走った砦の中を思い浮かべ、バイオリンを弾きたいと思うような場所を考える。フォレスタの町中で弾けない分、広いところで弾くことも考えたが、リーゼロッテの出した答えは―――
「でしたら、イオニア国側の城壁に上ることは出来ますか」
補佐の後について城壁の石の階段を上がっていく。壁の上部に出る扉を開けた途端に、一陣の風によってリーゼロッテの髪が舞い上がる。思わず一瞬目を閉じ、再度ゆっくりと開く。
「す、すごい……」
リーゼロッテは眼前に広がる見たことのない景色に思わず息を飲んだ。
エオリア側と違って森や山などは一切なく、地平線まで見える平原が続いていた。春なので馬や羊などが餌にする草が生えて、見渡す限り黄緑色の絨毯が広がっている。空を遮るものもなく、広がる世界にリーゼロッテは圧倒される。
そよ風が、頬を撫でていく。遥か彼方に遊牧民の集団が見えた。
「あれが件の騎馬民族ですか?」
「いいえ、あれは別の種族です。地平線の向こうには町も有りまして、街道の方を行きかう商人たちによって交易も行われています」
「思ったよりも平和なんですね」
「ええ、騎馬民族―――ユヌ族だけがどういうわけか攻撃を仕掛けてくるのです」
「理由を聞いた事は?」
「いいえ、ありません」
隣国イオニアは様々な民族の集合体で成り立っている。共通語は存在するがその民族ごとの言語しか話せないものも多い。多数の言語を操る者は希少で、一族の中でも族長かそれに近い身分である。近年は定住することを選ぶ一族も多く国家としての文化水準は上がりつつあるが、その反面取り残されてしまう一族もある。
補佐は軽く説明をしながら自分の推測を述べる。
「おそらくユヌ族は取り残される側の一族でしょう。我々も接触を試みたいのですが言葉が通じない上に攻撃を仕掛けられることを考えると、なかなか壁の外側に行くことが出来ないのです」
言葉の壁があると言うだけで争うとはどうにも考えにくい。向こう側の要求によっては交渉も可能なはずなのにそれもはねつけて攻撃するなんて何か事情があるのではないかと、リーゼロッテはエオリア側の人間として考える。
けれどいくらここで考えてみてもどうしようもなく、頭を自分の事に切り替えた。
「ここでバイオリンを弾いてもよろしいですか?」
「構いませんよ」
景色を音楽にとどめたくてバイオリンを奏でるが、広がりを表すのにはいろいろと足りない。打楽器やギターの伴奏、民族楽器の様な笛の音が欲しいと珍しく思った。
重厚なメロディで自然の雄大さを表すことも出来るが、平原を歩く遊牧民の音楽のようにリズミカルに奏でることを選ぶ。短調の曲なのに悲しさは一切感じられず
流れを作っては五線紙に書き記していく。傍に補佐がいるのも忘れてリーゼロッテは自分の世界に入っていた。
「すごいですね。曲という物はこんなに簡単に作られていくものなのですか」
「もちろん後で手直ししますけれど、大体いつもこんな感じです」
横から声を掛けられたはっと我に返り、初めて人前で作曲する気恥しさに顔を少し赤らめるリーゼロッテ。書き終えた楽譜をしまい、基礎練習に移る。
音を出さずに出来る弓を持つ右手のトレーニングはどこでもできる。せっかくだからトレモロ等音の出るトレーニングと練習曲をいくつか弾く。その上で自分の作った効果のない曲を何度かおさらいしていった。
時間が経つのも忘れ、気づけば頭上にあった太陽はかなり傾いている。隊長補佐はおとなしいヴァナルを撫でたりして飽きることなく傍に居た。慌ててリーゼロッテは謝る。
「すみません。いつの間にかかなり時間が経ってしまったみたいで」
「いえいえ、久々にのんびりさせてもらいました。気が済んだのなら終わりにしましょうか」
欠伸をしながら補佐は答えた。そのまま言葉通りに受け取っていいものか、リーゼロッテは悩む。嫌味にとろうと思えば取れる言葉だ。補佐の話す言葉には少しずつ毒が含まれているような気がしてならない。
「一度隊長室に戻りましょう。今日の活動の報告と明日の打ち合わせです」
言われるがままに城壁から降り、ヴァナルと一緒に補佐の後をついて行く。不可解な気持ちを振り払うように世間話のつもりでリーゼロッテは話しかけた。
「そう言えば、仲間にも身分を隠しているのに兵士にばらされてしまったのですが」
「どの部隊の何と言う兵士ですか?」
「さあ、そこまでは存じませんが、情報がこんなに簡単に漏らされるものなのでしょうか」
ほんのちょっぴりの皮肉を込めて。リックとアルフレッドにはずっと隠しておくつもりだったのに、おそらく顔を合わせるたびに苦しくなって話さざるを得なくなるだろう。ヴィートに明かした時と違っていろいろなものが見えてきただけに、どこまで詳しく話せば良いのか加減が分からないのだ。そもそも身分が無ければこのような思いを抱え込まずに済む。
けれどもそれはリーゼロッテの決意一つで解決する、本当に些細な事。二人の先程の様子からいきなり態度が変わることが無いのは確信出来る。
兵士の失敗をしょうもない事だと笑い飛ばすつもりで話していたのに、補佐は立ち止まってとんでもなく怖い顔をした。リーゼロッテがたじろぎ後ずさりしてしまう程に。
「それを私に言うという事は兵士に何らかの罰を与えろという事ですよ」
「そのようなつもりは……」
「本人につもりがなくとも言われた方はそのように受け止めます。貴族社会に戻るおつもりなら、まずはやり方を学んでください」
リーゼロッテは息を飲み、ごめんなさいと頭を下げた。貴族の謝り方でない事は分かっている。
同時に、この人たちはどこまで知っているのだろうと大きな不安が湧いて出てくる。貴族である事だけを知らされているのなら戻るなんて言葉は出てこない筈だ。
一冒険者として扱うと言うリーゼロッテの望みはここでは叶えられない事が分かった。冒険者としてのもの以外に貴族としての「訓練」も受けている気がしてならない。




