三十三話
昨日の今日でギルドに顔を出すのは、かなりの勇気がいる。リーゼロッテが不安な顔をヴァナルに向ければ力強く頷き「ダイジョウブ!」と答える。一連の会話をどれだけ分かっていたのか微妙な所だ。
リックとアルフレッドとはギルドで待ち合わせをした事が無い。大体このくらいの時間にいつもたむろっていて掲示板を見たりギルドの職員と雑談をしている。いない場合はその日は冒険には出かけないという事だ。ちなみにリーゼロッテはほぼ毎日来ている。
大人になる。そう決めたリーゼロッテは極めて明るく振る舞おうと心に決めていた。年上だもの、二人がつられて元気になる様にしないと。そう思って大きな声であいさつしながらギルドの扉を元気よく開けた。
「おはようございます!」
そこにはリックとアルフレッドはおらず、見知らぬ冒険者たちが怪訝そうな顔をして見てきた。一瞬たじろいでリーゼロッテは頬を赤らめながらシエラの居るカウンターへと向かう。子供にしか見えないリーゼロッテの後を付いて回るヴァナルを見て、ギョッとする冒険者たち。
「はい、おはようございます、リーゼロッテ。元気が良くてよろしい、なーんて」
「ううう……あの、リックとアルフレッドは?」
「昨日あれだけ落ち込んでいたから、流石に来ないんじゃないかしら?」
明日と明後日は酒場での演奏依頼となる。できれば今日の内にあっておきたかったが仕方ない。リーゼロッテはため息をついた。シエラはくすくすと笑いながらこっそりと話す。
「もてる女は大変ねえ」
「別にそんな風に思っているわけでは無いですよ」
「あの二人は大人になるための踏み台と言う所かしら?」
ふっと、リーゼロッテの笑みが消える。意図してそうしたわけでは無く、驚いて息を飲み損ねたと言う顔だ。釣られてからかうつもりだったシエラからも笑みが消えた。まさかリーゼロッテがそんな悪女だとは思いもせずと言ったところか。
「あら、本当にそう思っているの」
「や、恋愛方面の方ではなくてですね。言い得て妙と言うか、二人に明るく振る舞う事で私も少しは大人になれるかなと思っていたので指摘されてグサッと来たわけですよ」
ああ、とシエラは納得した。リーゼロッテはあっという間に気概が無くなってしょんぼりしていく。
「男の子が自分で答えを見つけて成長するのを見守るのも、大人の女の役目よ。つまり、こういう場合はほっておくのが一番」
「そっか、そう言う考え方も有りますよね。じゃ、今日はお休みって事で街中散歩してみます」
「はい、行ってらっしゃい」
シエラの言葉であっという間に立ち直るリーゼロッテ。理想の大人をそこに垣間見て、やはりシエラを手本にしようと決める。ヴァナルを引き連れて出て行くリーゼロッテを見てギルド内にいた冒険者は受付のシエラに聞いた。
「あの、もしかして今の、ダイクトで奇跡を起こしたと言うリーゼロッテさんですか?」
「ええ、そうよ」
ギルドの中にいた冒険者は五人で一つのパーティー。昨晩、フォレスタに到着したばかりで道中ダイクトでの噂を耳にしていた。
「パーティーがうまく行っていないのなら、仲間に入ってもらおうか。これだけ人数居れば吟遊詩人みたいなのが一人増えたって何とかなるだろ」
「ちょっと、その言い方だと完全にお荷物決定でしょ」
「だって……吟遊詩人だし……ねえ?」
シエラは変わらず微笑んでいるが、隣の受付に座っているノーラは不穏な気配を感じてじりじりと椅子ごとシエラから離れて行った。
以前リーゼロッテに恋文を依頼したブレットのいるパン屋の前まで来た。あれから時々来てはここでパンを買っている。贅沢は出来ないので一度に買うのは一つだけ。その時々によって買う物は異なるが、安くてできるだけお腹が膨れるパンを選ぶ。
食べ物を取り扱っているお店なのでヴァナルには外で待っていてもらう。揉め事に巻き込まれないよう、チラチラとそちらを見ながら買い物をする。
パン工房の一部がガラス張りになって店内から見える状態なのだが、ブレットと親父さん、もう一人見慣れない若い女の人が入っていた。店番をしているブレットの妹、リコッタに聞いた。
「新しい人、雇ったの?」
「あー、あの人、お兄ちゃんのお嫁さん」
「え、ええっ?」
よく見れば時折何となく意味ありげな笑顔を交わしていて、新婚ほやほやの空気を醸し出している。シエラへの想いは、自分のしたことは一体何だったのだろうと驚きを隠せないでいた。リコッタがしょうもない兄を見ながら笑って言う。
「シエラさんはダメ元だった部分もあるからね。きちんと振られて良かったんだと思うよ。こっちが妬けるくらい、仲が良いし」
「依頼を受けた身としてはかなり複雑だけどね。おめでとうと言っておいて」
所帯を持ったせいか、情けないイメージだったブレットは少しだけ頼もしく見える。人の気持ちは変わりやすいものだと、そしてその変化は決して悪いものだけではない事を知った。
トレーとトングを持ってどれを買うか吟味する。焼きたてのパンの香りで満たされた店内は空腹状態のリーゼロッテにとって危険地帯だった。ジャガイモとベーコンのパン、クリームチーズと柑橘ジャムの菓子パン、春の山菜と木の実のパン。バゲットやスライスされた山型パンを買って二、三日持たせる手もあるがそれはお金が無い時の最終手段としたい。選べるのは一つだけ、一つだけ……。
「どれとどれで悩んでいるんだ?」
「このジャガイモパンはお腹が膨れるだろうけど、クリームチーズぱんも捨てがたいなって―――リック、アルフレッド」
「表にヴァナルがいたからな。お、新作だ」
背後から掛けられた声に素直に答えてしまったリーゼロッテ。何か言わなくてはと思っているうちにリックはジャガイモパンを自分のトレーに入れ、クリームチーズパンをアルフレッドのトレーに入れた。
「リコッタ、ジャガイモパンは別の袋に入れてくれ」
「うん、わかってる」
同年代でそれほど広くない街で育ったリコッタもリックたちの幼馴染だ。同じようにアルフレッドのクリームチーズパンも別の袋に入れられる。二人はそれらの袋を無言でリーゼロッテに差し出した。目を白黒させて二人を見ていれば袋を半ば強引に押し付けられる。
「苦楽を共に分け合ってこその仲間だろ」
「俺らまだガキだから、言ってくれなきゃわかんねーよ。取り敢えず、今回はおごり」
「受け取ってあげて。珍しくかっこつけてるんだから」
リコッタが笑いながら言う。苦楽を共に分け合う―――おそらくは彼らなりに出した答えなのだろう。リーゼロッテは二人が拗ねてこのまま仲間から外されることも考えていた。そこまで子供ではなかったと安堵し、嬉しくなった。
「二人とも、有り難う。どこかで一緒に座って食べようか」
「なら、噴水のベンチがいいかな」
三人で仲良く座って食べる。ヴァナルに一口上げたり、たくさん話をした。アルフレッドとリックは生まれ育ったこの町での日常を。リーゼロッテも歌姫の事や貴族であることを隠しながら、バイオリンや自分の両親のことなどを話した。
「じゃ、十年前に習ったきりでまたバイオリンを始めたという事か」
「ええ、だから本格的に長く続けている人から見れば我流の部分もあるし、下手な部分もあると思う」
「俺らには全然わからないけどな」
本当に他愛もない話ばかりだ。だが今まで依頼受けて冒険をする時にしか顔を合わせ無かったリーゼロッテはとても新鮮に感じられた。アデライードの時は友達を作ることもままならなかった。いや、作ろうともしなかったのである。周囲から見れば極々小さなものかもしれないが自分の中に変化を見つけられ、それがまたどのように変化していくのかリーゼロッテは少し楽しみになった。




