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二十九話


 リーゼロッテはワイルドボアを相手にしている時とは全く違う緊張感に焦っていた。弾いている手元は見ずにアルフレッドの攻撃だけを見て避けることに専念する。猪は避けた後にタイムラグがあって次の攻撃に備えられたが、アルフレッドは避けた後に切り返しが来た。鋭い刃先がひゅっとバイオリンを弾く指を掠める。辛うじて避けられたものの間を置かず突きを顔目掛けて繰り出され、頬に一筋傷が出来る。


 まともに戦って無事で済む相手ではないのにそれでもまだ大きなけがを負っていないのは、無意識のうちにアルフレッドが手加減をしているからだろう。時折躊躇しているのか動きが止まることが有った。

 リックとヴァナルは全力で戦っている。と言ってもヴァナルは傷つけないよう手加減をしているのだが、それを感じさせないほど二人の動きは素早い。仲間同士で戦うのは非常に心が痛んだ。


 ……今、助けてあげるからね。


 曲を弾き終われば二人とも動きが止まる。けれどやはり完全にいつも通りではなく、あくまでリーゼロッテに操られている状態だ。それでもお互いに殺しあう事を止められ、ほっとしてリーゼロッテの目から涙が滲み出てくる。二人に武器を治めるように口頭で指示をすれば素直に従った。


「ごめんね、こんな止め方しかできなくて」


 左手にバイオリンと弓を持ち替えて、リーゼロッテは謝りながらワイルドボアにしたように背伸びをしてアルフレッドの頭を撫でて上げると、無表情なのに嬉しそうにすり寄ってきて―――


「は?え、な、なんで?」


 ぎゅむっと抱きしめられてしまった。リーゼロッテの頭の中は真っ白になる。今までにも熱烈なアデライードのファンにハグをされたことはあるがそれだって単なるサービスの一環でしかない。慣れない異性との接触だが、リーゼロッテは二人を年下の仲間としか思っていないので冷静に状況を把握しようとした。


「もしかして、意識、ある?」


 自分の顔のすぐ横にあるアルフレッドの耳に声を掛けるが返事は無い。何だか自分で操って抱きしめさせているみたいでリーゼロッテは居た堪れない気持ちになった。「放して」と言えばすぐにアルフレッドの体は離れる。心なしか残念そうな表情にも見えた。


「やるじゃない。私の魅了の魔眼を上回る魅了を掛けるなんて、あなたのバイオリン相当なものね」


 いつの間にか女性がティーセットの乗ったカートを引きながら戸口に立っていた。その後ろにムスタがいる。一連のやり取りを見られたのかと気恥ずかしいリーゼロッテは照れ隠しに二人に食って掛かる。


「危うく仲間に殺されるところだったのよ。心配して見に来たのになんて事してくれるの!やっぱり敵でしょう?」

「久々に若い男性ごはんに在りつけると思ったのに。他の女に容易く魅了されるようなごはんなんていらないわ」

「すまない、しっかり言って聞かせるからマスターには黙っていてくれ。カミラ、いい加減にしろ」


 ムスタはリーゼロッテに謝ったが女性はしらーっとした顔でお茶の用意をしている。理知的だと思ったのは気のせいだったのか、口調はたるんだものとなっていた。ヴァナルはムスタを見て軽く威嚇したが、リーゼロッテに危害を加えないとわかると大人しくしている。ムスタが椅子を引いて座るよう促すので大人しく席に着けば、カップに入った紅茶とお菓子が出される。


「遅れて済まない。夜行性なのでいつもこの時間から行動し始めるのだ。……彼女の名前はカミラ。ここに来る前から血の提供者だ」

「よろしく。名前は聞いているからいいわよ、リーゼロッテ」


 窓の外は薄暗くなっている。暖炉や燭台にいつのまにかひとりでにぼうっと灯がともり、ここが普通の場所ではない事をリーゼロッテは改めて確認させられた。


 リックとアルフレッドにはお茶は出さないつもりらしい。リーゼロッテが命令しないと行動できない状態で紅茶を飲めば、火傷やけどしても無反応で危険だからとムスタに止められた。二人はぼーっと立ったままだ。


「二人を元に戻さないのか?」

「それが……今までモンスターを操るばかりで正気に戻したことは無かったから、今から作曲しないと」


 モンスターを操ったらそのまま放っておくか、別のモンスターと戦わせる事ばかりだったから解除の曲を弾いた事は無かった。リーゼロッテの気はいているのだが命の危機だったこともあって、集中できるような状態ではない。先ほどから頭の中で作曲しようとしているのに曲が全く浮かんでこないのだ。


「あらら~仲間の男二人を同時に誑かすなんて可愛い顔して悪い女ね、あなた」

「誑かすなんて、私はただ操っているだけなのに」

「それって魅了とどう違うのかしら?」

「しかも強くかかっているようだ。以前こ奴らに同じ曲を聞かせたことはあるか?」


 リックやアルフレッドの顔を覗き込んだムスタがリーゼロッテに聞く。今までの事を思い返して首を振って否定しようとするが、一番初めに会った頃の記憶にたどり着きはっとする。


「前にモンスターを操った時に近くにいたみたいだから、もしかしたら聞いていたかもしれないわ……」


 リーゼロッテは力なく答える。


「意図せず重ね掛けをしたと言うわけか」

「でも、前に弾いたのは多分秋の終わりよ。こんなに長い間魅了状態だったなんて考えにくいし、態度だってそんなにおかしなところは無かったわ」

「二人がそなたに好意を持っているようなことはなかったか?魅了系の術は心の奥底に留まってしまう事もあると聞く」

「自分が好かれているなんてはっきり分かったら恋愛なんて苦労しないでしょうに、ねえ?」


 仲間にするにあたって不利になる吟遊詩人を入れたのがそのような理由だとしたら。リーゼロッテは不意にそう思ってしまった。

 自分は二人に対してとんでもない事をしていることになる。こんな、ゆっくりお茶を飲んでいる場合ではないと椅子から立ち上がりバイオリンを弾き始めた。


 弾いたのは睡眠状態に効果のある目覚めの曲。弾き終えて二人の様子を見るが意識が戻った様子は無い。ついで操る曲を逆から弾いてみる。同じく効果は出ず。


 五線紙を取り出して作曲をしながらバイオリンを弾いて行く。その間、ムスタとカミラとヴァナルは黙ってその様子を見ている。一言も話さず、リーゼロッテの邪魔をしない様に見守っていた。

 書いては弾き、作っては弾きを繰り返し、二時間ほどが経った。アルフレッドとリックの状態は相変わらずだ。集中力が切れたリーゼロッテは、バイオリンを置いた。


「どうしよう、どうすればいい?解き方なんてわからないよ。」

「魅了を掛けることは出来ても解除の仕方は我々も専門外だからな。スヴェン達に聞いた方が早い。暗いから送っていこう。カミラ、留守を頼む」

「はーい、行ってらっしゃーい」


 元神官だったクレフに頼めばおそらくは状態異常を解くことが出来るだろうと、ムスタはリーゼロッテを慰める。酒場だけではなくギルドの職員とも仲良くなっているムスタに、突っ込む声も上がらない。カンテラを持ち、言葉を話さず無表情の二人をひきつれて森の中を歩く。

 敵の攻撃ではなく自分のバイオリンがもたらした結果に罪悪感を持ちながら、リーゼロッテはフォレスタへと向かった。

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