二十話
目が覚めると硬い床に転がされていた。リーゼロッテはむっくりと起き上がり昨日の晩の事をゆるりと思い出す。
……確か、町長の屋敷に招かれて泊まったのよね。
久々に寝た高級な布団の感触のせいで抗いがたい睡魔に襲われた。天国のような寝心地が一瞬にして硬いものに変わってしまって、もう少し堪能しておけばよかったと後悔する。
白い床に白い壁に白い天井。一面だけ、格子が嵌められていてまるで牢屋のようだった。見えない場所で明かりが付いているらしく、部屋の中は薄暗い。人生で二度目の投獄に、リーゼロッテはちょっぴりやさぐれた気分になる。来ている服は昨夜用意された寝間着のみ。暖かい空気がどこからか流れてきているようだが牢屋の中は寒く、何も履いていない足先は真っ白に冷たくなっていた。
吐く息が白い。このままでは下手したら凍死も有りうると、リーゼロッテは牢屋の中で動き始めた。
手元にバイオリンが無い事に気付いて半狂乱になる。時計も窓もないので時間が分からないが、大人の姿に戻ってしまうのは出来るだけ避けたい。リーゼロッテは大声で叫んだ。
「リック、アルフレッド、ヴァナル、誰かいる?」
叫んだ後に耳を澄ますが何の返事もなかった。それどころか見張りもおらず、どうしてこんな場所に居るのかも分からない。黒幕に目星をつけようと考えるが、心当たりが有りすぎる。継母、アデライードの狂信者、昨日救えなかった人の家族、ムスタ。
取り敢えず誰かを呼ぼうと、リーゼロッテは歌う時の発声法で大声を上げることにした。
両足を肩幅に広げ背筋を伸ばし重心を安定させて、腹式呼吸で頭のてっぺんから声が出るようにして。オペラのホールを想像し、会場いっぱいに響き渡るのを思い出しながら。
……歌うのではなくて、これはあくまで「叫び」よ。
「っあああああああぁぁぁーーーー」
仲間に届くように息の続く限り声を出したが、思ったよりも声が響かない。考えてみれば体は声楽を初めたばかりの十一歳。低音が少しも混じらない高音のみの澄んだ声は、それでも近くの誰かに届く。
男が一人、牢の傍まで来て怒鳴り散らした。いかにも下っ端の、町長の屋敷にはまるでふさわしくないごろつきのようだ。
「馬鹿でかい声出すんじゃねえっ。周りに聞こえたらどうするつもりだ」
「私のバイオリンを今すぐ返して!あれは毎朝私が弾かないととんでもない事になるのよ」
嘘は言ってない。とんでもない事になるのは私の方だけれどとリーゼロッテは心の中で呟く。男は疑わしげに格子に顔を近づけ睨みつけた。
「とんでもない事って何だ。……嘘じゃねえだろうな」
「何が起きてもあなたが責任とれるの?今何時?」
「日が出た少し後だ」
「大変!急いで、早く。どうなってもいいの?」
男は慌てて走り去って行った。待っているだけの時間はとても長く感じられ、リーゼロッテは再び牢屋の中を歩き回った。
時計もなければ日の光がさす窓もない。焦りいらだつ感情から鉄格子を掴んで曲げようとしてみるが、びくともしない。寧ろリーゼロッテの腕が駄目になりそうだった。
「馬鹿みたい」
昨日は助けられなかった人が居たものの誰かのための仕事が出来て一歩進めたと思ったのに、今日はバイオリンが無くては何もできないと無力さを感じて一歩下がっている。目指すものが出来て前へ進みたいのに、足が動いているのかどうかさえもわからない。
寒さと、恐怖と悔しさで、リーゼロッテの目から涙がぽたりとこぼれた。男がバイオリンを持ってこなくて、大人の姿になってしまったらどうなるか。アデライードか?と街中で聞かれた時の事を思い出して身震いする。
―――継母の手の者が思ったよりもそこらじゅうにいるかもしれない。なおさら大人の姿に戻ることは避けなければ。
「おいっ、持って来たぞ!って泣くほどやばいのか?」
格子の一部を開けてバイオリンを持った男が入ってきた。急いで受け取っていつもの曲を引き出すリーゼロッテ。軽やかで明るい曲を男は不審に思ったが、あまりにも真剣に弾いているので口を挟むことが出来ずにいた。
弾き終わり、ふうとため息をついたリーゼロッテは目に安堵の涙を浮かべながら男に向かって礼を言った。
「有難う、あなたのお蔭で救われました」
「ああ……いや、間に合ったんなら良かった。そんな感謝するほどの事じゃねえよ。こっちはお前を閉じ込めてんだからな」
男が牢屋から出ようとすると騒ぎを聞きつけたのか町長がやってきた。昨日と同じ好好爺の顔を張り付けたままで、口調は人を見下すようなもったいぶった言い方に変わっている。
「やはり、そのバイオリンに秘密があるのか。高く売れるものなのだな」
「いいえ、私の作った曲を私がこのバイオリンで奏でることで効果が出るのです。私が作った曲を別の人がこのバイオリンで弾いても効果は出ません。別の人が作った曲を私がこのバイオリンで弾いても効果が出ないんです。私以外には無用の長物なのですよ」
町長はふうむ、と考え込んだ。
「ならばそなたと共にしかるべきところに売れば、相当高く売れるな。例えば戦争をしている国などどうだ?」
リーゼロッテは目を見開いた。町と言う小さい範囲ながらも人を纏める為政者の筈なのに。恩を感じてほしいわけでは無いが、この仕打ちはリーゼロッテの理解の範囲を超えていた。
「町長と言う立場にある方がどうしてそのような非道な事が言えるのですか?」
「町長と言う立場だからこそ、だ。町のために金を稼いで何が悪い?事故が起きたから、けが人が出たから補助金を出せと鉱山の者から言われるだろう。そのための金はどこから出るか知っているかね?」
―――継母と同じタイプの人間だ。大層な名目を掲げながらおそらく自分の懐にねじ込んでいるのだろうとリーゼロッテは戦慄した。身なりも、雇っている人数も、昨日通された客室の状態や出された食事や食器を見ても清貧とは決して言えない。悪人はどこにでもいる。
「税金だ。だがこの町は潤っているとは言い難い。見返りを求めずにたくさんの者を回復させたと噂される聖女様なら、この町のためにも犠牲になってくれるだろう?」
「聖女なんかではありません。ギルドの依頼を受けた上での行動です」
町長はまたふうむと考え、リーゼロッテに疑いのまなざしを向けた。
「昨日の落盤事故の件だが、私は現場に居なかったので効果のほどは疑わしいものだと思っている。先ほどの音色も何も起きなかったように思えるが、目に見える効果が出るものを聞かせてもらえるかね?」
「ええ、分かりました」
リーゼロッテはこれ幸いと子守唄を引き始めた。町長を始め、男たちが次々と眠りについて行く。牢の鍵はまだかかっていない状態で、リーゼロッテは難なく抜け出した。念のためにバイオリンを弾きながら屋敷の中を歩き回るが、ここで最大の問題が持ち上がった。
「出口、どこだったかしら?」
バイオリンをケースにしまい、片っ端からドアを開けたり、窓の外を見たりしながら歩き回っているが出口がどこにも見当たらない。仕方なく一人で寝ている女性を揺り起こして、出口を教えてもらった。
昨日入ってきたのと同じ大きな扉を開けると、リック、アルフレッド、ヴァナル、その他、昨日リーゼロッテが回復させた人たちが武器を持って屋敷に突入しようとしているところだった。最後に息子を失くして泣いていた女性までがつるはしを持って、息巻いている。
目の前に広がる光景に唖然としているリーゼロッテに、二人プラス一匹が駆け寄った。
「リーゼロッテ……無事で良かった」
「なんか変な事されなかったか?どこもけがしてないよな」
「牢屋に入れられてバイオリン取り上げられたの。私のバイオリン、売り飛ばすつもりだったみたい」
それを聞いた者たちが怒気をはらんだ声で町長への不信と不満を口にした。
「なんて奴だ、町長め」
「俺たちの恩人になんてことしてくれたんだ」
「我慢できねえ、町長の奴を縛り上げに行くぞ」
おおーっと掛け声が上がって屋敷の中へ突入していく鉱山の労働者たち。リーゼロッテ達は止めることも出来ず、ただ見送るしかなかった。
「すまなかった。食事に一服盛られて屋敷の外へ放り出されてたんだ」
「メンボクナイ……」
「ギルドや騎士警察に声かけたらあっという間にみんな集まって驚いたのなんのって。流石、団結力半端ねえな」
「町長の家でこんな事されるなんて誰も思わないものね……。私も油断していたわ」
町長は縛り上げられて騎士警察に引き渡された。この地方一帯を治める貴族に報告され、別の者があてがわれるだろうとギルドの支部長から聞かされる。
家にいた時は微塵も感じられなかった貴族と民の関係が、外を巡ることで学ぶことが出来る。土地を治めるには金銭の問題が付きまとう事も。今回は悪いことだったけれども、どこかで良い事も学んでおきたいと思ったリーゼロッテだった。
リーゼロッテも薬を盛られていますが本人は気付いていません。動かされても起きないほど良く寝ていたのは布団のせいだと思っています。




