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十九話


 バイオリンが鳴り始めてから負傷者たちに劇的な変化が起きていたため、現場にいた誰もがリーゼロッテによる治癒だと理解していた。耳の聞こえなかった者の治療を終えたリーゼロッテはバイオリンをしまい、ゆっくりと立ち上がる。


 聖女を崇めるような眼が、化け物を見るような眼が、憎々しげな眼が、羨むような眼が一斉にリーゼロッテへと向けられた。アデライードだった時に様々な視線に晒されてきたリーゼロッテはたじろぐ事は、無い。


 死の恐怖で狂った患者に傷つけられる事の無いよう、傍で見ていたリックの方がぎょっとしてリーゼロッテの腕を引きヴァナルの元へと共に移動しようとする。途中、白衣を着た医師が近づいてきたのでリーゼロッテは足を止めた。


「あなたはこの町のお医者様ですか」

「ああ、そうだ。君の起こした奇跡で用が無くなってしまったがね」


 リーゼロッテはいいえと首を振る。


「一応、診察してしばらく経過を見るようにしてください。もしかしたら見えない部分で回復しきれていない傷があるかもしれません。その……これだけ重症の方々を一度に回復させるのは初めてなので」

「分かった。一人一人細かく診察して、今後の様子を見るのは私たちの仕事だ。皮肉を言ってしまって済まなかった。君は私たちが手遅れだと判断したものまで回復してくれた。礼を言う」


 医者が深々と頭を下げたので、リーゼロッテも後はお願いしますと言って頭を下げた。

 回復した者たちが用意された荷車に乗せられて病院へと運ばれていく。最後に残されたのは、帰る事の出来なかった者たちとその家族。


 リーゼロッテはその場所へ近づこうとしたが、リックとアルフレッドに止められる。


「近づかない方が良い。君は彼女らにとって救えなかったものだから」

「ああ、ひどいことを言われるかもしれない」

「事実でしかないから。覚悟の上よ」


 心配を掛けまいとリーゼロッテは二人に笑い返したが、痛々しく弱々しい微笑で帰って二人は心配になった。ヴァナルも元いた場所から距離を縮める。

 横たえられた遺体は三人。リーゼロッテは恐る恐る一番手前にいた年配の女性に声を掛けた。二人の男性が支えたり背中を擦ったりして気遣っている。


「あの、間に合わなくってごめんなさい。助けられなくてごめんなさい」

「いいんだよ。さっきまでズタボロの体だったのに。こんなに綺麗にしてもらっちまって。死んだとは思えない顔だ」


 本当に、まるで眠っているようだった。作業着は血でぐっしょりと濡れているが顔は青白くも穏やかで、寝息が聞こえてきそうだった。ひとしきり泣いたのか、傍らの女性の顔に涙の跡が残る。

 遺体はこの女性の子供だった。女性の周りにいたのは亡くなった男の兄弟。


「ねえ、もう一度バイオリンを弾いてくれるかい?できればこの子を送る曲を」

「私の父と母を送った曲で良ければ」

「……あんたは両親を亡くしているのかい。いいよ、頼む」


 沈みかけの日が赤く照らす空に、人生で三度目の葬送の曲が吸い込まれていく。どこの誰とも知らない人たちのために奏でるのはこれが初めてだ。


 話をしたのとは別の女性が、リーゼロッテを憎しみの目で見ていた。どうして自分の家族を助けられなかった、耳の聞こえなかったものまで回復させたのに、と怒鳴ろうとしていたが音色を聞いて顔から険が無くなっていく。


 大切な人を失った行き場のない悲しみが浄化される。死者のための曲だが、残された生者のための曲でもあった。


 弾き終えると、丁度遺体を運ぶための荷馬車が到着した。神官も呼ばれていて、不死者として蘇らぬよう祈りの言葉がささげられる。リーゼロッテ達は運ばれるのを見送ってからその場を後にした。


 鉱山から町へと戻る途中、黙っていれば足も雰囲気も気力も重くなっていくのを感じてリーゼロッテはアルフレッドとリックに話しかける。


「あれだけ大勢の重症者を見たのは初めてなの。亡くなる瞬間を直接見たのも小さい時に病死の母様を見て以来だわ。父様の死を知ったのは三か月後だったから、遺体を見ることも出来なかった」


 冒険者なのだから早く慣れないと。そう言ったリーゼロッテに二人は首を振る。


「慣れる事なんてできないよ。冒険の途中で力尽きた人たちを何度か見たことがあるけれど素通りする事なんてとてもできない」

「明日は我が身、だもんな。悲しいから、怖いから、気を引き締めて備えることが出来るんだ。人の死に慣れたら前に進めなくなって終わりだと思った方が良い」


 先輩冒険者たちの言葉に素直になるほどと頷くリーゼロッテ。

 暗くなり始め、街には明かりがぽつぽつと灯されていた。長い期間離れているわけでもないのに急にフォレスタが恋しくなる。


「早く、フォレスタに帰りたい」

「俺も。何だか面倒事に巻き込まれそうな、嫌ァな予感がする。疲れているかもしれないけれど今日中に帰っちまった方が良いかもしれない」

「馬車の伝手が無いかギルドで聞いてみるか」



「病院へ患者を運ぶのにこの近辺のは皆出払っているからな。悪いが明日にならないと目途が立たない」

「そうですか……」

「あれだけの奇跡を起こしたのに何で落ち込んでいるんだ」

「亡くなった人たちもいるのに手放しで喜べませんよ」


 フォレスタに今日中に戻れないと知ったリーゼロッテはしゃべる気力もなく、ギルドでの応対は二人に任せている。ダイクトの支部長は三人をこの町に取り込もうと躍起になった。フォレスタにずっといるなんてもったいない、君らの実力ならもっと高みを目指せるはずだ、鉱山には魔石の影響を受けた強い魔物がいるぞ―――


「俺とこいつは、家がフォレスタなんすよ。リーゼロッテは秋に冒険者を始めたばかりで……」

「お世話になっているバイオリン工房がフォレスタにあるので拠点をフォレスタにと考えています」


 ヴィートに打ち明けてから、リーゼロッテが自分で考えて出した答えだ。着実に実力をつけ、ヴィートと連絡が取れ、何かあれば工房に頼ることが出来る。一足飛びに有名になるには流れの冒険者になった方が近道だが、未熟さを痛感しているリーゼロッテは確実に歩むことを選んだ。


「そうか、残念だ。また何かあったら頼む」



 宿の場所を聞いてギルドの扉を開けると突然声を掛けられ、三人の疲れていた体が一瞬で警戒状態へと変わる。外で待っていたヴァナルを撫でながら好好爺然とした男が立っていた。鉱山街にはふさわしくない、品の良い身なりをしている。傍らには執事がいた。


「もし、落盤事故のけが人をバイオリンで治したのはあなたですかな」

「ええ、確かに私ですが」


 リーゼロッテが答えた。バイオリンを持ってギルドから出てきた以上、誤魔化すことが出来ない。


「でしたらお連れの方も我が家へおいで下さい。ダイクトの恩人を是非ともおもてなしさせて下さい」

「あの、疲れているので寝床が有ればそれでいいのですが……」

「それでしたらなおさらです。特に女性は治安の悪い宿屋を引き当てたくはないでしょう?あそこに見える屋敷ですのでご案内いたしますよ」


 リーゼロッテはアルフレッドとリックを見た。信用していいものかどうか迷う所だ。リックは肩を竦め、アルフレッドは代表として男の名を聞いた。


「あの、お名前を聞かせていただけますか?」

「これは失礼しました。この町の町長をさせていただいております、マルカンドと申します」


 役職についているものならばおそらく問題ないと、三人は顔を見合わせて頷いた。お願いしますと頭を下げ一行は歩き始めた。

 町長の屋敷は町の中でもひときわ大きな建物で、とても目立つ外観だった。


 ヴァナルは別の場所へと案内され、同じようにリックとアルフレッドも別の部屋へと案内されていく。まるで迷路のような広い屋敷の中を、最後に一人になったリーゼロッテはメイドの後について歩いた。疲れていることをあらかじめ伝えてあったので部屋で軽い食事をとらせてもらい、湯あみや着替えなど家にいた時のようにこまごまとしたことまで世話が焼かれる。

 何一つ疑問に思わずに寝る前の白湯を一杯もらって、リーゼロッテはふかふかの布団に身を沈めた。


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