十五話
吹雪が収まった翌朝のフォレスタは誰もが日常を取り戻そうとしていた。貯蔵庫が開放されて粥が振る舞われたり、八日分の雪かきをしたり。朝早く商人が町を出て行ったので周辺の村や町にも情報が伝わり、流通も再開される。
リーゼロッテは午前中宿の雪かきを手伝い、約束通り午後になってから酒場へ向かった。どんな話をされるのか分からなかったので、念のためにバイオリンを持っていく。街中には雪かきをする人がたくさんいたが吹雪の風が強かったのでそれほど積もることは無かったようだ。
「やあリーゼロッテ、いらっしゃい、中へ入って。ルディ、アイク、後は頼んだ」
「ずるいっすよマスター。リーゼロッテちゃん、変な事されそうになったら大声で叫ぶんだよ」
店周辺の雪かきを続ける二人にうるさいぞと叫びながら、ヴィートはリーゼロッテを店の中に誘った。厨房から紅茶を二人分入れて持って来ると、二人でカウンターに並んで座る。
「ごめんね、ミルクもレモンも切らしていて」
「いえ、私ストレートでも平気なんで」
冷え切った体にじんわりと染み込んでいく。リーゼロッテは自宅に居た頃に飲んでいた茶葉と同じ、王室御用達だと継母が豪語していた質の高い物であることに気が付いた。紅茶を出す機会の少ない酒場のマスターがここまでこだわるものだろうかとふと疑問に思う。
「さてと……どこから話したものかな……」
いつもよく口が回らうヴィートが言い淀むのは珍しいと思いながら、リーゼロッテは言葉を待っている。カップを両手で持ち、こっそりと横目で盗み見をする。足を組んで座り顎に手を当て、悩む姿も様になっているなあ、と密かに見とれながら。
やがて顔を上げて真剣な眼差しでリーゼロッテを見る。
「単刀直入に聞くよ。君、アデライードだろ」
思いもよらぬ言葉にリーゼロッテは目を見開いた。築き上げていた吟遊詩人としての自分が音を立てて崩れ落ちていく気がする。かすれる声を絞り出すようにしてやっとでたのは疑問を投げかける言葉。
「どうして……?」
「昔、歌を聞きに行ったことがある。ムスタに写真も見せてもらって確信が持てた。化粧もしていたし表情もなかったけれど大きくなった時の君と同じ顔だ」
確信を持ってしまっているヴィートの答えに誤魔化し切れないとリーゼロッテは項垂れた。冷や水を浴びせられたように思考が凍りつく。自分はあの奈落に呼び戻されてしまうのか。
「リーゼロッテと言うのは偽名かい?」
「違います。リーゼロッテが本名です。家にはもう、呼んでくれる人がいなくなったので逃げ出しました」
「詳しく聞かせてくれる?」
こくんと頷きリーゼロッテは素直にすべてを話した。味方になってくれると言った、昨日のヴィートの言葉に一縷の望みをかけて。
母が死んで継母が来た時からのこと、望んでもいないのに歌姫として稼いでいた事、父が馬車で死んだこと、葬式にすら出させてもらえなかったこと。日常のあらゆることを束縛され、歌姫として酷使され続けてきたこと。いっそ声が出なくなることを願ったのだが継母の管理は徹底していて、それすらも許されなかった。
そして、ベクレムト伯と結婚させられそうになった事。
「先が長くなさそうなお年寄りに嫁いで、遺産をもらったら次から次へと嫁がせるつもりだったようです。歌の練習や公演で貴族として周りと繋がりを持つことも出来ず、逃げ出すしか方法が……」
「曲がりなりにも伯爵令嬢だったわけだ。それなりの土地を所有しているのに民の事は考えなかったのかい?」
責められるように聞かれてリーゼロッテは泣きそうになる。飲み終わって温もりが残っているカップに話しかけるように言葉を紡いでいく。
「少し前に、考えたことがあるんですよ。楽器職人の工房にお邪魔した時に税金を使って生活をしていたのにいざとなったら逃げだすのかって、見習の子から聞かれて。でも……」
リーゼロッテはカップから手を放し自分の両手を見た。小さな手だけれども、弦を抑える左手の指は皮が硬くなってきた。確実に成長している証拠。図星を指されて喚き散らしたあの時とは違い、今なら冷静に考えて答えられる。
「歌姫として活動する時間があまりにも多すぎて、貴族が学ぶようなことや、周囲の貴族と繋がりを持つようなことは継母と義妹がやっていて私が付け入るすきなんてありませんでした。せめて屋敷の者たちと仲が良ければ、祖父の代から仕事をしている者たちに学ぶことも出来たのかもしれませんけれど」
毎日接していた屋敷の者たちからも父の死を知らされなかったと聞いてヴィートは驚いた。今のリーゼロッテから察するに、横暴なお嬢様だったとは到底思えない。継母に弱みを握られていたり、きっと何か理由が有ったのだろうと察しを付ける。味方が一人もいなかったリーゼロッテの苦しみも理解した。
リーゼロッテは言い訳にしかならないかもしれないけれど、と前置きして続ける。
「自分で稼げるようになって分かったことなのですけど、税金を納める民にとっては上が挿げ替えられても生活は大して変わらないんですね」
「君の継母は、自分が苦しくても税を上げたりはしない有能な夫人だったと?」
「それは……」
もしかしたらアデライードがいなくなった事によっておこる損害の為に税金を上げているかもしれない。継母なら民から搾取できるぎりぎりのところまでやりかねないと、リーゼロッテの顔は蒼白になった。
「まあ、君がいようがいまいが継母は遅からずそうしていたと思うけど。話を聞く限りでも贅沢三昧だったんだろう?」
「ええ、例えばこの紅茶の茶葉と同じものを王室御用達だと言って好んで飲んでいました。ワインもたくさん集めていたし、ドレスも化粧品も宝飾品も、次から次へと買いあさってました」
「そうなんだ」
ヴィートの目が泳いでいる。何かおかしなことを言っただろうかと首をひねるが……自分も同じように暮らしていたことにたどり着いて慌てふためいた。
「確かに私も贅沢の恩恵に与っていたのかもしれないですけれど自分で選ぶなんてことは全くできなかったし、ほとんど正気を失っていたような状態ですから、って本当に言い訳にしかならないんですけれど」
「必要以上の物を望まないのは冒険者になってからのお金の使い方で分かるよ、大丈夫」
しばらく無言の時が続く。ヴィートは考え込んでいる。リーゼロッテは今までな話に失言が無かったかと思い返す。ここでヴィートに周囲に知らされてしまったら、呑気に吟遊詩人なんてやっていられない事は目に見えている。直接ではなくとも継母にまで情報は届き、連れ戻される未来は確実だ。
ヴィートの機嫌を損ねない様にしようとびくびくしながら次の言葉を待つリーゼロッテ。冷めてしまったカップに紅茶を注ごうとポットに手を伸ばした時だった。
「もしも、継母を排除してアビッソの屋敷に戻れるとしたら、君は伯爵令嬢として……いや、父親の跡を継いで女伯爵としてやっていくつもりはある?」
慌てて手を引っ込め、ヴィートの問いをかみ砕く。何となく描いていた未来は吟遊詩人か歌姫のどちらかしかなかったリーゼロッテは、意味を理解して目から鱗が落ちた。
「考えもしませんでした。これからしばらくは吟遊詩人としてやっていって、その……誰かと結婚したりするのかなって未来を描いてましたから。継母は誰かに弾劾されて身を滅ぼすと思っていましたし。それに、私にはそんな能力が無いし」
「今まで学べなかったら優秀な教師を雇えばいい。支えてくれる、部下を雇えばいい。やって行けそうな条件がそろったとして、君は吟遊詩人と伯爵のどちらを選ぶ?」
今度はリーゼロッテが考える番だった。第三の道は、自分が好きな物、好きな事を手放す必要もない。民を見捨ててしまったと言う、吟遊詩人を続けていく上で絶対に纏わり付く後ろめたさもない。それから―――
「この姿……母が亡くなった時と同じ年齢の姿なんです。あの時から自分の時間を奪われた気がして、やり直したいと思ったんです。自分の足で立って、学んで、バイオリンを弾いて。でもそれでは父から受け継ぐ物が入っていない」
伴侶を失いながらも自分を育ててくれた父。葬式にも出ることが出来ず、爵位を継ぐことも出来ず、孝行らしきことも出来なかった。
屋敷を飛び出し外の世界を学ぶことが出来て成長した心でリーゼロッテは考えて答えを出した。強い意志を宿した瞳でヴィートの問いに答える。
「出来るものならあの屋敷に戻りたいです。たとえ私自身が領地を治めるのに向いていなかったとしても結婚して旦那様に引き継いでもらって。逃げっぱなしではなくて自分が納得できるような形を取りたい」
ヴィートがふっと顔の力を抜いて笑みを浮かべると、リーゼロッテは先ほどまで感じていたものとは別の動悸が高鳴った。
「良かった。その答えを聞きたかった。時間はかなりかかるけれど裏から手を回すことは出来なくはない。俺に任せてもらえるかな?」
「任せる……って、何をどうやって?」
酒場のマスターが一体どうやって裏から手を回すのだろうとリーゼロッテは不思議に思った。疑わしげな眼差しにヴィートはたじたじとなる。
「ま、まあそう言う伝手が有って、リーゼロッテは安心して任せてくれればそれでいいよ」
「でも、せっかく決心したので私にも何かできることがあれば何でも言ってください」
「そうだな、アデライードを越える様なリーゼロッテになればいい。吟遊詩人としても名を上げておけば最後の決めの時に動きやすくなると思うから」
なるほど、とリーゼロッテは頷く。暫くは吟遊詩人のまま活動を続けることには変わりない。有名になってしまったら困ると言う歯止めは亡くなったので、いろいろな依頼を受けることになりそうだ。
「よしっ、話はこれで終わり。あ、しばらくしたら店を何日か休むことになるけれどお金の方大丈夫?」
「大丈夫です。吟遊詩人として頑張りますので」
店の外までリーゼロッテを見送った後、雪かきをしていたルディとアイクと一緒にヴィートは店の中へ戻ってきた。
「身分は明かしたんですか?」
「いや、言えなかった。彼女の態度が変わるのが怖かったし」
「こういう事はサッサと言ってしまわないと後々まで苦しむことになると思うんですけどね」
「言ってしまえば俺が伯爵の座を狙っていることになってしまうだろ」
ルディとアイクは顔を見合わせた。
「はあ?念願の土地持ち貴族になるために動いたんじゃないんですか」
「リーゼロッテが心置きなく大人の姿に戻れるようにしたいだけだ。あ、でも伯爵の仕事を教える教師が必要だと言っていたからな。俺たちも彼女の元へ行くつもりだが、ルディは残るのか?」
「酒場の店員やるために側近になったわけじゃないんですよ、とっととまともな仕事させろバカ王子」
「諦めろ、ルディ。殿下が彼女と結婚できれば俺たちの立場は伯爵に仕えるのと大して変わらなくなる」
アイクの言葉に目が据わっていたルディの顔が明るくなる。
「そうか、そう言う道もあるか。殿下、とっとと彼女を誑し込んでください」
「お前ら、もう少し立場ってものをわきまえろ。全く調子いいな」
王族とは言え、上に六人も兄がいるヴィートは子爵と言う爵位はもらったものの領地はもらえなかった。 城の調理場を遊び場にしていたため料理が得意になり、スヴェン達がいるこの町に店を出すことになったがそれもあくまで勉強のためだった。
これから王都の城に戻って国王と面会し、トニカ領の侯爵から伯爵家へと圧力を掛けたり情報を得たりと忙しくなる。
うまく行けば領地と今よりも高い爵位と嫁が手に入るけれども、最終的な目的はリーゼロッテを大人の姿に戻すこと。どうせ七番目なんて毒にも薬にもならない身分だから、使うのに必要な時を見極めようと思うヴィートだった。




