十四話
リーゼロッテがドアを開けると凄まじい風と共にのっそりと入ってきたのは大きな……
「くまっっ!?おかみさん逃げてっ」
「違うっ、俺だ。スヴェンだ」
雪まみれになったスヴェンだった。いろいろ着込んでいつもより図体が大きく見え、まるでクマのようだ。肩や袖の雪を払い、がっしりとリーゼロッテの両肩を掴むといつになくまじめな顔で話しかける。
「リーゼロッテ、街中でのバイオリン演奏の許可が下りた。フォレスタ支部長としての緊急依頼だ。この吹雪を止めてほしい」
リーゼロッテは悲鳴を上げた。
「幾らなんでも天候の変化なんてやったことありませんよ。そこまで万能じゃないです」
「そうだよ、こんな小さい子が外でたら風で飛ばされちまうよ」
おかみさんも援護をしてくれる。どう考えたって無謀な依頼に、それでもスヴェンは食い下がった。
「やったことが無いのならやってみる価値はあるだろう?俺も一緒に外に出て、やばそうになったら連れて帰るから大丈夫だ」
「無理、無理ですって。吹雪の中でバイオリン弾くとか指が動くわけないじゃないですか」
バイオリンが駄目になってしまう事も考えられる。スヴェンが腕を組んでしばらく考え込んだ後、ちらりと意味ありげな視線をリーゼロッテに向けた。
「な、何ですか?」
「そう言えば、ヴィートが歌が聞こえるとか言ってたな……」
スヴェンがぽそりと呟くとリーゼロッテの顔は真っ青になった。
「や、やります!やらせて下さい!マスター死んじゃだめぇっ」
二階へどたどたと上がっていきバイオリンを持って降りてきた。そのまま扉へ突進しようとするリーゼロッテをおかみさんが止める。
「待ってな、今、外に出るってならもう少し着込んだ方が良い」
扉から出た途端に踏ん張っても足元から風に持ってかれそうになるので、とりあえず宿屋の壁を背にして立った。スヴェンはリーゼロッテの風上に立ち、壁になっている。
辛うじて指と腕が動く程度にもこもこと着ぶくれしたリーゼロッテ。弦を抑える指先が悴んで動かしにくい。雪交じりの風が目もあけるほどに顔に叩きつけられ、口元を覆うマフラーが無ければ呼吸もままならない。そのマフラーでさえ風に持って行かれそうになる。
湿気を含んでバイオリンが駄目になったらスヴェンに弁償してもらおうと密かに敵意さえ抱きながら、それでもリーゼロッテはヴィートのためだとバイオリンを奏で始めた。
まず最初に春の訪れを喜ぶ、小鳥のさえずりや草木の息吹を感じられる明るい曲を選んだ。吹きすさぶ風の音で耳元でなっているはずのバイオリンの音がはるか遠くに聞こえる。自分が作曲したものでも効果がどのように出るのか分からないので、回復などの効果が表れていないものを手当たり次第に弾いて行くしかない。一番効果が有りそうなものを選んだが吹雪を収まる気配を見せない。
次に火や火山をイメージした曲を弾いてみた。吹雪と正反対の曲ならもしかしたら効果が出るかもしれないと期待したがそれもダメ。弾き終えても風雪が収まることは無く、靴下を重ねばきしている足の指先の感覚もなくなってきている。
これでダメだったら一度宿に戻ろうと、先ほど書き上げたばかりの雪のセイレーンを奏で始めた。一音奏でるごとに風は徐々に弱まり雪雲が少しずつ晴れていく。曲が終わるころには月の光が差し込み、通常は朝にしか見えないダイヤモンドダストまで見えた。美しい雪の表情に隣に居たスヴェンがため息を上げる。
「やっぱりすごいな、お前の曲は。町長に知らせてくる」
スヴェンがザクザクと音を立てて走っていくその姿を見送っているリーゼロッテ。自分の曲にここまで効果があるのがかなり怖くなって立ち尽くしていると、まるで雪が降る様にひらひらと美しい女性が舞い降りてくる。
伝説の通り、白い肌に白い髪。薄衣を纏い、男性が惑わされるのも分かるほどの美人だ。どことなくシエラに似ているので、スヴェンがこの場に残っていなくて良かったとリーゼロッテは思った。
「素敵な曲だったわ。あなたが作ったの?」
鈴を転がすような綺麗な声がリーゼロッテに尋ねる。
「はい、そうです。あの、あなたは雪のセイレーンですか?」
「昔の話だけどそのように伝わっているのね。私は歌っていただけなのに惑わされてしまったあの人が悪いのよ……正しくは雪の精霊よ」
伝説は語り継がれるうちに歪められていく。きっと誰かが精霊とセイレーンを聞き間違えたのだろう。
先ほどから話をしていても魔物を相手にしているような嫌な感じはしない。それどころかこの精霊が吹雪を起こしていたとは信じられないほどの穏やかな気配。
「ずっと吹雪が続いて困ってました。何か理由が有るなら教えて頂けますか」
「ごめんなさい。この所、南の方から嫌な気配ばかりするから少し気が立っていたみたい。……安心してちょうだい。あなたの曲のお蔭で収まったわ。お礼をしなくてはね」
そう言うと精霊はリーゼロッテの頭上に手をかざす。光とも氷とも区別のつかない小さな粒が、足元から頭のてっぺんまでキラキラと舞っていく。
「才あるものに精霊の加護を。きっとあなたの助けとなるわ」
時々曲を聞かせてね、と笑い精霊は雪が解けるようにふっといなくなってしまった。
まるで夢を見ているような心持だったリーゼロッテははっと我に返り、酒場の方へと駆けていく。あちこちの戸口から町の人々が外の様子を見に出てきた。それを横目に見ながら、バイオリンを持ったまま雪に沈み込む足を動かす。
丁度酒場からヴィートが出て夜空を見上げている。着ぶくれをしたリーゼロッテが転がるように一生懸命走っているのに気付いてほっこりと笑みを浮かべる。
「ああ、リーゼロッテ。ひさしぶりぃっ!?」
ヴィートに抱き着いたつもりのリーゼロッテ。両手がふさがっているので頭突きや体当たりをしているようだ。たたらを踏みながらもしっかりと受け止めたヴィートは、躓いたのかと思いリーゼロッテをしっかりと立たせた。
「マスター、無事ですねっ。セイレーンの声が聞こえるからって行ったらだめですよ」
「えーっと何の話かな?」
「支部長が言ってました。マスターが歌声が聞こえるって言っていたと。あんなに綺麗な人が相手では私なんて到底引き留める自身が有りません」
抱き着いたのに引きはがされてしまったリーゼロッテは、照れ隠しに必死でまくしたてた。走ってきたこともあって息は切れ、顔は真っ赤になっている。
「話から察するに、セイレーンと会ったの?バイオリンを持っているという事はこの吹雪を止めたのももしかして君が?」
「その通りです。えっとセイレーンではなくて精霊だったのですけど。吹雪まで止めるなんて私の方が化け物みたいですよね」
リーゼロッテはしょんぼりとする。際限なしにどこまでも広がっていく曲の効果に自分自身がついて行けない。正しく使わないと副作用のような物も出てくるかもしれないと不安が過る。
ヴィートはそんな不安を吹き飛ばすように笑顔で励ました。
「そんなことないって、これでみんなも助かるし。大丈夫、誰かに変なことを言われても俺が味方になるよ」
普通なら何の変哲もない励ましの言葉なのにヴィートが言っただけでリーゼロッテには救いの言葉となった。それだけで吹雪が止められてよかったと思ってしまう程に。
ヴィートが無事だったと安心し、急に眠気が襲ってきて目蓋が重くなってきた。リーゼロッテはいつもなら寝ている時間だ。このままでは吹雪を止めたのに帰り道で寝てしまい凍死しかねないと、苦笑しながら宿に送ると言うヴィート。リーゼロッテは言葉に甘えることにした。
宿ではおかみさんがリーゼロッテの帰りを待っていた。ヴィートは別れ際、思い出したようにねぎらいの言葉を掛ける。
「お疲れ様。吹雪の中バイオリンを弾くなんて大変だっただろう?明日、話があるんだけどいいかな?できれば昼過ぎに来てもらいたいんだけど」
「はい、わかりました。おやすみなさい」




