十一話
演奏の為に酒場に入ったことは既に何度かあったが、客として来るのは初めてのリーゼロッテ。シエラとスヴェンに続いて入ると、ヴィートが声を掛けてきた。
「あれ、今日は客としてきたのか。珍しいな」
「ギルドから直行なのでどっちにしろバイオリンは持っているんですけどね」
店の中は暖かく、凍るように冷たい指先が溶け出していくようだった。コートの雪を払って脱ぎ、椅子の背もたれにかける。いつもカウンターを占領している女性客達がいなかったので並んで座った。夕食がまだなのでそれぞれ料理とドリンクを注文すると、ヴィートが厨房へと入り、別の店員がカウンターへ残る。リーゼロッテは意外に思ってドリンクを出した店員に聞いた。
「マスターも料理するんですか」
「ああ、今は客が少ないからな。料理するのが大好きで元々はそういったお店を開くつもりだったらしいよ」
それを聞いていたスヴェンも「そう言えば、店を出す時にもめていたな」と答えた。レストランのような物を出すつもりだったらしいが、似たような店がすでにこの町にあったので諦めたらしい。
なかなか思うようにはいかないわね、とシエラも頷いた。
「好き」を一番ではなくて補助とする考え方にはっとさせられたリーゼロッテ。完全に諦めるのではなく、「好き」なことも出来るようにする状態。
「私も少し方向転換をした方が良いですか?あの、吟遊詩人の事なんですけど」
ランクの低い楽な仕事だけではやって行けない。別の町へ行けば酒場のよう定期的に稼げる依頼が来ることも無い。パーティーを組んでの戦闘は向かない事が分かり、詩を書くことも恋文の件で懲りた。
バイオリンが弾きたいのだが、冒険者を諦めて楽師と言う道を選んでしまえば嫌でも貴族との接点が出来てしまう。楽団に入るのも同じような事だ。
「この前の揺蕩う城が原因か?あれは俺が油断してたのも悪い。リーゼロッテがいるから無理そうな戦闘は避けるべきだった」
「でもあの状態から反撃できれば城の主だって倒せたかもしれないでしょう?バイオリンで殴ることも少しだけ考えてしまったんですよ。だけどそれでは楽器が壊れてしまうし大してダメージを―――」
そこまで言ってからリーゼロッテはあることを思い付いてしまった。ポンと手を打って名案とばかりに自分の考えに目を輝かせる。
「バイオリンか弓に刃物を仕込めば反撃できたかもしれませんね。今度バイオリン職人のニコロさんに相談してみようかな」
「リーゼロッテ、それだと吟遊詩人ではなくてまるで暗殺者だ。止めておけ」
「アサシン……」
確か殺し屋みたいな意味だったはずだとリーゼロッテは脳内でその単語の意味を引き出す。吟遊詩人は世を忍ぶ仮の姿、本当は凄腕の―――
その姿を想像しおお、と感嘆の声を上げリーゼロッテは身を震わせながら何度も頷いた。
「なんかそれカッコいいですね。そうか、それなら一人でも活動できるかな」
「ちょっと、スヴェン!変なことこの子に吹き込まないで」
自分の妹分をそんな道へ進ませるわけには行かないとシエラが悲鳴を上げた。スヴェンを名前で呼んでいることも自分の事をこの子と言っている事にもリーゼロッテは気付く。以前は酒場でも支部長と呼んでいたのに完全なオフ状態になっているのだろう。この短期間でそこまで身内のように思ってくれたことが何だかくすぐったかった。
「俺が悪いのか?ちゃんと止めたぞ。リーゼロッテ、まともに戦えないから吟遊詩人を選んだんだろう?戦えない人間がアサシンになれるわけない。本末転倒だ」
「はい、そうでした。ごめんなさい」
もともと運動が得意では無い上に、腹筋など歌うのに必要な筋肉しか鍛えて来なかった。殺し屋ともなればどれだけの運動神経が必要なのかリーゼロッテには分からない。喧嘩する二人を見たくない事もあって素直に謝った。
話が途切れたところに丁度ヴィートが料理を運んできた。
「ほい、おまたせー。リーゼロッテのパスタはトマト多めにしてあるぞ。トマト、好きだろ?」
「……好き」
好物を前にしてリーゼロッテはとろけそうな笑顔で頷いた。好きなものがどんどん増えていく幸せをかみしめる。周囲の者たちもこの町に来たばかりの頃よりも段々と豊かになっていくリーゼロッテの表情を皆温かく見守っている。
「どうして知っているんですか?」
「今まで注文したの見事にトマト系の料理ばかりだからな。よっぽど好きなんだなーって」
ほんの些細な事なのにちゃんと見ていてもらえた事がすごく嬉しくてリーゼロッテは一層破顔したが、横から聞こえてきた男の声に表情が一瞬にして消える。
「なるほど……そうやってマスターは見境なく女性を誑し込むわけか」
いつの間にかリーゼロッテの隣に座っていたのは、蝙蝠となって消えた城の主だった。スヴェンが一瞬で席を立ち主の首元に刃物を突きつける。シエラも反応してリーゼロッテと城の主との間に魔法壁を張った。
「お前がなぜここに居る」
「仕方あるまい?そなたらが執事もメイドも城の住人達もすべて消してしまったからここへ食事をしに来るしかなくなったのだ。上質な酒も置いてあるし、料理もうまいからな」
スヴェンが顔だけ動かしてヴィートを見ると、頷きながら答える。
「ここ最近毎日来てるが揉め事は起こされてない。スヴェン、種族が違えども俺の店の客だ。物騒なモンはしまってくれ……注文は?」
「彼女と同じものを」
スヴェンが刃物を収めたのを確認してからヴィートは厨房へ戻っていった。リーゼロッテのフォークを持つ手がカタカタと震えている。殺される可能性、歌姫だと皆にばれる可能性、連れ戻される可能性、歌う事を強要される可能性。自分が弱いと自覚しているリーゼロッテは、震えながらも頭をフル回転させて一番避けたい事を導き出していた。
最悪なのは城の主に、自分がアデライードだとばれる事。それさえ乗り切れば、悪い方へ進む可能性がいくらか減るはずだ。いざとなったらフォークで反撃しようとフォークを握りしめて手が震えないようにする。
「リーゼロッテ、場所を移動しましょうか」
「彼女と話をしたいのだ。宿に押し掛けるより誰かいる場所の方が良いだろう?」
見かねたシエラが席を移動しようと提案したが城の主に拒否されてしまった。自分が殺そうとしていたことなどなかったかのように、ごく自然にリーゼロッテに話しかけてくる。
「今はリーゼロッテと名乗っているのか」
城の主の問いかけにぴくりと反応するが、リーゼロッテの口は開かない。
「そう身構えるのは止めてほしい。ここへ来ている以上は何かするつもりは無い。この前は気付かなくて悪かった。」
「生まれてから今までずっと私はリーゼロッテですが。ギルドにも登録してあるのでご確認ください」
アデライードはもともと継母の舞台での名前だ。あれだけ嫌だった名前が、今は身を守る手段になっている。もしかしたら継母もそうだったのかもしれない可能性が頭を掠めるが、それでも家に戻るつもりにはなれない。
スヴェンとシエラは静かに二人の話を聞きながら食事をしている。
「私の名前を憶えているか?黒いバラと共にカードに書いたはずだが」
「人違いではありませんか?そんなものもらった覚えが有りませんが」
「……忘れているだけかもしれんな。私の名前はムスタ。どうだ、思い出したか?」
「全く覚えが有りませんね」
実は正真正銘忘れていただけなのだが。警備の者が殺されたという事でカードはちらりと見ただけで騎士警察に没収されてしまったので、覚える事も無く手元から離れてしまった。
「しかしバイオリンで曲を弾いていただろう。あれはアデライードの歌だ」
「以前音楽を聞きに行った時に覚えていたものを弾いただけです。確かアデライードは金髪だし背も私より高い筈でしょう?」
少しずつ警戒心が解け、いきなり襲われることが無いとわかってフォークを持ち直した。話はこれで終わりとばかりに、平静を装ってリーゼロッテは食事を始める。緊張と恐怖で大好きなはずのトマトパスタの味が分からない。けれどこの感覚は歌姫だったころに味わっていたものだ。皮肉にも懐かしさを感じて自分を落ち着かせる要因となってしまい、その事が口元に笑みさえ作る。
ムスタは片眉を上げてリーゼロッテの様子を見ている。楽屋で間近に見たとはいえ、舞台用の濃い化粧の上に表情が乏しい状態だったのだ。城で曲を聞いた時に感じた確信が段々と揺らいでいく。
「吟遊詩人なのに歌わないのか?」
「バイオリンは顎に当てるので歌うのが難しいんです」
それでもどうにかしてアデライードだと突き止めたいのか、食事中だと言うのにしつこく聞いてくる。
「だったらなぜギターやハープなどを選ばなかった?」
「体が小さいので。それにバイオリニストだった母から受け継いだものなので手放したくなかったんです」
「アデライードの母親は確か同じ歌姫のはずだ。本当に違うのか?」
「ですから何度も言っているでしょう」
やっと食事に専念できるといった風にリーゼロッテは食べ始める。ヴィートが厨房から料理を運んできた。大人の姿を見られているヴィートに聞かれたら、そこからばれる可能性もあったのだとリーゼロッテは冷や汗をかく。どうかこれ以上追及しないように願うと、最後に力技を使ってきた。
「この町の住人にアンデッドを出したくなければ、歌ってみろ」
「お客さーん、そういう事をおっしゃるなら出入り禁止にしますよー」
「む、それは困るな。分かった、諦めよう」
ヴィートが笑顔で文句を言うと、今までしつこくリーゼロッテに訪ねてきたのが嘘のように黙々と食べ始めた。同じものを食べているのに真っ赤な食材が血のように見えるのでリーゼロッテは目を反らす。……トマトが少しだけ嫌いになった。
「すごい、マスターってば最強ですね。吸血鬼を黙らせてしまうなんて」
尊敬のまなざしでリーゼロッテが見ると、ヴィートはあははと笑って返す。
「吸血鬼を相手に堂々と話をしているリーゼロッテも十分すごいよ。しかも殺されかけたんだって?」
「冒険者だからもっと覚悟しなければいけないんですけどね。あの、いつもここに座っている女の人達、もしかして……」
リーゼロッテが言葉を濁して城の主を見る。シエラとスヴェンとマスターまで。くるくるとフォークに巻いたパスタを口に入れようとしていた城の主は疑惑の視線に気づき、眉をしかめた。
「私は殺してなどいない。そんな目で見るな。ここに通えるうちはこの町に手は出さん」
「さっき、脅しをかけていたのは誰ですか。……大丈夫、一人は雪が深くなる前に嫁に行った。一人は風邪ひいた。一人は旦那が連れて帰った。みんな無事だよ」
「そうなんですか」
段々と状況に慣れていき、マスターの目が届いているうちは変な事はされないだろうとリーゼロッテも食事を再開する。トマトの酸味も段々と感じられるようになってきた。
食べ終えたリーゼロッテはサッサと城の主から離れ、スヴェンとシエラに話しかけた。
「あの人に変な事される前に先に帰ってもいいですか?」
「ああ、送って行かなくても大丈夫か」
「ええ、マスターお勘定お願いします」
やり取りを聞きながらムスタが嘆息する。
「何もしないと言っているだろう、しつこいな……」
しつこいのはそっちでしょうと内心思いながら、リーゼロッテは店を後にした。追及されることは、もうおそらく無いだろう。
リーゼロッテが店を出た後、スヴェンとシエラはそろってお酒を注文する。酒の肴……もとい、話題はリーゼロッテに関しての事だ。
「命張っているとはいえ冒険者なんだからもう少し気楽に構えてりゃいいのになぁ。初心者であれだけできる奴なんていないってのに」
「全くだ。あれだけのアンデッドを短時間で掃討されるなんて思いもしなかった。おかげで一人ぼっちの城に帰らねばならん。マスター、支払いを」
哀愁の漂う背中を見せながらムスタが帰っていくが、誰一人として見送るものはいない。シエラは会話を続ける。
「大体の冒険者はゆくゆくは名を上げて身分が上の者に取り立てられたり、もう少し夢を見たりするものなのですけれどそれもなさそうですし……女の子はお嫁に行くことも有りますからね」
そう言ってシエラは狩りをしている時のような鋭い目でヴィートを見た。
「好きとか言わせてましたね」
「ああ、そうだな。料理の事とは言え意図的に感じた。シエラもか」
「なんか、やらしいですね」
「前にリーゼロッテがここに泊まっただろ。なんかあったんじゃないかと思うんだが」
「責任取らせないといけませんよね」
シエラとスヴェンの口撃にヴィートはたじろいだ。商売柄、口はまわる方だが経験やら年齢ではどうしても二人に勝てない。
「イヤ二人が想像しているようなことは何もありませんって。それに恋愛方面って事なら俺もあの子も事情を抱えているからすんなりとは―――」
「事情ってなあに?」
シエラが笑顔で絡む。美人な分余計に迫力があるが、口を滑らせるわけには行かない。リーゼロッテの必死な様子を思い出しながら、ヴィートは弁明を続ける。
「あの子の事情はあの子に聞いて下さい。俺の事情はお二人とも知っているでしょう?」
ヴィートは、とある家の七男だ。家を継ぐことは愚か、分け与えられる領地もそれに追随する爵位も財産も役職もない。子供の頃に冒険者だった頃の二人に助けられ、事情は知られている。
いくら初心者に優しいギルドとはいえここまで面倒を見るものではないのだが、リーゼロッテの見た目が幼い事や素直で世間ずれしていない所、シエラは自分を褒め称える詩を読んでしまった事から無碍に扱う事が出来ないでいた。
二人はため息をついた。音楽と言う、冒険者をやっていかなくても稼げる手段を持っているならば、危険と隣り合わせのこんな仕事を選ばない方が良いのは分かっている。しかし効果付の音楽を奏でることが出来ると言う、ある意味下手な魔法よりも使える手段を持っているリーゼロッテは冒険者向きだとも言えた。
「本人が最終的に何を望むかによるわね」
「結局のところはそれなんだよなぁ」
「……幸せになってほしいのだけれど……」
シエラはそう言って接客に戻ったヴィートを見た。リーゼロッテがヴィートにうっすらと好意を持っているのは分かるのだが、ヴィートの気持ちがどこへ向かっているのかシエラ達には分からない。
それぞれが様々な思いを抱えながら夜は更けていく。




