燃え上がれ火曜日 ver1.0 ~Lever Up Hold Up~
芝生の上でする腹筋は、いつもより効果的に思えた。ごめん嘘をついてしまった。そぼろ丸に足を押さえられながら腹筋をしているのは本当だけど、そもそも腹筋なんて前にやったのはいつかなんて覚えていない。
「47、48……!」
どんどん上がっていくレベル。今はちょうど48レベル。マックス100の半分まであと少しというハイスピード、もちろん俺は腹筋しているだけ。
「ヒャッハア久しぶりの狩りだあああああああっ!」
「楓さーんそっちの敵集めてもらえるー?」
「いいですよ」
パワーレベリングという単語をご存知だろうか。どの辺がパワーかというと、まず俺は腹筋だけでいいっていうかそもそも腹筋すら必要ない。現在のパーティーメンバー、マリナとオラジオと楓さんが俺の代わりに敵を倒してくれる。ちなみに敵のレベルは80。雑魚だがこのアルティメットベアーはレベリングとしてちょうどいいスポットだった。
だいたいレベル1の人がアルティメットベアーを一体倒すと一気に25ぐらいになる。なんじゃそりゃと思う人もいるかもしれないが、指数関数的に必要経験値が上がっていくオンラインゲームじゃなにも珍しい事じゃない。もちろんレベル1の人が倒せるわけないので、パーティーを組んでるやつらにやってもらっているのだ。
――またの名を寄生という。まぁ、同じギルドだしいいよね。
「硬い敵出てきたらよんで欲しいでござる」
「あー……頭いてぇ」
控えのそぼろ丸は腹筋を手伝ってもらっているし、きゅらさんはまだ青い顔をして俯いている。フレイアは腕を組んでレベル上の様子を眺めている。つまり大気中だ。
んで、どうして俺が腹筋なんかしているかというと、他にやることがないからだったり。
「50!」
よし、レベル50。それぐらいだなうん。
「おっ、もう50?」
「まぁ……鍛えたからね」
少し疲れたのか、マリナとオラジオがこっちに戻って来た。割れた腹筋を触って見せてやれば、だいたいわかってくれるだろう。
「んじゃ交代。とりあえず80まででいいんだっけ?」
「ああ、それぐらいが目安だな……」
とりあえずマリナとそぼろ丸が交代。順当に行けばきゅらさんとオラジオが交代なのだが、きゅらさんはあれだな、まだダメっぽいな。
「じゃ、フレイヤさんお願いね」
「えっ」
えじゃないよ団長のくせに。
「めんどくさっ……」
「ほら可愛い方の団長、さっさと行く行く」
マリナに背中を叩かれて、しぶしぶ交代する団長。そのどこからどう見ても面倒くさそうな姿はおっさんみたいでとてもぼくのかんがえたさいきょうのフレイヤちゃんじゃなかった。蹴り飛ばしたい。
「で、可愛くない方の団長の足は僕が押さえようか?」
「ああ、それで頼む」
マリナはすぐ横になってしまったので、そぼろ丸の代理はオラジオになってくれた。一応股間が気になるのか、目を合わせてはくれないのだが。
「ごめんなオラジオ……スーツ駄目にしちまって」
「別にいいよ、もう着ない奴だったから」
そういう問題かなと思ったが、本人がそう言っている以上この話は続けない事にした。それにオラジオはだいたいこうファンタジック的なローブとかそういうのばっかり着ているから大丈夫なんだと思う。スーツ着てるのみたことないしな、うん。
「ねぇ、団長は……フレイヤさんどう思う?」
「どう思うって、まぁ……」
しばらく腹筋をしていると、オラジオがそんな事を尋ねてきた。というかこれを聞きに来たんだろう。
「まぁ……悪い奴ではないと思うよ?」
ぶっ殺してやりたいけど。
言葉を選んで出てきたのはそんな慎重な言葉だった。といっても、オラジオの気持ちは当然わかる。結局俺達は得体の知れない奴に顎で使われようとしているのだ。
「あのねぇ、僕が聞きたかったのは正体についてなんだけど」
「あ、ああそっちね……」
まぁそうだよな、わかっていたけどわざわざ人格の話をしに来たわけじゃないよな。
「僕もサブキャラ持ってるからわかるけどさ、着替えすらできないんだからキャラチェンジだって出来はしない」
「まあねぇ」
「それに1アカウントのキャラを同時に扱うことは出来ない。これはゲームの時と一緒」
「そうだな」
「なのに二人いる。別人みたいに」
別人。この言葉が一番正確だと思えた。一人の人間を別け合っているはずなのに、共有できるものは何もない。他人と言い換えたっていい。だがそれは、この状況と一致しない。
アカウント一個に付き、同時に操作できるのは一人。この世界に入りこんだのは、パソコン一台につき一人だ。
「……もしかして運営の人が入ってるんじゃないか?」
だから例外になりえそうなのは、システムの管理責任者ぐらいだった。というか、運営だ。そもそも連絡すらできずどこで何をやっているかわからない運営。ちょっと腹立ってきたな。
「つまり団長がキャラ変えた直後に、無理やり運営が同時ログインなんて無茶をしてたって事?」
「普通なら考えられないけど……ほら、現にこういう状況だし」
ここでようやく行き当たる問題点。そもそも今はこういう状況。大好きなオンラインゲームの世界に入り込んだはいいが、それについて俺達はあまりにも何も知らない。ただ起きてしまった。わかっているのはただのそれだけ。フレイヤ以外は。
「なるほど、運営の人だったら原因について知ってても当然か……」
「確かに」
「なにそれ、そこまで考えてなかったの?」
「そういう事。でも良い線行ってそうだろう?」
自分で言っておいてなんだけど、これは妥当なような気にする。フレイアの偉そうな態度だって、メンテが伸びた時の対応と大体一緒だ。
「だったらまぁ、いいけどね」
それで俺とオラジオは納得することにした。することにしたってのが重要だ。実際は何も解決しちゃいないが、こうしておけば少なくとも精神衛生は保たれる。
「ああ、もうダメ我めっちゃ疲れた……」
ただ全然時間が経っていないのに、体力と精神を持って行かれた情けない女が約一名。ことの当事者であった。
「早くね?」
「いや、無理。ちまちました作業大嫌い……」
交代するとかしないとか、そういう相談など一切なし。横暴という単語がよく似合う、大の字で草むらに寝転んだ。もう動く気は内容だ。
「んじゃ、僕行ってきます」
ため息をついたオラジオは、そのまま狩場へと戻っていった。途中こっちを振り返って、男のくせにウィンクなんてしてきた。あれで美青年じゃなかったら意図を理解しようなんて思わないが、まぁ答え合わせをしろという事なんだろう。
仕方ない、嫌だけどするか。無駄だと思うけどさ。
「なぁフレイヤ……今オラジオと話し合ってたんだけど」
「ああ、今日の晩飯の献立か?」
「いや、お前の事」
晩飯は、まぁ適当でいいや。多分肉だな肉、熊からも硬そうな肉が結構落ちてるから、煮込めば多分食えるだろう。で、晩飯はおておいて。
「で、誰? 運営の人?」
回りくどい質問はなし。それが一番いいという結論は、こいつとの無駄な会話の中で学んだ数少ない反省点だから。
「またその話か、物覚えの悪いアフロだな……さっき二回ぐらい言っただろう。我が名はフレイヤ。それ以上でもそれ以下でもない」
ため息混じりに答えにならない答えをくれるフレイヤ。だからそれは知っている、議論の中身はそれじゃない。
「いやだから中身の」
「では、お前は誰だ?」
すべてを言い終わる前に、帰ってきたのは別の質問。
――お前は誰だ。
その質問に、一瞬だけ心臓が跳ねる。だがたったの一瞬だ。記憶をたどればその答えは、すぐに呼び起こせたのだから。
「……佐藤直也」
フリガナはさとうなおや。大丈夫、俺は誰だか答えられる。
「ロキではなくか?」
「ロキはキャラ名。北欧神話の神様じゃなくてただの会社員」
そう、ただのしがない会社員。御大層な名前じゃない。
「年は?」
「26」
「住所は?」
「都内だよ都内」
「昔飼っていた犬の名前は?」
「ベオウルフ」
ため息が出た。俺はこいつと違って、何の問題なく自分が誰だか証明できた。こんな簡単な事があるか? 自分が誰だか答えるなんて、子供だって出来る事だ。
「後は何? クレジットカードの番号でも答えればいい?」
「いや、これが最後だ。答えられたら答えてやる」
フレイヤは真っ直ぐな目で、何一つ躊躇わず。俺が思い描いたような、凛とした聖騎士の目をしていた。
「佐藤直也の……両親の名前は?」
何だ、その質問は。答えられないわけはない。親の名前だぞ親の名前。
そんな、簡単なことなのに。
「いるだろう、両親。二人の名前は?」
いるよいなきゃおかしいからな。なんでだ、息が苦しいのは。
「それは……」
答えろ、答えろ答えろ俺。なんで出てこないんだよ、親の名前だぞ簡単だろ。
――意識が遠くなる。思い出せないという事実が呼吸を荒くさせ、全身に冷や汗をかかせた。
肩にフレイヤの手が置かれた。顔を上げれば彼女の横顔が手の届きそうな距離に存在している。
「それが答えられぬのであれば」
遠ざかっていくその顔に、手を伸ばせはしなかった。
「お前はロキだ。我がフレイヤであると同様に」
不遜で横暴で滅茶苦茶で、何一つ答えてくれない奴だっていうのに。
「ようし貴様ら! このアフロのレベル上げが終われば念願のダンジョン攻略だぞ! 全員……心してかかれ!」
その横顔が、今にも泣き出しそうなものに見えたから。