気が乗らない水曜日 ver1.1 ~ Smoke Free Street~
「だいたいよぉ、ネトゲの中に喫煙所なんてある訳ないだろ」
ギルドルームから少し歩いた大きな通り、不良みたいな座り方をするマリナが不満そうな顔で悪態をつく。
「まあねぇ……」
30分ぐらい歩いてみた俺達の感想は、マリナと同意見だった。まぁ最初っから同じ意見であったのは、この際黙っておこうか。
「それにしてもあれですね……街の雰囲気変わりましたね」
「確かに」
楓さんの素直な言葉は、俺達に顔を上げさせるには十分だった。
変わった、というよりは、戻った。そんな言葉が頭がよぎる。ゲームのときと変わらない綺麗な石造りの町並みに、露天を見る人開く人。談笑しながら物を売ったり、売り物にケチを付けてみたり。
そんなよくある日常の景色。OZOのプレイヤーの俺達にとっては、だけど。
「まあ日曜日の夜にネトゲやるやつなんて暇人だけだからな。ようやくここが天国だって気付いたんだろ」
そんな事を言いながら、マリナはポケットから葉巻を取り出す。ライター、はないのでマッチで火をつけようとした矢先。
「あっ」
スられた。盗まれたのは葉巻で、盗んだの女はなんかこうフリフリを着たお姫様みたいなの。あんな格好でもニコチン中毒は治らないとは悲しいものである。
「……ああいう人はいるみたいですけどね」
一瞬だけ女がこっちを振り返ったが、目の下に大きな隈があったり化粧が落ちてたりと散々な顔をしている。そのまま目線を逸しマリナの顔色を伺ってみれば、こっちも鬼の形相となっていた。
「……ぶっ殺す!」
いやでもまだマリナは葉巻もってるんだし良いでしょ別に一本ぐらいと思ったものの無駄のようで全速力で駆け出していった。無理だねこれ追いつけないわ。
「おいクソババアテメェ俺のニコチンンアアァァアアアアアッ!」
フリフリの衣装を着たニコチン中毒と、口汚い言葉で罵りながら追いかけるロリキャラのニコチン中毒。多分画面上だったら美少女だったであろう二人の悲しいニコチン狂想曲。怖いなこの絵面なんて思ってるうちに、マリナがフリフリにドロップキック。
「ニコチン中毒って天国でも治らないみたいですね」
ため息を付きながら至極まっとうな感想を漏らす楓さん。俺も吸わないので気持ちはわからないが、イライラするぐらいなら初めから吸わなきゃ良いのにとは思う。特にこうお互い鬼の形相で一本の葉巻を奪い合ってる光景を見ると。
「はいっ、そこまで!」
突如鳴り響いたホイッスルのあと、割って入った男の声。オレンジ色のパーカーを着て、ついでにオレンジ色のメッシュキャップなんて被っているから、係員なんて二文字がどうしても頭をよぎる。
「あぁん!? ……誰だよテメェ」
相手をタコ殴りにしようとした手を止めたマリナが、その係員に田舎の不良みたいなガンを飛ばす。
「自警団です! やめてください暴力なんて、そんなものから生まれるのは」
そして係員は、脱いだ。全部じゃない、裸パーカーというのかこれは。ともかく前のチャックを全開にして、両手を広げるNPCみたいな顔の青年。ついでにマリナに尻を向ける青年。どうしてこいつが服を着ていて俺が全裸なんだろうかと世界を呪わずにはいられない。でもそっち向けたら前開けた意味無いよねと問わずにはいられない係員の青年。
「僕の体を突き抜ける……電流のような快楽だけっ……!」
俺のこの格好は、こういう変態にこそ相応しいと思うのだが。
「おらよ」
冷めた目に切り替わったマリナが、容赦のない蹴りを係員に浴びせる。尻から伝わった衝撃で一瞬体をくの字にさせてから、その場でのたうち回り始めた。そりゃウォーリアーのキックだもんかなり痛いよね、うん。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
だが彼が述べたのは、恨みつらみではなく感謝の言葉。その恍惚とした表情と何一つ違わない歓喜の声を、人の多い通りで上げる変態。
それで記憶が蘇ってしまった。
「あっ、この人確かアラフォーおばさんのギルドにいた……」
名前は確か、うん。
「……マゾの人だ」
きっと彼を表す言葉は無いだろう。そう一人納得した俺は、マゾの人の本当の名前を思い出すのを止めた。
「ったく、あれが最後のタバコだったら殺してたぞテメェ」
そんなやり取りをしている間に、泥棒は足早に逃げ去っていた。追いかける気力なんて無くなってしまったマリナは、面倒くさそうに二本目の葉巻に火をつけようとしたのだが。
「あっ、だめですここは禁煙です!」
マッチを素手で奪い取り、そのまま息を吹きかけて消火したマゾ。取られたマリナは一瞬不機嫌そうな顔をしてから、諦めたようにため息をついた。
「……いやまぁ、禁煙っていうなら控えるけどよ」
事情はともかくギルドのメンバーがあんまり苦虫を噛み潰したような顔をするので、仕方なしに助け舟を出す事にした。
「あのー、アラフォーおばさんのとこの人に聞きたいんだけど」
「誰だ我らのB・J様を行き遅れと罵る不届き者は!」
いるよねこういう人。俺そこまで言ってないのにボロクソに身内を咎める人。多分これ後で俺があのアラフォーおばさんを行き遅れ呼ばわりしたことになるんだろうな。どうして世の中ってこうなるんだろうね。
「なにっ、貴様は我らが宿敵ユグドラシル騎士団の団長の全裸アフロ! ここであったが百年目、この僕に」
そしてマゾの人は、構えた。剣でも槍でも銃でもない、その己の肉体を。
「終わることのない……快楽をっ……」
強いて言うなら、グラビアポーズ。腰を少しくねらせて、右手の親指は唇に触れるだけ。甘えた子猫のようなポーズをする、係員。
楓さんはそんな変態を目の前に、眉一つ動かさず杖の先で喉を突く。殺す気だわこの人こわいわ。
「ありが……ッ! ありッ……!」
喉が詰まったせいで感謝の言葉を紡げないマゾ。そのまま後頭部に追撃をしようとする楓さんの手を、俺はそっと止めてあげた。だって多分このマゾの人だって、死にたいわけではないのだから。まぁ死んでもすぐ戻ってこれるけどさ。
「いえいえどういたしまして……ところで禁煙ってどういう事?」
「あっ、それはですね」
急に立ち上がりパーカーのチャックを上げ、普通に説明を始める係員。その光景に言葉にしづらい恐怖を覚えたのは、この際だから黙っておこう。
「ここの大通りで勝手に商売をやる人が出てきまして、折角なんで露店にする事にしたんですよ。ただ、タバコの不始末でこう商品の火薬に……ドカンッ! と」
思わず俺達がマリナを見れば、随分とバツの悪そうな顔をしていたマリナ。本当ここまで来るなら吸わなきゃ良いのにな。
「……ちゃんと消すって、俺は」
「ああでも、喫煙所はちゃんと作りましたから。そこでお願いしてます」
「あっ、あるんだ喫煙所」
急に明るい声になったマリナ。いやでも待てよそう言えば。
「ほら見えます? あそこの黄色いテント」
係員が指差した先に、煙が漏れる黄色いテント。適当な木の看板に書かれた喫煙所の文字に、その横を通り過ぎる白衣の女。
「あっ」
そこでようやく俺達は思い出す。探していた場所と相手が何だったのかを。
「……行くか」
心底がっかりしたような声を漏らすマリナ。どうやらこいつの一服は、もう少し先になるらしい。