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だからさ。

 ***

 


 美月がお風呂からあがると、入れ替わりで美月の姉が着替えを持って脱衣所に入ってきた。


「美月のスマホ、さっきから何度かバイブ鳴ってたよ」

「あ、そうなんだ、ありがと」


 姉の言葉に美月はそそくさと着替え、ドライヤーもせずに髪をくるくるっとタオルでまとめて、あわててスマホの充電器のところにかけ寄った。

 もしかして廉人からではないかと思ってメッセージの確認をする。

 

 野球のボールが映ったアイコンがすぐに目に飛び込んできた。思わず美月は涙が出そうになる。

 廉人の大事にしている野球の硬球が写ったその廉人のアイコンは、他人からみればただの白地に赤い糸で縫い合わされた野球の硬球。

 でも、美月は知っている。このボールは廉人が中学時代に愛用していたマイボール。

 廉人は、部活がない日にも、暗くなるまで高架下の金網内の空き地で、一人ずっとショートバウンドを取る練習や壁あてをしていた。その時のボールなのだ。一度、糸が切れて、補修を手伝ったことがある。

 あの頃は、美月も自分の気持ちが恋だとは自覚していなかった。淡い気持ちと記憶がつまったボールなのだ。


 そのアイコン画像の隣に、吹き出し型にメッセージが現れていた。


『今日は突然すぎて、ごめん』


 スタンプ無し、顔文字無しの、いつもとかわらないそっけない廉人の言葉だった。

 でも、今日の美月はそれを読んでぎゅっとスマホを握りしめた。

 「ごめん」という言葉が廉人の声で復元されて、頭の中をぐるぐる巡りだす。

 ちょうどその時、キッチンカウンターから、母親が声をかけてきた。


「スマホ、11時までの約束、守りなさいよ。ちゃんと11時すぎたらこっちの充電器に戻してね」


 美月はコクコクと頷いて見せた。

 今、美月は、廉人からのメッセージで涙があふれそうで、ちゃんと母親の言葉に答えることができなかったのだ。

 涙ぐんだ顔を見られたくなくて、ごまかすように、「約束守るから!」と早口で言って、スマホを抱え自分の部屋に飛び込んだ。

 11時まで残り15分だった。


 ベッドに座って、ちゃんと乾かしてなくて滴がたれてきそうな髪をタオルで巻き直して、スマホの画面を見つめる。


「なんて、なんて返信しよう」


 時計の秒針の音が、美月の心を焦らせる。

 どうしよう、どうしよう……。


 結局、美月は困り切って、

『こちらこそ、ごめん』

と入力して、そのあと謝るみたいに頭をさげてるクマのスタンプを送った。

 祈るような気持ちでスマホを握ってると、再び次の廉人の吹き出しが表示される。


『明日 グラウンド整備だから部活休み 美月もだろ? 一緒に帰ろうか?』


 廉人の言葉にスマホにむかって、美月は何度も頷いた。

 いつもなら「一緒に帰ろう。」と書かれているのに、今はこちらの意志を伺うように、最後に「?」がついていた。

 今日の自分の態度が廉人にいろんな不安や疑いを持たせたんだと伝わってくるように思い、美月は胸が痛くなった。

 ……私は帰るのを拒んで、廉人を放っておいたのに、廉人の方からメッセージをくれた。それがみんなに向けられる優しさだとしても。

 今の美月にとって、廉人の前向きな気遣いは救いの手のように感じられた。


『一緒に帰る』


 そう打って、最後にちょっと勇気をだして、ピンクの大きなハートを抱っこしているテディベアのスタンプを最後に入れた。

 甘くて可愛いスタンプを、こんな風に廉人に向けて使ったのは美月は初めてだった。

 恥ずかしくて、でも画面のテディベアに願いを託すみたいにして、送った。


 嫌いじゃないの。

 イヤじゃないの。

 拒んだわけじゃないの。

 ……廉人。


 すぐに返信が来た。


『帰り、城跡公園、寄って行っていい?』

 

 テディベアに対するコメントは無かった。

 城跡公園は、二人が通う高校から少し歩いた先にある、高台にある公園だった。城跡といっても、櫓が残るだけで天守閣は無い。歴史の資料館といくつかの城の説明書きの案内板があるくらいで、歴史に興味のない者からすれば、石垣と階段がたくさんある散歩用の公園といった具合だ。

 その公園の外周から階段は、廉人の所属する部ではグラウンドが使えない時の夏のランニングや体力アップに使われていた。だから廉人は帰りがけにいろいろ園内を探険したらしく、「一番上の広場で、ラムネ売りのおじさんがいることあるんだよ」とか話してくれたことがある。まだ付き合い始めてなかった頃の話。


 そこまで思い出して、美月ははっとする。

 どうして城跡公園になんて寄っていくんだろう。何か話しがあるんだろうかと想像しながら、ふいに美月の頭に「別れ話」という言葉がよぎっていく。

 ……まさか……でも……まさか。

 ループに陥りそうになる思いを振り切るように、美月はぎゅっと一度目をつぶって、全身の勇気を指先にこめた。

 ……廉人の気持ち、聞きたい。わからないままキスされるのもイヤ。きっとこのままじゃ流されてしまう。

 そう思った美月は、まぶたをあげて、指先を画面で揺らした。 


『うん。一緒にいく』


 

 送信した後にふと壁の時計を見上げてみれば、ちょうど、時計の針が11時を指していた。



 ***



 いままでの廉人と美月は、つきあう前も、たまたま帰りに出会えば、一緒に最寄り駅まで帰ったりするのは普通のことだった。同じ中学出身で、最寄駅も同じだったから。

 つきあいはじめてこの一か月は、部活帰りの夕暮れに、校門近くで待ち合わせて帰るようになった。

 だけど、制服のまま、まだ陽が高いうちから二人っきりで寄り道するのは、二人にとって初めてだった。




 下校のとき、知ってる人に手をふったり、挨拶したりしながら歩いているうちに、二人が歩く道中はだんだんと同じ高校の制服姿がまばらになっていった。

 廉人と美月が目指す城跡公園に続く上り道にさしかかると人影もすくなくなり、ウォーキング中らしき中年女性がときたますれ違うくらいになっていた。

 

「静かだね」

「うん。公園といっても、坂道とか階段多いからな。親子連れとかは、南側の池の周囲の芝生とか遊具がある方に行くみたいだな」

「たしかに、こっち側けっこう上り坂だもんね」

「きつい?」

「まさか、私、陸上部だよ? 大丈夫」


 廉人も美月も、まるで昨日のことが無かったように話していた。

 でも決して昨日の放課後のことを忘れていたわけではなかった。

 逆にとても考えすぎていたからこそ、徹底的に話題にもそぶりにも出さずに何もなかったようにふるまっていた。


「タブレット、食べる?」

「ううん、いい。廉人は好きだね、そのストロベリーミント味」

「うん、ベリー系好きなんだよな」


 そんな他愛ない話をしながら、坂をのぼっていった。



 城跡公園までの道のりは、最初はアスファルトが続き、公園の看板が立った敷地内にはいると石畳みや砂利道、剥き出しの土の部分が多くなってゆく。

 白壁と石垣が続き、階段もふえてくる。

 鬱蒼と生い茂る元々の山の木々を背景に、整備された部分には桜の木や楠、松といった大きな木が何本も植えられ、見ごたえのある眺めとなってゆく。

 初夏に美しいつつじなどの低木の並木や紅葉などの秋に美しい木々は、公園の表通りに配置されていて、廉人と美月が今歩いている裏通りは、背の高い木々が並ぶまるで森の小道のような仕立てとなっていた。

 秋の今は、葉の色がいろいろと移り変わった木々がゆるりと吹く風に葉を揺らす。それらを眺めつつ、二人はゆっくり歩いていく。

 歩きつつ、廉人は呟いた。 


「やっぱり、もうこの季節じゃラムネ屋さんはないなぁ」


 廉人の言葉に美月はくすっと笑いをもらす


「そんなに、ラムネ飲みたかった?」

「そういうわけじゃないけど……。向こうにベンチがあったはず。自販機もあったかな。……何かのむ?」

「うん」


 廉人のいうベンチを目指しながら、また二人は人影もない木々の合間を歩く。

 三時を過ぎたばかりでも、秋も終りに近づく今は、吹く風がひんやりと寒い。

 ベンチらしきものが見えてきた。

 そのとき、美月はぶるっと震えた。

 寒さというよりも、これからきっと、なにか廉人とちゃんと話さなければならないという緊張だった。でも、そんな気持ちをごまかすようにして、美月は制服ブレザーに包まれる腕をさすった。


「風があると寒いね」

「そう? 美月、寒い?」

「うん少し。でも空気が綺麗。こんなところあるんだね」


 そう言って、微笑んだときだった。


「寒いなら、手つないでいい?」

「え?」


 突然たずねられて、美月が返事できないままに一瞬手の方を見てうつむく。その仕草を頷きとでもとらえたのだろうか。

 美月の右手が突然廉人に握られた。

 びっくりして美月の足が止まる。


「少しはあったかい? オレ、体温高いらしいから」


 廉人は前を向いたまま、そんな風に言う。

 けれど、美月は取られた手の方の指先に力をこめることができなかった。握り返すことができなかった。

 足も一歩も出すことができない。

 廉人の手は、彼の言葉どおりに、たしかにあたたかった。美月にとって、熱いくらいだった。

 けれど、その熱さ……熱気は、美月を戸惑わせるのに十分だった。

 

 ……熱くて、かたくて、大きくて。私を包んでくる手。廉人って、こんなに大きい手、してたっけ?

 

 全部の意識が取られた右手に吸い寄せられるようだった。


 中学に入学したてで出会った時、廉人の背は美月よりちょっと低いくらいで小柄だった。三年経った今は、美月を追い越して、骨格もたくましくなっている。

 中学三年間見慣れた坊主頭が、部を引退した中三の秋頃からだんだん伸びてきて、今やワックスで流れを作っている。可愛いとか女子にからかわれていたはずの大き目の瞳は、シャープな鋭さを見せる時も出てきて……。

 今、美月の手をつつむ手のひらは、ずっと野球をしていたせいか、固く逞しくて。大きくて。


「美月?」

 

 美月の足がとまったのをいぶかしげに思ったのか、廉人が名を呼んだ。

 美月は、右側を見上げた。

 眼差しがかち合う。

 

 その瞬間、美月は本当に素直に廉人のことを、かっこいいと思ってしまった。

 ……イケメンというタイプではないかもしれないけれど、一直線に眼差しを返す瞳も、キュッと引き結ばれた口も、すべて。姿形ということだけでなく、こうして自分の手を握る強さや、纏う雰囲気までもに身惚れてしまう。

 木漏れ日をうけて、光る肩、影をつくる胸板。

 すこし緩めて結ばれた制服ネクタイ、そこに見える首筋、喉仏。

 

 ……そっか、廉人って、かっこいいんだ。かっこよくなったなぁと思ってきたけれど、昔の中学時代の廉人と比べて成長したっていうだけじゃなくて……私の中で、「かっこいい人」になっちゃったんだ。

 

 それがわかった途端、美月は苦しくなった。次に湧いてきた疑問がさらに胸をつつく。

 

 ……どうして……私とつきあってくれてるんだろう。


 不意に息苦しくなって、今、自分がこうして廉人と手をつないでいることがいたたまれない気がした。

 

「美月?」

「……どうして、廉人、私とつきあったの?」

「え?」


 聞きつつ、美月は自分の聞き方がずるいと思った。

 

 ……素直に、私を好きかどうか聞けばいいのに、それが怖くて、「どうして」なんて聞いている。遠まわしに、好きと言わせるみたいにして。

 

 願いがあるからだ、と美月は頭の半分で自分を見つめていた。


 ……廉人に「美月が好きだから、つきあったよ」と言われたいから、こういう聞き方をしてしまうんだ。昨日だって、キスしたときに「どうして?」と言ってしまったのは、「美月が好きだから」って言って欲しかったからだ。でも、もらった答えは違ったから、怖くなって逃げ出した。今もまた、繰り返しつつある……。

 けれど、「こんな自分は弱いっ」て思いつつも、美月は止められなかった。


「どうして?」


 美月の問いに廉人は困ったように小首をかしげた。そして、ちょっと頬を赤くして言った。


「美月が告白してくれたから」


 美月はキュッと息をのんだ。それから一生懸命震える声をなんとか普通にしようと努めながら言った。

 

「……私がつきあってって言わなかったら、つきあってなかった?」


 必死の美月の言葉に、廉人は不思議そうな顔をして、美月の顔を見返した。


「だって、美月は言ってくれただろ?」

「でも、私が言わなかったら……」


 続きが途切れた。

 美月の頭の中で言葉と思いがぐるぐる回る。

 自分がつきあってと言わなければ、廉人は美月とただの友達のままで。そして、もし誰かほかの子に告白されたら、すんなりつきあったのかもしれない。

 そうしてそのまま、昨日のようにキスしたのかもしれない。

 今みたいに手をつないで。


 私じゃなくても、

 谷本美月じゃなくても。


 そこまで思いつめた時だった。


「うーん、美月が言わなかったら、どうかなぁ……もっと遅くなってたかもしれないなぁ」

 

 廉人のあっけらかんとした声がした。

 美月は瞬きする。


「え?」

「だからさ。オレって、ほら、中学の頃からなんか女子にいじられ系キャラで来ただろ? なんかオレがコクる勇気持てるのって、もっと先だったと思うし……ほら、もうちょっと身長差できてから、とかさ」


 美月はもう一度瞬きした。


「……あの、廉人?」

「昨日、ごめんな。突然だったから、きっと美月、怖かったよな」


 美月の顔を少しのぞきこむように廉人は見た。


「考えてみたらさ、デートもしてないし、手もつないだこともなかったのに、なんか、オレ……先走っちゃったって……すごく反省して」

「……」

「この一カ月、一緒に帰るのとかもさ、つきあったらそういうものだと思ったから、一緒に帰ろうって断言しちゃってたけど、それも一方的だったかな、とか。そ、その昨日の……キスにしてもさ、していいか美月の気持ち確認したらよかったな……とか。いろいろ気になりだしたらオレさぁ……なんかほんとあれこれ一方的だったなって」


 ふっと、先ほど手をつなぐときに尋ねられたことを思い出した。今日、一緒に帰ることも、昨日、たしかメールで「たずねられた」。

 そのことに気付いたとき、廉人は美月の手をにぎる手に力をこめてきた。


「オレ……舞い上がっちゃってさ、押しつけがましかったよな、ごめん」


 廉人が照れ隠しみたいに、ちょっと髪をかきあげた。

 その仕草ひとつひとつを見つめていた美月は、自分のにぎられている手の熱さが、じんわりじんわりと、自分に伝わってくるのを感じた。

 

「……あの、廉人」

「なに?」


 美月の呼びかけにこたえる廉人の声。美月には、それは、とても優しく、そしてとても甘い音に聞こえた。

 こんな風に甘い声で返事されていること、この手のひらから伝わる熱さ、そして重ねてくれた言葉たち。

 それを感じ取った美月は、ぐるぐるとこんがらがっていた胸のもやもやが、一気にするするっと解けていくのを感じた。

 美月はふっと気持ちが軽くなった。

 そのときするっと言葉がすべり出た。


「廉人は、私のこと……好き?」


 素直に一番聞きたかった問いが口に出来ていた。



  



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