でも、
***
「はぁぁぁぁ」
私の大きなため息が、ひとりっきりの浴室に響いた。
お母さんが入れてくれてたユズの香りのバスボブは、いつもならリラックス気分になれるのに、今日の私にはまだまだ足りないみたいで、心が全然ほぐれない。
どうしてだろう。どうして、あんな言い方しちゃったんだろう。
ずっとそんなことばかりを思っている。
キスしたくなかった?
ううん、そんなことなかった。たぶん、きっと、どこかで、そろそろって思ってたはず。
でも、「こんな突然は嫌だ」って思ったのも事実で。
もうちょっとムードがあるときが良かった、とか。
もうちょっと私もちゃんとリップクリームで手入れして唇が潤ってる時が良かった、とか。
それから、あんなあんな接近するんだから、せめて一言、前置きが欲しかった、とか。
たくさんたくさん並べてしまう文句があって、でもどこかその文句タレは、微妙に核心がずれてる気がする。
ムードでも自分の準備でも前置きでもない。
欲しかったのは……。
「……好きって言ってほしかったのに」
ぶくぶくぶく。お湯に沈んでいく。
ぎゅっと膝を抱くみたいにして。まあるくなって。
きっつい言い方するわりに、一人の時の私は、本当になさけないほどに小心者だ。
お湯にしずんだり、ぷはっと顔を水面にあげたり。
馬鹿みたいに繰り返しながらも、頭の中では廉人と出会ってからの約三年半を思い起こす。
廉人と出会った、中学の入学式。出席番号が連番だったことで席が近くてよく会話するようになった。中二は、クラスは離れたけど体育委員会で一年間一緒で、体育祭とか校内スポーツ大会とか取り仕切って、放課後に顔を合わせることも多くて。中三では同じクラスになれて。
「クラスメイト」「友達」として過ごした中学時代、これが恋心なのかもってふっと自覚したのは中学三年のころ。だけど、私は告白もせず、どこかで「仲の良い友達」の位置で安心しきってた。
だって、中学時代は廉人は背も低めでさらに野球部だったから丸坊主で、女子から「モテ男」から完全にはずされてて……その中で、仲の良い女子といえば、私で……。
そう、どこか自惚れがあった。
だけど、同じ高校に進学できて、ラッキーなことに同じクラスになったときに、自分の自惚れや傲慢さに気付いたんだ。
中三の夏頃から、廉人は急に身長がのびはじめて、体つきも逞しくなった。さらに高校の野球部は髪の毛を丸坊主じゃなくて髪を伸ばして良いってかんじの緩さだったから、廉人のキリっとした眉と意志の強そうな瞳がうまく強調される髪形になっていって。
廉人のカッコよさがどんどんみんなにばれてしまう気がして、私は焦ってた。
そして、夏休み。野球部の廉人と陸上部長距離の私はランニングの時とかよく顔を合わせることが多かったけど、廉人を目で追っているうちに、野球部をフェンス越しに何度も見に来ている一年女子の姿に気付いたんだ。
本当のところ廉人が目当てだったのかはわからない。だけど、他クラスだけど親しげに話しかけてる姿は何度か見かけた。
すっごく浅ましいけれど……”取られてしまう”みたいな気持ちになった。
嫌だと思った。他の子が廉人の隣を歩いて、付き合い始めてしまうなんてイヤ、って痛烈に思った。
だから、焦りから思いあまって告白したのは、二学期はじまってすぐの、一緒に日直をした放課後のこと。
『突然で、びっくりするかもしれないけど……。好きなの。つきあって欲しい』
素敵な言葉なんて考えても考えても浮かばなくて、そのまま言ってしまった。そんな私に、廉人はちょっと驚くみたいな顔をしたけど、特に喜んだ顔をするでもなくて、
『あ、うん、いいよ』
とすんなり応じてくれたんだ。
そのときは、もしかして私が廉人を好きだったみたいに、廉人も私を好きでいてくれたの?なんて、舞いあがったりした。
だけど、この一カ月で私は気付いたんだ。別に私は特別じゃないのかもって。
廉人は誰にでも明るく、楽しい人間関係を作っていく。女子も男子も、先輩にも同年にも。好き嫌いがあまりなくて、オールオッケーみたいな明るさ。
中学のときは、そういう明るさと丸坊主頭と小柄な体格が相まって、「ガキっぽい廉人」みたいに言われてたけど、それは私から見ると、ガキっぽいんじゃなくて、単に人を悪く言わないんだろうなって思ってた。悪いように相手をみないから、何かすれ違っても悪口したり嫌いになったりしないで、理由をたずねたりできる優しさ。
でも、もしその延長上に私の「告白」があって、拒む理由がないからつきあいはじめたんだとしたら、それは悲しいと思う自分がいた。
単に「つきあおう」って言われたから、そのとき廉人にはカノジョもいなくて、私のことがそれほどイヤでもなくて、流れでつきあっただけなのかもしれないって。
欲張りだとは思う。
最初は隣でいるだけで良かった。
でも、好きな人には好きになって欲しいと思うようになった。
さらに。
ちゃぷん……お湯の中で、私は自分の唇を人差し指でさする。
お風呂につかっている今は、ぷるんぷるんの唇。
キス。
触れること。
……ちゃんと、好きになってもらってから、好きだって言ってもらってから、キスしたかった。
いっぱいいっぱいわがままになっていく。
そんな自分に、さっきの廉人の言葉がぐさりと刺さる。
『キスくらい』
廉人にとって、私に触れることって、それくらい程度のことなんだ。
ただ、手に入りやすい女子に、キスした程度のことなのかな。
このまま、つきあっていたら、キスくらい、寝るくらい……みたいに進んでいっちゃうんだろうか。
ぶくぶくぶく……お風呂に沈んでいく私。
『キス、いやだったのかよ』
廉人の声がこだまする。
私は湯船の中でひとり首を横に振る。何かに言い訳するみたいに。
伝わるはずないのに、廉人に伝わったらいいのになんて、夢みながら。
イヤじゃなかったの。
どこかで待ってたの。
だけど、だけど、ね。
廉人が私のことを好きでいてくれるって、わかってから……したかったんだよ。
***