<第7話>平和な日常~女子高生に変身したなんて、夢だよ
ボロアパートの前で車を降りると、自宅の窓に灯りがついていた。
今日は、弟のケースケが帰ってくる日なのに、変な夢のせいで、うっかり忘れていたな。ケースケは長距離トラックの運転手をしているから、勤務のときはだいたい2、3日の間、泊りがけで出ずっぱりなの。
私は、はるの手を引いて、玄関のドアを開ける。
「ただいま」
「おう、姉ちゃん帰ったか」
ケースケは、玄関を入ってすぐのダイニングキッチンにいた。
ちゃぶ台の前で、ドカッとあぐらをかく、ガタイのいい弟。私が15才のときに、コイツは小学生のいたずら坊主だった。それが今じゃ、金色に染めた髪をツンと立てて、やんちゃな感じの29才。
ケースケは、もやし炒めをつまみに、缶チューハイを飲んでいた。
「けーたん!」
はるは、いちもくさんにケースケのところまで走って、でっかい背中にへばりつく。
「おいっ、はる。いい子にしてたか」
ケースケは、ひょいと小脇にはるを抱えて、ゆさゆさ揺する。
ケースケは構い方が荒っぽいし、はるにとっては、それが遊園地のアトラクションみたいな位置づけで、楽しいみたい。はるは手足をバタバタさせて、大はしゃぎだ。
「こらっ、痛えぞ、大人しくしやがれ」
冗談とはいえ、2才児に向かって凄んでみせる、いかつい弟。嬉しくてキャーキャー叫ぶ、2才児。
うちの外でやったら、近所の人がびっくりして通報されかねないビジュアル。しかし、家でやっている分には、微笑ましい……のかな?
「ふたりとも、うるさーい! 静かにしてよ」
私は一喝した。
いつもの平和な暮らし。やっぱり夕方のことは、夢だったんだ。夢で、15才に変身しただけ。それを一瞬でも現実じゃないかと思うなんて、アホらしすぎる。
私は自分にあきれつつ、玄関で靴を脱ぐ。
「ママね。ちーでたの」
はるがケースケにじゃれつきながら、報告する。
「ちーでた? しっこでも漏らしたか」
ケースケが、ニヤリと笑う。
「ちょっと、違うよ! ひざを怪我して血が出たの」
私はあわてて訂正する。
「怪我したんか。姉ちゃんが?」
ケースケが訊いた。
「大したことない。ひざをすりむいただけ」
「どれ、見せてみろ」
ケースケが言う。私は、スカートのすそを持ち上げ、ひざの傷を見せる。
「こりゃひでえ。腫れてんぞ」
ケースケは身を乗り出して、傷を観察した。
「どうすりゃ、こんな風になるんだ」
夢の中で怪我をしたら、同じ場所に傷がついていた。正直に話したとしても、ケースケには鼻で笑われるもん。
「よくわからないの。帰りに運転しながら居眠りしたみたいで、ぜんぜん覚えてない。たぶん急ブレーキを踏んだか何かで、そのときにぶつけたと思う」
私は適当にごまかす。
「覚えてないって。危ねえ。よっぽど熟睡してたな」
ケースケが、チューハイをあおる。
「そうそう。夢まで見ちゃったもん」
「そら寝すぎだろ」
ケースケに、呆れられちゃった。
「姉ちゃん疲れてるんと違うか? 飯食ったあとで、はるを風呂に入れとくから、ちょっと休めや」
「ケースケだって、仕事の間、まともに寝てないでしょ」
長距離トラック運転手の仕事は、かなりのハードスケジュールなんだって。ケースケだって、わずかな仮眠を取るだけで関東から夜通し運転したあとに、荷解きとトラックの整備を終え、それでやっと帰宅が許されるらしいの。本当は、今ここで倒れ込みたいくらいに眠いと思う。
「どうせ風呂に入るんだし、1人も2人も一緒だろ。なあ、はる」
ケースケは、はるのお腹をくすぐった。はるは、ケタケタと笑って身体をくねらせる。
「それとな。明日は休みなんで、車、貸してくれるか」
ケースケが、遠慮がちに言う。コイツが、いつになく優しいのは、魂胆があったのか! ケースケには週に一度だけ、丸一日休める日がある。その貴重な休日には、恋人に会っているらしいの。
「いいよ。私は、自転車でも仕事に行けるし」
いつもより早起きすれば、大丈夫だよね。保育園へ寄ったあと職場へ行っても、自転車で20分程度だもん。
「さあ、ご飯、作ろっか」
私は急いでエプロンをかけ、キッチンへ立つ。




