<第16話>かわいいな、少年
公園のベンチでコロッケを食べ終わったあと、わたしは、制服のスカートに落ちたパン粉を払う。
「おいしかったね」
わたしは、隣に座っている彼を見た。目尻もほっぺも下げて、フニャッと笑う彼。そうかそうか、コロッケが、そんなにおいしかったか。よかったね!
「あれ?」
よく見ると彼の頬に、パン粉がついている。
「パン粉がついてるよ」
「えっ」
彼があわてたように、手の甲で口元を拭く。顔が真っ赤になっちゃって、かわいいな、少年! そんなに焦るほどのことじゃないのに。
「違う、ほっぺだよ」
「こっち?」
彼は、左の頬を指で払った。
「そっち側じゃないよ、逆だってば」
わたしは、彼の右頬についたパン粉を指先でつまんだ。10代の男の子の肌って、意外と柔らかい。なかなか侮れないぞ、高校生男子の肌。うわー、モチモチだ。気持ちいいな。
わが娘の、ぷくぷくほっぺを思い出しちゃうな。わたしの身体は今、15才に変身しているけれど、心は35才の母親のままだもんね。
「ほっぺ、柔らかいね」
急に、親しみがわいてきちゃった。わたしは、彼を見上げて笑いかける。ふと、彼が着ている制服のシャツが目につく。襟の後ろが、めくれ上がっているのに気づいた。
「ここも触っていい?」
いつも娘のはるの身だしなみを整えてあげるときのような調子で、つい手が出ちゃう。わたしは彼の首に両手を回し、後ろを覗き込んで襟元を直す。
「なんか気になっちゃうんだよね。君みたいな子は」
ネクタイの結び目もゆるんで、斜めになっていた。わたしはそれをまっすぐに整える。これで完了だ。男前になった!
「カッコいいよ」
わたしは、彼の両肩をトンと叩いた。どこか抜けていて、母性本能をくすぐる子だ。彼のことが、ちょっぴり愛おしくなった。
彼はなぜか、放心したような顔でこちらを見ている。
「どうしたの」
わたしは彼に声をかける。彼はわたしを見つめたままで、返事をしない。
「拓途くん?」
わたしは彼の名前を呼んでみる。でも、反応なし。
「拓途くん」
もう一度、呼んだ。彼は焦点の合わない目で、こちらを見るだけ。
「拓途、拓途ってば」
わたしは心配になって、彼の肩を揺する。
「あ、あっ、はい」
彼があわてたように、裏返った声で返事をする。
「何してるの? しっかりしてよ」
わたしはくすっと笑ってしまう。彼は、わたしと話をしている最中なのに、突然、考えごとなんかして、自分の世界に入っている。もお! 天然ちゃんだな! でも、どこか憎めない感じだよね。
「『たくと』っていい名前だね。開拓する途中。これから未来が拓くっていう意味なのかな」
わたしは質問した。彼と話すのは楽しい。もっと話したい。
「えっ? ああ、うん。そうかも」
彼はそわそわしている。もしかしたら、気になることがあって、早く帰りたいのかも。話を切り上げなくちゃ。せっかくいい感じに打ち解けてきたのに、残念だな。
「時間は大丈夫かな」
わたしは彼に確認する。
「やばい」
彼は、あたふたしながらスマートフォンを取り出す。
「18時50分、過ぎてる」
「そろそろ、はるを迎えに行かなきゃ」
わたしは、ベンチから立ち上がる。
元のおばさんに戻らなきゃ、娘を迎えに行けない。今日も果たして無事に35才に戻れるのか? とりあえず、保育園の駐輪場へでも行って様子を見なきゃしょうがないね。あそこなら、保育園のビルのすぐ裏手にあって、人通りもほとんどないし。
「わたし、もう行くね」
「え?」
彼がベンチに座ったまま、ポカーンとした顔で、こちらを見上げる。
「コロッケ、おごってくれてありがとう」
わたしはお礼を言った。
「今日は誘ってくれて、嬉しかったよ」
そして彼に手を振る。
「あっ……うん」
彼は、困ったように視線を泳がせたあと、うつむいた。
別れ際に、あいさつを返してもくれないのか。彼と仲良くなれたと思ったのは、わたしの勘違い?
ちょっと寂しい気分になって、自転車を走らせた。まあ、そんなもん、そんなもん! わたし達、昨日初めて会ったばっかりだからね。彼は天然っぽくて、何を考えているのかイマイチわかりにくい子だし、わかりあうには、時間がかかるんだよ。
夕焼け空が、ラベンダー色に染まっている。もう日が沈んだのかな。
すぐに保育園の駐輪場へ着いた。そのとたん、目の前が真っ暗になって、気がつけば、私は、35才のおばさんに戻っている。よかったあ!




