少女と少年放浪準備
もぐもぐ。
もぐもぐ。
……少年は、窺うように我が家のダイニングチェアにどっかりと腰を据える少女を見つめた。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
さきほどから、皿に盛られたコロッケを無言で食べている。
真剣な目つきで醤油をたらし、ケチャップをたらし…と、自分好みの味付けをこころみている姿は、どこぞの科学者かと思うほど。
コロッケがここまで好きな人間を少年は見たことがなかった。
ここまでコロッケに執着する人間を。
「おい、あんた」
いきなり、名前を呼ばれて、座イスに正座していた少年はびくつく。
じっとこちらを睨みつける彼女の表情はまさに般若。
「はっはい!なんでしょう?」
「お茶。もうちょっと気が使える人間にならないと婿の貰い手がなくなるぞ」
婿って…。小さく少年はつぶやくと、正座して痺れた足でふらつきながら立ち上がり冷蔵庫を目指す。
黙々と食べ続ける少女の方をちらりと見やると、たくさんあったコロッケも、残り一つになっている。
少年は空になりそうな皿を見て、ふと思う。
そういえば、こんなにたくさんのコロッケ…俺だけのためには多すぎる。
少年の額は、いやな汗がぷつぷつと光っていた。
“これって…家族全員のじゃ…”
「ちょっと…待っ」
最後の一個のコロッケでも死守しようと手を伸ばす少年。
「なによ。ほら、お茶」
「あーっ」
後の祭りとはこのこと。
少女は少年に催促するようにテーブルをどんどんと叩く。
「ふぅ…もういいや」
少年はあきらめて、冷蔵庫から麦茶を取り出す。
客人用のコップに麦茶を注いで少女に渡すと、少女は待ってましたとばかりにぐびぐびと麦茶を飲みほした。
「ぷはーっ食った食った。さ・て・と」
少女は、テーブルから立ちあがり、背伸びをする。
少年は、やっと帰ってくれるのかと安堵した。
だが、彼はもうすでにどうしようもない状況に陥ってしまっていることに気づいていない。
彼がその事態に気づいたのは、皿を洗おうとキッチンへ向かった瞬間だった。
「ほら、行くぞ」
少年は、背後から聞こえる少女の言葉を聞かなかったことにして、食器を洗い始める。
あれはただの独り言だ。俺にむかって言ったんじゃない。
彼は、頭をふるふると横に振って食器を洗うことに専念した。
少女の方はというと、自分の言葉を無視されたのが、癇に障ったらしく腰に手をあてて少年を睨みつけている。
黒いストレートの長い髪が、怒りで靡いて見えるのは気のせいだろうか。
少女は、ずかずかと少年の近くに歩み寄り、がしっと少年の腕をつかむ。
「うわっ」
少女の力とは思えないくらいの握力に、少年は思わず痛みを声に出す。
「よわっちぃな…それでも人間か?」
「なんですか。人間ですよ?え?悪いですか!?」
少年は、自分より身長の低い少女を大人げなく睨む。
そもそも、彼は少女より年上な気がするのだが、少女の奥になにかが少年よりも上回っているため、彼は敬語を使っているのだろう。
「これから一緒に旅をしていく男が、こんな弱いやつなんて…」
はい?と少年は、少女を見つめる。
「ど、どういう意味ですかね」
「どういう意味って、あんた体も弱ければ、脳みそも弱いのか」
少女は、馬鹿にしたように笑うと、腕を組んで続きを言う。
「もう私に関わった以上、あんたはここにはいられない。ヤツらが追ってくるからな」
それからブツブツと、少女は何か言っているようだったが、少年の頭は真っ白で、最初の方しか聞き取れていなかった。
最後の残ってたコロッケ…一個ぐらい食べときゃよかった。