馬車が停まって
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里を出てから一週間。何度も人目を避けながら馬車や船などを乗り継ぎ、ようやくバルディグへ辿り着くことができた。
北方の中でも冬が厳しいと言われているバルディグ。
間もなく秋が始まろうとする季節なのに、北から吹く風には、既に冬の寒さが混じり始めていた。
間もなくバルディグの王城に到着するだろうという頃合いで、一昼夜走り続けていた馬車が停まる。
「もうお城へ着いたのかしら?」
揺れが治まり、いずみと水月は幌と荷台の繋ぎ目の隙間から外を覗く。
しかし周りに建物はなく、目に入るのは白い幹の木が疎らに生えた林のみ。
水月は座り直して背伸びすると、ハッと鼻で笑った。
「ここまで来て、馬車が轍にでもハマッたのか? カッコ悪」
しばらくは殺されないと高を括っているせいか、水月の口から日に日にキリルたちの悪態や皮肉が飛び出すようになっている。
元気が出てきて良かったと思う反面、彼らに聞かれたらどうしようとハラハラしてしまう。
いずみが困ったように苦笑していると、
「もしそうだとしたら、大きな揺れがあってしかるべきだろう。小僧、お前は本当に馬鹿だな」
いつの間にか二人の前にキリルが現れ、相変わらず無機質な目で見下ろしてくる。
一瞬ビクッと水月の肩が跳ねる。だが、口元に不敵な笑みを浮かべつつ、鋭い目でキリルを睨んだ。
「クッ……冗談だよ、冗談。真に受けるアンタの方が馬鹿ってもんだ」
彼らとは必要最低限の会話しか交わしていないが、水月はキリルと話をする時は必ず挑発じみた態度を取っている。
何度見ても心臓に悪いが、これでキリルが怒り、鉄拳や鋼の切っ先が飛んでくる……というところは見た事がない。
水月に怒りを見せたのは、最初の時に水月が王の悪評を口にした時のみ。
キリルという男は、ジェラルド王の批難や悪態でなければ、どんな悪口も皮肉も聞き流しているようだった。
それが分かっているからこそ、水月は悪態をついているのだろう。
案の定、キリルは何もなかったように話し始めた。
「この林を抜けたら、陛下が居られる城へ到着する。その準備をここで済ませておく」
準備? 何の準備なのだろう?
いずみが不安げにキリルを見ていると、彼は辺りを見渡してから、隅に置かれた木箱に近づき、音を立てずに蓋を開けた。
キリルが箱から取り出したのは、二着の乳白色の外套。
ひとつをいずみに手渡してから、もうひとつは水月に向けて雑に放り投げた。
「その外套を服の上に着ろ。それなら陛下の御前に出ても見苦しくない」
いずみは頷くと、折り畳まれていた外套を広げる。
フード付きの分厚くて上質な生地の外套だ。飾り気が一切ない分、清潔感がある。
言われるままにいずみが外套に身を包んでいると、隣で水月が「扱い悪ぃな」とぼやきながら着替えていた。
外套をまとった二人の全身を隅々まで眺めてから、キリルはいずみの目を真っ直ぐに射抜いてきた。
「その顔、陛下や俺以外の人間には見せるな。お前の正体が分かれば、狙ってくる輩が出てくる。さらわれるだけなら、まだ取り返しもつくが……最悪、陛下の不老不死を阻止しようとする人間が、お前を殺しに来るかもしれない」
いずみの息が思わず止まる。
キリルが言っていることは、決して大げさではない。
本気にしている人間が少なくなったとはいえ不老不死を望む人間は他にもいるだろうし、そもそもあらゆる薬に精通する久遠の花の力を欲する者は少なくはない。
それに狂王と噂されるジェラルド王が不老不死になれば、困る者が大勢出てくるだろう。
血の気が全身から抜け出るような寒気を感じつつ、いずみはコクリと頷き、フードを深々と被って顔を隠す。
同じように水月もフードを被ると、キリルへ手を差し出した。
「そこまで心配してるなら、オレに武器をくれよ。万が一アンタたちの助けが間に合わない時のために」
ジッと水月の手を見つめた後、キリルは腰に挿していた短剣に手を添えた。
「確かに一理あるな。だが、お前がこれで陛下を襲う可能性のほうが遥かに高い」
「オレたちは確実に生き延びたいんだ、そんな勝算のない賭けはしねぇよ」
顔は見えずとも、低く揺らがない声が水月の気迫を伝えてくる。
キリルにもそれが分かったのか、おもむろに短剣を外し、水月の手に置いた。
「妙な動きをしたら、いかなる理由があっても即座にお前を斬り捨てる。それを肝に銘じておけ」
短剣を受け取った水月の手が一瞬だけ強張る。
しかし、吹っ切るように短剣を強く握り込むと、すぐに己の腰へ挿した。
ほんのかすかに安堵の息をついたことが、いずみには分かった。




