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   イヴァンへの報告

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「――なるほど。敵に容赦がないところは相変わらずだな。だが、少しずつでも確実に変化しているようだな」


 いずみが定例になった温室での報告を伝え終えると、向き合って静かに聴いていたイヴァンが小さく頷いた。


「以前に比べれば、エレーナ以外の人間ともまともに会話ができる回数も増えている……気だるそうに話すところは変わっていないが、話が通じるだけでも今はありがたい」


 独り言のように低く呟くイヴァンへ、いずみは唇を開きかけて言葉を呑み込む。


 イヴァンに懇願すれば、無用な血が流れないように配慮してくれる気がする。

 しかし国の大事に関わるようなことに、何も知らない余所者が口を出すのは軽率な気がして、言い出すことが躊躇われた。


 ふとイヴァンがこちらに目を合わせ、かすかに微笑んだ。


「言わなくても分かっている。無関係の人間に被害が及ばぬよう、可能な限り手を打っていく。だからこの件に関して心配せず、エレーナは親父の治療に専念してくれ」


「はい、イヴァン様。……ありがとうございます」


 力強い言葉に安堵して、いずみの顔から力が抜ける。

 声に出さなくても心が通じたような気がして口元が緩みかけたが、すぐに思いとどまり、話を本題に戻した。


「ルカ様の調査で、新たに何か分かったことはありますか?」


 軽く目を閉じて、イヴァンが悩ましげにため息をついた。


「進んでいると言っていいのかどうか……食事にも肌へ身に付ける物にも、毎日注意深く目を光らせているが、まったく異常はないそうだ」


 疑わしい物がないか、ルカだけでなくキリルたちやトトも調べているが、未だに手がかりは掴めていなかった。


 食器は料理を入れる前にキリルの配下が必ず布で拭き、それをいずみに渡して毒の付着を調べているが、ちょっとした付着物すら見つからない。

 料理は同じ者が毒味を続けているが、ジェラルドと同じような状態には陥っていない。

 身に付ける物は、前日にトトが調べて、異常がなければキリルが預かり、当日に直接ジェラルドへ渡している。


 ルカの方でも、ジェラルドが足を運ぶ場所に何かおかしな点はないか調査しているが、今まで目ぼしい物は見つかっていない。

 調べ始めてから、間もなく五ヶ月になろうとしている。しかし毒の痕跡は一切見当たらない。


 進展しているのは、ジェラルドの容態が回復してきていることだけ。

 そして、この回復だけが毒に侵されているという唯一の証拠だった。


 いずみが表情を曇らせていると、ポンッと軽くイヴァンに肩を叩かれた。


「ずっと停滞していたことがようやく動き始めているんだ。わずかな変化でも俺たちにとっては大きな前進……あまり悲観的にならないでくれ」


 穏やかに笑いかけられて、いずみの頬に熱が集まっていく。

 今までもうっすらとその気配はあったが、最近になってますますイヴァンに微笑まれると胸が落ち着かなくなってくる。


 狂王を元に戻すという大役を任されているのに、心が浮かれそうになる自分が情けなかった。


 いずみは軽く息を飲んで胸のざわめきを抑え込むと、「はい」と微笑み返した。


 いつもなら報告を終えると、多忙なイヴァンは執務のためにすぐ温室を出て行ってしまう。花束を所望の時は作りながら報告をするので、どちらにしても結局は早くここを離れてしまう。


 が、この日は珍しく踵を返さず、イヴァンはいずみを見つめ続けていた。


「あ、あの……何か他にご用が?」


 顔色を伺いながらいずみが尋ねると、イヴァンはハッと息を引き、気恥ずかしそうに視線を逸らした。


「実は先日、母の見舞いに行った時に言われたのだが……直接会って花束の礼を言いたいから、次に来る時はぜひエレーナを連れて来い、とのことだ」


 反射的に頷きかけて、いずみはピタリと動きを止める。


 キリルが許してくれるなら王妃の要望に応えたい。

 けれど王妃は療養のために、王城から離れた所にいると聞いている。


 王妃に会いに行くということは、この城を出なくてはいけないということ。

 こちらの存在をなるべく人に知られたくない上に、ジェラルドの治療とは関係のないことをキリルが許してくれるとは思えなかった。


「……王妃様にお応えしたいのですが、私の外出をキリルさんが認めてくれるか――」


「アイツは融通が利かないから、問答無用で駄目だと言うだろうな」


 イヴァンは軽く息をついてから、どこか楽しげに口端を上げていずみを見た。


「だが、薬師たちの部屋と温室を行き来するだけの生活では気も滅入るだろう。より良い治療をするために気分転換は必要だ、と言っておけばキリルも首を縦に振ってくれると思うぞ」


 そんなに簡単に納得してくれるだろうか?

 イヴァンの頼もしい言葉を聞いても楽観視できず、いずみは憂慮の面持ちを続ける。


 不意にいずみの頭にイヴァンの手が乗せられた。


「エレーナ、お前は外へ出たくないのか?」


 急に触れられて、いずみの鼓動が跳ね上がる。

 これは特別なことではなく、妹を気遣う兄のように接しているだけ。そう自分に言い聞かせ、いずみはおずおずとイヴァンの顔を伺った。


「いえ……ほんの一時でも外に出られるのなら、これほど嬉しいことはありません」


「じゃあ決まりだ。必ずキリルを説得して数日以内に行けるようにしよう。母の病の経過を診るという口実でトトにも来てもらうから、部屋へ戻った際にその旨を伝えておいてくれ」


 いずみが「分かりました」と頷くと、イヴァンはこちらの頭をくしゃりと撫でてから手を離し、一歩後ろへ下がる。


「では、そろそろ執務に戻る。エレーナと出かけられる日を楽しみにしているぞ」


 そう言ってイヴァンは踵を返し、ゆっくりと出口へと向かっていく。

 離れていく背中を見ながら、いずみは小首を傾げる。


(なんだか温室を出るのを惜しんでいるような……気のせいかしら?)


 きっと、少しでもイヴァンと長く居たいと望んでいるから、そんな風に見えてしまうのだろう。

 

 扉が閉まって一人きりになった時、いずみは盛大にため息をつく。

 まだ事態は気が抜けない状況なのに、浮つきそうになる自分の心が恥ずかしくて仕方がなかった。

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