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四章 戦いの季節

 バルディグの長い冬が終わり、ようやく草木の新芽が萌える時期になった。

 外に出れば冬の気配を残した風に肌を撫でられるが、優しい春の日差しが降り注ぎ、誰もがその暖かさに目を細める。


 あまりに厳しい冬は、北方の国々を凍りつかせ、動きを縛り続けていた。

 そんな見えない氷の鎖が溶けるのを合図に、国々は動き出す。


 春の訪れは、戦いの訪れでもあった。

 

 

 

「エレーナ、奥からこの薬草を持ってきておくれ」


 トトが薬研を挽く手を止め、籠に入っていた残り僅かな薬草を摘んでいずみに見せる。


「分かったわ、おじいちゃん」


 短く頷き、いずみは空いた籠を持って薬草の保管庫へと向かおうとする。と、


「悪いが俺の分も持ってきてくれ。手が放せないんだ」


 入り口に近い台で作業していた年配の薬師が、こちらを振り返って手をヒラヒラさせる。

 息を吸い込み「分かりました」と大きめの声で返事をしてから、いずみは踵を返し、早歩きでその場を離れた。


 保管庫の扉を開けると、壁伝いにいくつか並べ置かれている大袋の一つから、目的の薬草を手に取って籠に移していく。

 山盛りになったところで元の部屋へ戻り、トトたちに渡し終えると、今度は他の薬師が「こっちにコレを持ってきてくれ」と頼まれ、いずみは慌ただしく保管庫へ向かう。


 何度も部屋を往復して頼まれ事が一区切りつくと、休む間もなくトトの隣で小鉢に入った木の実をすり潰していく。

 

 トトに指示を求めに来た中年の薬師が、いずみを見て微笑んだ。


「いやあ、エレーナやナウムが手伝ってくれるおかげで、いつもの年より仕事が楽ですよ。トト様、こんな良いお孫さんたちに恵まれて羨ましいですな」


 頭を上げたトトの口端が、嬉しそうに引き上がった。


「二人とも私の自慢の孫だよ。特にエレーナは筋がいいから、仕事の教え甲斐があるよ。本当ならもっと落ち着いて教えられると良いんだけどね」


 トトの顔に申し訳なさそうな微笑が浮かぶと、薬師は眉間に皺を寄せて、大きく息をついた。


「確かに……ここ数年、春になったら戦が始まって、朝から晩まで薬を作り続けなくちゃいけませんからね。負傷者の手当てにも人を割いていますから、人手が全然足りませんよ」


 北方の地では、真冬の凍てつく寒さと連日の吹雪のために、どれだけ戦いが激化していても休戦することが暗黙の了解になっている。

 しかし、あくまで休戦。春になれば休戦する意味はなくなり、戦を再開してしまう。


 水月や薬師たちの話によると、重症の負傷兵たちが兵舎に運ばれており、寝台が足らず床に寝かされている者も多数いるらしい。そんな彼らを治療するため、薬師たちは交代しながら兵舎へ常に出入りしていた。


 一昼夜眠らずに仕事をしている薬師がほとんどだ。それでもいずみや水月が早く眠れるように気遣ってくれている。


 正体を隠さなければ、もっと力になれるのに……。

 薬草の手入れなどの用事がない限り、この部屋を出るなとキリルから言い渡されている。

 力を出し惜しみせずに治療できないことが、ひどく心苦しかった。


 罪悪感に胸がずきりと痛み、いずみは思わず目を細めた。


「ごめんなさい、簡単なことしか手伝えなくて……本当なら手当てのお手伝いもしたいのに――」


 急にトトと薬師は目を見張り、各々に首を横に振った。


「いやいやいや、それとこれとは話が別だよ」


 トトの意見に、薬師が小刻みに頷く。


「そうそう。あんな飢えた男ばっかりの所に、こんな若くて可愛い子を放り込んだら大変なことになるじゃないか」


 年齢が若いのはその通りだが、やっぱり可愛いというのは言い過ぎている気がする。

 腑に落ちず、いずみは小首を傾げる。


「でも、皆さん傷ついて身動きが取れないなら大丈夫な気がします。それに、お城で働いている女性も、手当ての手伝いに来ているみたいですし……」


「女に飢えた野郎どもを甘く見たらダメだぞ、エレーナ」


 横から水月の声が飛んできて、三人の視線がそちらに向けられる。

 ここ数ヶ月で大人の背丈に近づいた水月は、腕を組み、呆れたように肩をすくめた。


「若い侍女が手伝いに来たら、例外なく尻撫でてくるヤツがいるし、中には抱きついてくるヤツもいるんだぞ? そんな所に可愛い妹を向かわせるなんて、絶対に嫌だ」


 熱弁を振るう水月へ、薬師が「その通りだナウム」と拳を握る。


「エレーナは我々にとって大切な娘みたいなものだ。エレーナをあそこへ行かせるくらいなら、連日徹夜の方が何万倍もマシだ」


 加熱する二人を諌めることなく、トトはゆったりした動きで頷いている。


 ……大切にしてもらえるのは嬉しいけれど、ちょっと過保護な気がする。

 段々と気恥ずかしくなってしまい、いずみは視線を下に向けて作業に徹した。


 雑談は終わり、トトや中年の薬師はそれぞれの作業に戻る。

 いずみが木の実を完全に粉状にすり潰して作業を終えると、見計らったように水月がこちらに近づき、肩をポンと叩いてきた。


「悪ぃがちょっと来てくれるか? 兵舎に運ぶ薬を箱に詰めて欲しいんだ」


 そう言うと、水月は親指を立てて保管庫を指さす。

 いずみは「分かったわ」とコクンと頷き、トトに一声かけた。


「おじいちゃん、ちょっとここを離れるね」


「分かったよ。それならナウムを手伝ってから、エレーナは休んでおくれ。後は私たちだけで間に合うから」


 これは部屋に戻ってジェラルドの薬を作れという指示。

 どう周りを見ても忙しさは相変わらずで、手伝いを止めることが後ろめたい。


(……おじいちゃん、みなさん、ごめんなさい)


 いずみは心の中で謝りながらトトに「ありがとう」と伝えると、水月と共に保管庫へ入った。


 扉をバタンと閉めると、水月は大きく背伸びをしてから、近くに立てかけてあった底の浅い大きな木箱を手に取った。


「オレは傷薬と痛み止めを入れていくから、エレーナは胃腸薬と熱冷ましの薬を入れてくれ」


 いずみは大きく頷いてから部屋の奥にある棚まで行くと、下から三段目の――一番取り出しやすい引き出しを開ける。

 中には、普段からよく使われている粉薬や丸薬が入った小袋が並べられていた。

 薬を判別できるよう、袋には薬の種類に合わせた模様が塗られており、ひと目見ればすぐに欲しい薬を探すことができた。


 手に持てるだけ小袋を持ち運んで箱に入れていると、水月が布を広げ、陶器の入れ物に入った軟膏や薬液入りの小瓶を次々と入れている姿が視界に入る。

 想像していた以上にたくさん薬を運ぼうとしている。それを見て思わずいずみは目を見張った。


「そんなにいっぱい薬が必要になっているの?」


「ああ。かなり苦戦しているみたいだからな、頻繁にケガ人が運ばれているんだ。もう床の空きすら無くなってるから、少しでも回復したら戦場に送り出しているって状況だ。……せっかく命拾いしたのにまた死地に送り出されるんだから、哀れなもんだ」


 水月の声の調子はいつも通りだが、彼には珍しく、どこか思いつめた顔をしている。

 兵舎の現状を目の当たりにして心を痛めているのだろう。顔見知りになった兵士も少なくない。

 

 いずみが表情を曇らせていると、水月はハッとなって笑顔を作った。


「安心しろよ、エレーナ。今イヴァン様が戦いを終わらせるために交渉してるから、近い内に落ち着くハズだぜ。あと少しで終わるから、それまでの辛抱だ」


 終わりが見え始めていると分かった瞬間、いずみの心が少し軽くなる。

 ただ、胸に硬くて刺々しいものがずっと留まり続けていた。


「ええ、分かっているわ。でも――」


「エレーナは自分のできることをやれば、それで良いんだ。誰であっても出来ることには限りがあるんだから、あんまり背負い込むなよ」


 ポンポン、と頭を軽く叩かれ、いずみは目を細めて水月を見つめる。


「……私よりも、ナウムのほうが背負い込み過ぎている気がするわ。いつも誰かのために動いてばかりで、自分のことはどうでもいいような感じがするから……」


 口では素っ気ないことを言っていても、常に周りの心配をしている。

 根は優しい人なのだと思う。けれど時折、敢えて自分を傷つけているように感じてならない。


 水月は一瞬目を丸くした後、わずかに苦笑を浮かべた。


「オレがそんなお人よしの自虐人間な訳ねぇだろ。単にそういう風に見えるよう振舞っているだけで、皆のために犠牲になろうって気なんざ、これっぽっちもないぞ」


 そう言うと立ち上がり、踵を返して薬を取りに向かう。

 ここへ来た時よりも大きくなった水月の背を見ながら、いずみは口元を綻ばせる。


(誰だって普段から考えもしないことなんて出来ないわ。それが演技だとしても……)


 相手のことを考えるからこそ、その相手が求めることに気づいて応えられる。

 水月が以前よりも優しく、背丈と共に心も大人になったような気がした。

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