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   一夜明けて

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 新年の宴から一夜明け、いつも通りに寒い朝を迎える。

 しかし、目が覚めても体の倦怠感がひどく、いずみは起き上がれずにいた。


 先に起きて身支度を済ませていた水月が、こちらの異変に気づいて顔を覗き込んでくる。


「大丈夫か、エレーナ? 顔が赤くなってるぞ」


 眉根を寄せながら、水月はピタリといずみの額に手を当てる。

 触れた瞬間、水月から大きなため息が溢れた。


「熱があるじゃねーか。ひょっとしなくても、昨日の一件のせいだろうな」


 普通に過ごしていれば久遠の花は病気にならない。水月の言う通り、あの惨劇に激しく動揺してしまい、その負担が体に出てしまったのだろう。


 自分は陛下のおかげで現場を見ずに済んだが、水月はしっかりと目の当たりにしたはず。あまりにひ弱な心が情けなくなってくる。

 少しでも心配させないように、いずみは今できる精一杯の笑顔を見せた。


「お薬を飲めばすぐに治まるから大丈夫よ。これぐらいの熱なんて、大したことないわ」


 起き上がろうと腕に力を込め、いずみは体を起こそうとする。

 ふるふる震えながらゆっくり動いていると、水月が背中を支えて手伝ってくれた。


「薬で熱が治まっても、心労はすぐに癒えないだろ。じーさんたちにも言っておくから、今日はあんまり動かずにここで休んでいろよ」


 いずみは力なく頷いてから、眉根を寄せる。


「ええ……。でも、温室の薬草の様子を見に行かないと……」


 希少な薬草の手入れとジェラルドの診察は、自分でなければできない。どれだけ体調が悪くとも、この二つだけは欠かすことはできなかった。


 水月が口を閉じて不満そうに目を細めてから、やれやれと肩をすくめた。


「じゃあ、オレも手伝ってやるから、さっさと終わらせてしまおうぜ」


 ただでさえ多忙な水月に迷惑をかけたくなかったが、他の人間を頼る訳にもいかない。

 いずみは「ありがとう」と微笑み、水月の手を借りて寝台から降りた。

 

 

 

 

 朝食を済ませてから、いずみと水月は温室へと向かう。

 即効性のある薬を飲んだおかげで、熱は下がり、倦怠感に満ちていた体に少し力が戻っている。どうにか朝の日課を終えるまで体は耐えられそうだった。


 普段よりも遅い歩みで大庭園の中を進み、途中倒れそうになりながらも温室へ辿り着く。

 中へ入ると、いつもなら温かさでホッと息をつくところだが、今日は胸がやけにつっかえて息苦しさを感じた。


「水やりするんだろ? 汲んできてやるよ」


 水月は温室へ入るなりに小走りで貯水池へ向かい、脇に置いてあったじょうろを手にする。

 少し遅れていずみは追いつくと、薬草と奥の植物たちを見渡して様子を見る。

 特に異常がないことを確かめてから、いずみは口を開いた。


「ナウム、奥のほうから順に水をあげてもらっても良い? 私は雑草を抜いていくから」


「了解……って、面倒見ているのは薬草だけじゃないのかよ。わざわざ仕事を増やさなくても良いのに――」


 そんなことをブツブツと言いながらも、水月は言われた通りに水をやり始める。

 いずみは小さく笑い、おもむろにしゃがんで雑草に手を伸ばす。


「私よりもナウムのほうが、あれこれやり過ぎていると思うんだけど」


「オレは目的があるからやってるんだ。エレーナみたいにお人好しでやっている訳じゃないぜ」


 薬草同士をそっと掻き分けて雑草を取りながら、いずみは首を傾げる。


「ナウムの目的ってなあに?」


「まあ色々だ。取り敢えず、ここで上手く生活していくための土台を作ってるってところだな」


 詳しく聞いてみたいところだが、水月が話を濁している時は何を聞いても教えてくれない。

 好奇心に胸の中をくすぐられつつ、いずみは薬草の手入れに集中しようとした。


 不意にキィィィ、と温室の扉が開く音がする。

 

 もしかしてと思い、いずみが顔を上げて扉を見ると、そこにイヴァンとルカが立っていた。

 めまいを起こさないようにゆっくりと立ち上がり、姿勢を正して向き合う。


「イヴァン様、ルカ様、おはようございま……」


 普段通りに挨拶を交わそうとして、いずみは言葉を止める。


 今までに見たことのないイヴァンの冷ややかで鋭い眼光が、真っ直ぐにこちらへ向けられている。背後に控えるルカも、同様の目をしている。

 一気に重々しい空気が温室を満たし、いずみの肩に乗りかかってきた。


 緊張と不安で体が硬直していく。

 近づくことも、後ろへ下がることもできず、イヴァンの視線を受け止め続ける。


 スッといずみを庇うように水月が前に立ち、突き刺さる視線を遮ってくれた。


「おはようございます。どうされたんですか? お二人ともそんな怖い顔をされて……あまりエレーナを怯えさせないで下さいよ」


 その場の空気を軽くしようとしているのか、水月は明るい声でイヴァンに話しかける。

 しかしイヴァンとルカは表情を崩さず、無言でいずみたちの元へ近づいてきた。


 あと一歩で触れ合える距離まで進み、イヴァンたちは足を止める。

 そして、イヴァンはしばらくジッと二人を見下ろしてから、ようやく口を開いた。


「二人とも揃っているなら話が早い。今日はお前たちに聞きたいことがある……正直に話してくれるなら、それ相応の見返りをやろう。だが話さないというならば、無事では済まないと思え」


 低く突き放そうとする声に、いずみは思わず身を縮こませる。

 と、水月がいずみを引き寄せて優しく抱き締め、ポンポンと「心配するな」と背中を軽く叩いてくれた。


「分かりました。一体どんなお話でしょうか?」


 水月が硬い声で尋ねると、イヴァンは腕を組み、目を細めて二人を睨みつけた。


「俺の親父が不老不死を求めて、あれこれ取り寄せていることは知っているな? その中で一つ気になるものがあってな。ぜひお前たちに聞いてみたかったんだ」


 気になるものってまさか――。


 いずみの動悸が次第に大きく、激しくなっていく。

 まだハッキリしたことは言われていないのに、こちらの隠していることを見透かされている気がしてならない。


 動揺を抑えられないいずみとは反対に、水月は平然とした顔でイヴァンと対峙し続ける。


「それは祖父が扱っている薬草のことですか? そうでしたら私たちよりも、祖父に聞いたほうが早いと思いますよ」


 静かにイヴァンは首を横に振ると、いずみへ視線を移した。


「いいや、お前たちの口から聞きたい。……俺が知りたいのは久遠の花についてだ」


 言われた瞬間、思わずいずみは呼吸を止める。


 イヴァンはジェラルドの悪政に対して憤りを覚えている。

 そんな狂王を不老不死にするかもしれない久遠の花は、イヴァンにとっては到底受け入れられない存在だ。


 完全に正体が暴かれてしまったら、最悪この場で殺されてしまうかもしれない。

 体温は高くなっているのに全身から血の気が引いて、生きている心地がしなかった。


 水月はいずみを抱き締める腕に力を入れつつ、小さく息をついた。


「すみません、ちょっと私たちには分かりかねます。そんな名前の薬草、祖父からは聞かされていませんから――」


「いや、久遠の花は薬草ではない。親父が連れ込んだ、不老不死の術を持つ薬師だ」


 どうしよう、気付かれている。

 今すぐこの場をどう切り抜けるべきかを考えなくてはいけないのに、思考がうまく回ってくれない。


 鼓動に合わせて、いずみの目の前が白くなったり、逃げ出したい現実に戻ったりを繰り返す。

 水月も言い訳が考えつかないのか、口を閉ざしたままイヴァンを凝視している。


 しばらく沈黙した後、イヴァンが言葉を続けた。


「エレーナ、お前がその久遠の花なのだろ?」 


 突きつけられた正解にいち早く反応し、水月が「え?」と驚きの声を出した。


「ちょ、ちょっと待って下さい! エレーナは祖父の手伝いをしていますが、薬の調合なんて傷薬ぐらいしかできませんよ。あり得ない……どうしてイヴァン様はそう思われたのですか?」


「昨日襲われた時に、あの狂王がエレーナを庇ったと部下から報告を受けたんだ。いつも薬を煎じているトトではなく、何故トトを手伝うだけのエレーナを庇う必要がある? 万が一エレーナを殺されて、不老不死の術を失いたくなかったからではないのか」


 イヴァンの語尾が鋭くなり、こちらを強く押して屈服させようとしてくる。


 言い返す言葉が出せず、いずみは俯く。

 押し黙っても、言葉を並べても、疑いが事実なのだと証明しているような気がした。


「陛下の気まぐれ、ということも考えられませんか? 失礼ながら、常人とは思考が違いすぎるお方ですから」


 水月が諦めずに足掻こうとする。が――。


「言い訳は見苦しいですよ、ナウム。どれだけ貴方がもっともらしい嘘をついても、彼女の反応がすべてを物語っていますよ」


 いつのまにか隣に来たルカが、水月の肩を掴んで強引にいずみから引き離す。

 そして素早く水月の腕を後ろに回し、体の自由を奪った。


 守ってくれていたものが取り払われ、いずみは棒立ちになったままイヴァンを見上げる。


 もうこれ以上は隠し切れない。

 一呼吸してから胸の前で両手をギュッと握り締め、イヴァンの視線を真っ向から受け止めた。


「今まで隠していて申し訳ありません。イヴァン様がおっしゃる通り、私は久遠の花……陛下のお体に合わせて薬を調合しています」


 スッとイヴァンの目が細くなり、憤りに満ちていた眼差しが少しだけ和らぐ。


「やはりそうだったか……残念だ。親父を不老不死にさせる訳にはいかないからな、お前たちにはここを出て行ってもらう。素直に従ってくれるなら、手荒な真似はしないが――」


「へー……オレたちをここから逃すなんて、本当にアンタたちにできるのか?」


 取り繕うことをやめた水月が、嘲笑混じりの声でイヴァンの話を遮った。

 怪訝そうに眉根を寄せて、イヴァンが横目で水月を睨みつける。


「ナウム、何が言いたい?」


「オレたちだって、逃げられるものなら今すぐにでも逃げたいんだよ! 久遠の花の隠れ里を襲われて、オレやエレーナの家族も仲間も殺されて、無理矢理ここへ連れ込まれて……こんな所、大金もらっても居たくないんだよ」


 威勢が良かったのは最初だけで、水月の声は次第に落ち込み、今にも泣き出しそうな表情へと変わっていく。

 

「逃げ出したくても、ずっと見張られ続けて逃げられねぇ。もし逃げ出せばオレは容赦なく殺されるし、エレーナはオレが死ねば自分で命を断っちまう。……ここで我慢して狂王の薬を作り続けるしか、オレたちが生き残る術はないんだ」


 水月の話が終わり、この場にいる全員の動きが固まり、温室から音が消える。


 自分のやっていることがイヴァンにとって目障りだとしても、そうしなければ生きていられない。大切な妹との再会も叶わなくなる。

 けれど、イヴァンから憎まれ続けることを考えると、胸が痛くて、この場から消えたくなってしまう。


 目頭が熱くなり、いずみの瞳が潤みそうになる。

 涙を流せば取り乱してしまうそうな気がして、唇をギュッと噛み締めて堪えていると、


「……だったら俺はどんな手を使ってでも、お前たちを必ずここから逃してやる」


 ため息混じりにイヴァンは呟き、罰が悪そうに頭を掻いた。


「そういう事情があるかもしれんと予想はしていたが……案の定か。辛い思いをしてきたな、エレーナ」


 イヴァンの声が、いつもの温かみのある声に戻っている。

 自分たちの嘘かもしれないのに、あっさりと受け入れられたことが信じられなくて、いずみはイヴァンを凝視する。


「あ、あの……私たちの話を信じて頂けるのですか?」


 顔色を伺いながら尋ねるいずみへ、イヴァンは大きく頷いた。


「気づいていたか? 家族のことや過去を語る時、いつも悲しげに、すべてを諦めたような表情を見せていたことを……どれだけ言葉を並べても、普段の何気ない仕草のほうが真実を物語ってくれるものだからな」


 ふといずみの脳裏に、水月がイヴァンと初めて対面した言葉が浮かぶ。


『あの人、まったく隙がなかったぞ。気さくそうに振舞っていても、厳しい目でオレたちを見ていやがった』


 裏を返せば、ちょっとしたことも見逃さないように気を配っていたということ。

 やはり厳しくても優しい人なのだと分かって、いずみの頬が安堵で緩んだ。


「ありがとうございます、イヴァン様。でも――」


「……駄目だ。アンタらにオレたちの命は預けられねぇ」


 いずみの話を、水月が腹から絞り出したような声で遮る。

 緩くなりかけた空気が一気に張り詰め、イヴァンの顔が険しくなった。


「お前たちだけで逃亡を試みるよりも、俺の庇護を利用したほうが明らかに逃げ切れる可能性は高いと思うが?」


 クッ、と水月の喉からくぐもった笑い声が漏れた。


「可能性? どっちも皆無じゃねーか。だってなあ……」


 水月が息をつきながら肩をすくめる。と――。


 ――ガッ! 唐突に水月がルカの足を払い、体をよろめかせる。

 その隙にルカの手から両腕を引き離し、素早く腰の短剣を抜く。


「な……っ?!」


 咄嗟にルカは体勢を直して剣を抜きかける。

 だが、彼が抜くよりも早く水月が、切っ先をルカの顎に突きつけていた。


(す、水月?! どうして……)


 次々と変わる状況に頭がついていけず、いずみは目を丸くして水月を見続ける。


 が、何度か瞬きしてから、イヴァンの動きがないことに気づく。

 こんなことをされて傍観できるような人ではないのに。


 ぎこちない動きで視線を移すと、イヴァンは剣の柄に手をかけながらも、鞘から刃を出そうとはしていなかった。


 そして、いつの間にかイヴァンの背後にキリルの顔があった。

 いつも通りに感情を一切消した無表情で、イヴァンの背に鋭い切っ先を突きつけていた。


 フゥ、と水月がわざと聞こえるようにため息を吐き出した。

 

「オレの反撃を許した上に、キリルに背後を取られているクセに、どうやってオレたちを逃がすって言うんだ?」

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