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   変化の兆し

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 次の日の夕方、時間通りにいずみはトトとともにジェラルドの診察へと向かう。


 部屋へ入ると玉座に座ったままのジェラルドへ近づき、跪いて頭を下げる。

 そして「顔を上げよ」と許しを得て、気だるそうなジェラルドの顔を仰ぎ見る。これがいつものやり取りだった。


 だが、今日のジェラルドを仰いだ瞬間に、いずみは目を見張る。


 少し離れていても分かるくらいに、ジェラルドの顔に笑みが浮かんでいる。それにいつも漂わせている威圧感や冷ややかさが和らいでいる気がする。

 ここまで機嫌が良いと分かるジェラルドを見るのは初めてだった。

 

 横目でトトの顔を見ると、同じように驚いているのか、目を白黒させていた。


「どうした、始めないのか?」


 ジェラルドの声にハッとなり、いずみは慌てて「は、はい」と立ち上がる。

 診察用の薬箱を手に持って転ばぬように気をつけながら階段を上ると、すぐに診察へ取りかかった。


 体を触り、熱や首の腫れ具合などを確かめている最中に、ジェラルドが声をかけてきた。


「キリルから話は聞いたぞ。これから余のために食材を選んでくれるそうだな」


「はい。その方が薬のみよりも回復を早めることができますし、陛下のお体の負担を軽くすることもできます。お許し頂けますか?」


 いつ機嫌を損ねるか分からないジェラルドの様子を伺いながら、いずみはおずおずと尋ねてみる。


 ジェラルドは小さく頷くと、いずみの目を真っ直ぐに見た。


「少しずつではあるが、お前のお陰で余の体は楽になりつつある。……結果を出す者の意見は聞くに値する。これからもお前が必要だと思うことをしてくれれば良い」


 ずっと虚ろで濁っていたジェラルドの瞳に、わずかながら活力の光が灯っている。

 狂気が薄れている手応えを感じて、いずみの口元に笑みがこぼれる。


「ありがとうございます。陛下がお元気になられるよう、全力を尽くします」


 こちらの言葉を聞いて、満足げにジェラルドが頷く。


「頼りにしているぞ、エレーナ。治療に必要な物があれば、どれだけ高価な物でも取り寄せて構わぬ。一日でも早く余の体を完璧に戻し、不老不死にしてくれ」


 一瞬、いずみの体が強張り、緩みかけた心が冷水を浴びせられたようにギュッと引き締まる。


 このままジェラルドが回復するにつれて、不老不死への期待は高くなるのだろう。

 期待して、期待して、それが叶わないと分かった時、本当に狂ってしまう気がしてならない。


 なるべく期待を膨らませないようにしたほうが、不可能だと分かった時の傷も浅くなる。

 けれど、どうすれば気分を害さないように伝えられるかが分からなくて、いずみは「はい」と小さく頷くことしかできなかった。


 いずみが手渡した薬を飲み干してから、ジェラルドは「ところで」とおもむろに口を開いた。


「まだ先の話になるが、毎年、新年を祝うために城へ楽士や踊りの名手を呼び寄せて宴を開いているのだが……今回から余の近くにお前とトトを置こうと思っている」


 膝をついて空いた小瓶を箱に片付けていたいずみは、手を止めてジェラルドを見上げる。


「万が一、陛下のお体に異常があった場合に備えて、ということでしょうか?」


「表向きはな。お前が毎日体を診ているのだ、そんなことにはならないだろう。余の近くにいれば、宴の場で舞が一番美しく見ることができる。お前に存分に楽しんでもらいたいのだ」


 予期せぬ言葉にいずみは戸惑い、階段の中ほどに控えていたトトを思わず見やる。

 こちらの動揺を察してくれたトトは、二、三段上ってから、跪いて頭を下げた。


「なんと身に余る光栄……エレーナも喜んでおります。陛下のお心遣い、ありがたく承ります」


 トトがいつもより上ずった声を小刻みに震わせる。

 驚きと動揺に混じり、嬉しさが込み上げているのが伝わってきた。


 いずみからトトへ視線を移す頃には、ジェラルドの顔から笑みは消えていた。


「トトよ、お前はついでだ。エレーナへの感謝を忘れるでないぞ」


 素っ気ない物言いのジェラルドとは反対に、頭を上げたトトの顔はにこやかで、瞳が潤んでいた。


「充分に承知しております。このトト、エレーナへの感謝を一日も忘れたことはありませぬ。これからも陛下のお体のため、エレーナを支え続けたく思っております」


「良い心がけだ。その言葉、絶対に違えるな」


 ジェラルドの低く脅すような声色と、静かな怒りを漂わせて睨む横顔に、いずみは総毛立つ。

 ついさっきまでの穏やかな空気は消え失せ、相手を力づくてひれ伏せさせるような威圧感がトトに向けられている。


 早くここから離れたくて、いずみは震える手で後片付けを再開する。と、


「あっ……」

 

 いずみの小指が空の小瓶に辺り、床へ転がった。

 慌てて拾い上げ、ジェラルドへ「失礼しました」と一礼する。


 こちらへ振り向いたジェラルドの顔に、再び微笑が戻っていた。


「焦らずとも、ゆっくり片付けてくれれば良い。そんなことより……エレーナよ、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」


 ジェラルドの目が細くなり、心配そうな色を見せる。

 今までにない反応に、いずみは目を丸くしたままジェラルドを見つめる。


(ど、どうなされたのかしら? 昨日まではもっと素っ気なくて冷ややかだったのに……もしかして今までの治療のおかげで、以前の陛下に戻りつつあるのかしら?)


 狂気が薄らいだ今の眼差しは、イヴァンによく似ている。

 厳しそうで、でも人を真っ向から見てくれる、温かみのある眼差し。


 暗い夜道の先に明かりを見つけたような気がして、いずみの胸から嬉しさが溢れ出る。

 思わずそれが表に出て、意図せずに破顔していた。


「お気遣いありがとうございます、陛下」


 もしかすると、思っていた以上に回復が早くなるかもしれない。

 そんな手応えを、早く水月に伝えたかった。

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