馬車での密談
「呼びに来てくれて助かったぞ、ルカ。あのまま居たら、ペルトーシャをぶん殴っていたかもな」
向かい側に座ったルカは、やや呆れた顔をして小さく息をつく。
「あれくらいでケンカを売らないで下さいよ。なるべく宰相様とは表向きだけでも仲良くして頂かないと……国外どころか国内にまで敵を増やす訳にはいかないのですから」
父王が政を宰相に一任してからというもの、宰相一族の懐にたまるよう予算を組んできた。
おかげで軍備に回される金は少なく、それを見越した他国があれこれ難癖をつけてバルディグに攻め込んできている。
少しでも侵攻を食い止めようと応戦しているが、少しずつ領土は奪われているのが現状だった。
この状況が治まるまではペルトーシャたちを敵に回す訳にはいかない。
頭では分かっているが、やるせない思いがイヴァンの胸に広がっていた。
「……今日は戦場で指揮を取るよりも疲れたぞ。しかもペルトーシャのヤツ、俺に自分の娘をあてがう気でいるだろうから、宴の招待を受ける頻度も増えそうだな」
「きっとそうなるでしょうね。このまま王子が正妻を選ばなければ、そう遠くない内に宰相様に押し切られてしまいますよ」
ルカの言う通り、こちらが何も手を打たなければそうなるだろう。
できれば宰相一族の人間を妻にするのは避けたいが、今まで妻にしたいと思える女性に会ったことがない。
いっそ独身を貫いて、後継者に養子を貰おうかと思っているほどだった。
こめかみに微痛が疼き、イヴァンは片手で頭を押さえた。
「大体俺の前に現れるヤツは、どいつもこいつも俺を利用して甘い汁をすすり、国が面する困難には関わりたくない女ばかりなんだ。妥協して選ぶ気にすらなれん」
間髪入れずにルカは何度も頷いて共感すると、「しかし」と言葉を返した。
「お気持ちは分かりますが、もう王子も二十二。そろそろ本腰を入れて動いて頂かないと、あらぬ誤解を生みますよ。ただでさえ『イヴァン様は男色家じゃないか』って噂が流れているのですから」
……冗談でも聞きたくなかったぞ、そんな噂は。
ルカを恨めしそうに見ながら、イヴァンは疲労が濃くなった体を背もたれに預けた。
そんな様子をルカは困ったような表情を浮かべて眺めていたが、おもむろに身を前に乗り出した。
「そういえば今朝温室にいた少女とは、いつになく楽しげに話されていましたね。もしかして、あれぐらい若い子が良いんですか?」
脳裏にエレーナの顔が浮かび、イヴァンは息をつきながら肩をすくめる。
「エレーナはまだ子供だからな。そういう対象で見ていないこともあるが、毒気がなくて素直な分だけ楽だったのは確かだ。だが……」
イヴァンは言葉を止め、口元に手を当てながら思案する。
恐らく田舎から出てきたばかりの純朴な娘だとは思う。
しかし、肌や髪の色こそ北方の物だが、全体的に顔の彫りが浅く、東方の血が混じっているように見えるのが引っかかる。
他国から送られてきた父王を狙う間者、もしくはバルディグの内情を探る密偵の可能性も考えられる。
毒気のない見た目に騙され、隙を突かれる事態は避けたかった。
「王子、どうなさいましたか?」
「……ルカ、用心のためにエレーナの身辺を調べてくれ。本当にトトの孫なのか、どこから来たのかを確かめて欲しい」
話を聞いた瞬間、ルカは真顔になって頷いた。
「彼女がトト殿の元へやって来たのは、ひと月ほど前……ちょうど陛下の不老不死を求める動きに変化があった時期と重なるので、念の為に調べるつもりでした」
不老不死。
その言葉を聞くだけでも腹立たしく、イヴァンは不快さを隠さずに顔をしかめる。
ただでさえ宰相一族が国庫をほぼ私用化しているのに、父王は不老不死のために高価な薬や道具を手に入れるために金を注ぎ込んでいる。
ずっとこの調子が続いているせいで、民のために回される金はあまりに少なく、市井の人々の不満は膨れ上がっていた。
国を害する者たちを失脚させるために動いてはいるが、父王の直属の密偵の目は厳しく、慎重にならざるを得ない状況。すぐに結果が出せない自分が歯痒かった。
「その話はまだ詳しい報告を聞いていなかったな。……どこまで掴んだ?」
「陛下が久遠の花と呼ばれる薬師を手に入れた、という話を密偵から聞きました。真偽のほどは分かりませんが、あらゆる病を治し、不老不死の秘薬も作れると……」
あくまで噂であって、十中八九は嘘だろう。下手をすれば薬師がどんどん高価な薬草を取り寄せ、無駄に国庫が費やされるかもしれない。
これがもし本当に不老不死が可能だとしたら、狂王が永遠にこの国を支配し続ける羽目になる。どちらに転んでも厄介だった。
イヴァンは腕を組み、唸りながら目を細める。
「……その久遠の花とか言う薬師が、エレーナかもしれないと?」
少し考え込んでから、ルカがこくりと頷いた。
「まだ子供ですが、その可能性も考えられますね。もう少し突いてみれば、ボロを出してくれるかもしれません。近い内に何度か彼女と会って探りを入れてみます」
「頼む――いや、ちょっと待て」
しばらく考え込んでから、イヴァンは不敵な笑みを浮かべた。
「ルカはエレーナの身辺を調べることに集中してくれ。俺が会って探りを入れてみる」
一瞬ルカは目を点にしてから、激しく首を横に振った。
「ただでさえご多忙なのに、王子のお手を煩わせる訳にはいきません」
「多忙さならお前のほうが上だろうが。俺はお前が準備してくれたことを、ただこなすだけなんだからな。それに――」
昼間のやり取りを思い出し、イヴァンの胸に小さな痛みが滲む。
「一日でも早く真実を知りたいんだ。あんな娘を疑い続けるのは、いい気分ではないからな」
エレーナには不審な点がいくつもある。だが、何かを企んでいるような人間には見えないことも事実だ。
疑心暗鬼になり過ぎて、裏表のないエレーナを疑っているだけかもしれない。そんな罪悪感を覚えずにはいられなかった。