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二章 祖父と孫

 秋が深まるにつれ、バルディグ全土はほのかな冷気の薄布に包まれていった。


 外はもちろんのこと、城内に漂う空気も冷ややかで、より重苦しい閉塞感を醸し出す。

 城内にいる一人一人が狂王を恐れ、いつも冴えない表情を浮かべているせいか、日が高くなったとしても、この閉塞感は変わらなかった。


 そんな鬱々とした環境に慣れてきたのは、ここへ連れて来られてから、およそ一ヶ月ほど経った後だった。




「エレーナ、そこにあるお湯を持ってきてくれないかね?」


 薬師の長トトに呼ばれ、少女は一呼吸置いてからハッとなり、甘栗色の長い髪をさらりと流して振り向く。


「分かりました。すぐに運んで来ますね」


 未だに慣れない自分の呼び名に違和感を覚えつつ、少女――いずみはニコリと微笑み、窓際にあった白い陶器のポットを手に取る。

 木のトレイにポットを乗せて作業台に持っていくと、トトはどこか遠慮がちに微笑み返す。目尻と口元の皺が深くなり、優しげな好々爺の顔を強調していた。


「ありがとう……これが終わったら食事にしよう。ちょっとそこに座って待っていなさい」


 そう言ってトトはポットを受け取り、薬草を煮詰めている壺に湯を注ぐ。

 ボフンと煙が立ち、それを手で払いながら、彼はゆっくりと柄杓で壺の中を混ぜた。


 言われた通りにいずみは隣の作業台の椅子に腰掛け、台の上に置かれた二人分の食事を見つめる。

 切り分けられたパンにチーズ、黄緑色の葡萄という簡素な食事。隠れ里にいた頃よりも寂しい内容だが、トトが言うには、これがバルディグでは贅沢な食事とのことだった。


 トトは柄杓を壺から取り出して脇に置くと、いそいそといずみの向かい側に座った。


「すまないね、待たせてしまって。じゃあ早速頂こうか」


 のんびりとした動きで、先にトトがパンを手に取る。一拍遅れて、いずみもパンを掴み、小さく千切りながら口へ運ぶ。


 何口か食べた後、トトは穏やかに微笑んだ。


「エレーナ、ここでの生活は辛くないかね? 私のような年寄りならまだしも、若い娘さんがこんな薬草臭くて陰気な所で寝泊りするなんて、かなり堪えるんじゃないかい?」


 辺りを見渡して誰もいないことを確かめてから、いずみは首を横に振った。


「家の中で常に薬草の香りがして当たり前でしたから、むしろ落ち着きます。未だにお城の中に住んでいる実感はありませんけれど――」


「そんなにかしこまらず、もっと肩の力を抜いて話しておくれ。私たちは祖父と孫という間柄なんだから」 


 葡萄を一つ摘みながらそう言うと、トトは小さな口で瑞々しい果実をかじった。



 親を亡くし、トトを頼ってきた孫二人。

 それがキリルから与えられた、いずみたちの肩書きだった。


 トトはキリルたち以外に事情を知る、唯一の人間。

 元々の人柄もあるだろうが、自分たちに同情して色々と気遣ってくれる。その優しさにとても救われていた。


 トトとともに城内で薬師たちが作業する部屋で寝泊りし、薬師たちを手伝いながらジェラルドの薬を調合する……今のところ、淡々とそんな日々が続いている。


 やるべきことが山積みで、朝から晩まで働く生活。

 おかげで一族を失った悲しみを紛らわせることができた。



 いずみは心の中でトトへ頭を下げる。

 少しでも周りに疑われれば、トトがキリルに始末されるかもしれない。自分たちだけでなく、トトにとってもこの偽りの関係は命懸けだった。


 口の中のパンがなくなってから、いずみは小さく頷いた。


「うん。ありがとう、トトおじいちゃん」


 まだ言いなれない呼び方が気恥ずかしくて、いずみの頬が熱くなる。

 そんないずみを、トトは温かな眼差しで見つめた。


「そうそう、その調子だ。もっと慣れたら、ナウムのように『じーさん』って呼んでもらっても構わないよ」


 ナウムとは、水月に与えられた名前だ。

 この部屋で一緒に寝食をともにしているが、彼は真っ先に起きて、キリルの元へ行ったり、材料を調達しに行ったりしていた。


 いざという時に守れるよう、キリル自ら水月に剣の稽古をつけていると聞いているが……いつも夜になると新しい青あざやカスリ傷が増えており、稽古の壮絶さが垣間見える。


 水月は稽古の内容は語らないが、その分、キリルの悪態をつきまくる。

 夕飯時は水月の溢れ出る愚痴のおかげで、一日の中で最も賑やかだった。


 互いに笑い合いながら食事を終えると、トトは大きく背伸びをしてから立ち上がった。


「さて、と。エレーナ、後片付けは私がするから、お前さんは花壇に行って、ティックの花を摘んできておくれ」


「ええ、分かったわ。トトさ……おじいちゃん」


 いずみは咄嗟に口元を手で抑え、目を泳がせる。

 やれやれと言いたげにトトは目を細めて苦笑すると、「行っておいで」といずみを促した。


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