今日とは違う明日の魔法使い
――1――
開幕――
とてもつまらない話をしようと思う。
その話の主人公は一人の少女だ。その少女はとある辺鄙な村の外れの森にひっそりと建つ一軒家に母親と暮らしていた。
母はいつだって優しい笑顔を浮かべて少女を温かく包み込む。少女はいつだって太陽のような笑顔で母を照らし出す。それは絵にでも描けばさぞ生えた光景になるだろう。
世間の華やかさや年頃の少女がするようなお洒落の流行なんてものは知らないし、得られる娯楽も極限られたものでしかない。それでも、少女は幸せだった。なにせ最初から限られた世界に生まれたのだから。
晴れた日には母と共に家庭菜園に精を出し、雨の日には編み物をする母の隣で何度も読み返した童話の世界に入り込む。
客など訪れることはなく、少女には友達と呼べるものさえ存在しなかった。よくある物語のように森の動物達が友達、などと言う事も全くない。
多くを知るものからすれば退屈すぎて一月とそんな生活には耐えられないような毎日でも楽しめるのだから少女は確かに幸せだ。
さて、そんな少女達にも転機と言うものは訪れる。灰色の人生に鮮やかな色を添えてくれるような転機が。
もっとも、それは目に痛いような赤色で、とても好転と呼べる代物ではなかった。
突如訪れたのは村に住む数人の若い男達。子供であることを卒業しつつも大人にはなりきれない時期の彼らというものは大概にして後先を考えない無茶というものに魅力を感じてしまうものだ。
そんな彼らが成し遂げようとしたのは、化け物退治。
村の外れにある森の中には人を呪い殺して魂を食らう化け物が住んでいるという村の大人達の言葉。
いかにも興味の惹かれる話ではないか。さあ、若者達は思い思いの武器を手に英雄へとなる旅に出る。もっとも、その手に握られているのはクワやスコップと、武器と呼ぶにはお粗末なものだったが。
当たり前に見慣れた森の景色は、その時の若者達にはどのように映っただろうか? まるで訪れるものを飲み込む魔物の口か。それともこれから生まれるであろう英雄を導く輝かしい道か。
そして、彼らは見つけた。とても地味な服に身を包み、肩までかからない程度の栗色の髪を風になびかせながら同じ色の髪をした娘に笑いかける化け物の姿を。
その頭に武器を叩きつけられた化け物は赤い血を流しながら地面に倒れ付す。たったの一回で。当然だ、それは化け物などではなくて、どうしようもなく人間なのだから。倒れてもすぐに起き上がり、娘を庇うように抱きしめて盾になる。なんて事のない、どこにでもいるような母親なのだ。
若者達は恐れた。自分と同じ色の血を流す光景に。自分と同じ形をしたものを傷つけた現実に。そして彼らは英雄になる事を捨てて逃げ出した。
さて、この物語から母親という登場人物が姿を消してからの話はそれこそ語るに値しない。
見るものを魅了するような劇的な復讐劇も起こらず、白馬の王子様が少女を迎えに来て今度こそ素晴らしい人生の幕開けが、なんて事もないまま、現在までに至る。ただ、外との関わりの一切を捨てて、人を恐れて母との思い出の残る我が家で腐る日々。
全くもってつまらない話だ。聞くものによっては涙を流しもするかも知れないが、誰一人としてこれを面白いとは思わないだろう。
だから私は今も目の前でぽろぽろと涙を零しながら顔を伏せる少女に向かって言葉を投げかける。
「君はいつまでそうやってみっともなく泣き続けるつもりだ? 泣き虫小娘」
――2――
開幕――
その人が私の下を訪れたのは突然でした。
お母さんがいなくなってから何年経っただろうか。今年で私も十九になりました。それでも、私を取り巻くものは何も変わらないし、変えるのはとても怖くて出来ないまま。
その日も一人でお母さんと一緒に読んだ童話をゆっくりと、昔に帰るようになぞっていた。
本を開いている間だけはあの頃に戻っていられる。顔を上げればお母さんが笑ってくれる。
でも、実際に顔を上げればそこに待っているのは大好きなお母さんの笑顔ではなく、一人っていう現実が待っていて、無意識に涙で視界が歪み始めてしまう。
そんな時だった。決して鳴るはずのないノックの音が聞こえたのは。
頭が真っ白になる。どうしたらいいのか分からなくて、体が勝手に震えだして、涙は際限なく瞳から零れ落ちていく。
もう一度、コンコンとノックの音が響く。
全然冷静じゃない頭で逃げなきゃって思って立ち上がったまではよかった。でも、焦っていた私は椅子に足を引っ掛けてしまいそのまま思いっきり転んでしまう。
思いっきり鼻を打ってしまい、その痛みでまた更に涙が溢れてきて、もうどうしようもなく混乱してしまって、そこから一歩も動くことが出来なかった。
そして、無情にも扉は開かれて――
「……君は、何をやってるんだ?」
煤色のローブに身を包み、適当に切りそろえられた黒色の髪の青年は、冷たい瞳で私を見下ろしながら呆れたように私に問いかける。
でも、私はそれに答えることは出来なくて、声を出そうとしても人に対する恐怖で口から出るのはまともな言葉ではなくて呻き声ばかり。
答えが得られないと思ったのか青年はその視線を私から外し、家の中に更に足を踏み入れながら辺りを物色するように見渡す。
一通り家の中を見渡すと、何かに納得したかのようにため息を吐いて首を横に振る。
「まあ、こんなことだろうと思った。しかし、まだ決め付けるには早いか」
青年は再び私にその冷たい瞳を向けて口を開く。
「質問だが、この近くに他に家はあったりするのか?」
私は首を横に振って否定する。
「では小娘、君は化け物か?」
その言葉を聞いた瞬間、私は理解してしまった。薄々分っていた事だけど、もしかしたらって思ってた。でも、そんな希望は叶いっこない。この人は、私を退治しに来たのだ。
その時、思い出したのはお母さんがいなくなった日の事。
違うと言えば助かるだろうか? ううん、きっと駄目だ。この人はもう私がそうだって気づいてる。だって、私はさっきまでよりも体は震えて、きっと顔は真っ青になってるから。
「万が一という事もあるかと思ったが、やはり無駄足だったな」
青年は勝手に近くにあった椅子に座ってつまらなそうに、無駄足だと言った。
「安心しろ小娘、私は君をどうにかするつもりはない。私が求めているのは化け物だからな」
青年の言葉は矛盾していた。化け物を求めているのに私をどうにかするつもりはないと言う。私には彼が何を考えているのか全くわからなかった。
それからどれくらいか、お互いに何も言葉を発することなく時間が過ぎていき、どうしたらいいのかわからなくてまた混乱し始めたところで青年が口を開く。
「私はフェイクという。年齢は二十三になる。職業兼趣味は化け物退治だ」
事もあろうに彼はこの空気で自己紹介を始めた。いきなりの事で最初私は彼が何を言っているのか分からなくて、それが自己紹介だと理解したのはたっぷりと一分くらいしてからだった。
「では次は君の番だ。名前、年齢、趣味、その他何でもいい。君の事を話してみろ」
その言葉はぶっきらぼうで、図々しくて、でも……とても優しく私には聴こえた。私はいてもいいんだよって言ってくれた。そんな気がして。
気づけば、私はフェイクという人に今まで貯めていたものを吐き出すように話していた。
名前はセルフィ・アクアスタットで、年齢は十九で、趣味は本を読むことで、お母さんの事が大好きで……話しているうちに、また私は涙を零し始めてしまって。まだ全部話してないのに、どうしても言葉が出なくて、顔を俯かせることしか出来ない私に、彼はこう言った。
「君はいつまでそうやって泣き続けるつもりだ? 泣き虫小娘」
本当に、いつから私は泣き虫になったのかな。昔はもっと笑ってたのに。
――3――
セルフィが落ち着くまでの間、私は適当に近くの本棚にあった本の内の一冊を抜き出して適当にめくってみる。
その内容はとても古い童話で、こうして本を手に取らなければきっと思い出す事もないままに記憶の片隅で埃を被ったまま、私が死ぬまで表に出てくることはなかっただろうな。
それを思い出したからと言って有益かどうかと問われれば無益でしかないが、ほんの少しばかり懐かしさを感じる事が出来ただけでも充分と言えよう。大人にとっての童話なんてそんなものだ。
本は何度も読み返された形跡が残っていて所々色も変色しているが、よほど大事に扱ってきたのか本そのものの古さに対して随分と綺麗なまま残っていた。
本を元にあった位置へと戻し、改めてセルフィに視線を向けると未だに涙を零しながら、それでも止めようと必死に目をこすっていた。
このまま待っていたら無駄に時間を過ごす事になりそうだ。ただでさえ外れを引いてここにいるというのに。仕方ない、少し急かしてやるとしようか。
立ち上がりセルフィのすぐ傍まで近づき、私は右手を彼女の眼前へと差し出す。
「君に選択肢をやろう。このまましゃがみ込んで今までのように無駄な時間を過ごしていくか、それとも私の手を取って立ち上がり今日をつまらない人生の新しい転機とするか」
呆けたように私を見上げる彼女を真っ直ぐに見返しながら、暫くの間手を差し出し続ける。
そして、その手は遠慮がちに握られた。
私はセルフィの小さな手を握り返してそのまま引き上げ立たせる。
「ではさっさと家を出る準備をしろ。目標は十分だ」
「……え? え?」
私の言葉に戸惑いきょろきょろと忙しなく視線を彷徨わせるセルフィを叱咤するように続けて言葉を投げかける。
「自分が必要だと思うものを適当にバッグに詰めろ。足りないものがあったら町にでも行ったときに買い足せばいい」
「は、はい。わかりました」
慌てて家の中を動き回るセルフィを置いて先に家の外へと出ると、庭の隅に無造作に置かれた大きな石と、その横に立てられた木の板が目に付く。
「……墓か」
近づいてみると案の定、木の板には拙い字で『お母さんのお墓』と書かれていた。
それは人の墓と呼ぶにはあまりにも粗末な代物だった。しかし、セルフィがこれを作った頃を思えば、きっと彼女なりに精一杯の物だったのだろう。
家から出てきたセルフィが持っていたのはせいぜい着替え一式とほんの少し入るかどうかといったサイズのバッグが一つ。
これは予想以上に入用な物は多そうだ。村の連中から前払いとしてもらった報酬では足りんかもな。
彼女は私の隣に来ると、そのまま母の墓石の傍に座り、暫くの間、目を閉じて祈りをささげる。
それから何かを言おうと口を開いては閉じ、えっとだのそのだの、聞いているこっちがイラついてくる。
「君は母親に出かけてくる時にそんな悩むほどの言葉を使うのか?」
見かねて私が助言をすると、セルフィは静かにただ一言。母へと語りかける。
「お母さん、行ってきます」
その時、意識的にか、それとも無意識にか、確かに彼女は笑っていた。
「一つ、君に教えておこう。世間を生きるうえではあまり重要ではないが、君にとっては大切な事だ」
「私にとって大切な事ですか?」
「その通りだ。それはこの世界には魔法使いと呼ばれる者達がいるという事だ。それは人間ではあるが、生まれながらに魔力を持った者達の事をそう呼ぶ。私も、というより私の一族もそれだ」
セルフィの顔に驚きと同時に僅かばかり理解の色が窺える。どうやら私が言いたいことが分かったようだ。
「セルフィ、私の感覚が取り返しのつかない程鈍ってしまっていなければ君も魔法使いの一人だ。きっと君の母親もな」
「……じゃあ、やっぱり私は――」
「それは違う」
セルフィが口にしようとした言葉を打ち消す。
その言葉は無意味に己を傷つけてしまうばかりか、当たり前に持った人間である権利を否定することになる。それに、私としては化け物と同じに扱われるのは癪だ。
「最初に言ったはずだ。魔法使いは人間だと。私の知る化け物というものは、どうしようもなく化け物でしかない。それは姿形に限った話ではなくな」
私達が人間であるように、化け物はどうしたって化け物でしかない。
「私は、本当に人間でいいの?」
かすれた声で投げかけられた問いに、私は迷う事なく頷いて見せた。それでも表情に不安を湛えたままのセルフィにもう一度言い聞かせる。
「君はただの世間知らずの人間だ。言っておくが、今時、君程度なら世間で普通に受け入れられている。多少珍しがられはするがね」
「貴方もそうなの?」
「私はそれ以上に変なものを見る目で見られる」
くすくすと笑いを漏らすセルフィを一睨みしてから歩き出す。もうここに留まる理由はない。
後ろをついて歩くセルフィは引きこもりの割には足取りはしっかりしており、曲がりなりにも森で暮らしていたわけではないと思わせる。
旅を始めたばかりの頃の私よりももしかしたら体力はあるかも知れない。
「そう言えば、一応村に寄っていくがどうする?」
問いかけると途端に出会った時のような情けない顔つきになり、軽快に進んでいた足も止まってしまう。
「ど、どうすればいいんでしょうか」
「もし村に復讐するならやってやろう。私なら出来るぞ。君を退治する報酬も前払いでもらっているから何も問題ない」
情けない顔から一転、必死な顔になり私のローブを掴んで首を横に振るセルフィ。
「駄目、駄目です! そういうのはよくないし、して欲しくないし、お母さんだってきっと駄目だって言います!」
こうも反応されると中々楽しいものがあるな。暫くはこの調子でからかいがいがありそうだ。
「冗談だ。同族にした仕打ちを思えばそうする事に良心の呵責はないが、人としての良識はある」
「フェイクさんは悪人になれると思います」
「自分でもそう思わなくもない」
一応、まだそうではないと思っているがな。
村が近づくにつれてセルフィの足取りは重くなり、いつの間にか私のローブの端を握りながら付いてきていた。
「何なら手を繋いでやろうか?」
「いいんですか?」
「甘えるなよ小娘」
ちょっとした冗談のつもりが思った以上に怒らせてしまったらしく、その後暫く冷たい視線に晒される事となった。その代わりに多少緊張はマシになったようだが。
村の敷地に入ると、まるで待ち構えていたかのように一人また一人と結果を知り望む村人達で溢れ返る。
しかし、私の後ろに控えるセルフィの姿を見ると、期待に溢れていた瞳は不安に、そして不審へと変わっていく。
セルフィのローブを握る手に力がこもり、そこから震えが伝わってくる。
「フェイク殿、その娘は……」
「お察しの通り、貴方達が化け物と呼んでいたものだ」
ためらいもなく放たれた言葉は一瞬でざわめきを呼び込み、不審はやがて敵意になる。
「化け物を退治するどころか、村に招き入れるなど!」
「一つ言っておく!」
村人の絶叫にも似た声に負けないほど声を張り上げ黙らせる。くだらない罵倒など聞いても面白くもないしありがたみなどあるはずもない。
「私が知っている化け物はな、たかだか村の若者数人が束になったところでどうにか出来るほど甘くない。貴方達が恐れていたのは人間で、貴方達が殺したのは……人間だ」
誰も何一つ言葉を発しようとはしない。私もこれ以上言うこともないし、セルフィはここにいるだけでも精一杯だろう。
彼女を連れて私が歩き出すと、人の群れが割れて道を作り出す。そこを歩く私達を、誰も止めたりはしない。
そう思っていたのだが、一人の若い男が私達の前に立ちふさがる。
私は歩みを止めたりはしない。一歩ずつ男へと近づいていく。
「フェイクさん……」
「前を向け」
セルフィの呼ぶ声に答えながら、更に男との距離を縮める。
そして、それは零距離へと到り、そのまま再び距離を開けていく。
「賢明だ。それでいい」
男に声をかけると、その場に崩れ落ちて涙を流す。それがどういう意味を持つかなど私の知ったことではない。勝手に彼の中で何かがあって、そしていつか勝手に解決するだろう。
「お望みの通り、貴方達の恐れる『化け物』は退治した。それでは私達は失礼するよ」
最後に一言おまけに告げて、私達は化け物の住んでいた村を後にした。
「あの人達は、これからどうするんでしょうか」
「知らん。というか君は人の事を心配している場合じゃないぞ」
「え、それはどういう?」
「これから君には一般常識から始まり、多くの事を学んでもらう。今まで引きこもっていたツケだ。せいぜい必死に覚えろ。ついでに人見知りもどうにかしなければな。出来ることなら私のローブが皺になるまえに」
結局のところ、その話はとてもつまらないものだ。
主人公の少女はある日やってきた同族に手を引かれ、ようやく世間へと飛び出した。ただそれだけの話でしかない。
あの家にあった童話のほうが物語としてはずっと見ごたえがあるだろう。
もっとも、これは私にとってはあくびが出るほどつまらないが、主人公の少女にとっては、これからの話は何よりも楽しいだろう。
町へとたどり着いたセルフィの顔を見て、私はそう思うのだった。
初めまして、草薙Sです。初めてじゃない人がいたとしても初めまして。このあとがきはカピバラのデフォルメされたキャラのプリントされたマグカップに淹れたコーヒーを主成分にきっと構成されております。
思えばある秋の日の事だった。パソコンの画面に向かい、ネットで麻雀をしながら夜を過ごしていた私。
まだ大丈夫だろうと捨てた白、そして高らかに響く声、ロン!
ああ、世は無情。見事、子のハネマン一万二千点が吹き飛んでいった……その時だった! 何か短編を書こう。そう思いついたのは。いや、ほんと何ででしょうね。
その後足りない頭で色んなネタをかんがえつつぐーるぐーると脳みそをシェイクしていたら、森、一軒家、魔法、饅頭、そんな感じの単語がいくつかぽんぽんと生み出されてきたところからこの作品の製作は始まりました。ちなみに残念ながら饅頭という単語は世界観の都合上削除。
主人公のフェイクは当初、もっと優しくて好青年だったんですよ。あと魔法使いじゃない一般人でした。しかし、その後の調整に次ぐ調整の結果、何か片足黒に突っ込んでそうなグレーゾーンな性格の青年になりました。セルフィに至っては初期設定からの変更点は殆どありません。
ほんとはね、戦闘とかもちょっとしたかったんですよ。どっかーんとかぼっかーんとかじゃきーんとかやりたかったんですよ! でもね、結局その辺まとめてなくなりました。私の実力不足とお話の雰囲気的なもので涙ながらになくなりましたよ。ちなみに九割前者の理由によります。
最後に、この作品を読んでくださった読者の皆様に感謝を。ありがとうございました。