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南風通信  作者: 南 晶
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ジュリアナ東京行った?~昔あって今ないものpartⅠ~

 一昔前のアニメやマンガ、映画、音楽をテーマに、作者が独断と偏見で言いたいこと垂れ流しているエッセイ『南風通信』。

 最近、ネタが切れて更新が滞っておりましたが、ありがたいリクエストを頂きましたので、そのテーマについて語らせて頂きたいと思います。

 題して『昔あって、今ないもの』。


『昔なくて、今あるもの』なら、言い出したらキリがない。

 昔はスマホがなくて、黒くてジーコロジーコロとダイヤルを回す黒電話しかなかったし、音楽はパソコンなくてダウンロードなんてできないので、ラジカセとテレビを繋いでダビングしてたしね。

 が、その半面、黒電話とラジカセは『昔あって、今ないもの』になる訳だ。

 モノは時代の移り変わりとともに姿を変えたが、根本的な機能性は変わっていないと言える。

 完全に絶滅してしまったものというのは、意外に少ないのかもしれない。


 そんな中で、バブルの崩壊とともに完全に絶滅してしまい、個人的に復活してくれる事を祈って止まないものがある。

 1994年、私の青春とともに閉店してしまった伝説のディスコ『ジュリアナ東京』である。


 80、90年代のバブリーな時代に20代~30代だった方々なら、誰しも名前くらいは聞いたことがあるだろう。

 ワンレンと呼ばれるストレートのロングヘアの女性達が、ボディコンと呼ばれる身体にフィットした露出度の高いスーツを着て、色とりどりの羽の扇子を振り回しながら、お立ち台と呼ばれるひな壇の上で並んで踊りまくるという、こうやって文章で説明すると奇っ怪な光景を想像してしまうwあの伝説のディスコである。

 そもそも、ディスコ自体がもはや死語であるので、「そこは何するとこなん?」とイメージが湧かない方もいるかもしれない。

 ディスコを端的に説明するなら、飲めて、踊れて、ナンパが公然と許される、若者達の交流の場(笑)だったのかな、今思えば。


 そんなディスコの中でも、当時、最も知名度があって、日本中のディスコの先駆け的存在だったのが『ジュリアナ東京』だった。

 その当時、ジュリアナ東京を真似たお立ち台が日本中のディスコで出現し、愛知県の田舎ディスコでさえ、ボディコン姿の女の子達が扇子を片手に踊りまくっていた。

 だが、聞いてみると、実際に本家ジュリアナ東京まで行った事のある人は意外に少なく、「私、ジュリアナ行ったんだよ」なんて聞いたものなら、メッカに参拝に行った聖者であるかの如く、もてはやされたりした。

 かく言う私も、当時は貧乏学生だった為、わざわざお立ち台に登る為に東京まで行ける筈もなく、足繁く通ったディスコは『京都祇園マハラジャ』であった(笑)


 高校生まで割と真面目で柔道部一色の学生生活を送っていた私だったが、大学入学後、関西で下宿を始めてから一気に堕落の道を辿ってしまった。

 所謂、大学デビューである(笑)

 当時、世の中はまだ景気が良くて、就職できないとか有り得ない時代だった。

 卒業さえできれば、その後の人生も何とかなると誰も疑わなかったあの時代、私もそれを漠然と信じていた『浮いたかひょうたん』の一人であったのだ。

 そんな私が、『ディスコ』にハマってしまったのは無理からぬ事だったが、最初は故郷の田舎に存在しなかった華やかな世界を一度見てみたいという単純な好奇心からに過ぎなかった。

 

「むっちゃ、オモロイで~、一回、行ってみ~」


 と、高校時代に既にディスコ経験者だった大阪出身シティボーイの友人に言われて、カントリーガールだった私は、同じく行ったことがないと言っていた兵庫県(神戸ではない)出身の友人を無理矢理誘って、ディスコに繰り出す事にした。

 もちろん、関西からいきなり本家ジュリアナ東京に行ける筈もないので、一番近場で有名だった『京都祇園マハラジャ』に行こうと話が纏まったのだ。

 しかしながら、ディスコ未経験の二人のカントリーガールが、下見もせずに、いきなりボディコンを購入する勇気はなかったので、取り敢えず、黒のタイトスカートにジャケットというオバハン臭い正装で行くことになった。

 余りにラフな格好で行くと、黒服のお兄さん達に門前払いをされるという噂を聞いていたからである。


 京都という街は、安倍晴明が式神を隠していたという伝説の橋が残っていたり、新選組が常駐していた壬生寺がそのままの姿で残っていたりする歴史ある所であるが、その道を隔てた反対側に、カラオケや飲み屋が軒を並べて、飲み過ぎた学生達が大はしゃぎしてゲロゲロやっているという、時代を超えて混沌とした所でもある。

 老舗ディスコ『祇園マハラジャ』も、伝統ある八坂神社の通りを挟んだ反対側にあった(笑)

 これからディスコに繰り出すボディコンのお姉さん達の中に、時々、本物の舞妓さんがしゃなりと歩いていたりするシュールな光景も時折見られた。

 その『祇園マハラジャ』に、とある火曜日の夜、大学の授業と部活を終えた私達はオバハン臭いスーツ姿に着替え、戦々恐々として向かった。

 何故に平日かと言えば、通常の入場料は女性が6000円くらい、土曜の夜だと7500円くらいで、地方出身で下宿生の私達が払える訳がない。

 貧乏な私達は、火曜日ならレディースデイで女性は入場無料だと聞き、その日を狙って行く事にしたのだった。


 ビクビクしながら、ディスコの入り口に到着すると、噂通り、黒服のお兄さん達が出迎えてくれた。

 ここで変な格好してきた人は、門前払いになってしまうらしい。

 違う意味で妙にフォーマルな格好で来てしまった私達だったが、お陰でお兄さん達のチェックはかい潜れた。

 店内は薄暗く、マライア・キャリーとか、チャカ・カーンみたいなバラード系の音楽が低く流れている。

 ホールの中のゴージャスなソファーに私達は陣取り、ジュースを飲みながら周囲を観察していた。

 イメージと違って、大分、静かな所だ……と、何も知らない私はちょっと肩透かしをくらった感じだった。

 後から分かったのだが、8時開店で、8時ジャストに来てしまった私達はほぼ一番乗りで、まだ他の客が来ていなかったのだ。

 やがて、時が経つにつれ、客はだんだん増え始め、時刻が10時になった頃、いきなりホールの電気が消え、真っ暗になった。

 重低音がズンズン響くテクノのリズムがホールに響き渡り、ジュリアナにしかいない筈の伝説のDJジョン・ロビンソン(に、そっくりの声のDJ)がMCを始める。

 何を言ってんのかよく分からない英語のMCが終わったその瞬間、ホール中がライトに照らされパーッと明るくなり、待ってましたとばかりにボディコンに扇子を持った女の子達がダンスフロアに飛び出していく。

 彼女たちのターゲットは、ホールをグルリと囲んで作られているお立ち台だ。

 我先にとよじ登って、相手に接触しない程度の場所を確保すると、魂の赴くまま踊り始めるのである。

 ミニスカートで台の上で身体をくねらせて踊っている女の子達の下では、会社帰りらしいスーツ姿のサラリーマン達が群がり、パンチラを拝ませてもらおうと虎視眈々と狙っている。

 その様子をしばらく唖然として見学していた私と友人だったが、せっかくここまで来たし、ここでボケーっと見ているのも逆に目立ってしまう雰囲気になったので、恐る恐るダンスフロアに侵入してみた。

 ちょうど大相撲の土俵くらいの大きさのフロアの周りを取り囲むようにお立ち台が建てられていて、ボディコンの女の子達が身体をくねらせて踊っている。

 ジュリ扇と当時呼ばれた扇子の他、ディズニーの悪いお后様が着けてるような羽のショール、ペンライト等など、色んなアイテムを持参して来ているのだ。

 だから、見ている方も、女の子の品評会というか、ダンス甲子園というか、お立ち台の下から眺めているだけでも結構楽しめた。

 最初は見よう見真似でオロオロしていた私達も、テクノに合わせて踊っていると、不思議なくらいテンションが上がってきた。

 何というか、あのミラーボールの光の中で大音量のテクノに合わせて踊っているだけで、無我の境地に入ってしまうのか、一種のトランス状態になって異常なくらい楽しくなってしまうのだ。

 南米やポリネシアで神を降臨させるのに、焚き火の周りで倒れるまで踊り狂う部族がいるけど、多分、あんな感じに近い現象が起きてしまうのだと思う。

 トランス状態になって踊り狂っている私を見て、逆に冷静になってしまった兵庫県の友人に言わせると「確かに何かが憑依したかのようだった」らしい。

 それでも、日常を忘れ、音楽に身を委ねて、思いのままに踊るのは、ある意味、非常に健康的でスポーティーな時間であった。

 実際、大汗をかいて帰宅してから体重計に乗ると、2Kgくらい痩せていたりする(笑)

 ディスコという言葉の響きが既にいかがわしいと思われがちであったが、ボディコン着用で本気で踊りに来る女性達は、寧ろ、純粋にダンスを楽しんでいる人が多かった。


 永遠に続くかと思われたこの『ジュリアナブーム』、意外な事で一気に下降線を下っていった。

 個性を出すが為にタガが外れた女性達の中に、露出が激しすぎる衣装や、ほとんど裸で出てくるのが増えてきて、警察からお立ち台撤去命令がジュリアナに出されたのだ。

「ジュリアナ、お立ち台撤去!」のニュースは何故か京都の新聞でもトップ記事に載ってしまい、愛好者の我々は「な、何ぃぃ!!!」と驚愕したものの、「やっぱり日本って平和だな」と妙に冷静になった自分がいた。

 お立ち台がなければ、目立てないし、自慢のボディコンとダンスを披露する場がない。

 その為に、ダンスフロアで皆同じダンスを踊る「パラパラ」が主流になり出したのだ。

 ジョン・ロビンソンのテクノではなく、歌が入っているユーロビートに合わせて、皆で決まったダンスを踊る。

 その為の教本がビデオで出たりして、皆、フロアでバカにされないように覚えるのに必死になった。

 祇園マハラジャではお立ち台は存続していたが、時代がパラパラになると、皆で同じ事をするのが苦手な私は、一気に熱が冷めてしまったのだ。

 そして、翌年、ジュリアナは閉店し、バブルが崩壊し、私は大学を卒業して関西を離れた。


 今でもタンスの中には、京都で購入した思い出のボディコンが眠っている。

 このピチピチボディコンを着て、お立ち台の上で踊りまくっていた青春時代は今思えば本当に黒歴史ではあるが、私の人生であれほど楽しい事はなかった。

 あのディスコブーム、もう一度復活してくれないかなあ。

 ジョン・ロビンソン、どこに行ったんだろう?

 でも、復活しても、この歳でさすがにボディコンはねえ……。

 

 時々、テレビでボディコンを着て出演している岡本夏生さんを見る度に、あの無駄に熱かった青春時代を思い出してしまう私であった(笑)


 

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