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6

 その日からナセアは夜宴や会合の誘いをすべて断った。

 自室で休むようになり、深更に密やかに訪れるラシャを夜毎迎え入れた。


 昼間は、以前のように夜の宴に向けての化粧などの準備に費やすことも無く、珍しくテーブルに座って書き物をしているのだった。そしてその書いたものを侍女に託し、方々へ便りを出している。

 そのうちの一つが、叔父であるヴァルト・オーディアス王への面会の申込であった。


 ナセアが王に個人的に会うのは、ジェイと結婚して間もない時期以来である。その日、約束は夕方であった。

 王に会う約束を取り付けたナセアは、その時刻に間に合うように身支度を整える。彼女の魅力である豊麗な曲線を強調することなく、胸元も開けず、色合いも紺色を主体にした地味な服を選んだ。衿と袖の周辺とサッシュ、それにドレスの裾に光沢のある白いリボンをあしらっている。髪もカールを垂らすこともなく上のほうに小さく結い上げた。

 アクセサリーは大粒の真珠の首飾りと、髪飾りだけ。ナセアの褐色の髪には白い真珠が良く映える。

 そんな姿を鏡に映して、ナセアはふとため息を吐いた。

 髪飾りは、かつてジェイにねだって手に入れた南方産のものだ。

 真珠は、ジェイに似ているとナセアは思う。

 磨かれた石のようにまばゆく光を跳ね返すものではない。強い光を吸収しているかのように眼に優しい光を放つのである。

 柔らかな曲線の輪郭にやや目じりの下がった大きな眼、睫毛が長く濃く、夕闇のような蒼い瞳に影を落とす。水を含んだようにふっくらした唇は拗ねたように少し尖っていてなまめかしい形をしていた。化粧はいつもに比べればずっと薄い。彩りも飾りもほとんど排除した状態でも、ナセアは十二分に美しいのだった。


 この姪と面と向かうのは何年ぶりかと王は思った。

 前王の正妃から生まれた王は、身分の低い女性から生まれたナセアの母親である異母姉とは疎遠だ。ナセアもまた王に近しいというほどの身分ではない子爵家の娘に生まれ、さして地位も高くない男爵家に嫁いだ。姪、というよりは一般的な貴族の情報として、王はそれを知っていた。

 また、結婚前のナセアと、寡婦になったナセアの艶聞が派手であったために、姪というより話題の女性としての彼女を知っているだけのことだ。

 なるほど、と思う。紺と白という清潔感あふれる色彩をまとっているのに、彼女から発散される気配は、清々しさよりもねっとりまとわりつくような色香である。その微笑みも喉に粘質のものが絡みついたような媚があふれ、どこか扇情的で、王を落ち着かない気分にさせた。

「珍しいことだな。どういった用件であろう?」

 王はやや素っ気無く言う。

「いくつかのお願い事がございます」

 冷たい口調の王にすこし逡巡しながらナセアは答えた。

 自覚も無く普段のように男を惑わせるような微笑を浮かべ、その技が通じなかったことでうろたえている。

 よく考えれば、叔父である王に対して媚態を示したところでなんの益もない上に、事務的な話をする場でのそういう態度が逆に不快感を与えることもわかる。それでも媚を浮かべてしまうことは既に身から落とせない垢のように習い性になっているのだろう。

「私の姉にティーランに嫁いでいる者が居ります。その姉から彼の地での再婚の話をもらいました。陛下にもお許しいただきたく存じます」

 ナセアは、傍らに控えている侍従に、持参した手紙を王に見せるように預けた。

 その手紙を一瞥し、相手の素性などを見てから、なるほど、と王は言った。

「そなたも寂しい思いをしていたのだろう。許す」

「ありがとうございます。次のお願いですが、現在は私はグローセン男爵夫人のままですが、その身分を返上し、ただのツィング子爵家の娘に戻ってから、ティーランに参りたいと思うのです。そして、嫁ぐまでの間、できれば後宮に身を移したいのですが」

 一旦言葉を切ってから、すこし視線を外して、今までの不行状がありますから、と言った。

 後宮ならば男性は入り込めない。彼女なりの禊ぎのつもりなのだろう、と王は判断し、それにも許可を与えた。

「さらにお願いがあります。グローセン男爵家の跡なのですが」

 ジェイが亡くなってからはナセアが主不在のまま、男爵夫人という立場で領地を持っている形になっていた。それは遥かに低い身分であるとしてもナセアが現王の姪という血を持っている故の暫定的な措置で、ジェイの弟で他家の跡を継いでいた者に子供が二人以上できたら、その一人にグローセンを継がせる予定であった。

 ナセアは、王の前であるにもかかわらず、項垂れて大きなため息を一つ吐いて、また大きく息を吸った。

 その仕草に瞠目する王に再び向き直ったナセアは、

「先の主、ジェイにはセロという名の庶子が居ります。近く五歳になります。その子に跡を取らせたく、お願いします」

 悲しいような切ないような、それでいて決然とした表情で言い切った。


「侍女と共に控えております。お目通り願えますでしょうか?」

「許す」

 背後の侍従を振り返ると、心得た顔で、ナセアの控え室に向かって去っていった。

 王が見るところ、ナセアは肩の力を落としているようだった。

「庶子は、いくつになると?名は?」

「今はまだ四歳です。まもなく五歳になります」

「後見は?」

 ナセアが答えた名前は、王が覚えても居ない下級貴族の名前であった。

 ジェイの最期の言葉と彼の遺髪を届けてくれた友人である。


 つい先日、ジェイの弔い以来初めて彼に連絡を取ったのだ。

 彼は戦傷のために足が不自由になっており、杖が手放せない身の上になってしまっていた。それでもジェイの親友であった彼は、ナセアからの庶子の後見になってくれと言う申し出には快く応じてくれた。

 彼の名はサイオン・ホーラーという。爵位は無く、騎士という最下位の貴族である。年齢はジェイより二歳年長で、現在は三十二歳に成る。妻も居る。だが子供は居ない。

 ナセアは

「貴族の方を執事に出来るような家格ではありませんが」

 と断った上で、ジェイの子供の後見を頼んだ。執事としてグローセン男爵家に夫婦で住み、庶子を養育して欲しいという願いであった。

 穏やかにサイオンはうなずいて、喜んで引き受ける、と言ってくれた。

「……案じておりました」

「ご心配を申し訳ありません」

 ナセアは、自分自身の不行状は、サイオンのようなというより、彼と似た性情のジェイのような人物には許しがたかっただろうとわかっている。

 だが、誰が、彼女の心の何を知っていると言うのだろう。


「私は、知らなかったのです。あの日まで、あの子の事なんて」



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