純情な気持ちは
名前を呼ぶだけで、
胸の奥が少しだけ痛くなるような時間があった。
今ではもう、思い出そうとしないと輪郭が浮かばない。
それでも、ふとした瞬間に、何の脈絡もなく蘇る。
例えば、コンビニで同じ飲み物を手に取ったときとか。
例えば、何気なく名前を呼んだときとか。
あの頃の自分は、たったそれだけで、
一日分の感情を使い切っていた。
名前を呼ぶ。
それだけの行為に、どれだけ時間をかけていたのか。
呼ぶ前に何度も頭の中で練習して、タイミングを探って、
結局呼べなくて、帰り道で後悔する。
次こそは、と思いながら、また同じことを繰り返す。
そんな無駄みたいな時間が、確かにあった。
同じペットボトルに口をつけたときも、そうだった。
ただの共有。
それだけのはずなのに、
帰ってからもずっとそのことばかり考えていた。
何も起きていないのに、
何かが起きてしまったような気がしていた。
今思えば、あまりにも小さな出来事だ。
でも、その小ささの中に、確かに全部があった。
触れない距離を保ったまま、
関係だけが少しずつ変わっていく。
何も壊さないように、何も変えすぎないように、
慎重に時間を使っていた。
あれは停滞だったのか、と聞かれると違う気がする。
ただ、進み方が遅かっただけだ。
ゆっくりと、確かめるように。
でも、確かめすぎないように。
今の自分は、そのバランスをもう持っていない。
気になればすぐ聞くし、距離を縮めることにも躊躇がない。
進めることを前提に、関係を作っている。
それは楽だし、合理的だし、無駄がない。
でも、その分だけ、
あの頃にあった“無駄”がごっそり抜け落ちている。
あの無駄な時間が、どれだけ満ちていたのか。
最近になって、やっと分かるようになった。
名前を呼べないまま終わる放課後。
結局何も起きなかった帰り道。
それでも、なぜか満たされていた夜。
何も進んでいないはずなのに、
確実に何かが積み重なっていた。
今の自分は、同じ時間を過ごしても、きっと何も感じない。
あるいは、感じる前に、次に進んでしまう。
それが悪いとは思わない。
ただ、あの頃の自分は、
もっと少ないもので満たされていた。
それだけのことだ。
たまに、思う。
もし今の自分が、あの頃の時間に戻ったら、
どうするだろうか。
たぶん、すぐに名前を呼ぶ。
たぶん、すぐに手を伸ばす。
そして、同じように、あの時間を壊してしまう。
あれは、何も知らなかったからこそ成立していた。
知らないままでいられたから、
あんなふうにゆっくりと時間を使えた。
だからきっと、戻ることはできない。
あの頃の自分は、もうどこにもいない。
それでも、ふとした瞬間に、あの感覚だけが残っている。
名前を呼ぶだけで、
世界が少しだけ変わるような気がしていた、あの感覚。
それをもう一度味わいたいと思うのか、
それとも、思い出のままでいいと思っているのか。
自分でも、まだよく分からない。




