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美容部員な王弟殿下と、広報担当官な私。

作者: ぬぁ。
掲載日:2026/03/01

 

 王城の渡り廊下に貼られた一枚のポスター。


 腕を組み、長身の男がそれを見つめていた。

 いや、見つめるというより——

 舐めるように、細部をなぞっている。


 騎士の頬。

 侍従の指先。

 門番の襟元。


 その男は、苦虫を噛み潰したように眉を寄せた。


「あらやだ。この騎士、目の下がどす黒いじゃない」


 白い指先が、紙の上の騎士の頬をなぞる。


「あっ、こちらも。爪が荒れ放題……。

 よくもまぁ、こんな“国家の顔”を晒せたものね」


 低くもなく、高くもなく。

 男の口から零れたのは、絹のように柔らかな声だった。


 だが、その声の奥には——

 刃のような冷たさが潜んでいる。




 白い手袋を外し、指先でポスターの端をつまむ。


「……広報室は、どなたが責任者だったかしら」


 背後に控えていた侍従が、ひくりと肩を震わせる。


「は、はい……新任の広報担当官でございます」


「新任?」


 男の口角が、ゆっくり上がる。


「なら尚更よ。最初に教えるべきは“理念”ではなく“輪郭”でしょう?」


 ぴり、と。


 紙の端が剥がされる。


「広報室へ行くわよ。ついてきなさい」


 柔和な声。

 だが命令は絶対。



 広報室へ向かう男とその後ろをついて歩く侍従。

 ……そんな二人の後ろ姿を見つめる人物がいた。




 王城の渡り廊下。


 その壁に貼られたポスターを、

 私は今日も遠くから眺めていた。


 ——誰か、立ち止まってくれないだろうか。


 政務会議の告知。

 王族公開謁見の案内。

 騎士団の式典。


 どれも必要な情報なのに、人々は足早に通り過ぎるだけ。


 それでも私は、ときどき柱の陰から様子を見に来てしまう。


 自分の仕事が、“誰かの目”に触れているのか確かめたくて。


 だが、今日は違った。




 一人の男が立ち止まっている。


 何分も。

 微動だにせず。


 私のポスターを、舐めるように見つめている。


 どんな人だろう。




 柱の陰から、私は厚ぼったい眼鏡をくい、と押し上げる。


 そして、目を凝らす。


「……綺麗」


 思わず、声が漏れた。


 服越しにも分かるしなやかな体躯。

 硬質なアッシュグレーの髪は短く整えられ、騎士を思わせる精悍さがある。


 それなのに、王城勤務用の端正なスーツが不思議と似合っていた。


 背筋は真っ直ぐに伸び、横顔は凛としている。


 その瞳は、澄んでいて——


 ……あんな風に、真剣に見つめられたことがあっただろうか。


 胸が、かすかに鳴る。


 目が離せない。




 その瞬間。


「あらやだ。この騎士、目の下がどす黒いじゃない」




 ——は?




 信じられない口調で、信じられない言葉が放たれた。


「あらやだ、この子も肌荒れがそのままじゃない……」




 次の瞬間。




 ぴり、と音がした。




 私は目を見張る。


 ——剥がした?


 彼は、ためらいなくポスターを壁から引き剥がしていた。




「なっ……!」




 声にならない。


 私の、何日もかけて作ったポスターが、彼の手の中で無造作に丸められていく。




 頭の中が、真っ白になる。


 なぜ?

 誰?

 何が起きている?



 彼は一度もこちらを見ない。


 ただ、怒りを孕んだ足取りで廊下を進み出す。


 侍従が慌てて後を追う。




「広報室はどこかしら」


 低く、柔らかな声。


 けれど命令の響き。


 その瞬間、嫌な予感が胸を掠めた。


 ——まさか。


 私は柱の陰を飛び出し、慌てて広報室へと駆け出した。




 扉が勢いよく開かれる。


「誰がこのポスターを作ったの」


 室内が凍る。


「……王弟殿下…っ……」

 室内の誰かが呟いた。


 その男は、丸められたポスターを机に叩きつけた。


「国家の顔に、隈と荒れた爪をそのまま載せるなんて。

 あなた方は広報かしら、それとも告発係?」


 静まり返る部屋。


 その時、息を切らして飛び込んだ一人の広報担当官。


「……私です。広報担当官マティルダ・ノエルです。」


 全員の視線が集まる。


 そして初めて、彼の視線が彼女を捉える。


 数秒。


 沈黙。




「あなたが?」


 王弟は、彼女を頭からつま先まで一瞥した。


 装飾のない黒の装い。

 まとめただけの髪。

 厚ぼったい眼鏡。


「……面白いわね」


 室内の空気が凍る。


「この状態で世に出して、何も感じなかったのかしら?」


 静かだった。




 怒鳴らない。

 声を荒げない。


 それなのに、言葉はまっすぐ喉元に突きつけられる。


 マティルダは、息を整えて答える。


「情報は正確です。騎士も侍従も、実際の姿です。

 誇張も偽装もしていません」


 王弟の目が、わずかに細まる。


「誇張と整えることは、同義ではないわ」


 彼は丸めたポスターを広げ、机に叩いた。


「これは“真実”かもしれない。でもね、真実には見せ方があるの」


 彼の指先が、騎士の目の下を示す。


「国民が見るのは、細部ではなく“印象”。あなたは国家の印象を管理する立場でしょう?」


 マティルダは、反射的に言い返す。


「印象で政治を動かすべきではありません」




 一拍。


 王弟は、ふっと微笑む。


「動かすのではないわ。“向けさせる”のよ」




 静寂。


「興味がなければ、真実は届かない」


 その一言に、マティルダの胸が、わずかに揺れる。


 彼は続ける。


「美は虚飾ではない。相手に向き合う覚悟の表明よ」


 視線が絡む。


 初めて、真正面から。


 怒りはまだある。


 けれどその奥に、知的な光が宿っている。




 マティルダは、初めて迷った。


 ——私は、何を届けたいのだろう。





 王弟は踵を返す。


「三日。三日で整え直しなさい」


 扉の前で止まり、振り返らずに言う。


「出来なければ、私が介入するわ」


 扉が閉まる。




 静寂。


 マティルダはポスターを見つめる。


 そして初めて——


 騎士の隈が、気になった。





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