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『不健康こそ美』とされる世界で健康体の私が婚約破棄されたので、森でニンニク背脂マシマシのラーメン屋を始めます。隣国の皇帝陛下が常連客になりましたが、元婚約者は出禁です

作者: 文月ナオ

 

「――ああ、スープ。……飲み干さなきゃよかった」


 それが、前世の私の最後の思考だった。


 私の体重は、標準より少し重い程度。


 いわゆる「小太り」や「ぽっちゃり」に分類される体型だったと思う。


 日常生活に支障が出るほどではなかった……と思いたい。


 でも、体の中身はボロボロだったらしい。


 ──私は……ラーメンが好きだった。


 好きすぎて、OLを辞めて有名ラーメン店に弟子入りし、1年間、来る日も来る日も鶏や豚の骨を砕き続けたほどだ。


 賄いで食べる濃厚豚骨醤油ラーメン。


 休日に研究と称して食べ歩く、ラーメン。


 深夜2時の「締めの一杯」と、欲望のままに追加する「替え玉」。


 それらの積み重ねは、ある日突然、限界を迎えていた私の脳の血管を、プツンと弾けさせた。


 丼の底に沈む「感謝」の文字を見ることもなく、私は意識を失い、丼に顔を突っ込んでスープで溺死した。


 お店の方、ほんと、すんません。


 事故物件にしてしまいました。


 しかし、無念だ。


 まだ、自分で納得のいく「至高の一杯」を完成させていないのに。


 薄れゆく意識の中で、私は神に祈った。


 次は、どんなに食べても血管が切れない頑丈な体と……食べれば食べるほど健康になる、そんな都合のいいラーメンを食いまくって作れまくる人生をください、と。


 そんな浅ましい願いが聞き届けられたのかは、定かじゃない。


 ただ、気がつけば私は、異世界の伯爵令嬢エスメラルダ・エルデライトとして、2度目の人生を歩んでいた。




 ◇◆◇




 私は実家へと向かう馬車の中で、流れる景色をぼんやりと眺めていた。


「……あーあ。ほんと、しょうもない茶番だったな」


 昨晩の夜会での出来事が、脳裏をよぎる。


『エスメラルダ! 貴様との婚約は破棄させてもらう!』


 第一王子アロルドの、裏返ったヒステリックな叫び声。


 彼は、私の腹違いの妹、クレアンティーナの腰を抱いて、勝ち誇ったような顔をしていた。


 クレアンティーナ。


 妹は昔からそうだった。


 私が新しいドレスを買えば、同じものを欲しがり、私が気に入った宝石があれば、泣いてねだって父に買わせる。


 おもちゃも、本も、そして婚約者も。


「お姉様のもの」だから、欲しかっただけ。


 彼女がアロルド王子に向けていた視線に、愛なんてひとかけらもなかった。


 あったのは私に対するドロドロとした優越感と、歪んだ独占欲だけ。


『お姉様、ごめんなさいねぇ。でも、アロルド様がどうしても私じゃなきゃダメだって仰るの』


 クレアンティーナの、あの粘着質な猫なで声。


 正直、吐き気がした。


 まあ、アロルド王子も大概だったけど。


『見ろ、このクレアンティーナの儚げな美しさを! 風が吹けば折れそうなこの腕を! それに引き換え貴様はなんだ、浅ましい食欲の権化め!』


 ……言わせておけば。


 こちとら前世の反省を生かして、今は超・健康的な標準体型を維持してるっつーの。


 それを、浅ましいだのと。


 この国の美意識は「不健康=美しい」で凝り固まってるから始末が悪い。


 不健康な方が肌が白くて美しい?


 青白いだけだろ。


 クレアンティーナなんて、ただの偏食家だ。


「朝露を舐めるのが日課です」なんて言ってるけど、あれ絶対、隠れて砂糖菓子つまみ食いしてる顔だったし。


 食事は全てお菓子。そら不健康で青白くもなるわ。


 アロルド王子だって、見栄えばかりで味のしない王宮料理ばかり食べてるせいで、顔色が土気色で、口の端が切れていた。


 どいつもこいつも、栄養失調予備軍。


 あんな連中の介護人生なんて、こっちから願い下げだ。


「せいせいしたわ。これでやっと、自分の時間が作れる」


 もう気を使う必要はない。


 ドレスの下のコルセットも、猫かぶりの笑顔も、全部脱ぎ捨ててやる。


 私がやりたいのは、王妃教育じゃない。


 ラーメン作りだ!


 前世で道半ばで終わった、あの夢の続きをやるんだ!


「お嬢様、到着いたしました」


 御者の声で、私は我に返った。


 馬車が止まったのは、エルデライト伯爵家の屋敷の前。


 玄関ホールには、すでに父が仁王立ちで待っていた。


「エスメラルダぁぁぁっ!!」


 馬車から降りるや否や、父が猛ダッシュで抱きついてきた。


 相変わらずの暑苦しさだ。


「おお、私の可愛いエスメラルダ! 無事か!? あのボンクラ王子に何をされた!? 手紙を読んでパパは血管がブチ切れそうだったぞ!」


「ただいま戻りました、お父様。……血管は大事にしてくださいね、本当に」


 切れるとマジで死ぬから。経験者は語るよ。


「許さん! 絶対に許さんぞ! こんな宝石のような娘を捨てるなど、王家は狂っている! 今すぐ軍を率いて城を包囲してやる! クリスティアーナもどういうつもりだ!? 姉の婚約者を寝取るなど!」


「お父様、落ち着いて。私は平気ですから」


 鼻息の荒い父をなだめつつ、私は書斎へと誘導した。


 さて、ここからが本題。


 この親バカな父を説得し、私の野望のスポンサーになってもらわなければならない。


「お父様。実は私、やりたいことがあるのです」


「やりたいこと? 何だ? 何でも言ってみろ! 世界一周旅行か? 王子への復讐か!?」


「いいえ。……お店を開きたいのです」


「店?」


「はい。……ラーメン屋です」


「ラ……なんだって?」


 父が目を丸くする。


 無理もない。この世界にそんな言葉はない。


 私は、あらかじめ用意しておいた事業計画書(という名の妄想ノート)を机に広げた。


「麺料理のお店です。でも、ただの食事処ではありません。人々を健康にし、活力を与え、そして何より……私が死ぬほど食べたい料理を出す店です」


「エスメラルダ……」


「王都の軟弱な食事にはもう飽き飽きしました。私は、もっとこう、ガツンとくる、魂を揺さぶるような味が作りたいのです!」


 熱弁する私を、父はまじまじと見つめた。


 そして、目頭を押さえた。


「ううっ……なんて健気なんだ。まさかそんな情熱を秘めていたなんて……! パパは嬉しいぞ!」


「あ、はい。……で、お金を出してくれますか?」


「もちろんだ! いくらでも出そう! 場所はどうする? 王都の一等地を買収するか?」


「王都はダメです。あの王子や妹に見つかると面倒ですから」


 私は首を横に振った。


「もっと人里離れた、新鮮な食材が手に入る場所がいいのです。……例えば、領地の北にある『静寂の森』の別荘とか」


「あそこか! 確かに魔物は出るが、水は綺麗だし、誰も寄り付かん。お前が静養するにはぴったりだ」


「静養というか、激務になる予定なんですけどね」


「よし、わかった! すぐに大工を手配しよう! 内装はどうする? ピンク色のフリルで埋め尽くすか?」


「やめてください。赤と黒を基調にした、油汚れが目立たない色で。あと、厨房には私が設計した寸胴鍋と、製麺機を設置してください。図面はこれです」


 私は徹夜で描いた図面を叩きつけた。


 父は「製麺機……? 拷問器具か何かか?」と震えていたが、とりあえず了承してくれた。


 こうして、私のセカンドライフ、ラーメン屋開業計画は爆速でスタートした。




 ◇◆◇




 それからしばらくして。


『静寂の森』の奥深くに、異様な建物が完成していた。


 元は貴族の優雅な別荘だったはずが、改装の結果、赤提灯が似合いそうな無骨な店構えに変貌を遂げている。


 看板には、『麺処 健やか』の文字。


 カウンター席は8席のみ。


「……うん、悪くない」


 私は真新しい制服(黒のラフなシャツ)を着て頭にタオルを巻いた。


 貴族令嬢のドレス姿より、こっちの方がしっくりくる。


 厨房には、特注の巨大寸胴鍋が鎮座している。


 あとは、中身を作るだけだ。


 私は裏口から森へと足を踏み入れた。


 ここには、スーパーマーケットなんて便利なものはない。


 あるのは、殺るか殺られるかの大自然だけだ。


「いた……。『豚鬼オーク』の足跡」


 湿った土に残る蹄の跡を見つけ、私はニヤリと笑った。


 この世界の普通の豚肉は、脂身が少なくてパサパサしている。


 ラーメンの出汁にはパンチが足りない。


 だが、魔力を喰らって育ったオークは違う。


 強靭な筋肉と、分厚い脂肪。そして太い骨。


 適切に処理すれば、濃厚スープが取れる。


「ブモォォォッ!!」


 茂みから、2メートル超えのオークが飛び出してきた。


 棍棒を振り上げ、威嚇してくる。


 普通なら悲鳴を上げて逃げるところだ。


 でも、今の私には、それが「歩くチャーシュー」にしか見えない。


「鮮度抜群!」


 私はスカートの裾を捲り上げ、太ももに固定していたミスリル製の中華包丁を抜いた。


 修行時代、頑固親父に叩き込まれたのは、湯切りの技術だけじゃない。


 関節の継ぎ目を正確に断つ解体技術。


「せいっ!!」


 踏み込み一閃。


 包丁が唸りを上げ、オークの首の動脈を正確に切り裂いた。


 ドサリ、と巨体が沈む。


「血抜き完了。……ふふ、いい骨が取れそう」


 私はその場で手早く解体し、必要な部位だけを魔法の鞄に放り込んだ。


 次に狙うのは、スープの隠し味。


 川辺の湿地帯に生える、不気味な紫色の植物『マンドラゴラ・モドキ』だ。


 引き抜くと叫び声を上げる厄介な植物だが、乾燥させて粉末にすれば、化学調味料も裸足で逃げ出す「旨味の爆弾」になる。


「さあ、叫びなさい! その悲鳴がスープのコクになるのよ!」


 私は耳栓をして、容赦なく引っこ抜いた。


 食材を抱えて店に戻ると、すぐに仕込みに入った。


 寸胴鍋にオークの骨を放り込み、強火にかける。


 ボコボコと沸き立つ湯。


 アクが出る。ひたすら取る。


 臭みが消え、旨味だけが抽出されるまで、鍋と対話する。


 前世の記憶が蘇る。


『いいか、骨の髄まで出し尽くせ。舌の肥えた客を唸らせるには、暴力的な旨味が必要だ』


 師匠の怒鳴り声が懐かしい。


 私は鍋をかき混ぜ続けた。


 そして麺。


 これこそが、私が今世で開発した発明品だ。


 ただの小麦粉じゃない。


『全粒粉』に、森で採取した『聖樹の樹皮』を粉末にして練り込んだ特製麺。


 この『聖樹の樹皮』には、体内に入ると脂肪を吸着し、老廃物と共に排出するデトックス効果がある。


 色は蕎麦のように黒っぽいが、コシが強く、スープによく絡む。


 3日3晩、不眠不休で鍋の前に立ち続けた。


「……完成ね」


 寸胴の中には、黄金色に輝く乳化スープ。


 表面には、オークの背脂から抽出した上質な脂の膜が張っている。


 一口、味見をする。


「っ……!!」


 ガツン、と脳天を突き抜ける塩気。


 その後に広がる、獣の脂の甘み。


 マンドラゴラの旨味が舌に絡みつき、特製醤油ダレのキレが喉を焼く。


 これだ。


 前世で私を殺した、あの味だ。


 でも、今の私の体は、これを飲んでも悲鳴を上げない。


 聖樹の樹皮麺と一緒に食べれば、余分なカロリーも塩分も帳消しになり、むしろ体が浄化されていく。


「完璧なごちそうだわ」


 私は満足げに頷いた。


 その時だった。


 ガリッ……。


 店の入り口で、何かを引っ掻くような音がした。


 魔物か? それとも父の使いか?


 私は中華包丁を手に、入り口へ向かった。


 ドアを開けると、そこには這いつくばった人間がいた。


「……みず……」


 男だった。


 騎士服を纏い、フードを目深に被っている。


 その隙間から見える顔色は、茶色く、唇は紫色。


「……みず、を……」


 男は掠れた声で呟くと、力尽きたように床に突っ伏した。


 私はしゃがみ込み、男の顔を覗き込んだ。


 死相が出ている。


 不整脈、脱水、ミネラル不足。そして何より、深刻なエネルギー枯渇。


「……生きてるのが不思議なレベルね」


 アロルド殿下たちの「ファッション不健康」とはわけが違う。


 これは、本物の飢餓だ。


 魂が肉体を見限る寸前の、ギリギリの状態。


 普通なら、白湯を与えるべきだろう。


 だが、私の長年の勘が告げていた。


 こいつに必要なのは、優しいお粥なんかじゃない。


 魂をこの世に繋ぎ止めるほどの、強烈な「引力」を持つ何かを胃袋に叩き込む必要がある。


「……お客さん、運がいいわね」


 私は男の襟首を掴んで引きずり、カウンター席に座らせた。


「あんたの魂、私がラーメンで縛り付けてあげる」


 私は厨房に戻り、麺を茹で釜に放り込んだ。


 平ザルで麺を踊らせる。


 チャッ、チャッ、という湯切りの音が、静寂な森に響く。


 温めた丼にカエシと香味油を入れ、白濁したスープを注ぐ。


 ジュワァァァッ!!


 蒸気と共に、暴力的な食欲をそそる香りが店内に爆発した。


 死にかけていた男の指が、ピクリと動く。


 茹で上がった麺をスープに泳がせ、その上に分厚いチャーシュー、山盛りの茹で野菜、刻んだスタミナニンニクを乗せる。


 仕上げに、雪のような背脂をたっぷりと。


「お待ち。特製・蘇生ラーメンよ」


 私はドン、と丼を置いた。


 男が、ゆらりと顔を上げた。


 焦点の合わない目が、丼の中身を捉える。


「……なんだ……これは……」


「命のスープよ。四の五の言わずに飲みなさい」


 男は震える手でレンゲを掴んだ。


 そして、黄金色の脂が浮いたスープを、ひび割れた唇へと運んだ。


 ズズッ……。


 一口、啜る。


 その瞬間。


 カッ!! と、男の瞳孔が見開かれた。



「……っ!?」


 男の喉が、ゴクリと鳴った。


 その一口は、まるで乾ききった大地に染み込む雨のようだったに違いない。


 彼は目を見開いたまま、震える手で二口目を運んだ。


 ズズズッ。


 そして三口目。


 ズズズズズッ!!


 もう、止まらなかった。


 男は丼に顔を埋めんばかりの勢いで、一心不乱に麺を啜り上げ始めた。


 ハフハフと熱い息を吐き、額から大量の汗を噴き出しながら。


 普通なら、死にかけの胃腸にこんな脂っこいものを入れたら即死案件だ。


 だが、私の聖樹の樹皮麺は違う。


 胃に入った瞬間にゲル状に変化し、スープの油分を優しく包み込んで、必要な栄養だけを高速で吸収させるのだ。


 まさにこの世界の神秘。奇跡の食材。


「うまい……うまい……ッ!!」


 男がうわごとのように呟く。


 その顔色は、一口食べるごとに劇的に変化していた。


 土壁色だった肌に赤みが差し、紫色の唇が鮮やかなピンク色に戻っていく。


 毛穴からはドス黒い汗が流れ出ている。


 体内に溜まっていた毒素と疲労物質が、強制排出されている証拠だ。


「……ぷはぁッ!!」


 ほんの数分後。


 男は丼を置き、天井を仰いで叫んだ。


 スープまで完飲(完まく)。


 前世の私なら「塩分過多で死ぬぞ」と止めたところだが、今の彼にはそれが「命の水」だったようだ。


「……生き返った」


 男が、深く重い吐息をつく。


 その瞳には、先ほどまでの死相は微塵もない。


 鋭く、理知的な光が宿っていた。


 フードを脱ぎ捨てると、現れたのは、燃えるような赤髪と精悍な顔立ち。


 圧倒的な覇気。


「店主。礼を言う」


 男は立ち上がり、私を真っ直ぐに見据えた。


「俺は、隣国バルバロッサの皇帝、ヴァルド・フォン・バルバロッサだ」


「……へぇ」


 私は布巾でカウンターを拭きながら、気のない返事をした。


 隣国の皇帝陛下。


「鉄血の覇王」とか呼ばれてる、大陸最強の武人じゃん。


 それがなんでこんなところで野垂れ死にかけてたんだか。


「驚かないのか?」


「驚いてますよ。皇帝陛下が無銭飲食なんて」


「む……金ならある」


 ヴァルド陛下は懐から、金貨が詰まった袋を取り出してカウンターに置いた。


 ラーメン一杯には多すぎる額だ。


「釣りはいらん。……それより、もう一杯くれ」


「はい?」


「足りない。今の俺の体は、この黄金のスープを渇望している。……頼む、店主!」


 その目を見て、私は思わず笑ってしまった。


 ああ、この目は知っている。


 これは「権力者」の目じゃない。


「ラーメン中毒者ジャンキー」の目だ。


「あいよ! 替え玉一丁!」


 私は再び、麺を茹で釜に放り込んだ。




 ◇◆◇




 それから、奇妙な日々が始まった。


 ヴァルド陛下は、毎日この店に通うようになった。


 いや、通うどころか、森の入り口に転移ゲートを設置させ、執務の合間を縫って昼と夜、必ず顔を出すようになったのだ。


「今日のスープはキレがいいな」


「ええ。今日はオークの骨を割る角度を変えてみたの」


「なるほど。髄液の出方が違うわけだ。……麺も、昨日より加水率を変えたか?」


「わかる? 湿度が高いから、少し水分を減らしたのよ」


 私が得意げに胸を張ると、ヴァルド陛下は不意に立ち上がり、カウンター越しに身を乗り出した。


 そして、私の頬に伸びた指先を、そっと触れさせた。


「……ん? な、何?」


 陛下は私の頬についた小麦粉を拭い取ると、それを愛おしそうに見つめ、あろうことか自身の舌でペロリと舐め取った。


「……っ!!」


(なにしてんのこの人!?)


「ふむ。やはり今日の配合は絶妙だ。……だが、俺はお前が過労で倒れることのほうが心配だぞ、エスメラルダ」


 その黄金色の瞳が、ラーメンではなく、真っ直ぐに私だけを射抜いていた。


 ……心臓が、跳ねた。湯切りのしすぎで脈が乱れただけだと思いたい。


「粉がついている。……熱心なのはいいが、あまり根を詰めるなよ」


 言いたいことだけ言うと、彼は何事もなかったかのように席に戻り、再びズルズルと麺を啜り始めた。


 ……本当に、調子が狂う。


 カウンター越しに向かい合いながら、私たちは今日もそんなマニアックな会話(と、たまに心臓に悪いやり取り)を交わす。


 陛下は、私の作るラーメンの最高の理解者だった。


 彼は元々、激務とストレス、そして宮廷料理人の作る「上品すぎて味のしない食事」のせいで、拒食症に近い状態だったらしい。


 それが今ではどうだ。


 肌はツヤツヤ、筋肉はパンプアップし、覇気が服を着て歩いているような健康優良児だ。


 私のラーメンを食べれば食べるほど、彼は若返り、精力がみなぎっていく。


 まさに『完全栄養デトックスラーメン』の生きた広告塔だった。


「エスメラルダ」


 ある日、完食後の丼を愛おしそうに撫でながら、陛下が言った。


「俺の国に来ないか? 宮廷料理長として迎える。報酬は言い値でいい」


 プロポーズじみた勧誘だった。


 でも、私は首を横に振った。


「お断りします。私はこの店が好きなんです。それに、宮廷なんて堅苦しい場所じゃ、最高のスープは炊けません」


「……そう言うと思った」


 陛下はニヤリと笑った。


「ならば仕方ない。俺が通い妻ならぬ、通い皇帝を続けよう。……この味が食えなくなるくらいなら、国ごと遷都したっていい」


「バカなこと言わないでください。……まあ、常連客としては歓迎しますけど」




 ◇◆◇




 その日、店のドアが乱暴に開け放たれたのは、ランチタイムのピークが過ぎた頃だった。


「おい! 水だ! 何か食わせろ!」


 入ってきたのは、ボロボロの服を着た男女の二人連れ。


 私は思わず、手に持っていた湯切りザルを落としそうになった。


 アロルドと、妹のクレアンティーナだった。


 ただし、その姿は以前とは似ても似つかない。


 アロルドは、頬がこけ、目が血走り、髪はバサバサに乾いている。


 自慢の金髪は見る影もなく、頭皮が透けて見えていた。


 クレアンティーナに至っては、もはや生きているのが不思議なレベルだ。


 骨と皮だけになった体を引きずり、ヒューヒューと喉を鳴らしている。


「……いらっしゃいませ。随分とお疲れのようですね」


 私が声をかけると、アロルドがギロリと私を睨んだ。


「エスメラルダ……!? 貴様、こんなところで何を……!」


「ラーメン屋ですが」


「ラ……? ふん、相変わらず卑しい真似を! だが今は構わん、何か食わせろ! 王都を追放されてから、まともなものを食っていないんだ!」


 どうやら、彼らは王都を追放されたらしい。


 あとで聞いた話だが、私が去った後、アロルドは「聖女」のデタラメな予言を信じて国庫を散財し、さらに極度の偏食で倒れて政務を放棄。


 見かねた国王陛下によって、廃嫡・追放されたのだとか。


 クレアンティーナも、「霞を食う」生活の限界が来て、錯乱状態で暴れ回り、一緒に追い出されたらしい。


 自業自得だ。


「メニューは壁に書いてあります。前払い制ですよ」


「金だと!? 元王子に向かって……!」


「金がないならお帰りください。慈善事業じゃないので」


 私が冷たく言い放つと、クレアンティーナが床に崩れ落ちながら叫んだ。


「お姉様……! ひどい……! 私、お腹が空いて……月光じゃ、お腹が膨れないの……!」


 当たり前だ。


 光合成できるのは植物だけだ。


 こいつは何を言ってるんだ?


「いい匂い……。何なの、この匂い……」


 クレアンティーナが、鼻をヒクつかせて寸胴鍋の方を見る。


 その目は、獲物を狙う獣のように血走っていた。


 彼女の体は、限界を迎えている。


 本能が、脂とカロリーを求めて悲鳴を上げているのだ。


「……一杯、金貨一枚です」


「高い! ぼったくりだ!」


 アロルドが喚く。


 その時。


「騒がしいな」


 カウンターの奥で、静かに食事をしていたヴァルド陛下が振り返った。


 彼はゆっくりと立ち上がり、アロルドたちを見下ろした。


 圧倒的な体格差。


 そして、全身から放たれる「健康」のオーラ。


 肌ツヤ、筋肉の張り、瞳の輝き。


 全てにおいて、今のボロボロなアロルドとは対極にある存在。


「ひっ……!」


 アロルドが後ずさる。


「ヴァルド皇帝……!? な、なぜこんなところに!?」


「俺はこの店の常連でな。……食事の邪魔をするなら、消えてもらおうか」


 ヴァルド陛下が、殺気を含んだ視線を向ける。


 それだけで、アロルドは腰を抜かした。


「ま、待ってくれ! 俺たちはただ、腹が減って……」


「ならば、相応の対価を払え。そして、その店主への無礼を詫びろ」


 陛下が私を指差す。


「彼女の作る料理は、我が国の国宝に等しい。お前たちのような、食の価値も健康の尊さも分からぬ愚か者が、気軽に口にしていい代物ではない」


「な……」


 アロルドが、信じられないものを見る目で私を見た。


「こ、こいつの料理が……? ただのデブの餌じゃないのか……?」


「デブの餌?」


 私はピキリとこめかみに青筋を浮かべた。


「聞き捨てなりませんね。……いいでしょう」


 私は厨房に入り、残り物のスープと、失敗作の麺(少し伸びてる)を丼に入れた。


 具材はなし。


 それを、カウンターにドン! と置いた。


「試食です。文句があるなら食べてから言いなさい」


 アロルドとクレアンティーナは、顔を見合わせた。


 そして、空腹に耐えかねて、丼に飛びついた。


 ズルズルッ!


 上品さのかけらもなく、二人は麺を貪った。


 そして。


「!!」


 二人の動きが止まった。


 カッ! と目が見開かれ、ボロボロの体から汗が噴き出す。


「な、なんだこれは……! うまい……! なんだこの脂は! 脳が痺れる!」


「あああ! 体が熱い! 力が湧いてくるわ! もっと! もっとちょうだい!」


 二人は獣のように丼を奪い合い、最後の一滴まで舐め尽くした。


 そして、私に向かって手を伸ばした。


「エスメラルダ! おかわりだ! もっとくれ! この味がないと生きていけない!」


「お姉様、ごめんなさい! 私、月光なんていらない! 背脂が欲しいの! たっぷりでお願い!」


 その姿は、あまりにも醜悪で、そして哀れだった。


 食欲という名の悪魔に魂を売り渡した、亡者そのもの。


 私は冷めた目で見下ろした。


「……残念ですが、スープ切れです」


「なっ……!?」


「それに、貴方たちの体では、これ以上の摂取は毒になります。急激な血糖値の上昇で、血管が切れますよ」


 これは脅しではない。


 長期間の飢餓状態にあった人間に、いきなり大量の栄養を与えると、リフィーディング症候群(長期の栄養不良者に急激な栄養を与えることで起こる合併症)で死ぬ可能性がある。


 私はこれでも、元・健康オタクなのだ(ラーメンの食いすぎで死んだが)。


「帰りなさい。そして、まずは重湯から始めなさい。……二度と来ないで」


 私が店から指差すと、ヴァルド陛下が護衛騎士たちに合図を送った。


「つまみ出せ」


「はっ!」


 アロルドとクレアンティーナは、騎士たちに両脇を抱えられ、ズルズルと引きずり出されていった。


「いやだぁぁ! ラーメン! ラーメン食わせろぉぉぉ!」


「脂ぁぁぁぁ! 私に脂をぉぉぉ!」


 森の奥に、二人の断末魔のような叫び声が消えていった。


 ……まあ、死にはしないだろう。


 あの最後の一杯で、多少のエネルギーは補給されたはずだ。


 あとは、彼らが自分の足で立って、まともな食事をするかどうか。


 それはもう、私の知ったことではない。




 ◇◆◇




 静けさが戻った店内で、私は大きく息を吐いた。


「……騒がしい連中だったな」


 ヴァルド陛下が、苦笑しながら新しい丼を差し出した。


「店主。口直しだ。……『全部乗せ』で頼む」


 私はプッと吹き出した。


「陛下も好きですねぇ。……健康診断の数値が悪化しても知りませんよ?」


「構わん。お前のラーメンを食って死ぬなら本望だ。……それに」


 陛下は、私の手をそっと握った。


 その手は大きく、温かかった。


「お前が管理してくれるんだろう? 俺の健康も、胃袋も」


 それは、遠回しな、けれどこれ以上ないほど熱烈なプロポーズだった。


 陛下は私の手を取ると、赤く荒れた指先に、恭しく口づけを落とした。


 中華包丁と寸胴鍋で戦う、私の武骨な手を、まるで宝石か何かのように。


「……高いですよ? 私の管理費は」


「国庫を開放しよう。……それに、俺の心臓もつけてやる」


「心臓はいりません、豚骨げんこつを持ってきてください」


「くくっ……。やはりお前は最高だ。一生、離してやらないから覚悟しておけ」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


 甘い雰囲気になりかけたのに、寸胴鍋がボコッと沸騰して、現実(厨房)に引き戻される。


 でも、それも悪くない。いや、心臓には悪いけど。


 彼のために厨房に立つ。


 彼のために麺を茹でる。


 チャッ、チャッ、と湯切りの音が響く。


 丼に注がれる黄金のスープ。


 それは、人を狂わせ、人を救う、魔法の液体。


 前世で私を殺したラーメン。


 今世で私と、彼を生かすラーメン。


「お待ちどうさま! 特製・完全栄養デトックスラーメン、愛情マシマシ全部乗せよ!」


「いただきます」


 陛下が幸せそうに麺を啜る音を聞きながら、私は心の中で呟いた。


 神様、ありがとう。


 血管は切れそうにないし、この体は絶好調です。


 あるとすれば、彼からの不意打ちのキュン死くらいでしょうか。


 でも、これなら、あと50年は余裕でラーメンを作り続けられそうだわ。


 私は自分のまかない用の丼を手に取ると、愛しい彼に向かって、とびきりの笑顔で言った。


「さて、私もいただこうかしら。……もちろん、野菜マシマシ・アブラ多めで!」


 ズズズッ!


 森の奥の小さな店に、今日も幸せな咀嚼音が響き渡るのだった。



ここまでお読みいただきありがとうございました!


「面白かった!」「また読みたい!」と思っていただけたら、

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▼妹に婚約者を寝取られましたが、どうぞ差し上げます。私は「呪われた悪魔公爵」と噂される辺境伯様に嫁ぎますので。〜実は彼が呪われてなどおらず、ただの愛妻家な超絶美形だと知っているのは私だけ〜

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▼ 『午後8時、あのガゼボで』 ~ムカつく第二王子に婚約破棄を言い渡されるたびに時間が巻き戻されて鬱陶しいので、100回目の記念に殴ったら、それを見ていた第一王子に求婚されてしまいました~

https://ncode.syosetu.com/n1470lp/


他にも20本以上、投稿済みの短編がございますので、作者マイページからお好みのものを見つけてご覧いただけると幸いです。

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