女の助言
──クィンシー側──
死んだと思ったら実は生きていた。しかも異世界で。こんなことを前世の自分に言ったところで絶対に信じないだろうとクィンシーは確信している。
そういう話があるということは前世で耳にしたことがあるが、当時のクィンシーはそういったことにほとんど興味がなかった。娯楽と言えば仕事の後でパブに通い、酒を飲みながら仲間と話をするというくらいだった男だったのだ。
こちらの世界に転生した直後は何が起きたのかわからず混乱したクィンシーだったが、事態を把握するとすぐに自分の優れた魔法の才能に気付いてこれを伸ばす。その結果、非常に優秀な魔術使いとして成長した。
ところが、調子に乗りすぎた当時のクィンシーは大きな失敗をして周囲に迷惑を掛けてしまう。このせいで故郷を出る羽目になった。以後は冒険者として魔法の才能を活かして興味のあった遺跡へと度々入り、持ち帰った魔法の道具を売って生計を立てる。
そんなある日、クィンシーはとある古文書を手に入れた。そこには奇跡のラビリンスについて記されており、あらゆる願いが叶えられるとの一文に興味を引かれる。なぜそんなことができるのか気になったのだ。
遺跡で発掘した魔法の道具は高額で売れる。なので金の心配はなかった。クィンシーは更にいくつかの魔法の道具を売って不足しないと確信できるだけの金を手に入れると、腕の立つ冒険者を1人雇って奇跡のラビリンスへと向かう。
そして今現在、クィンシーは目的地の最寄りの港町にいた。冒険者ギルド城外支所の2階にある資料室で奇跡のラビリンスに関する資料を読みあさっている。主な資料は既に粗方目を通したのでめぼしい情報は少ない。
「ふう。もう夕方か」
室内が暗くなってきたことに気付いたクィンシーが顔を上げた。休みは数日間あるので急ぐ必要はない。今日の作業はここまでと区切りを付けた。
持ち出した資料を元の棚に戻したクィンシーは資料室を出て階下に降りる。途端に冒険者たちの喧騒が耳を突いた。いつもと変わりのない様子である。
それを尻目にクィンシーは城外支所の建物から出た。今日は1人で夕飯である。今や相棒となりつつあるあの青年冒険者とは別行動だからだ。
歓楽街へと足を向けたクィンシーは路地を歩いた。普段は行きつけの酒場に行くことが多いが、たまに別の酒場を開拓することもある。今日はそんな気分なのでいつもと違う道をたどった。
どこかの裏路地に入ってクィンシーはのんびりと進む。周囲には誰もいない。そんな中、前方にフードを目深に被ったローブの人物が立っているのを目にした。
特に興味がなかったクィンシーはそのまま通り過ぎようとする。
「もし、少しお話をしてもよろしいでしょうか」
脇を通り抜けてそのまま表通りへと向かおうとしたクィンシーは立ち止まった。正体不明のローブの人物へと顔を向ける。声からして女だということはすぐにわかった。
そのまま黙って立ち去ろうかとクィンシーは考えたが、わずかに好奇心が湧いたので返事をする。
「顔も見せないような胡散臭いヤツとは話す気になれんね」
「これは申し訳ありませんでした。余計な厄介事は避けたかったので」
謝罪の言葉を述べながら正体不明の女はフードを背中へとずらした。すると、恐ろしいまでの精巧さで形作られた頭部が露わとなる。銀髪紅眼の絶世の美女だ。
その顔を見たクィンシーは息を飲む。これほどまでに美しい女は前世を含めて見たことがない。前の世界なら世界的な芸能人になれたのは間違いないだろうし、こちらの世界でも王侯貴族が放っておかないことは確実だ。
女がフードを目深に被っていた理由をクィンシーは理解した。確かに顔を曝しているとこれは危険である。多数の男が近づいて来ることを予想するのは簡単だ。
だが、見ればみるほど、どことなく無機質な美しさに思えてくる。それが何かと少し考えたクィンシーはマネキンに思い至った。何となく人間味が薄いのである。
絶世の美貌に目を奪われたクィンシーだったが、すぐに相手がまだ正体不明の女のままであることを思い出した。尚も黙って立っていると女が更に話しかけてくる。
「私はクリスと申します。奇跡のラビリンスに興味がある方を探しているのですが、あなたはどうでしょうか?」
「なんだと?」
「あの迷宮にはあらゆる願いが叶う奇跡がありますが、あなたはご興味がありますか?」
「お前、それについて何か知ってるのか?」
「もしご興味がおありでしたら、迷宮が用意する特別な施設をご利用ください。地下4層より下の階層にあるあの場所です」
「なんでお前がそんなことを知ってるんだ?」
「私は迷宮に認められた者の前に現われる使者なのです。あなたは認められたのです。ですから、至る資格があるのです」
目の前に現われた正体不明の女の話を聞いたクィンシーはますますうさん臭がった。同時に、いきなり奇跡のラビリンスの大いなる謎に迫る道筋を示されて興味を引かれる。
「迷宮の使者? いくら何でもふかしすぎだろう。嘘をつくならもっと巧妙にするべきだろうに」
「ええ、今はまだ信じられないでしょう。しかし、どのみちあなたは更に階下へと進まれるはず。ですから、今は私の言葉を頭の片隅に置いていただければ充分です」
「はっ、そうかい」
「では、いずれまたお目にかかれるのを楽しみにしております」
クリスと名乗った女は怪しげな笑みをたたえながら再びフードを目深に被るとそのまま立ち去った。表通りに出るとすぐに人混みに紛れて見えなくなる。
その様子をクィンシーはじっと見つめていた。普段なら怪しすぎてばっさりと切り捨てる話だが、今はなぜかそんな気になれないでいる。
しばらくその場に佇んでいたクィンシーは、今になって自分が最後までクリスを拒絶しなかったことに気付いた。
──ショウゴ側──
今日も1日が終わり、ショウゴは酒場『天国の酒亭』で食事を済ませた。あとは宿に帰って眠るだけである。
日が暮れたあとの路地は当然暗い。これが歓楽街の表通りならば店の前に掲げられた松明や篝火である程度の明るさが確保できるが、路地裏となるとそうもいかない。
睡魔の来襲を予感したショウゴは早く宿に戻るため脇道へと入った。それほど長くない小道なので反対側の表通りの人通りがよく見える。
ショウゴはのんびりと進む。周囲には誰もいない。そんな中、前方にフードを目深に被ったローブの人物が立っているのを目にした。
多少気にしつつもショウゴはそのまま通り過ぎようとする。
「もし、少しお話をしてもよろしいでしょうか」
脇を通り抜けようとしたショウゴは立ち止まった。正体不明のローブの人物へと顔を向ける。声からして女だということはすぐにわかった。
そのまま黙って立ち去ろうかとショウゴは考えたが、若干警戒しつつも返事をする。
「俺に何か用があるのか?」
「私はクリュスと申します。あなたにお願いがあって参りました」
話しながら正体不明の女はフードを背中へとずらした。すると、恐ろしいまでの精巧さで形作られた頭部が露わとなる。金髪碧眼の絶世の美女だ。
その顔を見たショウゴは息を飲む。これほどまでに美しい女性は前世を含めて見たことがない。しかも、かすかに微笑むその顔にはどこか温かみがある。
絶世の美貌に目を奪われたショウゴだったが、ふとかつて酒場で見たことのある正体不明のローブの人物とその姿を重ね合わせた。理由は特にない。本当に何となく思い出したのだ。
そのまま黙っているショウゴに女が更に話しかけてくる。
「今の善意のラビリンスは歪んでいます。あそこに長く居続けるといずれ必ず狂うので、どうか早くここから立ち去ってください」
「何をいきなり。こっちは仕事で入ってるんだから無理だよ。人に雇われてるからな」
「では、決して今の迷宮に飲み込まれないように。悪事には手を染めず、人を陥れないようにしてください」
「どの程度からを悪事と呼ぶのかはわからないけど、この町に来るまでに俺だって色々やってきたよ。人だって殺したことがある」
「それでもあなたの魂はまだきれいなまま。ではきっと、やったことに理由があったのでしょう。しかし、あの迷宮では例え理由があっても手を汚してはいけないのです。ですからどうか、うっ」
「おい、どうしたんだ?」
しゃべっていたクリュスが突然顔を歪めたことにショウゴは動揺した。何がどうなっているのかさっぱりわからない。手を差し伸べようとしたが拒絶される。
何もできないショウゴからクリュスは離れた。そして、気分が悪そうに顔を歪め、よろめきながら表通りへと姿を消す。
話しの途中でよくわからない女が立ち去られたショウゴは呆然としたままだった。