王子に料理を捨てられた
「まずい」
王子はその一言ともに腕を伸ばし、皿を地面に向けてひっくり返した。私……ファリス・メルバートの作った料理が、王宮内庭の芝生の上へボトボトと落ちていく。
「――――」
その光景があまりにも衝撃的で、とっさに何も言うことができなかった。今までまずいまずいとは言われ続けてきたけど、それでも、出した料理は皿に残されるだけだった。
地面に落とされたのは、初めてだ。
沈黙したままの私へ、シャナル王子はさらに言葉の刃を投げつけてくる。
「本当にまずい。作ったのはチキンサンドだったか? 鶏肉をパンに挟むだけの料理でよくもこんなにまずくできるものだ。無駄に野菜は多いし、妙に酸っぱいソースがかかっているし、肝心のチキンに味がしない。最悪の料理だ。まさかわざとではあるまいな?」
そんなことありません。王子のために、必死にがんばって作りました。
そう言いたいのに、脳がしびれたように動かなくて口が開けない。
「……あの、……その……」
「それに比べてアンナの料理は素晴らしかった」
ようやく声を発した私を無視して、シャナル王子は傍らに寄り添う令嬢へと目を向けた。
「フライドチキンというのは初めて食べたが、今までにない濃厚で刺激的な味付けで文句なしに美味しかった。さすがアンナだな。平民に人気の料理も作れるなんて」
「そんな殿下……もったいないお言葉です」
アンナは嬉しそうに目を細め、王子にしなだれかかる。シャナル王子もそれを止めはしない。愛おしそうにアンナの髪を手で梳いている。
その光景を見ると、まるで彼女が王子の婚約者であるかのようだった。
アンナ・レント男爵令嬢。銀行も傘下に持つ大商会の娘でもともと実家は平民だった。レント家は豊富な資産を背景に貴族位を得たいわゆる一代限りの男爵家だ。なので正確にはアンナは貴族ではない。それなのに、こうして王宮内までに出入りできるのはひとえにシャナル王子の寵愛ゆえだった。
「王家の料理でも揚げ物は出るが、どれも上品な味付けばかりで飽き飽きしていたんだ。それに比べてアンナの料理のなんと斬新なこと。味は刺激的なのに中の鶏肉は実にやわらかく肉汁が溢れ出す。アンナの腕前あってのものだな」
「さすが殿下、わかってくださり嬉しいです」
「対して我が婚約者の料理にはがっかりだな。ファリス、君の作った料理はマズすぎる。まさかわざとそうしたのか」
「そんな、そんな訳ありません。私は王子の健康を第一に考えて……それに味だって」
私が作ったのはサンドイッチだった。野菜も多く挟み込んだチキンサンド。鶏肉は焦がさないよう弱火でじっくりと焼き上げ、丁寧に細切りした人参とレタス、そして薄切りにした紫キャベツを挟み込み彩りにもこだわった。
味だって、鶏肉は焼く前に良い岩塩とスパイスでしっかりと下味をつけてるし、さらに挟む前レモン汁もかけた爽やかなもの。野菜に組み合わせたハーブマヨネーズも満足行く出来だった。
試食を手伝ってくれた人はみんな、おいしいと言ってくれた。
料理対決に負けた今、私が言うことは何もかも言い訳になるのだけど。
私は、本気で、精一杯、美味しいものを作ったつもりだ。
……勝負は勝負だ。私だって自分の至らなさを言い訳するつもりはない。
でも、これは、あまりにも。
シャナル王子はあからさまな嘲笑を浮かべる。
「いろいろと理由をつけているが、所詮君の腕が悪いだけだろう。高い食材を使えばいいものができるとでも思ったか? いかにも貴族らしい発想だ」
「…………」
「料理対決は今回もアンナの勝ちだ。これで3度目か? そろそろ自分の立場を理解してほしいものだ」
「……殿下」
「これでわかっただろう。料理一つまともにできない君は家庭を築くのにふさわしくない。まさかすべてメイドに任せるつもりか? 少しはアンナを見習うといい。彼女は平民出身だからこそ、家庭に本当に必要なものを理解している」
「私より、アンナさんのほうが婚約者にふさわしいと?」
「なんだ、自分でもわかっているじゃないか」
……そもそも、今日の名目上の予定は私と王子とのお茶会だった。ここは王宮の内庭だ。その様な目的でなければ使用することは許されない。だというのにいつの間にか私とアンナの料理対決が開催され、対決という建前の公開処刑を受けている。
王子はアンナへ自分の身体を寄せて話しかけた。
「アンナ、君を元平民の出身と言って侮蔑する者もいるが、私は違う。むしろ君のような旧来の慣習にとらわれない人物こそ、これからの王家に必要なものだ。他の貴族令嬢は皆、権威意識にまみれてしまっている」
「シャナル殿下……」
「他の者の言葉など、耳を貸す必要はない。身分にとらわれない君の自由さこそ真の価値がある」
「殿下……私、私嬉しいです」
私はなにを見せられているのだろう。婚約者との親交を深める大切なお茶会で、なぜ自分の作った料理を貶され、浮気相手への睦言を聞かなければならないのだろう。
「今父上を始め周囲を説得しているところだ、もう少し待ってくれ。君のことは私が守る」
「ああ殿下……!」
「は……?」
さすがに聞き捨てならない発言が飛び出して、思わず身を乗り出す。
「殿下、説得とは何の話です? アンナさんを守るとは?」
私が訊ねると王子は鋭い視線を返してきた。
「アンナは学園内で嫌がらせを受けている。私が守ってやるのは当然だろう。……まさか、嫌がらせの筆頭が我が婚約者だとは思いもしなかったが」
「殿下誤解です! 私はアンナさんに宮廷マナーを守るよう伝えただけです!」
「何が誤解なものか、アンナをお茶会に参加させないよう圧力をかけたそうじゃないか」
「ですから、マナーや礼儀作法を知らないままでお茶会に参加すれば、恥をかくのはアンナさんです。私はむしろ彼女のためを思って……」
「見苦しい、言い訳で足掻くのは最低だぞ」
ダメだ。私の話に全く耳を傾けてくださらない。
「もういい」
シャナル王子が鬱陶しそうに手をふった。
「お茶会の義理は果たしただろう。私はもう行く。アンナ、一緒に離宮へ行こう。王宮では息が詰まるばかりだ」
「はい、殿下」
王子は立ち上がりアンナへと手を差し伸べる。今日は私と王子のお茶会のはずで、アンナは完全に部外者のはずなのに、まるで私のほうが異分子みたいだった。
去り際、縮こまって隅に控えていたメイドたちに告げる。
「落ちた料理はファリスに片付けさせろ。誰も手伝うなよ。彼女だけにやらせるんだ。自分がどれほどまずい料理を作ったか思い知らせろ」
王子は、その言葉を最後にアンナと肩を抱き合い去っていった。
二人の姿が完全に見えなくなったところで、メイドの一人がそばに寄ってくる。
「ファリス様、その、なんとお慰めしたらよろしいか……」
「あなた達は気にしないで。それよりその、お願いがあるのだけど」
「ファリス様、誠に申し訳ないのですが王子の命令ですので私達が手伝うことは……」
「違うわ」
ゆっくりと私は首を振って彼女の考えたことを否定する。
指を伸ばして、テーブルの上に残ったもう一つの皿を指した。
「あちらの……アンナさんの作った料理を、一口、いただけるかしら?」
「は、はい……」
メイドはササッと立ち上がると、一人分取り分けてフォークとともに持ってきてくれた。受け取って口にする。
「…………」
油と香辛料の匂いがきつい。鶏肉の下味と衣にかけられたソースの味がチグハグだ。王子は刺激的でおいしいと言っていたが、どう考えても塩味もスパイスも使いすぎだった。衣は焦げてこそいないが、噛むたびにきつい匂いのする油が口の中に広がってくる。
必死に噛んでいると今度は別の不快感があった。王子はやわらかく肉汁が溢れ出すと表現していたが、一部生に近い食感がある。
我慢して咀嚼し、必死に喉を動かして飲み込む。メイドたちが控えている手前何も言わないつもりだったが、つい思ったことが口をついて出た。
「…………これを、殿下は、おいしいと思ったの?」
優秀な王宮のメイドたちは、私の不敬発言に聞かないふりをしてくれた。
◆◆◆◆
婚約者である王子とは、最初からうまくいってなかった。
私の実家メルバート伯爵家とロワード王国王家との間で婚約の話が持ち上がったのはもう20年以上も昔の話だ。二代続けて宰相を排出したメルバート伯爵家に対し、王家がより強い交誼を結びたいと考えたのが始まりだ。だけどのその時は両家に適当な子どもがいなかった。それからすぐにシャナル王子が、二年遅れて私が生まれた。すぐに伯爵家と王家は婚約を結んだ。私にしてみれば、生まれたときから婚約者がいたようなものだ。
物心ついた時には将来の伴侶が決められているという事実に不満がないわけではなかったけど、私は貴族令嬢だ。恋愛結婚など夢のまた夢。それにシャナル王子は、幼い頃から金髪碧眼の美しい容姿で有名だった。何十歳も上の貴族男性に嫁がされるわけじゃない。まだ納得できる。
何より将来王妃となる立場なのだから、それにふさわしい淑女になるべく必死に努力した。もともとメルバート伯爵家はコツコツがんばる努力家の一族で、それが宰相の地位を掴むまでに至った。
私も幼い頃から必死に勉強し、宮廷マナー、王国の歴史、他国情勢や文化の把握を頑張った。百科事典みたいな本を何冊も暗記したし、外交に役立てるよう5ヶ国語を話せるようにもなった。
だけど……シャナル王子という人は私と真逆で努力の嫌いな人だった。幼い頃はシャナル王子の方から遊びやお茶会に誘われることもあったけど、私が王妃教育のために3回に1回は断っているとしだいに王子は私から遠ざかった。
勉強があるのだから仕方ない。私だって本当は遊びたかった。だけど王子は、私が王子を嫌っていると思ったらしい。そのうちシャナル王子は他の貴族の子息や令嬢を周囲に集めて遊ぶようになった。私は、大人になればきっと王子もわかってくれる。私達は婚約者なんだからと必死に思い込もうとした。
だが……私が18歳、王子が20歳となった今でも、彼は私のことを理解してくれなかったらしい。
さらに関係の破綻が決定的になったのは、アンナ男爵令嬢が現れてからだ。
アンナ男爵令嬢は美人で明るく、社交的な方だった。笑顔が魅力的な上に、殿方の目線を釘付けにしてしまうようなスタイルの持ち主だった。
あの夜のことは忘れない。私というパートナーが隣にいるにも関わらず、アンナ男爵令嬢へ吸い寄せられるように近づいていったことを。
その夜、王子は私のことを完全に放りだして、アンナ男爵令嬢とだけ踊った。
たった一晩で私と王子の関係破綻は王国中の知るところとなってしまった。
以来私はあらゆる面をアンナと比較され馬鹿にされる日々を過ごしている。
◆◆◆◆
「あの……ファリス、様?」
メイドに声をかけられて私ははっと物思いから覚めた。目を見開けばそこは王宮内庭。見たくもない現実が飛び込んでくる。
どうも数瞬ぼうっとしていたらしい。王宮メイドが心配そうな表情で私を覗き込んでいた。
「ごめんなさい。その、考え事をしていたわ。すぐ片付けるから大丈夫よ」
「ファリス様……」
そう、私はこれから、シャナル王子によって地面に捨てられた料理の片付けをしなければならない。
手を伸ばすのが、つらい。無惨に散らばったサンドイッチから、目を背けたい。
王子には酷評されてしまったけど、私はそれでも一生懸命に、作ったのだ。伯爵家に生まれて料理などしたことなかった私が、必死に自家のメイドに教わって。
心を込めて王子のために作ったものだった。せめて一切れくらい食べきってほしかった。
王子に、おいしいと言ってもらいたくて。殿下は痩せ型だから、体に良いものを食べて、ほしくて。
どのくらい固まっていただろう。おそらくそう長い時間ではなかったはずだ。
「――――様!」
「お待ち下さい――」
周囲のメイドが急に騒がしくなったので、何事かと私は顔を上げた。
「え」
眼の前に、黒髪の大柄な男性が立っていた。思わず驚きの声を上げそうになる。
普通貴族令嬢は家族や婚約者、定められた従者以外の男性をそばに近づけない。見知らぬ男性にこんなに近寄られたのは初めてだったのだ。
しかも、黒髪の男性はひと目で分かる立派な体格をしていた。帯剣はしていないが、騎士でもおかしくない身体つきをしている。
ここは王宮の内庭だ。従者でも選ばれたものしか立ち入ることは許されない。するとこの方は近衛騎士かなにかだろうか? それにしても、仮にも伯爵家の令嬢に許可もなく近づくなんて――。
そんな私の予想はメイドの一声によって覆った。
「お待ちください、グレイブ公爵閣下! その方はメルバート伯爵令嬢です」
「えぇ?」
今度こそ私はぽかんと口を開けた。
グレイブ公爵といえば私もその名を知っている。このロワード王国の第二王子であり、有名な二つ名を持つ。
『野蛮公――』
グレイブ公は数々の粗暴な振る舞いで知られる人物だった。粗野で、王族にふさわしくない荒々しい性格と噂されている人が、なんでこんなところに。
「なあ」
グレイブ公は、気楽な調子で声をかけてきた。『野蛮公』の二つ名を持つ相手とはいえ、王族に声をかけられたら答えないわけにいかない。
「は、はい」
内心のおびえを出さないように注意して、少し声が上ずってしまった。それに気づいた様子もなく、グレイブ公は私のそばの、地面に落ちたサンドイッチを指差す。
「お前の、それ」
「はい?」
「捨てちまうのか」
「は?」
一瞬、質問の意味がわからなかった。捨てるも何も、もう食べられるような状態でないことは見ればわかるだろう。
「……地面に落ちたものですから」
意図がわからず困惑しながら答えると、私のそばにグレイブ公は腰を下ろす。
そして、さらに思ってもみない行動に出た。
「もったいねえ。捨てちまうなら俺がもらってもいいよな?」
「いえ、ですから、床に落ちたもので、もう食べられないと……」
ヒョイッ、パク。
「え――」
グレイブ公は、なんと落ちてるサンドイッチをひろってそのまま口に入れたのだ。
『この人、地面に落ちたサンドイッチを食べた!!???』
止める暇もなかった。そもそもいくら野蛮公とはいえ、そんなことをするなんて考えてもいなかった。数瞬後、私は慌てて言う。
「す、すぐ吐き出してください、きたないですから!」
「うまいな、これ」
私の動きが止まった。
「こんなにうまいサンドイッチを、捨てるなんてもったいねえよ」
「…………え?」
それはともすれば粗雑とも言えるほど何気なく放られた言葉で。
だからこそ、私の胸の奥にまでストンと届いてしまった。
目を見開いてグレイブ公を見つめる。動きを止めてしまった私をどう勘違いしたのか、公が慌てたように言った。
「なんだよ、もう食っちまったからな、今更返せって言われても遅いぞ!」
「……あの」
「あん?」
おずおずとグレイブ公の顔を見上げて訊ねる。
「本当に、美味しいですか?」
私の質問に彼はキョトンとした後、すぐににっかりと笑って答えた
「ああ、今まで食べたサンドイッチの中で一番美味しかったぞ!」
ぽたり、と雫が地面に落ちる
気づけば、王子に罵倒されたときですら流れなかった涙が、溢れ出していた。
「な、なんだなんだ! 俺何か悪いこといっちまったか?」
涙があふれて止まらない。早く答えなきゃいけないのに、泣いてばかりで言葉にすることができない。
「なんだかわからないけど。すまん! 謝る。だから泣き止んでくれ!」
「ちがう……、違うのです。公は何も悪くありません。ただ――」
嬉しくて。
公の、何気ない感想がただただ嬉しくて、胸に染みて。
私は泣いてしまったのだと説明するには、まだ時間がかかりそうだった。
◆◆◆◆
しばらく泣いてようやく私は落ち着いた。グレイブ公は意外にもハンカチを差し出したあと私が泣き止むまで傍にいてくれた。誠に不敬ながら、そういう気遣いができる御仁だとは思ってなかったので驚いた。
落ち着いて、私は改めて公に礼を言う。
「ありがとうございました。でん――公爵閣下」
つい殿下と呼びそうになって途中で修正する。グレイブ公は第2王子だがすでに臣籍降下されている。一応王族扱いを受けているが、身分はあくまで貴族だ。そこには複雑な政治事情がある。
シャナル第一王子とグレイブ公――第二王子は互いに対照的な容姿をしている。
金髪碧眼で色白の、端正な顔立ちをしたシャナル王子はいかにも王子然としている。対してグレイブ公は黒髪に黒目、肌もよく日に焼けたたくましい体格をしていた。背もシャナル王子より高く、並んで立つとグレイブのほうが兄と間違われるくらいだ。
それも二人は異母兄弟のためだった。しかも、グレイブ公の母君のほうが身分が低い。そのためグレイブ公は王子にも関わらず早々に公爵となったのだ。それ故にシャナル王子の婚約者である私も、ほとんど交流を持ってこなかった。
しかし実際に会うグレイブ公は、そんな宮廷政治の後ろ暗さとは無縁のカラッとした笑顔が似合う好青年だった。
「落ち着いたか?」
「はい」
「サンドイッチ勝手に食っちまって悪かったな。魔物討伐の帰りで腹減ってたんだ」
「とんでもありません。地面に落ちて捨てるばかりでしたから……」
「さっきも言ったけど、うまかったよ。あれを捨てるなんてもったいねえ。ドジって落としちまったのか?」
「えっと……」
どう言うか迷ったが、どうせ私とシャナル王子の破局は王国中に知れ渡っている。正直に起きた出来事を話すことにした。
◆◆◆◆
「――というわけで、シャナル殿下にその、捨てられしまいまして」
話すうちにグレイブ公の顔はどんどん険しくなっていった。最後に私が話し終えた時、小さく舌打ちする。
「あのバカ兄貴……」
「か、閣下」
「自分の婚約者になんて仕打ちだ。……悪かったなファリス嬢。うちのバカ兄貴がそんなことしてるとは知らなかった。俺は宮廷事情に疎いもんでよ。兄貴に代わって謝罪する。すまねえ」
「そ、そんな! 閣下が謝られることではありません」
頭を下げたグレイブ公に私は慌てた。
同時に――今まで知らなかったこの方への、素直な興味が湧いてくる。これは王妃教育でろくに思春期を楽しんでこなかった私には、新鮮な感情だった。
グレイブ公の噂は私も聞いている。
いわく、王族とは思えないほど野蛮で粗暴。
騎士団長にも劣らぬ剣の腕を持ち、平然と一人で魔物を狩りに行く。
魔物地を全身に浴びても笑って戦い続けるような戦闘狂。
幼少から様々な問題を起こし、それ故に臣籍降下された。
貴族令嬢が、絶対近づいてはいけない男性。
『でも――』
グレイブ公は、噂されているほど野蛮な人ではないのかもしれない。
そんなことを、思った。
「閣下、どうかお顔を上げてください。閣下は何も悪くないのですから」
きつい顔のままグレイブ公が頭を上げる。
「――そうだな。バカ兄貴に謝罪させなきゃ、示しがつかない」
「そ、そういうことではないのですが」
ふぅー、と息を吐いてから、グレイブ公が静かな瞳で私を見る。
「……あんたは、悔しくねえのか。バカ兄貴にひどい目にあって、あんな成金令嬢に現抜かされてよ」
「私は、王妃候補ですから。悔しいとか、悲しいとか、考えたこともありませんでした」
「こんな目にあってもシャナルにずっとついてくつもりか?」
「いえ……、まだ婚約破棄はされていませんが、時間の問題でしょう。シャナル殿下も、陛下と交渉されているような口ぶりでしたし……」
再びグレイブ公が舌打ちする。
「あのバカ兄貴、いよいよ救いがねえ」
「あの、いくら弟君とはいえ、シャナル殿下にそうバカバカ言うのはまずいのでは」
「関係ねえな。バカをバカって言って何が悪い。それに俺はこれから領地に戻る。しばらく王都とは関係ないから大丈夫だ」
そこでグレイブ公は、はっとしたように表情を変えた。
「そうだファリス嬢、あんた一緒に公爵領へ来ないか?」
「え?」
「こんな王宮にいても辛いだけだろう。気分転換だ。俺の領地へ来いよ。まだ開拓中で足りねえもんも多いが、不自由はさせない。なによりシャナルみたいな理不尽な真似、俺は絶対しないからよ」
「そ、そんな急に言われても……それに私はまだ殿下の婚約者ですし」
「どうせ破棄されるんだろ? 大丈夫さ。まあ俺も根回しはしとく。これでも元王族だから任せてくれ。……なあ頼むよ。俺はもうあんたのこと放っておけなくなっちまった」
どうやら本気らしい。今日は、グレイブ公の発言の驚かされてばかりだった。
「なぜそんなに私に良くしてくれるのですか? 今までほとんど話したこともなかったのに」
「いや、俺はあんたのこと、ずっと前から見ていたぜ」
急に真剣な顔になってグレイブ公が言う。
「ええ?」
「あんたが王妃教育で頑張ってるのも、それですごい優秀な成績を上げているのも、全部知ってた。兄貴の婚約者だって聞いて……ちょっと嫉妬してたんだ」
頬がほのかに熱を帯びる。まさか、グレイブ公からそんな視線を受けているなんて思いもよらなかった。
公が、存外優しい手つきで私の肩に手を置く。
「なあ、どうだ? 一緒に来てくれないか? 俺は婚約とか政治とか関係なしに、まずお前を兄貴の酷えいじめから守りたいんだ」
私はまだ、グレイブ公のことを何も知らない。彼を信じる根拠があるとすれば、ただ私の作ったサンドイッチを捨てずに食べてくれたと言うだけだ。
でも、今の私にはそれだけで良かった。
「……よろしく、お願いします」
こうして私は、この野蛮なる公爵閣下のされるがままに連れ去られることになったのだった。
私の未来がどうなるか、まだ私にもわからない。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたら幸いです。