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02.第二の反復 虐殺兵器①

 大正十年十月一日。旧宮城上空。


 時計塔の露台(ベランダ)に立った(いみ)()(こく)(よう)は東京全域を見下ろしていた。

 標高は海抜二百メートルにも届こうかという、倫敦(ロンドン)時計宮殿(ビツグ・ベン)をも遙かに超える世界随一の大時鐘である。着工は大正元年、竣工は大正七年――あの大災害があった年の暮れである。

 建造様式は繊細華美なゴシック調と海外の皮相的模倣にしか過ぎず、少々の雑駁(ざつぱく)を感じてしまうが、それでも日ノ本を象徴する、ある種記念碑(モニユメント)的な建築物であることは確かである。


「流石に、二町も上れば風が強い」


 黒曜の隣に立つ男が恨めしそうに言った。

 身の丈が六尺を超える巨漢である。


 全身を黒革の軍装で包み、頭には保護眼鏡(ゴーグル)つきの制帽を被っている。背面には、背嚢型貫流式汽罐と折り畳んだ羽搏式飛行機(オーソニプター)を装備している。軍装とは(いえど)も、襟元には階級を示す(スター)(ライン)もない。徽章(きしよう)すらない。

 化学汚染された濃霧(スモツグ)を吸引しないように濾過材(フィルター)を詰め込んだ覆面(マスク)は首許で緩められ、唇には火の点いた紙巻きが(くわ)えられている。煙草の先端からは白い煙が筋になって流れていく。


「二町ってお前。正確には一・八三町――二百メートルだ。今年の四月十二日に度量衡法改正が公布されただろ。これからはメートル法が基本だぜ」


 黒曜が訂正すれば、男は鼻の頭に皺を寄せて、量の多い煙を吐き出した。


「何だよ。その(ツラ)は」

「頭目は、いやに細かいな」

「几帳面と言ってくれや。確かに改正法の附則には従来の度量衡も当分の間は使用できるとは書いてはあったが、今日日(きようび)、尺貫法やらヤードポンド法に(すが)っている奴がいるなら、そいつは保守を(こじ)らせた頭の固い国粋主義者(ナシヨナリスト)か、時代の流れに乗り遅れた可哀想な貧民だぜ」


 軽い調子で言った黒曜は、隣の巨漢――(みち)(のし)(げん)()と同じ兵装を(あらた)める。


 圧力計の数値は安定している。翼の動作も良好。拳銃および護拳刀も問題ない。右手の義手も保守点検(メンテナンス)に出した直後。素顔を隠すための面頬こそ着用しているものの、頭部が重くなることを(いと)うて保護眼鏡は持参していない。滑空に慣れてさえしまえば、煤煙が目に染みることも眼球の乾きも気にならなくなる。


 大鐘楼の展望台にいるのは黒曜を含めて五名。

 全員が黒一色の戦闘装束を着込んでいる。


 空挺特務部隊、()()(がらす)である。

 総員五名と、陸軍で言うところの小隊はおろか分隊にも満たぬ集団であるが、与えられる任務の殆どが国家体制に反対する者の粛正という、機密が大いに絡み、また(おおやけ)にはできぬ仕事ぶりが求められるため、(かえ)って都合が良かった。


 書面上においては陸軍参謀本部第一部作戦課航空班の所属になっているが実情は異なる。

 前身が親衛隊だったこともあり、現在も旧宮城に御座す皇女直属の私兵という側面が強い。

 ゆえに陸軍や海軍などにある階級は存在せず、ゆえに階級章も必要としない。


 分業(ある)いは専業というべきか。


 諜報班の鼠が嗅ぎ回り、参謀本部が得物と末路を決定して、八咫烏が対象を秘密裏に抹殺せしめて――時には白昼堂々と屍を転がすこともあるが――その屍体は警保局の秘密警察が回収、事故死として処理、どこかの新聞社が一面の隅に、政治犯何某(なにがし)が死んだと市井に告げれば事は済んでしまう。標的の遺族や、正義漢気取りの記者が納得できぬと騒ぎ立てることも往々にしてあるが、そうなれば転がす屍と手間が多少増えるだけである。


 ――まるで歯車のようだ。


 玄武の煙草から漂う副流煙を嗅ぎながら黒曜は思う。

 互いが互いを動かしているのだと。ひとりひとりに自意識があるのか、そしてそれが全体にいかなる影響を与えるのかは測りようもないが――国家という体系(システム)に組み込まれ、いつまでも同じところを馬車馬のようにグルグルと走り回っているのだ。体制に不満を抱き、反旗を翻そうとした正常な不良品は屑鉄(スクラツプ)として処分されてしまうのが今日(こんにち)の東京である。


 ――気に食わねえな。気に食わねえのは確かなんだが。


 黒曜は顔を(しか)めて東京の街並みを見下す。官民問わず、あちこちの家屋から蒸気とも煤煙ともつかぬ麹塵色(きくじんいろ)の気体がモクモクと(なび)いている。


 明治五年、銀座から築地までを焼き払った大火の後、都市の不燃化を目指して建築された煉瓦造りの建物が軒を連ねている。そこに英国の色が垣間見えるのは、お雇い外国人トーマス・ジェームズ・ウォートルスの設計がゆえにだろう。尚、明治の頃は、煉瓦の家に住むと青膨れになって死んでしまうという迷信が流布した結果、入居者が見付からぬ事態に陥ったというのだから当時の市民が持つ西洋文化への根強い心的抵抗を窺い知ることができよう。


 大正となった今となっては昔の話である。

 舶来品を取り扱う商店や新聞社、喫茶店(カツフェー)麦酒酒場(ビール・スタンド)が開かれ、俸給労働者(サラリーマン)から文化人、軍人崩れから物乞いまでが集う、華やかであると同時に混沌を極めた――ハイカラな街に仕上がってしまった。


「玄武。俺にも一本寄越せ」


 黒曜が紙巻きを強請(ねだ)れば、玄武は珍しそうに黒曜を見下ろす。その表情は厳めしいどころの話ではない。右頬には生々しい火傷跡が、眉間には深い刀創が残る戦士の顔である。


「あるにはあるが」

「どうした。惜しくなったのか」


 玄武が愛飲しているのは『Peace(ピース)』である。西欧大戦の終結を記念に製造された銘柄であり、本人(いわ)く、表紙を飾る極楽鳥の鮮やかな外装(パツケージ)と甘い芳香が気に入ったらしい。


「否、頭目の命令に逆らうつもりはない」

「ならなんだよ。無理にとは言わねえよ」

「珍しいと思ったまでよ」


 玄武は、懐から小箱を取り出すと、最後の一本を差し出す。

 黒曜は礼を述べた後、受け取って吸い口の断面を叩いて(なら)す。唇の先端で柔らかく銜えて、呼吸器から蒸気交じりの息を吐いて加湿することも忘れない。


「火ぃ、くれ」


 黒曜が乞えば、玄武は燧火(マツチ)で点火してくれる。最初の一口は焦れるほどゆっくりと喫って、紫煙を(くゆ)らせる。喫煙者のみが理解する愛すべき沈黙であった。


「頭目。何かあったのか」

「いいや、何も」


 玄武はまだ黒曜を見ている。

 他の隊員も同様であった。


「なら何故そうも不機嫌そうにしている。普段なら煙草など吸わんだろう」

「何もないからだよ、(うるせ)え奴だなあ」

「何もない、とな。分からんな。禅問答か」

「違えよ。俺はな、八咫烏とかいう穢れ役の部隊長なんざやっているが、この東京をどうも好きになれねえんだよ。いや、なっちゃいけない気がするんだよ」


 発言を(いさ)めようとした部下のひとりに、まあ最後まで聞けよ、と黒曜は(てのひら)を挙げる。


「言いたいことは分かるぜ。俺達は所詮使い捨ての一兵卒だ。割り振られた任務だけを忠実に処理していればいいってのは重々承知しているさ。それだけで破格の給与が個人信用銀行に振り込まれるんだからボロい商売だ。私情を挟んだところで自分の首を絞めるだけだってのも。だが、なあ」


 黒曜は再び煙草に口を付け、煙を(おもむろ)に吐き出す。胸部に収められた肺胞が有害物質を感知するが、喫煙が(もたら)眩暈(めまい)酩酊(めいてい)は微塵も感じない。


「生憎様、こちとら三年前に記憶と右腕を喪くしているもんでな。それ以前のことなんざ綺麗サッパリ忘れちまった。辛うじて覚えているのが自分の氏素性と今が大正の御代だってことくらいだ。正真正銘の白痴さ。だから、こう、何と言うのかね」


 言葉が見付からず、黒曜は欄干に背を預けて上方を仰ぐ。


 手摺りに囲われた展望台の上部は鋳鉄製の四角錐となっており、内部には青銅の半鐘と撞木(しゆもく)が吊り下がっている。自動装置であるため鐘楼守(ベルリンガー)はいない。

 半鐘は、高さ四・二メートル、外径二・八メートル、厚さ〇・二七メートル、重さ八二・七トン。どこかの寺院から寄贈されたものをそのまま括り付けたものである。一体どのような手段を用いて、これほどの重量物をここまで持ってきたのかは分からない。


 鐘楼の外観が純西洋式だというのに、その天辺を飾る鐘が日本由来のものなのだから奇妙というかべきか面白いというべきか。良く言えば和洋折衷、悪しきように言えば節操なしの――近代国家を目指す我が国には相応しい象徴なのかもしれないと黒曜は思う。


「俺という人間は三年前に生まれたようなもんだ。それ以前はいくら考えても思い出せねえ。俺が意識を取り戻したと聞いて駆け付けた軍のお偉いさんが、貴様には特殊部隊の長になってもらう、なんて言い出して、話がトントン拍子に進んで――今に至るってわけだ」

「それがどうして、帝都が好きになれないという話になるのですか」


 部下のひとりが尋ねた。

 名前は覚えていない。

 先月の作戦で一名が殉職したため、一週間前に配属されたばかりの新参者である。


「お前等は覚えているんだろ。大正七年の大災害とやらを」


 新人は頷き、話の続きを促す。


「聞けば酷い有様だったらしいじゃないか。造兵廠からは当時秘密兵器だった人形が暴れ出して民間人を襲ったとかいうし、汽罐がある家や工場じゃ逆火現象(バツク・ファイア)が起きて例外なくボカンときたもんだ。被害戸数は甚大という他ない。死者負傷者も同じだ。しかもその原因が、未だに不明だっていうんだから犠牲になった連中は救われねえよな」

「不明ですか。しかし新聞の報道では何者かが旧宮城に侵入、汽罐の安全装置を解除して、過度な燃焼を促したがゆえの事件だと発表された(はず)ではありませんか。(もつと)も、実行犯は地下で黒焦げになっていたため身元の判明には至らず、その後の調査で反体制の一派が指示したと分かり連座で逮捕されたのではありませんか。刑は執行されたとも聞きました」

「そりゃ表向きの発表だ。実際は違う。捕まった連中は贖罪之山羊(スケープ・ゴート)だ。お国にとって都合の良い――いや、この場合は都合の悪い――連中をふん縛ったわけだ。そうでもしないと収まりがつかないだろ。事実、あの大災害以降、蒸気機関に対する打ち壊し(ラツダイト)運動が多発した。本場英国も吃驚(びつくり)するくらいの規模でな」

「隊長。そのような話、一体どこから仕入れてくるのですか。今の話を聞いたらきっと世間は黙っていないでしょう」

「情報の出所は秘密だ。言っておくが与太(よた)じゃねえ。信頼できるところからの話だ。言うまでもないが他言無用で頼むぜ。俺が漏らしたと露見(バレ)たら首が飛んじまうからな」


 もしかしたら俺を殺せと命令が下るかもな、と黒曜が茶化せば、だったら尚更言えませんよそんなこと、と新人が答える。


「話は戻るが、三年前の大事故は原因が不明だ。それなのに、そんなことを知らされず、忘れたように蒸気と歯車が作り出す近代的な文明を享受しながら、我が物顔で東京を闊歩している奴等が心底気に食わないのさ。俺は捻くれ者だからよ。いつかそう遠くないうちにまたあんな事件が起きるかもしれないぞと言って、連中の横っ面を叩きたくなるんだよ。お前等だって、親でも兄弟姉妹でも友達でも、誰かしら焼かれているんだろ。少なくない被害を受けてんだろ。だから生きていくためにこんな裏側の仕事をやっているんだろ」

「義憤ですか」

「まさか。そんな高尚な感情じゃねえよ」


 黒曜は長くなった煙草の灰を落とす。

 筒状の灰は風に揉まれて一瞬で塵になる。


「だから、と言うわけじゃあないんだが。本音を言えば、蒸気機関の打ち壊し運動をしている連中の気持ちも、時代の急速な変化についていくことを諦めちまった保守派の気持ちも、分からないでもないんだよ」

「隊長とあろう者が、士気が下がること言わないでくださいよ。私達がこれから向かうのは、その活動家の根城(アジト)なんですよ」

「分かってるよ。俺が一番気に食わないのは手前自身だって話だよ。全く因果なもんだぜ」


 沢山の人間が死んだ。それを知らずに振る舞う連中が気に食わないと綺麗事を吐くも、当の自分が治安維持という大義名分を盾に反体制側の人間を喜んで殺し回っているのだから、我ながら救いようがないものである。

 相手にも正義や信念はあるのだ。ある意味では犠牲者なのだ。(むし)ろ国が反体制派を、有無を言わせず処刑したことを思えば相手の方が余程筋が通っているのかもしれない。


 犠牲云々を言い出してしまえば、己自身が立派な被害者である。

 右腕と記憶、その他諸々を喪ったことを思えば、己はここにいるべき人間ではない。

 では何故八咫烏に甘んじているのかといえば。


 記憶を喪くす以前、親衛隊の副隊長という大層な役職を拝命していたこと。そして親衛隊の数少ない生き残りであるという戦績と復讐心を上役が勝手に汲んだ結果なのだろうが。


 ――阿呆くせえ。馬鹿だよ馬鹿。とんでもない大馬鹿野郎だよ。


 黒曜は内心、誰に宛てたでもない罵倒を漏らす。

 己は三年前に、帝国大学病院研究室の寝台で自我を持った――生まれたてホヤホヤの、忌寸黒曜という人間でしかない。目覚める前など、どうやっても思い出せず、親衛隊副隊長を務めていた以前の姿など、深い断崖に隔絶された別の人格のように思えてならなかった。


 甲斐甲斐しく面倒を見て、義腕まで作ってくれた女性医師曰く、脳組織の損傷と精神的衝撃に起因する健忘症であり、何かが契機(きつかけ)となり回復するか分からないため気長に待つしかないとのことであった。


 具体的には、火炎放射器が撒かれた部屋に踏み込んだがために酸欠に陥ったことによる脳細胞の壊死、そして大勢の仲間と婚約者を喪ったことによる心的外傷(トラウマ)ではないか――とも。


 現場を見てきたように医師は説明した。

 更に加えて。


 夕陽に照らされる稲穂の如し、黄金色(こがねいろ)をした御髪を持つ麗人は。


「忘れないで。貴方には復讐を果たす権利が――いいえ、義務がある」


 黒曜の耳元で、紅を塗った唇を動かして、ソッと(ささや)いた。

 その態度は、心理相談士(カウンセラー)が行う認知行動療法にも、精神病患者に施す暗示のようでもあり。

 彼女は乞うているのだ、と黒曜は解釈した。

 無残に殺された民草の仇讐を取ってくれと。


 他の誰にも聞かれなかった婦人の言葉は何の違和感もなく黒曜の(うち)に収まり、ある種の使命感にも似た輝きをもって今も尚静かに燃え続けているのだが――結局黒曜が行動を起こすことはなかった。

 当然である。仲間と婚約者が死んだとは言われても、痛めつけられた脳髄は、彼等の(おもかげ)ひとつ呼び起こせずにいるのだ。悲しみはなかった。死者を(いた)むべきという常識こそ持ち合わせてはいるものの、己は記憶と共に何か大切なものを――敢えて言語化すれば慕情や情緒、倫理や道徳を――喪失してしまったのではないかとすら思えた。


 ならば、逆説的に。


 復讐を果たせば人間性を取り戻せるのではないかとも思うが、今度はその標的が不在なのだから仕方ない。三年前の大事故が政治犯によるものではないと分かったところで、その次がないのだ。


 今日もまた進捗らしい進捗はない。


 護国の看板と蒸気機関を背負って、無感動にどこかの誰かを殺すだけである。同じ箇所を、同じ速度で、グルグルと飽きもせずに回っているのだ。堂々巡りも良いところである。


 やはり己はこの東京市を構成する歯車でしかないのだ。

 大時鐘からの眺めも見飽きてしまった。


 ともすれば、この大正十年十月一日という時間を、何度も自覚のない(まま)、繰り返している気狂いなのではないかという愉快な考えさえ抱いてしまう。

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