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01.第一の反復 旧宮城の天使

 大正七年九月三十日。

 かつて宮城と呼ばれた場所の最奥――謁見の間。


 中央気象台横練兵場より号砲が(とどろ)いたことから察するに、きっと今は正午なのだろう。

 真昼間であるのに薄暗いのは、一六葉八重表菊を象った明かり取りの高窓が、天鵞絨色(びろうどいろ)をした分厚い窓帷(カーテン)(とざ)されているからである。

 光源は、玉座の両脇に灯された時代遅れの瓦斯(ガス)式燭台と、足許に斃れた、今尚(なお)、炎に舐められる屍達だけである。兵装から察するに親衛隊であろうか。


 死んだ者のことなど、どうでもいい。

 彼等は私の行く手を阻んだ。ゆえに排除した。

 ただ、それだけのことである。

 私の目的は。


 ――誰か、お願いだ。僕を解放してくれないか――。


 蒸気配管を伝播して届いた声なき叫びであった。

 玉座に、ひとりの娘が座っているのを私の網膜が捉える。

 氷雪の如し白い毛髪(かみのけ)をもっていた。(はだ)は白磁の如し。

 (みは)った(まなこ)からは人間らしい透明な雫が、(まなじり)から頬を伝って、はらりはらりと零れ落ちる。


 その姿が。

 いずれ月へ還る我が身を。

 大切な者達との別れを憂いて、さめざめと泣く赫映姫(かぐやひめ)のようで。


 行かなければ、と思った。

 ここにいるのは私と娘だけである。

 戦うしか能のない私であるが、あの(なみだ)を拭ってやるくらいはできるだろう。

 骸を踏み越え、傷だらけの(きし)(からだ)を引き摺るようにして、玉座に続く臙脂色(えんじいろ)毛氈(もうせん)(ひた)進む。


 最前の戦闘で左腕は千切れかけていた。右膝は異物を噛み込んだかのように強張っていた。

 だが進軍に支障はない。

 畏れ多くも娘の前に立ち、血に(まみ)れた右手を伸ばしたところで。

 己の右腕が、歯車と螺旋(ねじ)からなる、機巧(からくり)仕掛けの無機物であることに遅ればせながら気付く。

 娘に触れるには(いささ)か無骨で血腥(ちなまぐさ)い。(けが)れてもいる。


 手を下げた代わりに顔を上げれば、玉座の背後は一面の硝子(がらす)張りになっていた。

 透明な壁を隔てた向こう側――高さも奥行きも十二分にある広大な閉鎖空間――には大小様々な歯車がみっしりと敷き詰められ、油に濡れた軸受けや接触部は滑々(ぬらぬら)とした光沢を纏いながら、忙しなく回っている。一周期ごとに、ガタンゴトンと重い反響を残す様子は、時を刻む秒針(セコンド)のようにも、深海に潜む巨大生物の鼓動のようにも思えてならなかった。


 (あなが)ち、心臓という比喩も間違いではないのだろう。


 我が国が誇る、記憶領域を保有した解析機関――『天照(あまてらす)』である。蒸気駆動式を採用しており、かの偉大なる数学者兼哲学者チャールズ・バベッジが設計した階差機関(ディファレンス・エンジン)の正統進化型である。


 今この瞬間も、大勢の科学者の要請を受けて稼働しているのだ。

 日々、莫大な化石燃料を宮城地下の汽罐(ボイラー)で食らい、正確無比な演算を幾度も処理出力しては、黒い煤煙(ばいえん)を――硫黄酸化物と窒素酸化物、二酸化炭素を含んだ気体を――排泄するのだ。

 使用された蒸気は、熱源として、かつて帝都と呼ばれた市街一帯に行き渡るものもあれば、猛り過ぎたものは膨張弁から逃げ出していく。しかしその(ほとん)どが、復水器を経て、また汽罐に戻るという循環を考えれば血液宛(さなが)らであろう。


 『天照』の防御を務める皮膜硝子の壁には、機関の底部から玉座へ繋がれた何本もの撓管(チユーブ)と、傍らに立つ私を映している。

 全身を漆黒の大鎧で固めた武者である。素顔は鉄の面頬(めんぽお)に覆われているため人相はまるで分からない。双眸だけが禽獣(けだもの)のように炯々(けいけい)と光っている。

 背中には鋳造式圧力装置と蒸気砲(スチーム・カノン)を背負い、左腰には数物の打刀と脇差しを差している。


 装甲の至る箇所が濡れているのは返り血のせいか、右手に装着した火炎放射器の燃料が漏洩したせいか。救世主(メシア)を名乗るには余りにも野蛮且()つ不格好な扮装(いでたち)である。

 案の定、娘も私が味方かどうか計りかねて、戸惑いを浮かべている。


 ――姫。どうかご安心召されよ。私は貴女を救いに参りました。


 そう言い、(かしず)こうとした時である。

 ひとつしかない大扉が開かれた。


 振り返れば、真昼の陽光を背に男が立っていた。

 親衛隊と(おぼ)しき制服に身を包んだ青年である。

 西洋人の血が混じっているのか膚は白く、鳶色(とびいろ)の髪、翡翠(ひすい)の瞳をしている。

 既に戦闘を潜り抜けてきたらしく、外套(マント)は焼け焦げているし、切れた唇からは赤い血を流している。整った顔立ちには脂汗が浮いている。満身創痍といった様相であった。


 こちらに近付く男の足が止まった。

 男は、横たわる屍体のひとつ――隊長格らしい義手の女性――を認めると、歯を食い縛り、得物の護拳刀(サーベル)を抜き放つ。


「手前、よくも」


 男は怒りを露わにする。

 私も打刀を抜いて構える。


「何人たりとも姫を縛る者は(ゆる)さんぞ。ここより先は神域と心得よ」


 (しば)し、私と男は睨み合う。


「姫だぁ?」


 怪訝そうに言った男は、玉座に収まる娘を見遣る。


「一年ぶりにお目覚めなさったのは大いに結構だが分からねえな。どうして手前みたいなヤツが出てくんだよ。手前、何者だ」

「東京砲兵工廠より製造された『櫻花(おうか)改二(かいじ)』と申す者也」

「また人形兵器かよ。しかも今度は試作機(プロト・タイプ)じゃなく後継ときたもんだ。今日だけで何機壊したと思ってやがる」

「壊した、とな」

「おうよ。工廠から大勢の人形兵器が出てきて民間人を襲うものだから全て壊してやったぜ。お陰様で市街は酷い有様だ。手前等の目的は何だ。まさかその姫サマを殺して反逆するつもりじゃねえだろうな」

「それこそまさかというものだ。姫の要請があってこそ」

「要請だと?」

「そうだ。解放してくれと仰った。ゆえに私はここに居る」

「すると何かい。俺の仲間をやっつけて、しかも荼毘(だび)までしてくれたのは。(ちまた)で蒸気機関が暴走しているのは、そこな姫様の思し召しってわけかい」

「さあ、な。そこまでは私の預かり知るところではない」


 娘を庇うように立てば、男は不快そうに鼻を鳴らす。


「言っておくが市井(しせい)は酷いもんだったぜ。建築物(ビルディング)は燃えているわ、汽車や自動車(クルマ)は横転してどうにもならねえ。飛行船は墜落して爆発炎上。お前等のような機巧は無差別に暴れ回って――まあ、良いわ。ここで愚痴ったところで死んだ人間は生き返らねえ。東京の市民なんか最初(ハナ)からどうでも良いんだ俺にとってはな」


 男は女の亡骸まで歩み寄る。仰向けにさせると半開きになった目を閉じさせてやる。胸の前で手を組ませようともしたようだったが、右手の義手には太刀を、左手には脇差しが固く握り締められており、どうにもならずにとうとう諦めてしまった。


「死に顔まで綺麗なんて、(ずり)ぃ女だよ本当に」


 誰に言うでもなく呟いた男は、立ち上がり私に向き直る。

 護拳刀の刀身が、(ぎら)り、と好戦的な光を(たた)える。


「親衛隊副隊長、忌寸黒曜(いみきこくよう)同輩(ともがら)と隊長の仇讐(かたき)は取らせてもらうぜ、ガラクタ野郎。手前の目的なんざどうだって良い。解放だの要請だの、殿上人の思惑なんざ知ったことか。だが、手前だけは絶対に赦さねえ」

「赦さなければ、どうするというのだ」

「死んで償え」

「姫。事を済ませた後、貴女をその呪縛から解き放ってみせましょう。どうか今暫くその(ひとみ)を閉じていただきたい」


 私が告げれば、娘は何か言いたそうに口を開いた。

 だが結局言葉にならず、おずおずと口を噤み、祈るように目を(つむ)る。

 もしも娘に、自由に動かせる手と脚があったなら。今から始まる死合を――否、謁見の間に踏み入った私の殺戮を止めていたのかもしれない。そう思いたくなるほどに(すこ)やかで(たお)やかな、血と硝煙の臭いが似合わぬ少女然とした(かお)であった。


 ――嗚呼、やはり。


 悲哀に満ちた、月光のように青褪めた(かんばせ)は赫映姫宛らで。


 それならば。


 私は考える。

 己に()てられた配役は何であろうかと。


 竹藪から姫を拾い育て上げた翁か。

 彼女を娶ろうと難題に挑んでは敗れ去った貴公子達か。

 文通の末、贈られた霊薬を富士の山で焼き捨てた帝か。

 彼女を迎えに来た月の使者か。

 姫を護ろうと弓を(つが)えた名も無き衛兵か――。


 それにしても。

 私はどうして『かぐや姫』を。

 『竹取物語』を()っているのだろうか。


 確かに、頭部に組み込まれた記憶領域には、任務に支障が出ない程度の常識が刷り込まれているのだが――。


 私は夢を見ていたのだ。

 人間が母胎の中で母の声を聞くように――母親の心が分かって躍ってしまうように。心理遺伝の因果に悶え苦しむように。生物進化を辿る一編の長い悪夢のように――私という自我が構成される以前、蒸気配管を通して、私は『竹取物語』をどこかの誰かから聞いていたのだ。

 それを、私を構成する歯車達が覚えていたのだ。


 ともすれば。


 これより始まる生命を賭けた死合いの結末も、この部屋の壁面や床下を走る配管を伝わり、歯車に痕跡を残し、どこかの誰かに記憶されるのだろう。


 ――悪くない考えだ。


 仮令(たとえ)、ここで私が一敗地に塗れて朽ちようとも、私は決して消滅することはないのだ。

 どこか、誰かの中で生き続けるのだ。

 玉座の階段を下り、男へ対峙する。


 両者の間を埋めるのは、緊迫した空気と、肉と髪が焦げる異臭だけであった。

 男の馬手(めて)には護拳刀が、弓手(ゆんで)には南部式大型自動拳銃が握られている。

 意識を戦闘形態に切り替える。

 そうあれかしと念じるだけで、背負った汽罐に火が()べられ、可撓管(ホース)の蒸気圧力が上昇する。


 先に動いたのは私である。

 数歩間合いを詰めた後、右手の火炎放射器を射出する。

 増粘剤の混じった泥膠(モルタル)の如し重油は、(たちま)紅色(べにいろ)の炎となりて男へ降り注ぐが、男は外套を(ひるがえ)して直撃を免れる。


 ぱん、という乾いた炸裂音がした。男が拳銃を撃ったと分かった時には、右手にある携帯型燃料貯蔵庫が爆ぜて、私の右前腕があらぬ方向へ弾け飛んでしまう。

 男は、間髪入れずに拳銃を連射する。私の両膝に、残った弾丸を四発ずつ命中させるが――それだけである。痛覚ある人間ならいざ知らず、私は我が国が誇る科学者が造り出した決戦兵器である。矜持というものがある。(たお)れるわけにはいかなかった。


 両膝の歯車は確かに砕かれたが、蒸気仕掛けの撥条(ばね)は健在である。

 私は、弾丸を撃ち尽くした拳銃を放り捨てた男へ跳躍、脳天へ打刀を叩きつけるが、男は最小限の動作で(かわ)してみせる。それから幾度となく切り結び――文字通り、(しのぎ)を削り、火花を散らす剣戟であった。互いに譲らぬ一進一退の攻防であった。


 男は、人間特有の柔らかな手の内と(しな)やかな太刀筋、正当なる理合を以て、これが剣術であると言わんばかりに私の躰を刻みにかかる。

 相対する私は、機関が導く、最小限且つ最短距離を、歯車の遠心力と撥条の仕掛けからなる、人間にはどうしたって届かぬ剛剣を(たの)みに渡り合う。


 いつまでも続くかと思われた私達の剣舞は、男が崩れ落ちるように片膝を突いたことで中断してしまう。

 男の目は焦点を失い、口を開いて喘いでいる。

 体力気力の消耗ではない。火炎放射器の副次効果――酸素欠乏症に陥ったのだろう。

 最前、親衛隊の数名を薙ぎ払った時も発射したのだ。大方、この居室の酸素濃度は十八パーセント未満の危険水域なのだろう。


 私は、今にも破断してしまいそうな刀を鞘に収め、背負った蒸気砲に持ち変える。

 口径は一寸弱、銃身は四尺を超える、まさに砲と呼ぶべき代物である。

 銃身に繋がる銀を十二分に熱し、そこへ少量の水を注入、蒸気へと昇華する膨張力を利用して槍の如し弾頭を撃ち出す破壊兵器である。

 装填されている弾丸は一発のみ。速射も連射も、携行性も飛距離も、諸々を犠牲に貫通力のみを追求した――決して人間に向けていいものではない。本来の用途は、装甲車両や人型兵器を想定したものであろう。


 私は男の額に銃口を突きつけ、躊躇なく引鉄(トリガー)を絞った。

 蒸気砲特有の重低音と、鏑矢(かぶらや)の如し軽やかな音を立て、鋭利な弾頭は射出されたが、男の顔面を貫きはしなかった。下方向に逸れ、男の右腕を切断するだけとなった。護拳刀を握った腕が、血を撒き散らしながら扉付近まで転がっていく。


 片手だけでは蒸気砲の反動を制御できなかったようである。

 まあ良い。これで相手も沈黙するだろうと思った矢先。


 男は斃れなかった。私に飛びかかるや否や、脇差しを奪い取り、私の頸部を貫いた。

 研ぎ澄まされた刃は、私の延髄(えんずい)を的確に穿(うが)った。


 人形戦闘兵器の急所を破壊され、私は四肢末端から機能が喪失していくのを感じた。

 その感覚は、潤滑油さえ凍る氷点下での起動を余儀なくされたかのような。時間の経過と共に硬化していく乾溜液に身を浸したかのような――途方もない億劫(おつくう)さによく似ていた。


「人間様を舐めんじゃねえよ。このガラクタ野郎」


 息も絶え絶えに吐き捨てた男は、脇差しをそのままに私を蹴り飛ばす。

 私も抵抗を試みるが、三半規管――平衡(バランス)を感知する水銀を封入した容器――が(ひび)割れ、己が立っているのか寝ているのかすらも分からなかった。いつの間にか、私は絨毯(じゆうたん)の上に仰臥(ぎようが)して高い天井を見詰めていた。


 広い空間には巨大な歯車が縦横無尽に敷き詰められ、煙や煤、蒸気や塵芥を()みながらも、我関せずと回っている。


 ――あれも『天照』の一部なのだろうか。


 あの無数の歯車群は、一体いつからあそこに縫い付けられ、そして一体いつまで同じ場所で回り続けるのだろうか。金属疲労により歯が欠けて使い物にならなくなる(まで)か。心棒や軸受けが擦り減って折れる迄か。はたまた、新たな機関(エンジン)が発明され、蒸気や歯車が無用の長物になった時であろうか。


 果たして、それは一体どれだけ先のことなのか。

 きっと、今日明日の話ではないのだろう。


 未来永劫に渡って、同じ座標を、等しい速度で、只々(ただただ)動力を伝達する役割のみを与えられているのは。飽いたからといって止まることすら赦されずにいるのは。果たして如何なる心持ちなのだろうか――。


 私は、彼等が憐れに思えてならなかった。

 薄れゆく意識において最後に聞こえたのは。


 ――どうか、僕を殺してくれないか――。


 玉座と機関に縛り付けられた娘の、小さな嘆きであった。

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