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15.第四の反復 蒸気の女王②

 応接室で待っていたのは、蘇芳色(すおういろ)洋装(ドレス)に身を包んだ貴婦人――()(そん)()(じやく)であった。


 錫音が淹れたであろう紅茶の器を傾けながら、窓辺の椅子に腰を落ち着ける姿は様になっている。一枚の絵画のようであった。


「誰かと思えば先生(センセイ)じゃねえか。今日はどうしたんで?」


 態々(わざわざ)先生がここに来るなんて珍しい、と黒曜が言えば、驚いたのは野次馬がてら紅茶の代わりを持ってきた錫音である。


「えっ。兄ちゃん、朝臣博士と知り合いだったの?」

「ああ。知り合いも何も――俺の義手を設計してくれた先生で、なおかつ担当医みたいなもんだな。この間も肺に空いた穴を塞いでくれただけじゃなく、記憶を喪くした当時も、あれやこれやと世話になった――端的に言えば恩人だわな。だからまあ頭が上がらねえわけだよ」


 いや先生ウチのガキが騒がしくて済まないな、と黒曜が詫びれば、聡明で利発な御嬢様ではありませんか、と孔雀が返す。


「しかし貴方が御子をもうけていたとは。婚約者の――瑠璃さんとの御子ですか」

「まさか。あくまで戸籍上の関係だよ。事実、こいつらは俺を兄と呼んでいるし、俺も仕事柄誰かの親になるなど叶わぬ贅沢だろうよ。それで、本日はどんなご用件で?」

「つい先刻、宮城で起きた騒ぎについて拝聴したく参りました」


 そこで孔雀は錫音を一瞥する。

 退室させろという言葉に出さぬ要求である。


「成る程。相変わらず耳が早けりゃ行動も早い。時に先生、紅茶のお代わりはいかがで?」

「いえ、結構」

「そうかい。俺も要らねえから、錫音は下がっていいぜ」


 というか下がってくれ、と黒曜が言えば、折角持ってきたのに、と錫音が反発する。


「悪いな、気持ちだけ貰っておくわ。あと玄武に伝えてくれ。機密に関する打ち合わせをするから、この部屋に誰も近付けるなってな」

「何それ。医学に関することなら私も同席したい」

「駄目だ。今から話す内容は、聞かれちゃ拙い内容だ。特高に拷問されたくはねえだろ」

「わたしなら平気だよ。辛いことには、あの大災害でもう慣れちゃった」

「そういう問題じゃねえ。お前みたいな女子供を拷問せにゃならん隊員の気持ちも汲んでやれ。弱者を甚振るのはお前が思うよりもずっと胸糞悪ぃんだよ」

「分かったよう」


 拗ねたように言った錫音は、紅茶を乗せた盆とともに下がっていく。

 跫音が完全に遠ざかったこと、扉の近辺に人間の息遣いが聞こえないことを察してから、黒曜は、視線で孔雀を促す。


「錫音さん、中々に粘りましたね」

「あー、まあ先生に憧れているんだろうよ。ところで、なぜあいつの名前を?」

「見所のある学生さんに限っては、顔と名前を覚えるようにしているものですから」

「それはそれは」


 黒曜は嘘だと直感したが、敢えて問うことはしなかった。今この場において些事である。


「時間がないため、単刀直入に聞きます。どうして失敗したのかしら」

「その聞き方だと、まるで成功してほしかったと言っているように聞こえるぜ」

「その認識で構わないわ。どうして失敗したの?」


 孔雀はまた問うた。


「右腕が動かなかったんだよ。歯車が異物を噛み込んだかのようにピタリと止まっちまった」

「そう。やっぱり、そういうことなのね」

「何がやっぱりなんだよ。普通こういう時はまず理由動機を確認するもんだろうが」

「無駄よ。だって知っているもの」

「知っている?」

「あの娘から頼まれたのでしょう?」

「どうして先生がそんなこと知ってんだよ」


 というかお願いじゃなくて命令だったけどな、と黒曜が訂正すれば、上の者にとってはどちらだって大差ないでしょう、と孔雀が詰まらなそうに答える。


「あの娘の担当医がこの私なんですもの。そしてあの娘を作ったのもこの私。こういう言い方はあまり好きじゃないけれど――自分の作品が何を悩み、考えているのかを解決してあげるのは親の仕事なのよ」

「待て。姫サマを作ったというのはどういう意味だ」

「あの娘が、かつて生死の境を彷徨ったことがあるのはご存じ?」

「ああ。爆破だか何だか知らんが、大変な事故だったらしいな」

「その瀕死の状態に『天照』によって制御された生命維持装置を繋いで、延命措置を施したのがこの私よ」

「先生がか。本当かよ」

「そうよ。そんなに驚くことかしら。理論上はそう難しくないわ。必要な栄養素を補給する方法と、不要な老廃物を除去する仕組みさえあれば人間は生きていける。それが彼女にとって、良いことか悪いことかは全く別の話になってしまうのだけれど」

「そりゃ驚くさ。死ぬ筈だった人間を生き返らせたようなもんだからな」

「今考えれば、人間として死なせるべきだったと思うわ」

「あん、何だって?」

「何でもないわ」

「そうかい。何にせよ、これで話は繋がるのか。あんたは姫サマの主治医で、自分の死を望む姫サマから相談を受けていた――そういう認識でいいんだな」

「そういうこと。それで白羽の矢が立てられたのが貴方。貴方に新しい武器を下賜するという名目で、処刑隊が呼び出されたのよ。親衛隊の名残――あの娘直属の部隊だから誰も口を挟めない。本当に都合が良かった。千載一遇の機会だったのよ」

「だが、俺がトチって計画がオジャンになっちまったわけか」

「いいえ、まだ計画は終わってないわ。終わらせてなるものですか」


 瞳に執着を浮かべながら孔雀は言った。


「貴方が失敗することも、一応は想定の内だもの」

「あー、悪い先生。何度も話の腰を折って済まないが――色々と聞かせてくれ」

「何よ。時間がないから手短にお願い」

「今ので一コ増えたわ。あんたも姫サマも、千里眼なんか持ってないのに、どうして俺が姫サマを殺すなんて分かったように言えるな。失態しくじった後に言うのも気が引けるが、自分を殺してくれだなんて命令、普通なら聞かないと思うんだわ。忠臣なら逆に諫めるか何かするだろうよ。あと、どうしてそんなに姫サマの生死に拘泥こだわるんだよ。言っちゃ何だが他人なんだろう。しかも作品呼ばわりするくらいの。あんたの行動原理がよく分からねえ。最後に、さっきから時間がないみたいに言っているが、一体何をそんなに急いているんだよ」


 黒曜が問えば、そんなことでいいのね、と孔雀は指折り数え始める。


「ひとつ。貴方は忠臣でもなければ普通でもない。命令に諾々と従うようにできている。

 ふたつ。私の行動原理は、あの娘を人間の儘、死なせることだった。それが破れた今となっては、せめて躰だけでも取り返したい。強いて言うならこれが愛というものなのでしょうね。きっと貴方には理解してもらえないと思うけれど。

 みっつ。私がこうやって動いている今この時ですら、蒸気という実態のない化物は、私を捕らえんと聞き耳を立てているからよ。きっとあと半々刻もしないうちに、この館に特高が押し寄せてきて、私の身柄を拘束せんとする筈よ」


「質問、いいか」

「ええ、どうぞ」


「一つ目。それはその通りだ。返す言葉もねえわ。

 二つ目。仰る通り俺には理解できねえ。いや、愛という言葉なんぞ信用ならない事はわかっているんだが、そんなに拘泥るんなら、先生が注射でも薬でも投与して、ひと思いにサックリやっちまえばよかったんだ。その方が慈悲深いもんじゃねえのかね。

 三つ目。状況は何となく分かった。それで、先生は俺みたいな人間に一体何を期待しているんだ。こちとら忠も義もない処刑隊だ。あんたを特高に売るとは考えないのかよ」


「ひとつ――解消したようで何より。

 ふたつ――殺せるものならとっくに殺しているわ。そんなの百も承知よ。でもね、人間は愛するものを殺せるようにできていないの。そして何より、私には貴方しか頼れる者がいない。倫理的にも合理的にも、あの娘を解放してあげられる適任は貴方なのよ。

 みっつ――あなたの背信は想定していないわ。とっておきの交渉材料があるもの」


「何だよ」

「義手の保守点検」


 孔雀は言った。その顔は笑顔であった。


「私は貴方の義手がどうして動かなくなったのかを知っている。直してあげることができる」

「成る程ねえ。もう一度訊くが、先生は何がお望みで?」

「私の要求は簡単よ。逢い引きしてくださらない?」

「逢い引きだあ?」

「何をそんなに驚いているのよ。今はイージー恋愛の時代でしょう。若者だって繁華街でデエトくらいすると聞いているわ」

「そうじゃねえよ。まあ良い。交渉は成立だ。俺は、あんたをどこまで護っていけば良い?」

「蒸気が存在しないところまで」


 そんなところがあるのかよ、とは聞かなかった。

 差し出された左手を握り返す。華奢な手指は、冷たいとも熱いとも感じなかった。




 談話室で待機させていた部下へ手短に事情を伝えた後、黒曜が孔雀と連れ立って館を出れば、特別高等警察特務課で導入している赤一色の車列が門前に停まっていた。


 黒曜を目視するなり、行く手を塞ぐように隊員達が車輌を降りて隊列を組む。全員が護拳刀を佩用して、腰には拳銃を下げていることから察するに、荒事専門の部隊であるらしい。


「凄えな先生。あんたの言った通りになったぜ」

「大丈夫よ。貴方なら全員を殺して切り抜けられるでしょう」

「それは否定しないが、他人事みたいに言うんじゃねえよ」

「だって他人事ですもの。ほら、女性を護るのは殿方の名誉でしょう」

「畜生。やっぱり俺には愛も恋もわからねえよ」


 黒曜が毒吐けば、ひとりの男が歩み出てくる。副隊長、裏辻である。


「よぉ、裏辻。大勢従えてウチに何の用だ?」

「用があるのは八咫烏にではない。そちらの朝臣女史に用があるのだ」

「先生がここにいるとよく分かったな」

「上からの指示ではそうだった。現場にこうして立って、己が目で確認するまでは信用ならなかったがな」


 裏辻はそう言いながら、孔雀に詰め寄らんとする部下を掌だけで押し留めて、後方まで下がらせる。黒曜にとっては不可解な動作であった。


「手前、どうして部下を下げた?」

「こちらとしても、無益な争いで損害は出したくないのだ。貴公がその気になって暴れれば、壊滅するのは私達の方だ。それに――振り返って館を見上げてみるが良い」

「あん?」


 黒曜が言われた通りに後方を見上げれば、三階の露台ベランダに仲間達が揃っていた。全員が機関を背負い、いつでも滑空できる姿勢を取っていた。


「あんの馬鹿共が。言っておくが、あんな命令は出してねえぞ」


 尚、高度が不足しているため、跳んだところで足首を痛めるだけである。


「貴公、良い部下を持ったな」

「どこがだよ。命令していないことをされてみろ。こちとら計算が狂うんだよ」

「それが人間というものではないのかね」

「あー。そういう人生訓みたいなのは結構だ。だが、手前らの目的はこの先生だけかよ。俺を引っ捕らえろとは言われなかったのかよ。俺は姫サマを暗殺しようとした極悪人だぜ?」

「当然知っているとも。だが、知っているからこそ、何故そこな女史を捕縛せよという命令になるのかが私には分からんのだ。そして分からん命令には、従わぬ――否、従う素振りだけに留めておくことにしているのだ」

「するとつまり――なんだ、おい。見逃してくれるのかよ」

「貴公に死なれると今後の仕事が面倒になるからな。私自身の好悪もある」

「助かる」


 黒曜が車庫から自動二輪――米国インディアン社製スカウト――を引っ張り出し、後部座席に孔雀を乗せて発進する。


「法定速度の十マイルは守れよ」

「分かっている。ありがとよ」


 黒曜に向かって、脱出させまいとしたひとりが拳銃を構えて発砲した。三発中二発が黒曜の胸部に命中するが、装甲を一枚貫いただけで孔雀に中ることはなかった。


 孔雀の案内(ナビ)の元辿り着いたのは、上野の果てにある連れ込み宿――旧い木造二階建ての建物であった。


「おいおい、本当にここで合っているのかよ」


 この着飾った貴婦人と、場末の宿がどうしても似合わず黒曜は問うが、当の孔雀は至って涼しげな顔で、そうよ間違ってないわ、と返すだけであった。


「この館は江戸時代の蔵を改装したもので、要するに蒸気配管が通っていない今時珍しい場所なのよ。秘密の会談にはもってこいのなのよ」

「成る程。そういうことかい」

「理解が早くて助かるわ。予約はしているから、行きましょう」


 そう言うなり、孔雀はバイクを下りて、薄暗い屋敷へ堂々たる足取りで進んでいく。

 門前に自動二輪を止めた黒曜も続く。


 愛想の悪い遣手婆から受け取った鍵で二階の部屋に入れば、饐えた臭いがした。

 薄汚れた寝台の敷布は人間臭く、柱には黴が生えている。土壁には、硫黄と石炭の臭いが染みついている。


 性欲というものは人間の根幹を成す欲求のひとつであり、それがなくては人間は殖えないが――よくもまあ、このような場所でことを成せるものだと黒曜は呆れを通り越して感心してしまう。忌寸黒曜という自我を与えられてから、これまで欲求らしい欲求を感じたことがないがゆえに純粋な驚きであった。


「何をそんなにきょろきょろしているの。サ、早く寝台に横になって頂戴」

「寝ろって、することは義手の整備なんだろ。それならコイツさえあれば良いじゃねえか」


 黒曜は、自らの右腕を無造作に()ぎ取り、傍らにあった机の上に置く。


「さっき撃たれたでしょう。その傷も見てあげるわ。場合によっては摘出手術もしてあげる」

「そういうことなら是非とも頼むわ。しかし特高は血の気が多くていけねえな」


 普通の人間なら死んでる怪我だっつうの――と黒曜は愚痴を零しながら、外套を脱ぎ、上着の(ぼたん)を外して寝台に横たわる。緩衝材は薄く、寝ているだけで頭が痛くなりそうであった。


「いつ見ても素敵な躰をしているわね、貴方」

「鍛えているものでな。それより、先生は知ってんだろ。義手が動かなくなった原因」

「勿論」

「何だよ」

「歯車よ」

「歯車というと――異物を噛み込んだとか、軸受けの摩耗か」

「違うわ。異物が入らない構造だし、部品の交換は定期的にしているでしょう?」

「分からねえ。歯車のどこが悪いんだ」

「強いて言うなら全てよ」

「全て?」

「そう。だから歯車ごと交換するの。本当はもっと早くにやるべきだったけど、その義手の歯車は特別製で、スペアを作るのに時間が掛かってしまったのよ。今迄も、歯車だけは交換していなかったでしょう?」

「つまり――歯車そのものが、ガタがきていたのか」


 なるほどそれなら納得だぜ、と黒曜が言えば、残念だけどそれも違う、と孔雀。


「貴方、歯車に自我と記憶があるといったら信じる?」


 孔雀が尋ねる。

 どこかで耳にした論調であった。


「歯車のひとつひとつが思考して、人間に悪夢を見せていると言ったら信じるかしら」

「あー。まさか『蒸気の夢』と『歯車の記憶』か?」

「よく知っているわね。大々的に公表することは控えていたのだけれど。錫音さんが?」

「そういうことだよ。まさか、先生があんなトビキリの告発書を書いたなんて驚きだぜ」

「それ、褒めているのかしら」

「ただの感想だよ。ということは、だ。先生は、義手の歯車が姫サマを殺すのを拒んだと言いたいのか。だから歯車を交換すれば解決するのだと」

「概ね、そのような解釈で合っているわ。何よ、呆れたような顔をして」

「ような、じゃなくて事実呆れてんだよ。あんた正気かよ。この唯物科学全盛の時代に、何をトチ狂ったこと言ってんだ。歯車は歯車だし、水は水だぜ。そこに夢も自意識もありゃしねえだろ。あってたまるかってんだ」


 捲し立てる黒曜に、孔雀は反論しなかった。

 手を顎に持って行き、考える仕草をしてから。



「貴方の義手にあった歯車だけど。元々は瑠璃さんが使っていた義手に用いられたものなの。だから貴方はあの娘を斬ることができなかったのよ」



 と諭すように言った。

 この時、黒曜は、己が思考に異音が混じるのを聞いた。

 痛痒(つうよう)を伴う思考の乱れは、今迄負ってきた他のどの外傷よりも深刻であり、今すぐ処置を施さねばならぬ気がしたが――黒曜の語彙では、異音の正体が、世間一般に言われるところの罪悪感に該当するものとは思い至らなかった。


「先生は、歯車に宿った瑠璃という女の記憶が、俺の行動を阻害したと言いたいのか」

「ええ、仰る通り。もしかして自覚があったのかしら」

「いや、ねえよそんなものは。だが――」

「だが、なに?」

「信じてやるよ。あんたの理屈を」

「随分な掌返しね。どういう心境の変化よ」

「さあな。自分でも正直分からねえ。だが、ここで無理矢理にでも納得しておかねえと話が次に進まねえだろ」

「次? 他に話すことなんてあったかしら」


 孔雀は小首を三〇度程傾ける。

 女性らしい仕草であった。


「弾丸の摘出をしてくれるのは助かる。義手の部品を交換して、今度こそ姫サマを殺せるようにしてくれるのも、まあ理解はしてやるよ。そして俺はそのためにあんたをここまで連れてきたが――それだけだ。あんたにはあんたの正義があって、俺に姫サマを殺させたいのは分かったが、俺に取っちゃそこまでの理由はもうねえんだ。午後の騒ぎだって、殺してくれと命じられたからであって――それが失敗して、命令実行者も正気を失ったとなった今、もう俺には姫サマを殺す理由なんざねえよ」

「理由ならあるわ」

「何だよ」

「最前も言ったでしょう。倫理的、合理的に考えて、適役は貴方だって」

「人殺しに倫理も糞もねえと思うんだが」

「詰まらない揚げ足は取らないで頂戴。あの娘から聞かなかった? あの日の災害は自分が引き起こしたことだって」

「まあ、聞いたには聞いたが」

「それで十分じゃないかしら。瑠璃さんを始め、親衛隊の多くが殉職してしまった。忌寸黒曜という人間も、腕を喪くすほどの大怪我を負った。大災害で不幸になった人間を数えればきりがないわ。無論、その中にはあの娘自身も含まれているし、その原因をつくったのは私だということも分かっている。彼ら彼女らの仇讐を打ってあげようとは思わないの?」


 黒曜は返答に詰まってしまう。

 自らの肩に振り掛かる雪辱の巨大さに驚いた――からではない。


 寧ろその逆、孔雀の要請を受けても、静寂を守り続ける己が心の冷淡さ、酷薄さに戸惑いを覚えたからである。この期に及んでも、死んでいった者達の姿形を思い出せぬ自分が滑稽に思えて仕方なかった。


 ――その刀で、僕を殺してくれないか。僕がまだ人間でいられるうちに――。

 ――こうして君に介錯を頼むことだって、僕にとっては初めてじゃあないんだ――。


 己の記憶が確かであるならば。

 面会したのも、殺してくれと乞われるのも、あれが初めてである。

 己が何とかしてやれば、あの娘は人間として、死ぬことができたのではないだろうか。

 蒸気の操り人形とならずに済んだのではないのか。


 ――殺せ殺せ殺せ殺せ殺せえっ――。


 嗚呼、そうか。

 黒曜は今更ながらに気が付いた。


 あの魂消(たまげ)るような警報は、外敵に向けたものではなかったのだ。

 一刻も早く自分を殺してくれと願う――心からの叫びであったのだ。


 そこまで考えた時、黒曜は自分が目を開けて笑っていることを自覚する。胸の裡は相変わらず空虚な儘であった。だが悪い気分ではなかった。それが何故かを考えて、過去の自分などではなく、現在の己を求められているからだと思い至る。


 ――ああまで強く求められたら、仕方ない。

 (こた)えてやらねば、男が(すた)るというものじゃあないか――。


 尤も、その手段が殺人だというのだから、いかにも自分らしい。名誉ある親衛隊から、治安維持の猛禽までという零落(れいらく)ぶりだが、却って愉快ですら在った。


「分かったよ。あんたの頼み、聞いてやらあ」

「そう。それは良かった。――はい、弾丸の摘出と縫合は終わったわ」


 いつの間にか手にしていた針と糸を腰袋(ポーチ)に仕舞いながら孔雀は言った。


「相変わらず手際が良いことで。それで姫サマを――否、姫様だったモノをやっつけると決めたはいいんだが、問題はどうやって近付くかだよな。今日あんなことがあったんだ。当分は、警備が固められているだろうよ」

「それについては問題ないわ。宮城に詳しい人が味方にいるもの。その人が先頭に立って宮城に乗り込むのよ。だから、言い方は悪いけれど、貴方はあの人が失敗したときのスペアだと思っていればいいわ」

「スペア、ねえ。俺以外にいるのかよ」

「いるわ。それも、とびっきりのがね」

「勿体振るなよ。教えてくれよ」

「駄目よ。絶対に駄目。貴方は眠ってなさい。誰かが貴方に呼び掛けるまで、ずっと――」

「あ?」


 何言ってんだよ先生、と黒曜は言おうとして。

 だが、唇が動かなかった。瞼が下がり、意識が闇に引き摺り込まれていく。

 ものの数秒も経たぬうちに黒曜は眠ってしまった。

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