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14.第四の反復 蒸気の女王①

 かつて宮城と呼ばれた鋼鉄の城に黒曜を始めとする八咫烏の総員が招集された。

 長い廊下を先導するのは特別警衛掛の隊員であり、陸軍参謀本部所属の宿禰瑪瑙、そして黒曜以下四名が続く。場所が場所ゆえに、全員の武装は控え室に置くことを強制された。


 黒曜はいつも以上に周囲の観察に努めるが、蒸気配管が犇めく無機物ばかりの光景は、ここが古巣であるという記憶を呼び起こしはしなかった。


「なあ玄武。俺、本当にここで親衛隊をやっていたのか。景色に見覚えがないぜ」


 背筋を伸ばした玄武に問い掛ける。


「在る筈だ。この通路は巡回で何度も通る。見覚えがなくとも、水晶殿下のお目にかかれば、思い出すやもしれんぞ」

「だったら良いんだがねえ」

「どうした」

「いいや、この調子だと、姫サマに会ったところでポンコツの儘かもしれねえと思ってな」

「それならそれで良いのではないか。現状、不便はしておらぬのだろう」

「それはそうかもしれないが、自分の正体が分からないのは我ながら気味が悪いもんだぜ」

「無理に思い出さない方が良い記憶だってあるはずだ。頭目の本能が記憶に鍵を掛けた可能性だってあるのだ。無理にこじ開けることもあるまい」

「そういうものかね」

「そういうものだ」


 会話が途切れる。先導役の隊員が足を止めた。紅檜皮色(べにひわだいろ)をした重厚な扉の前である。


「入れ。この先に水晶殿下がいらっしゃる。失礼のないようにな」

「あんたも来てくれるんじゃないのか」

「謁見の間に入って良いのは殿下の許した者のみだけだ」

「そういうことなら、そこの宿禰班長補佐はどうなる」

「駄目だ。今日は八咫烏の五名のみの予定となっている」

「だとよ、瑪瑙。お呼びじゃないってさ」

「申しわけない。もっと早く伝えるべきであった」


 どうか控え室で待機していただきたい、と隊員は実直に詫びるが、瑪瑙は食い下がる。


「折角ここまで来たのに、どうにかなりませんか。ご存じかもしれませんが、殉職した自分の姉は殿下の親衛隊隊長を務めておりました。自分としても、殿下とは個人的に親しくさせていただきました。ご迷惑をお掛けしないことを約束致します。許可をいただけませんか」

「そのご交際とは、あの災害以前の話だろうか」

「そうです。それが何か」


 隊員は思案するが、首を横に振った。


「やはり面会は許可できない。殿下の負担になるゆえ。前のお姿を知っているならば、見ない方が良いことだってあるはずだ」

「それはどういう意味ですか」

「いや、失言だ。忘れていただきたい」


 隊員は、意図的に口を滑らせることで、瑪瑙をその場に留めることに成功する。


「俺達は、ここいらで失敬させてもらうぜ」

「あ――」


 縋るような瑪瑙の視線。だが黒曜は素知らぬ振りを貫く。


 扉の後は短い廊下が続いていた。

 明かり取りの小さな窓からは、陽光が白い筋となって差し込んでいる。


 謁見の間に続く扉の脇には、甲冑を着た旧型の人形戦闘兵器と、得物であろう長巻が展示されている。調度品の代わりなのだろうが、どういうわけか全身傷だらけであった。


「成る程。ここが最後の防衛線ってわけか。おい玄武」


 俺は道も作法も知らねえから先導してくれや、と言おうとして。


 玄武の足が止まっていた。見れば、顔中が脂汗に塗れ、歯を食い縛りながら戦闘人形を睨め付けている。他の者も、どうしたら良いのか分からずに狼狽えている。


「玄武、どうした」

「――済まぬ。嫌な記憶を思い出したものでな」

「嫌な記憶?」

「我々親衛隊は。宿禰隊長は、あれにやられたのだ。ゆえに、憎き仇であると同時に畏怖の対象なのだ。頭目は、あれを目にしてもまだ何も思い出せぬのか」

「サッパリだな。俺にはただの、年季の入ったガラクタにしか見えねえ」

「それら傷も、我々ではなく頭目がつけたものだと聞いたぞ」

「覚えちゃいねえよ、そんなこと。しかし俺はどうして遅れてやって来たんだ?」

「拙も詳しくは知らんが、聞くところによれば工廠まで遣いに行っていたらしいぞ」

「兵器工場に?」

「うむ。その後、暴走した戦闘人形から稲置姉弟を救出するなど、市民の救助や機器の破壊などで、帝都を奔走して色々大変だったそうだ」

「大変だったと言ってもな」


 己の過去を顧みて、黒曜は閉口する。


「どうした?」

「――いや、何でもねえよ」


 黒曜は言葉を呑み込む。肝心な時に現場にいないのでは役立たずと変わりはないだろう。

 そう思ったが、今更詮なきことであった。


「隊長。この人形、妙じゃありませんか?」


 黒曜の隣で甲冑を観察していた新人が口を開く。


「妙って何がよ」

「傷だらけなのは装甲だけで、中の人形そのものは新品のように綺麗な点です」

「おん? 本当だ。まあ、部品交換やら何やらで、修理でもしたんじゃねえの? もう二度と暴れ出さないようにってことで」


 そうだろ、と黒曜が確認すれば、だろうな、と玄武は頷く。


「しかし暴走の原因は未だに解明されていないのだろう。あの論文が真実だとしたら、やはり事件の犯人は」

「止せよ。滅多なことは言うものじゃねえ。とち狂った考えも行動もナシだ。俺達は日頃齷齪(あくせく)と活動した結果の報酬として姫サマにお目通りが叶った。ただそれだけだ。俺達が姫サマ直属の部隊だってこと、忘れんなよ」

「そうだな。そうであったな」

「良し。少しは落ち着いたようだな。玄武、先陣はお前だ。殿(しんがり)は俺が就く。後の三人は好きにしろ。一応言っておくが俺達は丸腰だ。油断はするなよ」

「了解」


 (しつか)りとした足取りの玄武を先頭に残りの隊員が続く。黒曜は、いつでも義手に仕込んだ刃を展開できるよう近傍に警戒を払う。


 玄武が最奥の扉に手を掛ける。

 徐に扉が押し開かれ――。


 足許に、薄らとした蒸気と共に甘い芳香が漂う。

 白檀(びやくだん)麝香(じやこう)、そして沈香(じんこう)が混ぜられた高貴な香りである。


 だが、それ以上に黒曜の鼻先を(くすぐ)ったのは。


 ――骸の臭いだ。


 細胞が壊死する時に特有の。

 脂肪分が酸化して溶け出す時に特有の。

 蛋白質(たんぱくしつ)が分解される時に特有の――排泄物の臭いが混じり合った腐臭である。


 黒曜は遂に謁見の間へ足を踏み入れる。


 十六花弁の菊紋を(かたど)った窓からは太陽光が差し込み、薄暗い室内を照らしている。

 大理石の床には臙脂色えんじいろ絨毯じゅうたんが敷かれ、数段高い玉座へ伸びている。

 その表面、至る箇所に、黒い染みや焦げ痕が残されているのは、大災害の痕跡であろう。


 玉座の裏、透明な硝子壁を隔てた先には、巨大な歯車群が音を立てながら回っている。東京市の中心に在り、多種多様な情報を管理処理する国家の中枢――『天照』である。


 玉座には白い娘が(うずくま)っている。

 白い髪に白い膚、薄い虹彩――先天性色素欠乏症の外見特徴である。


 痩せた躰には幾つもの管が突き立てられ――その先は『天照』に繋がっていること以外は、至って普通の外見である。少なくとも黒曜にはそのように見えた。


 何故か足を止めてしまった仲間達を追い起し、黒曜はその場に(ひざまず)く。


「八咫烏隊長、忌寸黒曜。以下四名、水晶殿下の命に従い参りました」


 用意していた口上を述べると、隊員達も我に返ったように拝跪(はいき)する。玄武に至っては、両手を床に突いて頭を垂れているようであったし、他の者も放心したように娘を見詰めている。


 ――いくらアルビノが珍しいからって。


 再会できたのが嬉しいからって。

 その反応はどうかと思うぜ、まったく。

 黒曜が内心そう思っていれば、娘が口を開いた。


 宙空を見詰めていた瞳が黒曜を捉え、(しお)れた肺胞が押し広げられる、パリパリという乾いた音が聞こえた。


「よくぞ来てくれた。互いに知らぬ仲でもないのだ。そのように畏まる必要など何もないよ」


 娘は唇を動かし、今にも掻き消えてしまいそうな声で言った。


「あー、そう仰っていただけるのは嬉しいのですが、生憎ながら記憶を喪くしておりまして。水晶殿下のことはおろか、己のことすら忘れてしまいました。ここにいるのは、忌寸黒曜という人間の(ぬけがら)――残り(かす)のようなものです。ゆえにこの姿勢を崩すわけには参りません」

「記憶を喪くす――そうか。僕は、君の大切な者まで死なせてしまっただけではなく、君の記憶まで奪ってしまったというわけか。済まないことをしてしまったな」

「お言葉ながら、その謝罪を受け取るわけには参りません」

「それは、何故だい。それだけ君の――君達の怒りが激しく、深いものであるからかい」

「いいえ。最前申し上げた通り、私は記憶を失ったデクノボーです。殉職した婚約者の顔すら思い出せぬ薄情者です。私のような人間には、謝罪をしていただく権利がございません。そもそも、立場ある御方は、みだりに頭を下げぬものであります」


 黒曜が説けば、娘は口の端に小さな笑みを浮かべた。


「君は、やはり変わっていないようだ。記憶を失っても、君は君だよ」

「それは、どういう意味で?」


 黒曜の問いを黙殺して、それはそうと、と娘は言った。

 視線は、未だ顔を伏せていた玄武に向けられていた。


「玄武君――だったかな。随分と久しいね。でも、どうして泣いているのだね」


 玄武の動きが止まった。恐る恐る顔を上げたが、その眼からは滝のように泪が溢れている。


「水晶様。申しわけありませぬ。我々の力が及ばぬばかりに、そのようなお姿に。何とお詫び申し上げたら良いのか――」


 そこまでを言い切ると、玄武はまたも顔を伏せてしまった。


「僕のこの姿は、君達のせいじゃないよ。悪夢のせいで(やつ)れてしまっただけさ」


 娘の呟きは、玄武の慟哭に遮られて黒曜には聞こえなかった。


「黒曜君。どうか、僕の側に来てくれないか。君の折れてしまった軍刀の替わりを用意させたんだけれど、この通り立ち上がることも儘ならなくてね」

「僭越ながら、近付くことをお許しください」


 黒曜が立ち上がり玉座のすぐ前で傅けば、娘は膝の上に置いた軍刀を両手で差し出す。


 一目で名刀と分かる品であった。


「姫サマ。ひとつお伺いしても宜しいでしょうか」


 刀を拝領した黒曜が尋ねる。

 娘に接近しただけ骸の死臭が強くなったが、表情に出すことはしない。


「うん、なにかな」

「どうして私の護拳刀が折れていたことをご存じなので? 消耗品ゆえに已むなしと思い、誰にも報告は上げていなかったのですが」

「聞こえてくるんだよ」


 娘は答えた。もう呼吸もできないらしく、唇が僅かに動くだけであったが、読唇を修めた黒曜には問題にならない。


「聞こえる、とは」

「そのままの意味さ。東京中に走る蒸気配管を通して、僕は音を拾うことができるんだ。だから僕は知っているよ。君と玄武君が、目黒の邸宅で、僕をとても憎む者と戦ったことも。君が僕を庇ってくれたことも。瑪瑙さんが僕を暗殺してくれと君に頼んだことも」

「そんなことが」

「できるさ。君だって読んだのではないか。ある博士が書き上げた論文を。いや、君に言わせれば論文未満の何かだったかな。まあ、いいさ」


 娘は二三度瞬きをして、今にも失いそうになる瞳の焦点を必死に繋ぎ留める。


「僕は君に御礼を言わなくてはならない。蒸気に満たされたこの世界を肯定してくれたこと、自分のことのように嬉しかったよ。あとは、ひとつお願いがあるんだ」

「私にできることならば」


 黒曜が言えば。


「その刀で、僕を殺してくれないか。僕がまだ人間でいられるうちに」


 と娘が言った。


 その目には力がなく、呼吸の音すら聞こえない。だが、黒曜は確かに娘の懇願を聞いた。


「君達が見たあの論文は事実なんだよ。この都市に鎖された蒸気は、僕に終わりのない悪夢を見せ続けるんだよ。こうして君に介錯を頼むことだって、僕にとっては初めてじゃあないんだ。それ以上に、あの災害を起こしてしまったのは僕なんだ」

「それは、どういう意味ですか」

「なに、別に難しい話じゃない。こうして僕が機械に生かされる躰になってしまったと初めて知った時、それはもう恐慌(パニツク)に陥ってしまった。誰でも良いから助けてくれと願ってしまった。その後の顛末は語らなくとも分かるだろう。蒸気を経由して、僕の命令を受け取った人形達が暴走して、親衛隊の皆と衝突してしまった。それどころか、蒸気と名付くる機巧の殆どが壊れてしまった。数多の無辜なる市民が犠牲になってしまった」


 僕に償いをさせてくれないか、悪夢から解放してくれないか――と娘は乞う。


 黒曜は軍刀を手にした儘考える。考えざるを得なかった。だがそれも一瞬であった。


「殿下。それは、命令でしょうか」

「――ああ、そうだね。命令だよ」

「気は進みませんが、承知致しました」


 頷いた黒曜に迷いはなかった。軍刀を抜き放ち、娘の首を落とそうとしたが。

 白刃は、娘の首の皮を一枚切ったところで止まっていた。

 右腕が、娘を馘首することを拒んだのだ。


 からん、という鞘が床を転がる音がやけに響いて聞こえた。


「――嗚呼、今回も間に合わなかったのか」


 娘は言った。その瞬間、瞳の色が変わった。感情を宿す人間らしい眼差しから、何も映さぬ屍の眼となった。(むし)にも似た瞳が、黒曜と、自身に向けられた刃を捉えるや否や。


 ぼこり、と。


 娘だった者の胸部が不自然に膨張した。肺に、無理矢理空気を送り込まれたのだと分かった時には、娘の眼と口は限界まで開いて。


「あああああぁぁぁぁぁ――ッ!」


 空気をびりびりと律動させる、警報のごとし絶叫であった。

 堪らず、黒曜は軍刀を鞘に収め、仲間の元まで跳び退がる。


「頭目、何を、何故――」


 玄武だけではない。誰もが唖然としていた。


「いや、なに。殺しておくれと命令されたからそうしたまでよ。だが、何故か義手が動かなかったのだが――それより拙いぜ」

「拙い、とは」

「そりゃお前、こんだけ騒がれちゃ、ただでは済むまい」


 黒曜が言い切らぬうちに、背後の出入口が蹴破られ、大勢の警備兵が雪崩こんでくる。全員が武装している。その先陣は――人形戦闘兵器であった。


「どうするんですか、隊長っ!」


 新人が喚き立てるが黒曜は動じない。


 人形が動いた。黒曜めがけて、俊敏な跳躍を発揮する。得物の長巻が真横に薙ぎ払われるが、黒曜は身を伏せることで掻い潜り、義手を展開させて取り出した短刀で、起き上がると同時に人形の首を穿つ。蹴り飛ばせば、人形は物言わぬ鉄屑に成り果てる。

 人形が落とした長巻を拾ったのは玄武である。担ぐだけで、周囲を圧倒せしめてしまう。


「頭目。何があったのかは今は聞かぬ。だが、同じ人間を切りたくはない」

「分かっている。だが、向こうさんが――姫サマだったモノが、素直に逃がしてくれるかは、別の問題なんだよなあ」

「水晶様だったもの、か」

「そうだ。姫サマは蒸気に意識を乗っ取られちまったんだよ。要するに、あのわけの分からねえ論文擬(もど)きは、全部本当だったというわけだ」

「そんな馬鹿な」

「馬鹿みたいなことが事実として起きてんだよ。肚括れ。お前の知っている姫サマは、あんな下品に膨れたり、叫んだりはしねえだろ」


 また、背後から。

 ごぷり、という奇怪な音がした。


「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せえっ!」


 娘が絶叫する。


 怪鳥染みた醜怪な咆哮(ほうこう)に警備兵は騒然となる。その隙を黒曜は見逃さない。


「総員、包囲を突破して官舎へ帰陣する。俺に続け!」


 黒曜が駆け出せば、一拍子遅れて仲間が続く。

 具体的な指示を出さずとも、経験の浅い新人を護るように、そして最後尾に玄武がつくのは、日々の訓練の成果なのだろう。警備兵が娘の保護と安静を優先したこと、味方への誤射を恐れて射撃を控えたこと、事態をいち早く察した瑪瑙が入口脇に車輌を横付けしてくれたこと、その他様々な要因が重なり――八咫烏は敵味方ひとりの負傷者も出さずに、鋼鉄の城を脱出することに成功した。




「――というわけで、暗殺に失敗した俺達は、尻尾巻いて退散する羽目になったんだよ」


 助手席に座る黒曜は、運転手を務める瑪瑙に事の顛末を伝える。

 隊員の三人は後部座席、玄武は車体の後方に立たせている。


「内容は了解しました。しかし不思議ですな」

「そうだな。蒸気が人間の意識を乗っ取るなんざ、怪談でもありゃしねえよな」

「違います。どうして失敗したのですか」

「どうしてって、義手が上手く動かなかったんだよ。俺だって面食らったぜ。保守点検はしているつもりだったが――もしや替え時かもしれんな」

「珍しいこともあるものですな。弘法も筆の誤り、でしょうか」

「人を殺しの達人みたいに言うのは止せよ」

「事実ではありませんか。それよりこれからどうするおつもりで。今はっきり申し上げますと自分の裁量を大きく超える事態となっております。手助けはできかねます」

「元より承知だ。俺ひとりで始末をつけるさ」

「格好をつけているおつもりですか」

「つけてねえよ」


 そこで会話が途切れる。しばらく、誰も何も言わなかった。

 全員が、将来を憂いたがゆえの沈黙であろうと黒曜は分かったつもりになる。


「どうして、隊長はそう平然としていられるのですか」


 不意に新人が口を開いた。


「どうしてって、そりゃお前、部隊長がドッシリ構えてなけりゃお前等が困るだろう」

「そういう意味じゃありません。そうじゃなくて」


 新人は少しの間の後。



「あのような水晶殿下のお姿を見て、何も思わなかったのですか」



 と言った。その顔は見ているこちらが可哀想になるくらい青褪めていた。


「うん? そりゃどういう意味だ。あの体質が珍しいって話じゃねえよな」

「違います。殿下は殆ど喋れませんでした」

「うん。まあ、列車の爆破に巻き込まれりゃ、ああもなるわな。だが唇は動いていたし、意思の疎通に問題はなかったのは確かだぜ」

「それなら――そうです。言い難いのですが、お香が焚かれていたようですが、それでも酷い悪臭がしました」

「それも別に不思議じゃねえだろ。人間、飯を食えば糞だってする、どんなに高貴な血が流れていようとも、生物である以上、そんな風にできているのだろうよ」


 黒曜の弁に、新人は口を閉ざしてしまった。

 狂ってやがる、と呟いたのは、果たして左右どちらの隊員だったのか。


「何だよお前等。揃いも揃って。それじゃあ聞いてやるが、お前等は一体何がそんなに気に食わねえんだよ」

「それは――」


 新人が何か言おうとした時。


「到着です。無駄話もそこまでにしていただきたい」


 と瑪瑙が遮る。


 自動車の車庫入れを瑪瑙に任せ、黒曜が車から降りた時、官舎から錫音が飛び出してきた。酷く慌てた様子であった。


「錫音、どうした」

「兄ちゃん、大変大変。兄ちゃんにお客さんが来てるの。とても偉い人。応接室に待たせているから早く行ってあげて」


 錫音は、身振り手振りを使って捲し立てる。

 だが、黒曜に来客の心当たりはなかった。


「頭目。もしや特高の部隊かもしれない」

「騒ぎを聞きつけて俺達の粛正に乗り出したってか。有り得ない話でもないだろうが――いや十分に有り得るだろうが、だとしても早過ぎる」

「油断は禁物だぞ。調子に乗って足許を掬われるのが頭目の悪い癖だ」

「煩えよ。特高だろうが何だろうが客人として応接室に居座ってやがるなら上等じゃねえか。案外、ただの客だったりしてな」

「頭目」

「分かってる。油断はしねえよ。ああ、それと全員聞け。巻き込んで悪かったな。今後、事情聴取されることがあったら、全面的に協力してやれ。俺が勝手にやったことだから自分は何も知りませんで通せ。というかそれが事実だからな」


 それじゃあ行ってくるぜ、と言い捨て、黒曜は錫音に腕を引かれながら官舎に向かう。

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