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高夜とひなぎく・八編

 _____九日目。


 昼食を食べて次に高夜が目を覚ましたのは、もう日も大きく傾いた頃。いつの間にやら眠ってしまったのか、もう一日の大半が終わろうとしている。


(……こんな事に、ひなぎくとの時間を費やしているのか……)


 そう思うと、悔しさだけが募る。


 昨日に引き続き、一日の大半を寝て過ごした。たった十日間しかないうちの二日間を無為に過ごしたのだ。今日が終われば残り一日。その最後の日ですらこうやって過ごさなければならないのかと思うと、なおさらやるせない。


 自嘲気味なため息を落としたところで、ふと声がかけられた。


「起きたのか?久遠寺 高夜」


 その声の主に、高夜は最上級の渋面を向ける。


「…ずいぶんと嫌われたものだな」

「一体何をしたんですか?ひいなさん」


 くつくつと笑うひいなの隣に、眉根を寄せて怪訝そうな表情で二人を窺う里生りおの姿が視界に入る。

 「相性が悪いんだろう」と申し合わせたように二人声を揃えて返答するので、里生は思わず吹き出すように笑った。


「むしろ仲が良さそうに見えますよ」

「………よしてくれ…」


 女性に対して冷遇するつもりはないし、女性らしからぬ態度と物言いをどうこう言うつもりもないが、どうにも彼女とは馬が合わないらしい。仲がいい、という里生の言葉にすら拒絶反応を見せる高夜に、やはりくつくつと笑いを返す雛の態度がどうにも気に食わない。


(…きっと彼女が見せるこの余裕が、見ていて気に障るのだろうな…)


 それは、自分には決してないものだ。

 いつも何かに追われているような気になって、心にゆとりを持つ余裕がない。それはいかにも自分が矮小な存在である事を物語っているようで、雛を見ていると嫌でもそれが突き付けられるのだ。


 高夜はその感情を隠すように顔を背けて、不機嫌そうに訊ねた。


「………ひなぎくは……?」

「さっきまでお前の看病をしていたんだがな。そろそろ夕食を作ると言って小李シャオリーと一緒に台所に向かった。…食事を作ってほしいと願ったんだって?」

「嬉しそうにしていましたよ、ひなぎくさん」

「………どうかな……彼女はただ、命令に従っているだけかもしれない……」


 思わず本音がこぼれた高夜の言葉に、雛と里生は小首を傾げながら互いに顔を見合わせる。


「命令をしたのか?久遠寺 高夜」

「……願ったのだから同じことだろう……」

「同じじゃありませんよ。命令と願いはまったく違います」

「……?」


 今度は高夜が小首を傾げて、返答を欲するように二人の顔を窺う。


「…機巧人形の心は、お前が思うよりも自由だぞ」

「……え?」

「たとえ命令されても嫌だと思う気持ちは持てるし、それを言葉にして伝える事もできる」

「…!」

「無論、最終的には従わざるを得ないが、嫌だと思う気持ちを持つ事は許されているんだ」

「それに今回は命令ではなく願いですからね。本当に嫌なら従わなくてもいいんですよ。それでも喜んで引き受けたという事は、ひなぎくさん自身がやりたいと思ったからでしょう」

「……!」


 二人のその言葉に、高夜は目を瞬く。


 ひなぎくが何でも肯定を示すのは、彼女が機巧人形だからだと思っていた。

 人間に従事する事を運命さだめられた、機巧人形の特性なのだと____。


 だが、そうではない。

 機巧人形に拒否権はないものの、彼らの心の在りようだけは自由なのだ。


 だとすれば、彼女がいつも自分に肯定を示してくれていたのは彼女が機巧人形だからではなく、ひなぎくが本心から自分を受け入れてくれていたという証左なのだろうか。


 そう思うと、ひなぎくに対する恋慕の情がわずかばかり報われたような気になった。 


(……不思議なものだ……たったこれだけの事が、たまらなく嬉しい……)


 何となく心が救われたような気になって、高夜は仄かな笑顔を浮かべる。

 そんな高夜に水を差すような不敵な笑みを見せたのは、やはり雛だった。


「…未練を残させないために一応、念を押しておくが、機巧人形が恋慕の情を理解する事はないぞ」

「…!…………以前あんたの口から『異種間の恋愛が成立するのかという好奇心はある』……と聞いた気がしたが……?」

「好奇心はあるぞ。恋慕の情を理解できない機巧人形と人間の間に果たして恋愛は成立するのか、という好奇心はな」


 にやりと笑って、いけしゃあしゃあと告げる雛の態度が腹立たしい。それはいかにも成立しない事を判っていて揶揄からかっただけの行為に思えてならない。


 不機嫌さを盛大に表した高夜の表情に、だが雛は少し残念そうな顔を返した。


「…何だ、意外に気落ちしないんだな?」

「…………薄々そうではないかと思っていたからな……」

「それは残念な事だ」


 くつくつと笑って、雛は言葉を続ける。


「もちろん、恋慕の情以外の感情は機巧人形にもきちんと備わっている。好き嫌いはもちろんの事、家族への情愛、主への敬愛___当然、相手にその情を寄せるだけの価値があると判断すればの話だが、情を寄せてもいいと思えばその気持ちに大小はあれど機巧人形は皆必ず人間に情を寄せる。…だが、男女間の恋慕の情だけはない」

「………なぜだ……?……何か理由があるのか……?」


 問われてわずかに返答を躊躇った後、雛は隣に座る里生の耳をおもむろに手のひらで塞いだ。


「あれば必ず閨事ねやごとに発展するからだ。機巧人形にその機能はない」

「…!?……ね、ねや……っ!?」


 思わぬ言葉に高夜は動揺を示す。

 一応性別は女だと言うのに、よくもまあ臆面もなくそんな言葉を口に出来るものだと内心で呆れつつ、だが高夜自身そういう事に不慣れなためか思わず耳まで赤面する高夜の姿に、雛は目を白黒とさせた。


「…お前は本当に初心うぶなんだな」

「……放っておいてくれ…っ!!」


 少なくとも、閨事ねやごとをさも些末な事のように言う女にどうこう言われたくはない。

 渋面を取って高夜が怒鳴ったところで、待ちきれなくなった里生がようやく自身の耳を塞ぐ雛の手を払った。


「…もうっ!!どうしていつも肝心なところはぼくに聞かせてくれないんですか…!?」

「お前はまだ子供だろう?大人の話に入ってはいけない時もある」

「ぼくはもう子供じゃありません!!」

「子供はみんなそう言う」


 くつくつと笑い含みに告げる雛の言葉に、里生は頬を膨らませてふくれっ面を見せる。それがいつか見た光景と重なって見えて、妙な既視感を高夜に抱かせた。


(……まあ、ずいぶんと含んでいるものに違いはありそうだが……)


 それでも小李と一言一句同じことを言うのは、彼に似せて作られた存在だからだろうか。

 何とはなしにそう思って、高夜は疲れをふんだんに含んだため息を一つ落とした。


「………揶揄いに来たのならさっさと出て行ってくれないか……?……体調が悪いのに、あんたの相手をしていたらなおさら気分が悪くなる……」

「何だ、せっかく礼を返そうと思ったのにいらないのか?」

「………どうせ大した礼ではないのだろう……?」

「…そうか、ならさっさと退散しようか。…なぜひなぎくには十日の期限しか与えられなかったのか、その理由を特別に教えてやろうと思ったんだがな」

「…!?待て…っ!!~~~~~~っっっ!!!」


 雛の言葉に我を忘れて、立ち去ろうとする雛の腕を掴もうと思わず動けない体に鞭を打った高夜は、瞬間、激痛が体を苛んで再び悶えるように布団に突っ伏す。その高夜の体を里生は慌てて支えて、対する雛は呆れたような表情とため息を返した。


「…お前は本当に直情的だな。後先を考えるという事をするつもりはないのか?」

「………っ!……誰の…っ、所為だと思っている……っ!!」


 脂汗を流しながらめつけるような目で吐き捨てる高夜にやれやれとため息を落とす雛を、里生もまた呆れ顔で一瞥しながら高夜の体を楽な体勢へと変える。


「大丈夫ですか?久遠寺さん。…雛さんもやり過ぎですよ」

「……そんな事よりも……!…本当なんだろうな…!?……本当に…教えてくれるのか……!?」

「…言っただろう?礼を返してやると」

「いいんですか?契約違反ですよ?」

「いいんだ。私は意外にこの男を気に入っている」

「…!」

「他にいないだろう?機巧人形を助けるために重傷を負った人間なんて」


 「さすがは人形狂いの久遠寺だ」と続けて、やはりくつくつと嘲笑まがいの笑みを落とす雛に、高夜はしかめっ面を返す。

 これが本当に気に入った者の態度か___そんな高夜の心の声を察して、雛はやはり笑い含みに告げた。


「まあ、そう怒るな。…理由を知りたいんだろう?」

「……いいから言え…!……なぜひなぎくは十日しか期限を与えられないのだ……?」


 その問いかけに、雛は一拍置いてから口を開く。


「ひなぎくの外見は、生存する人間を模して作られたからだ」

「…!」


 高夜の脳裏に、以前里生が口にした言葉が思い浮かぶ。


 『実際に存在している人間を模して作られた者は、その人間と同じ性格、同じ感情を持ち、記憶まで違いはない。全くの別人には決してなり得ない』と_____。


「………なら、ひなぎくと全く同じ人間が存在しているという事か……?」

「そういう事になるな」

「……だが……同じ人間が存在している事と、ひなぎくに与えられたのが十日だけだという事と、一体何の繋がりがあるのだ………?」


 その問いかけに、二人はやはり顔を見合わせる。


「…機巧人形が心を持つ事ができるのは、神から授かった里生の奇跡の御業によるものだと言うことは、リオグラードから聞いたな?」

「………ああ」

「どうやらその御業は際限なく奇跡を与えるという事ではないらしい」

「………?………それは、どういう……?」


 その問いかけに答えたのは、里生だった。


「いくつか制限がある、という事です」

「……制限…?」

「一つ目、『心を作り替えることはできない』__以前にもお話ししましたが、心は作るものではなく生まれるものです。どんな心でどんな性格になるかは、生まれてみないと判りません」

「………こういう性格の機巧人形がいい、と言った要望には応えられないという事だな……?」


 高夜の言葉に、里生は首肯しゅこうを返す。


「そして二つ目、『実在する人間を模して作られた機巧人形には、その模した人間の生死に関わらず、同じ人格しか宿らない』」

「………ひなぎくが、これに当たるのだな……」

「はい。機巧人形の依頼の多くは、これに当たります。亡くなられたご家族や恋人、あるいは友人に似せた機巧人形を作ってほしい、という要望が圧倒的です。……どうしても忘れられない存在というものが、皆さんの心には必ずいるんでしょうね」

「……だからと言って、似せた機巧人形を作ったところで所詮は代替え品だろう……?……それにすがってどうすると言うのだ……?」


 これではいつまで経っても失った喪失感を引きずるだけだ____そう言いたげに眉根を寄せる高夜に、雛は挑戦的な瞳を向ける。


「…言ってくれるな?久遠寺 高夜。ならもし、ひなぎくの元となった人間がお前の前に現れたら、まったく同じことを言えるのか?」

「……私が欲しいのは機巧人形のひなぎくだけだ…!!…偽物はいらない……!!」


 一拍も空けず反論した高夜の言葉に、雛は今度は呆れを盛大に表現したため息を落とす。人間の方を『偽物』と言ってのける辺り、やはり『人形狂いの久遠寺』という異名は伊達ではないという事だろうか。


 同じく苦笑を落としながら、里生は弁明するように言葉を続ける。


「…皆さん、現実逃避のために機巧人形を借りに来るわけではありません。前に進むために、彼らの力を借りに来るんです」

「…!」

「唐突に大事な人を失えば、その喪失感は計り知れません。感謝の言葉を伝える事も出来ず、ましてや別れの言葉さえ告げていない。心だけが取り残されてどうしても前に進めず、後悔が自分の心を苛みます。…そのぽっかりと開いてしまった空虚な穴を、機巧人形の手を借りて少しずつ埋めていくんです。そうやって、前に進むための準備をするんです」


 里生の言葉に、高夜は思わず目を見開く。

 妙に心に刺さるのは、ひなぎくを失った後の自分と重ねて見てしまうからだろうか。


(…ひなぎくを失えば、私は前に進むことが出来るのだろうか……?)


 自分は他の人とは真逆の状況だ。先に機巧人形と出会って、彼女を失う喪失感を埋めなければならない。

 思って高夜は、ぽつりと呟くように訊ねる。


「………もう一度、ひなぎくを作ってもらうわけにはいかないのか……?」


 それには、里生がかぶりを振った。


「…三つ目、『同じ機巧人形は二度生まれる事は出来ない』。機巧人形に奇跡が起きるのは一度だけです。その後どれだけ同じ機巧人形を作ったとしても、決してその体に心が宿る事はありません」


 半ば予想していたのか、高夜は静かに「そうか」と短く返す。

 ならば自分は、どうやってひなぎくを失った穴を埋めればいいのだろう_____。


 自分だけは機巧人形の助けを借りることが出来ないのだ。そんな理不尽さにやり場のない憤りを感じて、高夜の言葉はわずかに里生を責めるような色を帯びる。


「……たった一度だけの奇跡なのに、十日という短い期間しか猶予をくれないのだな……。……神の御業と言う割に、ずいぶんと出し惜しみをする……」


 それには困ったように微笑んで、里生は続けた。


「…四つ目、『生存する人間を模した場合、心が保てるのは十日間限りとする』。…同じ時に同じ人間が二人存在すれば、必ずどこかで歪みが生じます。生きるという事は、他人と関わりを持つという事。それは機巧人形であっても違いはない。混乱を生まないための期限なんです」


 『生存する』と限定的な言い方をしたのは、死亡した人間を模した場合はまた違う結果という事なのだろう。


(……言いたい事は判るが……)


 心がそれを理解する事を拒む。

 だとしたら、なぜわざわざ生存した人間を模してひなぎくを作ったのだ。

 せめて亡くなった人間を模していれば、もっと言えば全く新しい機巧人形でもよかったはずだ。

 そうすれば、いつまでも一緒にいられたものを_____。


 思って、高夜は心中でかぶりを振った。

 それでは意味がないのだ。

 ひなぎくがひなぎくでなければ、自分にとって何も意味はない。

 全く別人のひなぎくでは、何の価値もないのだ。


 結局はまた同じところに戻って、高夜は悄然とため息を落とす。そうして何とはなしに里生と雛を視界に入れたところで、ふと疑問が頭をもたげた。


「…………待て。……なら、なぜお前たちには期限がないのだ……?」


 里生はリオグラードを、そして雛は小李を模している事は明確だろう。

 『生存する人間を模した場合、心が保てるのは十日間限りとする』____その制限に抵触する二人に、高夜は胡乱な目を向けた。


「………まあ、里生に期限はないだろうな。そもそも、その生まれからして他の機巧人形とは異なる。里生の存在は神が気まぐれに起こした奇跡だ。そして、この奇跡の起源でもある。里生には制限が全くないと思っていい。現に外見は確かにリオグラードに似せてはいるが、人格はまるで違うだろう?」


 それは確かに認めざるを得ない。彼の存在は人知を超えた存在だ。決して推し量る事は出来ないのだろう。

 なら、雛は___?


 そう言いたげな視線を雛に送る高夜に応えたのは、里生だった。


「雛さんも他とは少し違うんです」

「……違う…?」

「雛さんが心を手に入れたのは、機巧人形として生きた七年後の事ですから」

「……?」


 里生の言いたい事が判らず、眉根を寄せる高夜に雛が言葉を添えた。


「…私が作られたのは小李が九歳の頃、今からちょうど十年前だ。小李の世話と護衛のために私は作られた。当然その頃の私に今のような心は持ちあわせていない。____いや、正確にはあったが、それを表に出すやり方も、それ以前に心があるのだと言う自覚さえなかった」


 それを聞いて、以前、里生が言っていた言葉を思い出す。


____(本当はみんな、作られた時から心は存在しているんです。ただ、それをどうやって外に出せばいいのかが判らないだけ)


「……七年の間に、無意識に人格が形成された……という事か……?」


 それも小李とはまるで違う、『雛』という独自の人格が____。


「まあ、そういう事だろうな。実際、私の性格と小李の性格はまるで違うだろう?」


 高夜はただ、首肯を返す。


「…そもそも私の外見自体、小李が九歳の頃にリオグラードが大人になった小李を想像して作ったものだからな。それも性別がまるで違う。その時点で厳密に生存した人間を模していないと判断されたのかもしれないな」


 言われてみれば、確かに雛と小李の容姿は似ているようで、どこかしら違って見える。それは性別が違うという事以上に、同一人物と言う言葉よりもむしろよく似た姉弟、と言い表した方が妙に腑に落ちるからだろう。


 その結論に至って、高夜は悄然とため息を落とした。

 十日間の期限の理由が判ったところで、結局、明日ひなぎくと別れる事実は変わらないのだ。


 その高夜の内心が判って、雛は諦めの悪い高夜に、やはり呆れたようなため息を送った。


「…お気に召さなかったようだな、返礼品は」

「………まったくな……」

「お前が欲しい物は、ひなぎくと別れなくて済む方法だけだろう?悪いがそれは逆立ちしたって出てこない。里生が起こす奇跡を上回るような奇跡が起こらない限り、絶対に無理なんだ」


 それは絶対的に現実では起こり得ない事を意味している。

 それが判っても頷けない自分は、まるで駄々をこねる子供のようだと思う。もう明日しか期限がない中で愚かにも抗い、無様にも存在しない道を模索しようとしているのだ。呆れを通り越して、もう笑うしかない。


 自嘲気味な笑みをわずかに落とした高夜に、雛は念を押すように、あるいはたしなめるよう告げる。


「高夜、なぜ返礼品がこれなのかをよく考えろ。そして、なぜひなぎくが生まれたかもだ」


 初めて氏名ではなく名を呼ばれて、高夜は軽く目を見開き雛を視界に入れる。


「……………どういう、意味だ……?」


 その意味深な言葉の意が掴めず小首を傾げる高夜を尻目に、雛は里生を伴って部屋を出ようと腰を上げる。


「…………おい………雛………?」


 静止を求めるように名を呼んだ高夜の声に応じるように、雛は障子に手をかけたまま振り返った。

 そうして小さく微笑んで、雛は告げる。


「時が来ればお前にも必ず判る。その時が来るまで、思う存分悩んで苦しめ」


 言った言葉とは裏腹に、その笑みは今まで見た揶揄を含む皮肉めいた笑いではなく思いのほか穏やかな笑顔だった事に、高夜は目を瞬いた。


**


「高夜さま、お加減はどうですか?」


 摂った夕食の膳を片付け終えてから再び部屋を訪れたひなぎくが、少し心配そうに告げる。

 まだ体を起こすとひどい頭痛が体を苛むので、肝心の食欲が出てこない。それでも、もうひなぎくの食事を摂ることが出来なくなるのだと思うと『食べない』と言う選択肢が念頭から消去されて、いつも痛みに耐えながら食事を摂るので、ひなぎくはその度にこうやって不安げな顔を向けるのだ。


 それを申し訳ない、と思いつつ、それでもこうやって心配されることが嬉しいと思ってしまう自分は、どうしようもないほど彼女に甘えているのだろう。そんな自分に面映ゆさを感じつつ、高夜は返答する。


「………大丈夫だ……。……それよりもすまないな…ひなぎく……」

「……?…何のことでしょうか…?」

「……十日間しか期限がないと言うのに…最後の三日間を無為に過ごさせた……。…本当なら、もっと色んな所に連れて行ってやりたかったが……」

「まあ、そのような事…!…どうぞ、お気になさらないでください。私はこうやって高夜さまのお傍で、お世話をさせていただけるだけで、とても楽しいのですよ」


 そう言って、いつもの朗らかな微笑みを高夜に向ける。その笑顔が高夜に気を遣っている以上に本当に幸せそうに見えて、高夜は内心でほっと胸を撫で下ろした。


「………もう、一日しかないのだな…」


 ぽつりと呟いた高夜のその声音には、明らかに寂し気な色が強くにじみ出ている。ひなぎくはそれを察しながら、それでも諦観を示すように寂しげな微笑を落とした。


「……はい。明日の夕刻、食事を摂った後に眠りにつきます」

「………そうか……」


 短く返答して、高夜は体を起こそうとゆっくりと動き出す。


「…!?高夜さま…!!まだ動かれては_____!!?」


 それに気づいて慌てて高夜の体を支えるようと手を伸ばしたひなぎくの体を、高夜は引き寄せて抱きしめる。

 離れないように強く、だけれども愛おしそうに優しく___。


「…!た…高夜さま……っ!!?」

「……温かい……」

「…!」

「……人と触れ合うという事は、これほど温かかったのだな……」


 遠い記憶にあるのは、幼い頃、両親に抱きしめられた時の事。人の体温を感じた事があるのは、後にも先にもこの時だけだ。


 ひなぎくは抱きしめられた事に面映ゆさを感じながらも、相変わらず自分を機巧人形ではなく人として扱ってくれる高夜にやはり胸の辺りの温かさが募って、遠慮がちに高夜の背に手を添える。しばらく互いにその温かさを感じた後、高夜はぽつりと呟くようにひなぎくの耳元に囁いた。


「……明日は少しだけ散歩をしようか……?」

「…!いけません…!お体に障ります…!」

「……大したことはない……そんな事よりも私は、ひなぎくの最後の一日を、特別な日にしたい……」


 言って微笑む高夜の額には、痛みに耐えているのか脂汗が浮かんでいる。ただ体を起こしているだけでもこれほど辛そうなのに、歩くなど以ての外だろう。


 それでも、気遣ってくれているのだ。

 最後の一日を、少しでも特別なものにするために____。


 それが判って、ひなぎくは言い表せられないほどの嬉しさと、それ以上に自分のために無理をしようとする高夜にひどく胸が疼いた。その痛みを押し隠すように、ひなぎくは柔らかな笑みを見せる。


「…高夜さまがご一緒であれば、いつでも私には特別な一日ですよ」

「………え?」

「…高夜さまのお傍で高夜さまのお世話をして、こうやって他愛のない会話を交わし、穏やかに同じ時を過ごす____そういう当たり前が、私にとっては宝物のように大事なのです」

「…!」


 高夜は瞠目する。


 つい、数日前にも他ならぬ自分が感じた事だ。

 何も特別なことはない、ごくごく当たり前の日常に、味わった事ない幸福感と得も言われぬ心地よさがある、と。


(……ひなぎくも、同じことを思ってくれていたのか……)


 痛みに耐える顔に笑みを落としつつ、高夜は小さく息を吐く。


「……そうか……そうだな……」

「…明日も一緒に、お食事を摂りましょう。高夜さま」

「……ああ、それから障子を開いて……そこの縁側で一緒に庭の景色を楽しもう……」

「温かなお茶と、お茶請けもご用意いたしましょうね」

「……ああ、いいな……。……昼にはまたひなぎくが作ってくれた昼食を食べて、夕方になれば一緒に夕陽を見よう、ひなぎく……」

「…とても素敵な一日になりますね」

「……ああ」


 そうして日が大きく傾いた頃、感謝と別れの言葉をひなぎくに告げるのだ。

 彼女を離し難いと思いながら_____。


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