表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

高夜とひなぎく・四編

(ここか……)


 雪消ゆきぎえから渡された住所を頼りに着いた屋敷の前で、高夜は足を止める。


 目上げた視界に入ってきたのは、純然たる日本家屋だ。それもかなり大きい。高夜が住む侯爵邸よりは当然手狭だが、一般家庭の中ではかなり立派だと言ってもいいだろう。異国の人間と知って勝手に洋式の屋敷を思い浮かべていた高夜は、本当にここで間違いないのかと、数寄屋すきや門に掲げられた表札に目を留める。


 そこに書かれた日本名に、高夜は小首を傾げた。


(……黒崎……?ここではないのか…?)


 だが書かれている住所はここで間違いない。

 雪消の書き損じか、あるいは黒崎と言う人物の家を間借りしているのか。どちらにせよ、どうしたものかと決めあぐねている高夜の背に、若い声が届いた。


「うちに何か御用ですか?」


 少女とも少年ともつかない、その若い声を振り返ると、やはり少女とも少年ともつかない容姿の和装に身を包んだ人物が、訝しげに小首を傾げてこちらを窺うように立っていた。


 年の頃は十五、六くらいだろうか。

 少女、と言う割には背が高く、かと言って少年と言う割には少し低い。身に着けている着物が馬乗り袴に腰板までついているところを見ると、やはり少年だろうか。それでも中性的な容姿だと思うのは、彼女___彼の透き通るような白い素肌と水晶のような輝きを放つ紫電しでんの瞳、そして陽の光に照らされた湖面のように輝く白金プラチナの髪がひと際、高夜の目を引いたからだろう。


(…異国の……天才機巧人形師とやらの子供か……?)


 流暢な日本語を話すが、その容姿は明らかに異国の人間のそれに違いない。高夜は歩み寄ってくるその少年らしき人物に訊ねる。


「…リオグラード博士と言う人物を訪ねてきたのだが、表札に黒崎と書かれていてな。…ここであっているか?」

「ああ…!博士を訪ねて来られたのですね!」


 花が綻ぶような笑顔を見せて、少年は高夜を門の中へと促す。

 博士と呼んでいるところを見ると親子ではないのか、と心中でひとりごちながら、あまりに呆気なく中に通す少年の無防備さに、軽い驚嘆と盛大な呆れを含むため息を落とした。


「…ずいぶんと簡単に人を信じるのだな。私が暴漢だったらどうするつもりだ?」


 軽い揶揄を含んだつもりだった。

 天才機巧人形師に対する怒りを持て余していた事も要因の一つだろう。苛立ちから出た揶揄だったが、どうやらこの少年には通じなかったらしい。すぐさま踵を返して、勢いそのままに今しがた通ったばかりの門に高夜の体を押し付ける。首元に当てがったのは、懐から取り出した篠笛。先ほどまでの朗らかな表情とは打って変わって、射抜くような鋭い瞳に殺気まで込められた視線で、少年は高夜を強く見据えた。


「…どちらです?暴漢ですか?客人ですか?返答次第では容赦しませんよ」


 返答を欲するように、少年はもう一度首元に当てがった篠笛をさらに押し当てる。これが刀であれば、今頃自分の首は飛んでいただろうか。そう思えるほど少年の一連の動きがあまりに早く目で追えなかった事に、高夜は目を白黒させた。


 久遠寺家は武家の家だ。

 そのため否応なく幼少の頃から剣術を叩きこまれた。達人と言うほどの才はないが、それでも身を守れる程度の腕はある。後れを取ったわけでも隙を見せたわけでもないのに、まさかこれほど年若い少年に一瞬でここまで追いやられるとは____。


 額から軽く冷や汗が流れ落ちるのを自覚しながら、高夜は自らの首元に当てられた篠笛に軽く手を添えた。


「……冗談に決まっているだろう。暴漢が自ら暴漢だと名乗ると思うのか?」

「…!それは……そうですよね……」


 鋭い目つきが、一瞬にして元に戻る。呆けたように目を瞬いて、そして自分が今何をしているのかをようやく悟ったのか、慌てて首元に当てていた篠笛を離した。


「す、すみません…!!お客人に何て事を…っ!!………というか、冗談が悪質ですよ。もう少し笑える冗談にしてください」


 恐縮するように狼狽したかと思えば、今度は拗ねた子供のように頬を膨らませて愚痴をこぼす。まるで百面相でも見ているような気分になって、高夜は思わず失笑した。


(……よくもまあ、これだけころころと表情が変わるものだな。異国の子供と言うのは皆そうなのか?)


 失笑する高夜になおさら機嫌を悪くしたのか、子供のようなふくれっ面になるのがまた面白い。

 少年はバツが悪そうにそっぽを向きながら、「少しお待ちください」と少しぶっきら棒に言葉を落として玄関の扉を開いた。


小李シャオリーさん!!小李シャオリーさん…っ!!!お客さまです!!」


 少年の大きな呼び声に呼応するように、屋敷の奥から何やら、コツ、コツ、と床を叩く音が近づいてくる。その音と一緒にゆっくりと奥から現れたのは、肩甲骨くらいまである黒髪を三つ編みに束ねた、洋装の一人の青年だった。


 成人前だろうか。この年頃特有の、大人っぽさとわずかに残った幼さを合わせ持った、だがその割に妙に整った綺麗な顔立ちをしている。だが高夜の目を一番に引いたのは、その小綺麗な顔よりも何よりも、杖を突いて現れた事だろう。彼の左足はまったく機能していないのか、ずっと引きずったままだった。


「…里生りお、帰ったのか」


 妙に物静かな声でそう告げると、おもむろに高夜に視線を向ける。


「…久遠寺さん?人形師連盟の仲介で来た?」

「…ああ」

「不躾に呼んで悪かった。リオグラードの体調がまだ本調子じゃないんだ。…上がってくれ」


 その声音はやはりどこまでも物静かだ。少年と比べるとその表情でさえ感情が乏しく、物静かに思える。穏やか、と言えば聞こえはいいだろうが、喜怒哀楽がほとんどない、と言った方が正鵠せいこくを得ているだろうか。先に出会ったこの少年があまりに表情豊かなだけに、その落差が際立って仕方がない。


(……まるで人形のような青年だな)


 何とはなしに心中で呟いたこの言葉こそが、彼を形容するのに一番的を射ているだろう。


 高夜は小李シャオリーと呼ばれたその青年に先導されて、屋敷の奥へと通される。その間も廊下をコツ、コツ、と一定の間隔で刻む音が耳について仕方がなかった。


「………その足は、怪我か?」


 不躾だろうとは思ったが、どうしても訊かずにはいられなかった。苦虫を潰したような顔をするだろうか、と思った高夜の予想を裏切って、やはり無表情とどこまでも物静かな声で答える。


「ああ、子供の頃に負った怪我だ。膝裏から足首までの大きな裂傷を負って、以来まったく動かなくなった」

「それは……ずいぶん難儀なことだな」

「もう慣れた」


 その涼しいほどに静かな声音に、やはり思う。


(…自分のことなのに、ずいぶんと無感動な事だな)


 機巧人形であるひなぎくや雪消でさえ、心の機微をあれほど顕著に表情に表せるのだ。それと比べると、彼の喜怒哀楽のなさが際立って仕方がない。まるで能面を付けている者と話をしているような、そんな底気味の悪さまである。無駄に整った綺麗な顔立ちが、なおさらその悪感情を後押しした。


(……彼は、人形なのか……?)


 感情を持たない機巧人形もいると、雪消は言っていた。では彼が?

 いや、子供の頃、という口ぶりから察するに人間だろうか。そういう記憶を植え付けられた機巧人形___という考えもなくはないが。


 そう心中で勝手に考察している最中、目的地に着いたのか小李の足がピタリと止まる。最奥の、襖の前だった。


「リオグラード、お客人だ」

「…どうぞ」


 部屋の中から返って来た促す声は、思ったよりも若い。その返答を受けて、小李は襖を開ける。

 そこにいたのは、畳の上に敷かれた敷布団の上に座する、一人の異国の青年___。


(……博士と言うから、もっと老年の人物を思い浮かべていたが……)


 年の頃は自分よりも少し上の三十代中頃くらいだろうか。異国の人間は実年齢よりも大人びて見えると言うから、もしかしたらもう少し若いのかもしれない。青年と壮年のちょうど間くらいと言っていいだろう。


 服装は和装。着流し姿に、寒いのか、あるいは病み上がりという事もあってか膝には掛布団と、肩には羽織がかけられている。その肩からさらりと流れる、金に輝く長い髪。腰まであろうかと言うほど長い髪を、やはり三つ編みにして左肩から前へと流している。つい先ほどまで横になっていたのか、髪が少し乱れて、陽の光を反射しながらさらりと垂れた。その髪を小さく掻き上げながら、天才機巧人形師____リオグラードは静かに口を開く。


「…ご足労願って申し訳ないね。それに、このような姿で面会する事を許してほしい」


 異国の人間とは思えないほど流暢な日本語で謝罪と許しを請う、異国の青年。その青年の容姿が、邪魔だった髪を掻き上げた事で露わになった。


 穏やかそうな微笑みを浮かべるその瞳には、里生りおと呼ばれた少年と同じく紫電に輝く瞳と、やはり同じ___いや、病弱だからかさらに青白く見える透き通るような素肌。

 この少年が成長すれば、そのまま目前にいるこの青年になるだろうと思えるほどよく似ていた。唯一違うのは、髪の色くらいなものだろうか。


(…親子……ではなく兄弟か?)


 だとすれば、弟にまで博士と呼ばせているのだろうか。

 そう思うと、朗らかな少年と人形のような青年に出会った事で落ち着きを取り戻しつつあった怒りが再燃する。それでも想像と大きく違った目の前の天才機巧人形師に、なぜだか不躾に怒りをぶつける気にもなれなかった。


(…罵声でも浴びせようものなら、またこの少年が飛び掛かってくるかもしれないからな)


 小李に入るよう促されるまま、高夜は呆れと共に軽く里生りおを一瞥して部屋に足を踏み入れる。


「…いや、構うことはない」


 不本意ながらぶっきら棒にそう返す高夜に、リオグラードはふわりとした笑顔を見せて「ありがとう」と穏やかに謝意を伝える。その彼の一挙一動が、やはり『傲慢な天才機巧人形師』という想像とはかけ離れていて、高夜の毒気を否応なく抜かれていくようで堪らない。西洋人という事もあって、座っていても高夜より背は高いだろう事は容易に想像できたし体格自体もしっかりしている割に、着物から覗く腕や首が細く見えた事も高夜の怒りが萎えていく要因の一つだろうか。


(…ほだされてどうする)


 心中でそう呟いて、その現状がなおさら不本意だと言わんばかりに渋面を取りながら座る高夜を視界に留めながら、リオグラードは静かに口火を切る。


「早速で申し訳ないが、ひなぎくの様子を聞かせてもらってもいいかな?高熱が出ていると聞いたけれど___」

「彼女は本当に機巧人形か?」


 リオグラードの言葉を遮って高夜は問いかける。見ればその瞳には、軽い怒りが込められているようにうかがえた。彼の態度と質問の意を取りかねて、リオグラードは怪訝そうに問い返す。


「…説明を受けて最終的には機巧人形だと理解した、と僕は聞いたはずだったが…違うのかな?」

「…一時は理解した。だが今は疑念しかない。…彼女は本当に、貴方の作った機巧人形か?」


 この疑念を抱かれる事には慣れているのだろう。リオグラードは特に吃驚きっきょうする事もなく、得心したように一つ頷く。


「…そうだよ。あの子は間違いなく、僕が作った子だ」

「ならば訊きたい。なぜ、ひなぎくをあのように作った?」

「……?あのように……とは?」

「ひなぎくの性格の事だ。人間に従事する以上、確かに従順である事は必要だろう。だが、ひなぎくは度を越している。何でも遠慮して、怯えるくらい恐縮し、言いたい事もやりたい事も満足に言えず、束縛されることが当然で自由に振舞ってはいけないと思い込んでいる。…貴方はそうやって、機巧人形と言う名の奴隷を量産しようとでも思っているのか?」

「…!?何て事を…っ!!博士はそんな事_____」


 そのあまりに無遠慮で悪しざまな物言いに、襖の前に控えるように座って話を聞いていた里生りおは、たまらず口を挟んで前のめりになる。その里生を手で軽く制して、リオグラードはまだ言い足りないと言いたげな高夜の言葉を待った。


「貴方はさぞ気分がいいだろうな。周りから天才機巧人形師と持てはやされて、弟にまで博士と呼ばせて、大いに自尊心が満たされた事だろう。…だが忘れないで貰いたい。貴方が扱っているのは物ではない。『人形』と言う名が付いてはいても、扱っているのは紛う事なき命だ…!これ以上、命を弄ぶな…!!」


 萎えたと思っていた怒りは、だが口を開くと同時に三度みたび再燃した。一度心に宿した想いだからだろう。言葉にすればするほど、せきを切ったように感情が溢れていく。反論を許さない、と言わんばかりに一息に不満を吐き出した高夜は、だが嬉しそうにこちらを見返してくるリオグラードの表情に、唖然とした。


「…なぜ笑う…!?私は今、貴方を蔑んだのが判らないのか…!?」


 何となく馬鹿にされたような気分になって、高夜は眉根を寄せて声を荒げる。こうやって言われても、余裕のあるその態度がなおさら鼻について仕方がない。


 その高夜の不快に思う心中を悟って、リオグラードは今度は困惑したような笑みを落とした。


「…ああ、申し訳ない。貴方を馬鹿にしたわけではなく、貴方の心の在りようを純粋に嬉しく思っただけだ。…貴方が言うように、機巧人形をただの奴隷のように考える人間は一定数存在しているからね」

「…!?」

「貴方のように機巧人形を人間のように扱ってくれる者たちは、まだまだ少ない。特異な存在故に、仕方がないのかもしれないが……」


 それでも彼らが置かれている現状に不満がある、そう言いたげな表情にため息を落とすリオグラードの様子に、高夜は眉根を寄せる。

 これではまるで______。


「…貴方は……リオグラード博士は彼らを奴隷だと思っていないのか…?」


 そう言っているようにしか聞こえない。

 怪訝そうに唖然と訊き返す高夜の言葉に、激しく反論したのは後ろにいた里生だった。


「当たり前です…!!!博士がぼく達をそんなふうに思っているわけがないでしょう…!!!!誰ですか!!?そんな事を吹き込んだのは…!!!」


 吹き込んだも何も、自分が勝手にそう思い込んだのだとは口が裂けても言えない。

 気まずそうに軽く目を逸らしたところで、耳に残った里生の台詞の中に、気になる文言があった事に気付く。


「………………『ぼく達』…?」


 まさか、と小さく口の中で呟く高夜に、リオグラードは告げる。


「どうやらずいぶんとたくさん誤解しているようだね。一つ一つ誤解を解いていく必要がありそうだけれども…諸悪の根源は肝心な事を伝え忘れている誰かさんかな?」

「雪消だな」

「雪消さんですね」


 すかさず声を揃えて同じ名前を告げる小李と里生に、リオグラードはくすくすと笑みを落とす。


「あの子はしっかりしているようで、肝心なところが抜けているからね」

「…そう作ったのは貴方だろう?リオグラード博士」


 責任転嫁するな、と言いたげな高夜の視線を、リオグラードはさらりとかわして静かな声でぴしゃりと告げる。


「僕は一切関知していない」

「…!……嘘を吐くな。雪消は天才機巧人形師に作られたとはっきり断言している。それは博士の事だろう?」

「…そうだね。確かにあの子の身体は僕が作った。だが、心は作っていない」


 まるで心を作った者が別にいるような口ぶりに、高夜は怪訝そうに眉根を寄せる。それは、と問いただそうとした高夜の言葉を遮ったのは、後ろで会話を聞いていた里生だった。


「心は作るものではありません、生まれるものです。どんな心でどんな性格になるかは、生まれてみないと判りません」

「…生まれる?おためごかしはよしてくれ。どんな綺麗な言葉で着飾ったところで、作り手が必要な体である事に違いはないだろう。ならば心も作らざるを得ないはずだ」

「…そうですね、確かに久遠寺さんがおっしゃる通り一部例外はあります。実際に存在している人間を模して作られた者は、どうしてもその人間と同じ性格、同じ感情を持ち、記憶まで違いはありません。全くの別人には決してなり得ない」

「…?…そう作るからだろう?」

「ですから心は作れませんって。……判らない人だなあ」


 心は作るものだと頑なに固執する高夜に、里生はなかなか理解してくれない苛立ちと固定観念に捕らわれて一向に手放そうとしない事への呆れをふんだんに含んだため息を盛大に落とす。高夜もまた、話がいつまで経っても平行線を辿たどる事に憤りを感じて、自然と語気が強くなり始めた。


「なら何だ?機巧人形の体さえ作れば勝手に心が宿るとでも言うのか?そんな御伽話を信じろと?」

「では人間は違うのですか?生まれ落ちた時にはすでに心が宿っているものでしょう。まだまっさらな心が」

「人間と機巧人形は違う」

「…先程貴方は、ぼく達を物ではない、と言ってくださいました。ですが心の在りようだけは物と同じだと?」

「…!?」


 痛いところを突かれた、と思わず高夜は閉口する。機巧人形を物だと思っていない事に嘘はないが、それでもやはり作られた体の中に心が自然に宿るなど夢物語でしかない。それはつまり、結局は自分も彼らを物として見ている事の証左なのだろうか。

 そう思うとなおさら何も言えなくなる高夜に助け舟を出したのは、リオグラードだった。


「…里生くん、その言い方は卑怯だよ。改めなさい」

「……っ!………はい、ごめんなさい、久遠寺さん……」


 リオグラードにたしなめられて背中を丸める里生の姿は、まるで親に叱られた子供だろうか。

 意気消沈する里生に、やれやれ、とため息を一つ落として、リオグラードは高夜に視線を向けた。


「…まず誤解を一つ解いておこうか。僕たち機巧人形師に、心を作れる者はいない」

「…!?………だが…」


 目を白黒させて高夜は里生を振り返る。

 心を作れる者がいないのなら、今眼前にいるこの少年の心はどこから来たものだと言うのだろう。里生だけではない。ひなぎくや雪消もまた、どことも知れぬ場所から心がやって来たとでもいうのだろうか。


 不信を表わすように眉間にしわを寄せて里生を注視する高夜に、リオグラードは告げる。


「…僕も言葉を着飾るという事があまり好きではなくてね。直接的な物言いが不快に思う事もあるだろうが、どうか許してほしい」


 そう前置きして、言葉を続ける。


「機巧人形は、所詮は物だ」

「…!」

「人間や動物のように鼓動を刻み、時と共に体が成長する事もない。生まれた時から死ぬ時まで、まったく同じ姿を維持する。その本質は機械であり人形であり、物でしかない。…その物に感情を___心を持たせることは当然容易ではなかった。それこそ、奇跡と呼ばれる事象を起こすしかない」

「……それで?奇跡が起きたと言うのか?」


 揶揄の中にわずかな怒りが含まれていたのは、きっと思った以上にリオグラードの物言いが無遠慮だったからだろう。わずかに里生を一瞥する高夜に、リオグラードは微苦笑を落とす。


「……何度も試行錯誤したよ。感情をつぶさに表現する事の出来る体は完成したのに、肝心の心が伴わない。彼らが表現できるのは、あくまで組み込まれた感情だけだ。決められた事を決められたままに動くだけ。それ以上の事は何もできない。…どれほどそれらを表現できる体があったとしても、ね」


 ____十年だ。

 十年の月日を、心を作る事に費やした。技術の上では容易く完成しても、目に見えない心を作るという作業は困難を極めた。それは、神の領域に足を踏み入れるという事だ。決して入ってはならない、禁足地。だからこそ、どれほど追及しても到達し得ないのだろう。____そう、理解した。


 理解して、半ば自暴自棄になっていたのだろう。『してはいけない』と言われていた事をしたくなった。


「…貴方は先程、一つだけ真理を得た言葉を口にしたね」

「…?何の事だ?」

「『束縛されることが当然』だと。…その通りだよ。機巧人形は束縛を必要とする」

「…!?…それは、彼らには自由がないという事か…?」

「目的をもって生まれるという事は束縛を必要とする、という事だ。それは彼らに限らず、どの事象においても真理を得た言葉だよ」

「…!」


 その通りだ、と高夜は得心する。

 思うところは嫌と言うほどある。実際、自分もそうなのだ。侯爵家の跡取りという役割をもって生まれた以上、それが常に自分を束縛した。今でこそ多少自由に振舞ってはいるが、それでも完全な自由ではない。侯爵家に相応しい嫁を娶る事、そして跡取りを作る事、育てる事、それ以上に周りが侯爵である事を強要する。____自分もまた『束縛を必要とする者』なのだ。


 だとすれば、必ず何かしらの役割をもって作られる機巧人形にも、束縛は絶対的なものなのだろう。


「…機巧人形は、自由を得られないか」


 ぽつりと独り言のように呟いた高夜の言葉に、リオグラードは首肯する。


「彼らに自由と言う概念がそもそもない。目的があるからこそ、彼らは動こうと思う。その目的を失えば、彼らは指一本動かさない。それどころか最終的には暴走を起こして目にするものすべてを破壊して回る殺戮者に変わる」

「…!」

「だからこそ機巧人形師の間では、『目的を定めない』という事は決してしてはいけない禁忌だった」


 皮肉なものだ、と思う。

 人間のためにだけ生きる機巧人形に慈悲を施して自由を与えた途端、人間に害する存在に変わるのだ。だから機巧人形師たちは、彼らに目的を与える事こそが、彼らにとっての幸せだと考えた。誰も禁忌を犯さないし、犯そうとも思わない。


「…その禁忌を、僕は犯してみようと思った」

「…!なぜそんな…」

「…なぜだろうね?…禁忌でも犯さないと、神の領域になど辿り着けないと思ったのかもしれないね」


 そう言って寂しそうに微笑むリオグラードの姿が、妙に印象に残った。


「…その子には何一つ与えなかった。目的はおろか、自我や知識、性格や感情、そして性別すら与えなかった。人間の赤ん坊がそうであるように、何もない真っ白な状態にした」


 少しでも異変があれば、すぐに壊すつもりだった。

 だけれども、その子は暴走を起こすどころか何日も眠ったまま微動だにせず、ひと月後ようやく目覚めたその子は、まず最初に微笑むことを覚えた。


 以来、ゆっくりとだが確実に色々なことを学び覚えていく。言葉や知識、喜怒哀楽、喋る事、見る事、聞く事、触れる事___人間がそうであるように、世界に触れ、世界を知って、心が成長していった。


 それはおそらく、神が気まぐれに起こした奇跡なのだろう。

 

「………まさか、その機巧人形と言うのは……」


 茫然自失と向けた高夜の視線の先で、里生はにこりと微笑む。


「…なぜ里生くんにだけこの奇跡が起こったのかは判らない。技術的な事ではないだろう。その後、まったく同じ機巧人形を作っても、二度とその奇跡は起きなかったから。それでも何かが、神の琴線に触れたんだろうね」


 まるで狐につままれたような心持ちでリオグラードの言葉を耳にしていた高夜は、ふと疑問に思う。


「……待て、この奇跡を授かったのが彼一人……?…そんなはずはないだろう?ひなぎくや雪消にも心はあるはずだ」

「…最初に言ったはずだよ。心を作れる機巧人形師はいない。…きっと奇跡を起こせるのは、奇跡を授かった者だけなんだろうね」


 その遠回しなリオグラードの言葉で、高夜は察する。


「……まさか……君が、心を生み出しているのか…?機巧人形たちの心を____?」


 吃驚きっきょうする眼差しを向けてくる高夜に、里生はやはり笑顔を返す。少しだけ困惑したような顔で。


「…本当はみんな、作られた時から心は存在してるんです。ただ、それをどうやって外に出せばいいのかが判らないだけ。…僕は、その方法を教えているにすぎません」

「…どうやって……?」

「それはいずれ判ります。彼らを眠らせるのも、ぼくの仕事ですから」


 まるで御伽話の世界だ、と高夜は何とはなしに思う。見聞きした事のすべてが信じられない。現実味がない。まるで夢心地のような気分だ。


 物である機巧人形に、心を与える奇跡。

 そんな奇跡が、そう何度も起こるものなのだろうか____?


 口の中で小さく言葉にしたそれに、リオグラードは静かに答える。


「…僕が望んだ奇跡ではなかったけどね。…それでもきっと、里生くんが起こす奇跡は、もう奇跡とは呼べないのだろう。滅多に起こらないから奇跡と呼ぶんだ。それが必然になれば、それはもう奇跡ではない」


 言い得て妙だ、と思う。

 それでも、彼の行う事は奇跡の御業に他ならない。


 思って疑問に思う。

 その奇跡が、なぜ彼にだけは授けられていないのだろうか___?


 訝しげに向けた高夜の視線に気が付いて、彼___小李はやはり物静かな声で応える。


「…俺は違う」

「…え?」

「リオグラードの作る機巧人形はもっと感情豊かだ。俺のような出来損ないじゃない」

「小李、自分の事をそのように言うのはやめなさい」


 たしなめるようにぴしゃりと告げたリオグラードの言葉に、小李はやはり無表情のまま顔を背ける。眉一つ動くことはなかったが、それでも多少バツが悪そうに見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。


「…すまないね、場の空気を悪くした」

「…いや」


 散々、場の空気を悪くした張本人なのだから、文句の言いようもない。


「…覚えておくといい。機巧人形に障害を持つ者はいない。…人間と違って、不具合の出た箇所だけを交換する事は容易いからね」

「……そうか……知らぬ事とは言え失礼な事をした」

「別に構わない」


 高夜の謝罪に、やはり返って来たのはどこまでも無感動な声と、無表情だけ。

 人間でありながら、どこまでも静かで喜怒哀楽のない、その顔。

 彼は、どういう気持ちで感情豊かな機巧人形たちを見ているのだろうか____。


 思う高夜の思考を遮るように、リオグラードは促す。


「さあ、長話が過ぎたね。話を元に戻そうか」


**


 ひなぎくの容態を聞いて逼迫ひっぱくしたほどの状況ではないと判断したリオグラードは、ひとまず彼女の様子を診るために、侯爵邸に戻る高夜に小李を同伴させる事にした。必要な物を揃えて準備を整え、病み上がりのリオグラードを残して屋敷を後にする。


 来た時と同じように数寄屋門をくぐったところで、高夜は再び視界に入った表札に目を奪われた。


「……そういえば、この黒崎と言うのは……?」

「名義を貸してくれた陸軍の大佐だ。外国人だけだと家を貸せないと言われたから」


 陸軍、と口の中でその言葉を反芻する。

 高夜の中で、軍人ほど悪い印象を持つ者はいない。上層部はもちろんの事、一兵卒に過ぎない二等兵でさえ、その態度は横柄だ。政治家時代に、その横柄な態度に何度も眉間にしわを寄せた事を覚えている。


 その高夜の内心を悟ってか、小李は言葉を言い添える。


「それほど悪い人間じゃない」


 思わず目を瞬いて小李を注視する高夜に、彼は無表情ながらも小首を傾げてみせる。


「…ああ、すまない。君が言うと、妙に説得力があると思ってな」

「…?」


 なおさら小首を傾げる小李にそれ以上の説明が出来ず、高夜は微苦笑だけを返す。

 説得力があると感じるのは、感情が見えないだけに余計な主観が彼の言葉には含まれていないと感じるせいだろうか。


 未だ返答を待つようにこちらを見返してくるので、高夜は小さく咳払いを一つ落として話題を変えた。


「…それはそうと、君も機巧人形師なのか?小李」

「俺は違う。でも修繕くらいはできる」

「違いますよ、久遠寺さん。小李さんは謙遜してるんです。いつも博士の手伝いをしているから本当は一から作れるんですけど、作ろうとしないんですよ」


 言ったのは荷物持ちとして一緒についてきた里生だ。


「それは勿体ない」

「ですよね!」

「…久遠寺さん、里生の言う事を鵜呑みにしないでくれ。子供の言う事だ」

「ぼく、もう子供じゃありません!!」

「子供はみんなそう言う」


 二人のやり取りに、高夜は思わず吹き出すように笑う。感情を大いに載せた里生の言葉に淡々とした小李の言葉がすかさず返ってくるこの掛け合いが耳に心地いい。くつくつと忍び笑う高夜に、里生はやはり不機嫌を表わした。


「どうして笑うんですか!?久遠寺さん!!」

「ああ、すまない。………それで?」

「…?」


 ひとしきり笑って問いかけた高夜の言葉に、二人は意を得ず怪訝そうに小首を傾げる。


「小李はどっちだ?君は子供か?それとも大人か?」


 ちょうどその境にいる彼は、自分を一体どちらだと判じるのだろうか。

 わずかな好奇心で何とはなしに訊いたその質問に、静かな、だけれどもわずかにそれ以外の感情が含まれているような声音が、高夜の耳に届く。


「…俺は多分、そのどちらでもない」


 見ればその表情に感情はない。

 それでも妙にその返答に寂寞せきばく感を覚えて、高夜は少し気まずく、小さく「そうか」とだけ返した。



 歩いてものの十分ほどで侯爵邸に着いた高夜は、すぐさまひなぎくが眠る部屋へと彼らを先導する。

 二人を部屋に入れ、続いて同じく足を踏み入れようとした高夜を小李はそっと手で制した。


「ひなぎくは機巧人形と言っても女性だ。診察中は遠慮してくれ」

「…!…それを言うなら君も男だろう」

「男の医者は女性の患者を診られないのか?」


 正論過ぎてぐうの音も出ない。


(…あの家の者は皆、口だけは達者だな)


 言いたい気持ちを呑み込んで、高夜は不承不承と承諾の意を示して閉まる襖を見送った。


 診察を待つ間、高夜の脳裏に、なぜ禁忌を犯したと問うた時の寂しそうに微笑むリオグラードの顔がふと浮かぶ。

 周囲の人間に博士と呼ばせている、おごった人間。

 名声欲しさに機巧人形をより人間らしくする事に固執した、愚かな人間。

 神の領域に到達した事に優越感を感じる、天才機巧人形師_____。


 侯爵邸を発つ前には彼に対して悪感情しかなかった。だが今は完全に認識が改まった。ひなぎくをあのように作った事に対する憤りも、今はない。それはおそらく、天才機巧人形師と謳われた彼が、おごり高ぶった人物ではないと理解したからだ。


(…彼がこれほど機巧人形に人間らしさを求めたのは、優越感に浸るためでも名声を求めたわけでもないだろう)


 少なくとも、そう言うものに興味を示す人物には見えなかった。

 禁忌を犯してまで欲したものが、たかが名声や優越感だけならあまりに薄っぺらい。そんなものに命を懸けるほどの価値を見出すような人物には見えない。


 彼が禁忌を犯してでも欲したもの____それは多分、小李のためなのだろう、と高夜は何とはなしに思う。


 自分を出来損ないだと言う、彼。

 大人でも子供でもないと言う、彼。


 彼の中には虚無しかない。どこまで行っても、ぽっかりと開いた虚空の穴だけが見える、そんな印象だ。


(…あれでは確かに心配だろうな)


 特にリオグラードは体が弱いと聞いた。どれほど弱いのかは判らないが、それでも最期は小李一人を残して逝くのかと思えば、心配でたまらないだろう。


(…自分の代わりに彼の傍にいてくれる存在を作りたかったか、あるいは____)


 思ったところで、襖が開く。


「…終わったのか?ひなぎくは___」


 高夜の言葉を遮るように、小李は立てた人差し指を口元に当てがう。


「…今は眠っている。静かにしてやってくれ」


 隙間からちらりと覗けば、寝入っているひなぎくの姿がわずかに視界に入る。了承を示すように頷く高夜を見て取ってから、小李は襖を後ろ手で閉めて玄関へと足を進ませた。


「大したことはない、少し熱が出ただけだ。熱を拡散させる薬剤を打ったから明日の夕刻には熱も下がると思う」

「…特に異常はなかったのだな?」

「ああ、明日の夕刻になっても熱が治まらないようならまた訪ねてきてくれ。おそらくそれはないと思うけど」

「……そうか」


 そこでようやく高夜は、人心地ついたように安堵のため息を落とした。


「…もう少しゆっくりしていったらどうだ?」


 まだここに着いて幾ばくも経っていないというのに、診察を終えるや否やそそくさと玄関で帰り支度をする二人に、高夜はそう告げる。


「いや、リオグラードは病み上がりだから、それほど長く一人にはできない」

「…心配性だな、子供じゃあるまいし」


 呆れたようなため息と共に落としたその言葉に、小李は弾かれたように高夜の顔を見返して固まったように注視する。やはりその顔は無表情のままだったが、明らかな驚きの感情が窺えて、高夜は怪訝そうに眉毛を寄せた。


「…?…どうした?」

「…いや、何でもない。…行こう、里生」


 次の瞬間には、またいつもの何の感情も窺えない顔に戻って、小李は里生を促す。何がそれほど小李の琴線に触れたのかは判らなかったが、気を悪くしたという感じでもなかったので特に言及する事もなく、高夜は後ろに控えていた千代に声をかけた。


「千代、私は二人を見送ってくる。ひなぎくを見ていてくれ」


 頷く千代を待ってから、高夜は二人と共に屋敷を出て数寄屋門をくぐる。出たところで、小李はおもむろに高夜を振り返った。


「ひなぎくは薬剤が効くまでまだ発熱しているだろうから、暖かくして食事は粥に留めてくれ」

「…まるで人間のようだな」

「人間のように作ったから」

「だからわざわざ痛みや病まで作ったのか?」


 責めたいわけではないが、つい責めるような口調になる。

 これは小李に言っても詮無い事だ。問うべき相手は別にいる。

 高夜は一度落ち着きを取り戻すように小さく息を吐くと、それでもやはりこれだけは納得できない、と渋面を取りながら、呆れたような声を上げた。


「…不具合がないのに熱を出す必要があるのか?一体、何のための発熱だ?」


 痛みがあるという事すら馬鹿らしいと思ってしまう。リオグラードが傲慢な人間ではないと判った今でも、これだけはどうしても理解できない。そう言わんばかりに盛大な呆れ顔を見せる高夜に、小李は静かに答えた。


「痛みや苦しさが判らない者に、心を理解することも、心に寄り添うこともできないだろう亅

「…!」

「…俺が言っても説得力はないな……いや、だから俺には、理解できないんだろうか…?亅


 自問自答するようにそう呟く小李に、高夜は思わず「そんな事はない」と叫びそうになって、だが何とか開きかけた口をおもむろに噤む。今日会ったばかりの自分が判ったようなふりをして言葉を挟むのは、あまりにおこがましいだろう。


 見れば里生もかける言葉を失って、寂しそうに小李を見上げている。

 何か言葉を、と思うのに思考が宙を舞うだけで、相応しい言葉が見つからない。


 悄然と肩を落として目線を落とす高夜に気づかず、小李は涼やかな声で「また」とだけ告げて里生と共に踵を返した。

 そんな二人の背を見送りながら、こういう時、何か気の利いた言葉が思い浮かばない自分の情けなさを、高夜は痛感するしかなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ