第7話 あくまで噂
ヤブラは狩りに出掛け、俺はベットの上で暇を持て余す。
本当に暇だ。
前はあんなに時間に追われていた毎日だったのに。
やることが何一つない。
やらなければいけないこともない。
そう考えると、ちょっと顔がにやけてくる。
でも暇なことに違いはない。
ベットに寝たままだと窓ガラスの外は空しか見えない。
それにガラスも少し歪んでいて綺麗ではない。青い空に浮かぶ雲の形もよく分からない。
部屋には誰もいないし、眠気もない。
そりゃそうだ。2日寝てたんだから。
厳密に言うと1日半だが、それでも十分すぎる。
そうだ、魔法を少し出してみよう。
手のひらに小さい火を出すくらい問題ないだろう。
俺は麻痺している右手をなんとか掛け布団の上に出し、手のひらを上に向けた。
小さい火を想像してみる。
ヤブラが熊に見せたような手のひらの大きさの炎。
召喚魔法で想像のコツは掴んだ。
きっとやれる。
...
何も起きる気配がない。
一度、息を吐いた。仕切り直しだ。
そうだ、魔力の流れを意識し忘れていた。
今度は自分の魔力の流れを意識し、手のひらに集中して...。
バンッ
大きな音を立てて部屋の扉が開き、それと同時に落ち着いた男の声がした。
「何事です」
俺は驚いて体中の筋肉に一瞬だけ力を込めてしまった。
「おっ...」
お腹に激痛が走り、顔に皺が寄る。
何事でしょう。
「あの、大丈夫ですか?」
「いや、気にしないでください」
痛みを我慢している時に出る、震えたような声で俺は返事をした。
段々と痛みが落ち着き、部屋に入ってきた人を見た。
髪をビシッと整えている中年男性。服装がしっかり整っており、スラっとした立ち姿が様になる。ただ、少し顔が疲れているようにも見えるような...見えないような...。
「あの、お名前をお聞きしても?」
「申し遅れました。私はハッチ・ビーバッチ。魔術師です。トーチさんですよね。先日はすみませんでした。私の召喚したクマバチが驚かせてしまったようで」
この人があの怪物クマバチを召喚したのか。
なんか思ったより常識人っぽくて驚いた。
だからこそ気になる。
なんでこの人の頭の中のクマバチはあんなにデカいのか。
「申し訳ありませんでした」
「いやいや、僕が自滅しただけですから...」
そうだ、俺が召喚獣をしっかり操れないばかりに...。
ハッチさんはそんな俺の様子から心境を察し、声を掛けてくれた。
「気を落とす必要はありませんよ。召喚獣の暴走はその生物の特徴をしっかりと捉えている証拠。強い召喚師には必須の条件です。貴方は強い召喚師になる。いや、もうすでに私より遥かに強い」
「でも...」
「召喚した生物にはそれを召喚した召喚師のイメージがそのまま投影されます」
ハッチさんが召喚魔法についての説明を始めた。
「獰猛で残忍な生き物だと思えばその召喚獣も獰猛で残忍になる。だから優れた召喚師は生物への個人的な印象を排除するんです。かくいう私もまだ上手くはできませんが...。」
「なるほど」
「リスキーさんから聞きました。初めての召喚魔法だったと。あれだけの召喚獣を出せるんです。自信を持っていい」
「ありがとうございます」
そうだ、運んでくれたことのお礼も早く言わないと。
それに地面に落ちそうになった俺を助けてくれたのも彼だ。
ここに運んでくれた3人はヤブラとリスキーさんと、きっとこの人なのだから。
あの、風魔法で僕のことを助けてくれたんですよね?それにここまで運んでもらったみたいで...。本当にありがとうございました」
「いやいいんですよ。それに私だけじゃありませんから」
余裕があって頼りになる感じがする。
正直に言ってカッコいい。
なんだ?この世界は良い人しかいないのか?
いや、あの悪魔がいたか。
けどアイツは悪魔だ人じゃないし今回は例外だ。
「本当に皆さんには感謝してもしきれません。応急処置もハッチさんが?」
「リスキーさんと一緒にです。それより何があったんです?あんなに莫大な魔力を溜めて」
それで来たのか。
なんか悪いことをしてしまった。
「いや、すみません!実はちょっと魔法の練習をしようと思って...」
「練習ですか」
「そうなんです」
「ならよかった。私の早とちりだったみたいですね」
そんなに俺の魔力の量はすごいのか。
すごい速さで来たもんなハッチさん。
これからは気をつけないと。
「ところで何の魔法を練習してたんですか?」
「手のひらに小さい火を出してみようと思って」
「なるほど。出ましたか?」
「いや、ダメでした」
「魔法陣の模様を完璧に覚えるのは難しいですからね」
「え?」
「どうかしました?」
「魔法陣が必要なんですか?」
「必要ですよ。魔法陣から出すのが魔法ですから」
あ、そうだったんだ。
「なるほど...」
出せないわけだ。
ヤブラが召喚師にさせようとした理由もようやく分かった。
魔法使いになって色々な魔法を使いこなすには、何種類もの魔法陣を覚えないといけないってことか。
それなら1つだけ魔法陣を覚えればいい召喚師の方が手っ取り早いな。
納得だ。
「それでは私は仕事があるので」
そう言って部屋を出ようとするハッチさんを俺は呼び止める。
「あの!最後に一つだけいいですか?」
「何でしょう?」
「あの森でなぜクマバチを出してたんですか?」
「ある魔族を探してたんですよ」
クマバチで合ってたな。
それより魔族はやっぱり敵なのだろうか。
「魔族...」
「キント周辺で突如現れては消える謎の魔族です。最近の話題はその魔族で持ちきりですよ。世間ではこう呼ばれてるらしいですよ。"キントの悪魔"」
え、悪魔?
いたじゃん昨日の夜。
てことは、あれ魔族だったのか!?
えぇぇぇ...。
...。
えぇぇぇぇ...。
「やはり聞いたことが...」
きっと表情に出ていたんだろう。
驚きすぎて言葉を失ったくらいだ。
気付かれて当然だ。
キントの悪魔っていうのは初耳だけど、アイツしか考えられない。
現れては消える謎の魔族、それでもって通り名はキントの悪魔。
もう確定みたいなものだろう。
「私はここらへんで。それでは」
「お気をつけて」
俺がハッチさんを呼び止めることはなかった。
俺は迷っていたのだ。
いや、今も迷っている。
真偽が不明とはいえ、昨日見たことを言うべきなのだろうか。
ハッチさんを信用できないとかそういうのでは決してなく、俺の転生を知っているあの悪魔を敵に回していいのかという話だ。
あの悪魔は俺が呼んだと言っていた。
俺の転生を知り、前の世界で俺が即死していたことも知っていた。
名前は知っていたか?
いや、呼ばれた記憶はないような。
呼んでいたか?
思い出せない。
あの悪魔の目的はなんなんだ?
ハッチさんが言うにはキントという場所に出没しているらしい。
それで森に召喚獣を出して探していた、と。
あの森の名前がキントか?
それとも街の名前?
国の名前か?
いや、今問題なのはそこではない。
なぜキント周辺に現れては消えているのかだ。
話ぶりからして何か大犯罪を犯しているとかではなさそうだった。
しかし、あの召喚獣を出せるハッチさんが探すくらいだ。
きっと何かあるに違いない。
でも気になることがある。
なぜハッチさんは悪魔を追っているのだろう。
悪魔はキント周辺で何をしようとしているのだろうか。
そもそもあの悪魔は敵なのか?味方なのか?
悪魔が言っていた、「お前さん呼んだ」ってどういう意味だ?
駄目だ考えれば考えるほどよく分からない。
はぁ。
少し休憩だ。
俺は無意識に深呼吸をしていた。
魔法陣を知らないため、魔法の練習をすることができない俺は悪魔のことをぼんやりと考えていた。
たまにこの城の侍女が様子を伺いに来て、たまに水を飲ませてもらったが、頭の中は悪魔のことでいっぱいだった。
それでも結局のところ何も分からない。
昼頃、急に催したので侍女にトイレの場所を聞きトイレへ向かった。
体がふらつくが、壁に手を当てさえすれば歩くことはそれほど難しくなかった。
城というだけあって廊下が長い。
至る所に装飾が施されており、機能ではなく見た目を気にしていることがよく分かる。
天井が高く、石造り。
お城だ。
俺は1人で感動していた。
しかし、感動することばかりではない。
トイレだ。
これだけは前の世界の方がいい。
こちらの世界のトイレが優れている要素は一つもない。
廊下を歩いていて一つ感じたことがある。
やたら侍女が多いということだ。
侍女が多いというのは少し間違っているかもしれない。どの人が侍女なのか俺には見分けがつかないからだ。
ここでは女性ばかりだと言った方が正しいのだろう。
いやばかりじゃないな。
少なくとも俺がすれ違ったのは全員女性だった。
この城の城主はきっと女好きなのだろう。
それにしてもどんな男なのだろうか。
泊めさせてもらっている身だいつかはお礼を言わなければならないだろう。
そんなことを考えながら、部屋のベットに傷が痛まないようゆっくりと寝転がる。
狩りから戻ったヤブラが様子を見に来て、いつの間にか空が赤くなる。
たまにはのんびりするのも悪くない。
夕食の頃には手が問題なく動くようになっていた。
ヤブラには起き上がるのだけを手伝ってもらい、夕食は自分で食べる。
時間が過ぎるのはあっという間だ。
俺はただひたすら夕食を口に運び続ける。すると、ヤブラが口を開いた。
「明日の朝、シュブル様に謁見するからそのつもりで」
「うん、分かった」
シュブル。
俺のことをここに泊めてくれたこの城の城主であり、現在の王の叔父。王位継承権第三位の男。
俺は夜、シュブルの姿を想像しながら眠りにつこうとした。
しかし、悪魔のことが頭から離れない。